ハイツのオヤジ達
高層マンションから裏野ハイツまで戻る頃には、日は暮れ始めていて、最寄り駅である御鑑駅から仕事を終えた人達がわらわらと駅建物から現れて、それぞれの帰路についていた。
夏休みという事もあり、駅前には制服姿の学生達の姿は少なく、代わりにジャージを着た、体育会系の部活を終えた生徒達の姿がちらほらと見えた。
駅前銀座通りは店こそ半数以上がシャッターを下ろしているが、街灯は明るく路地を照らしていた。
最近LED照明に取り替えられた街灯は目立って明るすぎる光を放っていたが、横から直視しても眩しくは無い、不思議な光だった。
その街灯の下を一人の男性が足早に歩き、俺達の前を通り過ぎると、ハイツへと通じる路地に入っていく。
眼鏡をかけ、白髪交じりの男性はくたびれた灰色のスーツを着ていて、魂が抜けた様にふらふらと歩いているにも関わらず、歩く速度は速かった。
あっという間にその背中は小さくなり、そしてハイツの方に近付いていく。
俺達はその男性がハイツの住人だと思い、小走りで後を追いかけて、どの部屋に入っていくかを確認した。
「101か……」
「典型的な疲れたオヤジだったわね」
「はぁ、はぁ……足の早い人だったね……」
俺とリザリィについてきた真結は、小走りでついてきていたにも関わらず、既に息を切らしていた。
学校でもそうだが、真結は運動が得意ではなく、俺達の小走りは真結にとって全力で駆け足になってしまうほどだった。
だから襟亜さんと縫香さんが、遠くから物を投げて相手に何かを渡す様な時も、真結に対してはそんな事はせずに、手渡しをしているのをよく見かけた。
「そうだね。ゆっくり歩いている様に見えるのに、一歩一歩は足早だった」
リザリィは何か思ったらしく、ハイツの裏側へ行くと、窓側の方から各部屋の様子を伺った。
日が暮れた今、各部屋は電気をつける時間で、ちょうど101の部屋にも明かりが灯ったのが見えた。
手前にある103の部屋にも電気が灯っているが、間の102には明かりは灯っていない。
遮光カーテンで閉じられているのは分かるが、それでも灯りがつけば光は漏れるはずだった。
「ひっ!?」
突然、リザリィが小さな悲鳴をあげて、俺の腕にすがりついた。
「今、カーテンの隙間から、誰かが見てた!」
リザリィは102を指さしてそう言った。
確かに、102のカーテンの隙間は微かに揺れていて、今し方まで誰かがそこから覗いていたらしい。
ふと、各部屋につけられている室外機でも、中に人がいるかどうか判断できるんじゃないかと思った。
そして、各部屋の室外機を見てみた所、俺達が引っ越した203以外は、全ての部屋の室外機が動いているのが分かった。
夏のこの暑さだからこそ、クーラーをつけずには居られない。
102や202の様に、灯りをつけていない部屋でも、外から部屋の中を見られたくないなら、窓を開けるのを避けてクーラーをつけるだろう。
「という事は、全部の部屋に、人は居るって事か」
「電気のメーターでも確認出来るかも」
真結の言葉を聞いて、改めて102の部屋の玄関脇にある電気メーターを見てみると、ゆっくりと金属の円盤が回っていた。
101の部屋も当然、メーターが動いていて、103も……とメーターを見ていた時、背後から、どなたですか? という男性の声が聞こえた。
「あ、すいません、こちらの部屋の方ですか?」
俺達が振り向くと、紺色のスーツを着た30代の人の良さそうな男性が、不安げな顔で見ている。
「はぁ、そうですが」
「私達、今日、203に引っ越してきた頬白と言います。挨拶回りをしていたんですが、102の方にどうしてもあえなくて」
「ああ、上の空き部屋に」
そう言いながら男性は一度上を見上げた後、俺達に軽く頭を下げて目の前を通り、103の玄関へと近付いた。
「お隣さんは、私達も見た事が無いんだ。二階の田吾知さんの話では、気難しい人が住んでるらしいって聞いてるよ」
片手をあげてそう言うと、男性は玄関をあけて103の室内に入っていった。
俺達は当然、顔を見合わせて、お互いの記憶を確認しあう。
「気難しい人って、202だったよね?」
「うん。挨拶しなくてもいいって言ってた」
「お婆さんとは今日話したばかりよ? 間違えてるとしたら、今の男の方じゃない?」
「……念のために、挨拶しておこうか」
俺は102の玄関に近付くと、チャイムを押してみた。
中に誰かが居るのは確かだが、やはり昼と同じく反応は無い。
挨拶は出来そうになかった。
「……部屋に帰ろうか」
このまま102の人が出てくるまで待つのも失礼だろう。
俺達は『気難しい人』が102なのか202なのか疑問に思いつつ、203へと戻る事にした。
二階への階段を登った後、真結とリザリィは203号室に入っていったが、俺は202号室が気になったので、確認のために玄関先の電気メーターを見に行った。
電気メーターの銀色の円盤を見てみるも、目盛りが見える事はなかった。
クーラーの室外機は動いていた様に見えたが、気のせいだったのだろうか。
諦めて203へ戻ろうとした時、ちょうど使い魔さんが大きなビニール袋を持って階段を登ってくる所に出会った。
まさかこんなに堂々と正面から持ってくるとは思わなかった。
使い魔さんの外見は未確認生物の雪男の様な、全身毛だらけの化け物なのだが、普通の人には見えないのだろうか?
「Fo……Fu……」
使い魔さんは俺にビニール袋を差し出すと、何かをフゴフゴと言いながら頷いていた。
言葉は通じないが、大体の事は分かる。
夕食をとどけに来たから受け取れと言ってるのだろう。
俺が夕食の入っているビニール袋を受け取ると、突然使い魔さんは辺りを警戒するように見回し、そして忍者のように身をかがめると、二階から飛び降りて草むらの中に駆け込んでいった。
「一応は隠れるのか……」
堂々と階段を登ってきたり、素早く隠れて返ったり……。
毎度ながら、使い魔さんの行動は矛盾が多すぎて、理解出来ない。
前に見た時は頬白家の中庭でゴルフの練習をしていた様に覚えている。
ため息をつきながら203の扉を開けて部屋の中に入ると、リザリィと真結はリビングでくつろぎながらテレビを見ていた。
「使い魔さんがご飯を届けてくれたよ」
「あ、そうなんだ。ひろくんが受け取ってくれたのね、ありがとう」
真結は早速立ち上がると、壁際にたてかけてあった折りたたみ式のテーブルを部屋の真ん中に持ってくる。
「リザリィちゃん、布団、どけてちょうだい」
「もーそのままでもいいわよ」
「無理だよ、がたついちゃうよ」
「仕方無いわねぇ」
リザリィは部屋のど真ん中に敷き布団を敷いて、その上に寝そべりながら、テレビを見ていた。
他人の事などお構いなしだが、相手が悪魔では仕方が無かった。