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鈍才  作者: 北川 瑞山
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 似合わないブランド品で身を固めた若い男が、カクテルのグラスを傾けながら、こう呟いた。

「女はやっぱり若いのに限る」

男は若いと言っても三十である。ただ、その風貌の幼さが故に実年齢よりも若く見えた。そしてその外見の若さは彼の人生経験の乏しさを物語っていた。同時に彼の思考の粗雑さ、軽薄さ、浅はかさも。

「女は若ければ若いほどいい」

男は繰り返した。その発言の下品で強欲な響きが、男の洗練された身なりと相まって、ある種の洒落た空気を醸していた。が、その空気は彼自身には全く似つかわしくなかった。まるで彼の衣服や持ち物が言葉を発しているようにさえ思われた。彼そのものの存在は、そうした彼の身なりや言葉に埋もれて、むしろ窮屈そうに見えた。

 私はこの男を、中学のころから知っている。もちろん本名も知っているが、ここでは明かさない。それは彼の名誉を守るためではない。彼の本名を明かすことは、同時に私の本名を明かすことを意味するからだ。実を言えば、この男と私は同姓同名で、困った事に漢字の表記すら一緒なのである。今から話を進行する上で、このことを隠すことはどうしてもできない。であるから、彼の名前を伏せることで、自分の名前もまた隠し通すつもりである。

 また、同姓同名の人間を区別して話を進行するとなると、仮名を使うにしても別々の仮名を付けるしかない。ここではこの男の名前をH、私の名前をAとしよう。これはイニシャルでも何でもなく(同姓同名なのだから、イニシャルだって同じだ)、ただ八月生まれのこの男がアルファベットの八番目のH、一月生まれの私が一番目のAという、ただそれだけの話である。

「この間六本木のクラブに、十六歳の娘がいてさ。もう少しで連れて帰れそうだったよ」

 Hは得意そうにそう言うと、カウンターに置いてあったスマートフォンをいじり出した。

 私は、それは未成年者略取だとか、そんな説教を垂れる気にもなれなかった。Hといればこんな話題は日常茶飯事で、垂れる説教もとうに底をついていた。代わりに私は当たり障りのない応答で、会話を繋いだ。

「十六歳?十六歳でクラブに入れるの?」

「ああ、見た目はどう見ても十六歳には見えないから。Aも今度行く?若い娘が沢山いるよ。選び放題だ」

「選び放題って?」

「VIPルームを貸し切るんだ。そこからはフロア全体を上から見渡せる。それで気になった娘がいたら、スタッフにそう言えば連れてきてくれるんだよね。ちょっと会話するだけでもいいし、うまくいけばお持ち帰りもできる。大概の女はVIPルームに誘われて嫌な気なんかしないから、簡単だよ」

「住む世界が違うね」

私は呆れて、突慳貪な返答をせざるを得なかった。何も道徳的見解から見て呆れたのではない。よくもまあそんなにどうでもいい事に現を抜かせるなと、Hと自分の興味関心の度合いの落差に驚嘆したのである。事実、私は全くこの話題に興味を抱く事ができなかった。それには私自身にも原因があった。私にはそれまで女性経験と言っていい程の経験がなく、殆ど女性を知らなかった。知らないだけならまだいいが、色々な経験から、ともすると恐怖心、猜疑心、果ては憎悪にまで傾くきらいすらあった。無論私は同性愛者でも何でもなく、異性に対する性欲は人並みにあった。が、それも三十にもなると徐々に衰えてきていた。対象に好意を抱けず、なおかつ性欲もない。それではHの話に同調し、大騒ぎする程の衝動を持つに至らなかったのは自明の理である。

 一方で、H側にも問題はあった。Hの言う「若い女がいい」というのは、あくまでH個人の性的興味の対象、あるいは周囲に見栄を張るための道具として若い女がいいのであって、それが誰にとっても、いつ何時でも「いい」わけではなかった。要は話に根拠がなく、普遍性がないのである。「若い方がいい」という個人の感想を前提とした話に終始しているため、人を惹き付け、説得する力に欠けていた。生殖機能の問題、年を重ねる事による女の性格の変遷、若い女の可能性など、「女は若い方がいい」ことの論拠を示そうとすればいくらでもあるだろうに、Hはそれを示さなかった。私の興味をひく筈がない。

 それで私は終始、眠そうな返事しかできなかった。私は殆どHの話を上の空で聞いていて、グラスのスコッチウイスキーばかり啜っていた。

「さすがに十六歳は無理だったけど」

Hはスマートフォンの画面を私の眼前にかざし、更に得意になって言った。

「新しい十九歳を補充したよ」

補充という事は何人もいるのだろうか。そうした浮かんでは消える疑問の一つ一つに興味が抱けない。が、否応なく私は画面に映る若い女の姿を直視せざるを得なかった。画面に表示された写真には、振袖姿の二人の女が写っていた。一人は美人、もう一人はそうではなかった。私にだって美醜の感覚ぐらいはある。ただあまり美人に興味がない。無論だからと言って不美人に興味があるわけでもない。

「この間の成人式の写真。でも早生まれで誕生日まだだから、まだぎりぎり十九歳だ。女子大生だって」

「それはよかったね」

「あ、勿論こっちの方ね」

Hは美人の方を指差した。彼は不美人に対する侮蔑の色を隠そうとはしなかった。

「どうやって知り合ったの?やっぱりクラブとかで?」

「うん、これはまあその種のパーティーみたいなのがあってね」

「パーティーか、そんなの怖くて行けないよ」

私はつい本音を口にした。多くの男女がお互いに笑顔の裏で値踏みをする。それは想像しただけで恐ろしかった。

「大丈夫だよ。そうだ、今度合コンする予定だから、Aも来なよ」

「そうだね、よろしく頼むよ」

と返事はしたものの、後日断りの連絡を入れたのは言うまでもない。

 結局その晩はそれでお開きにし、お互いの帰途についた。


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