ファーストイン・ラストアウト
手紙は、この数日をかけて綴られたものに見えた。
あのお婆さんは縫香さん達がこのハイツを見つけた時から、死を覚悟していたのだろう。
そこに綴られていた内容は、想像していたよりも酷く、想像していたよりも道理にそった話だった。
あのお婆さんの辛く哀しい人生は、魔女によってではなく、おそらく自らが産み出した狂気の子によって終わりを告げた。
その子は102号室に居ると言う。
「……真結を、助けないと」
手紙を元通り、丁寧に折り畳んで書机の上に置くと、リザリィがどこからか箒を持ってきて俺に手渡した。
「ダーリン、彫像を壊して。それはカルト・オブ・シックスと呼ばれてる、邪悪な六神の彫像よ」
「リザリィが壊すと色んな悪魔から怒られそうだから、ダーリンに任せるわ」
「悪魔が崇拝している神様も居るの?」
「いるわね。だから、きっと怒られちゃう」
「分かった、俺がやるよ。このぐらいしか出来ないから」
俺は箒を振り上げると、一体ずつ、邪心の彫像を殴って壊した。
彫像はどれも陶器か土器で出来ていて、壊すのは簡単だった。
一つの彫像を壊す度に、後ろにある垂れ幕が燃え上がり、跡形もなく消えてしまう。
六つとも壊すと、天井に魔方陣が現れ、粉々に砕け散って消えた。
「これで、いいのかな?」
一仕事終えたような気持ちで振り返ると、リザリィの横には縫香さんと襟亜さんが立っていた。
縫香さんは黒いチャイナドレスに身を包み、襟亜さんは白い着物を着ていて、二人とも普段より気合いが入っている様に見えた。
「ありがとう弓塚君、うまくやれたみたいだね」
「それで真結はどこかしら? 居場所はわかりまして?」
「狂気の世界の存在に捕まってるみたいなんです。102号室に居るらしいんで、今から行きます」
「そうか。すぐに助けに行こう」
201号室を出た俺達が階段を降りると、下で硯ちゃんが待っていた。
「お兄ちゃん、真結お姉ちゃんは?」
「今から助けに行くよ」
「硯も行くよ」
「待って。狂気界の風景って、硯ちゃんにはちょっと刺激が強くない?」
リザリィがそう言うと、縫香さんと襟亜さんが顔を見合わせる。
「硯も眼鏡をかけて。でなきゃお留守番だ」
「わ、分かったよ。眼鏡はないけど、魔法でも良いかな?」
「いいよ。教育上良くないものだらけなんでね」
「なんだかわからないけど、とにかく、かけたよ」
硯ちゃんが魔法の準備をしている間に、縫香さんと襟亜さんは102号室の扉の前に立ち、中の様子を伺う。
「……入れないな。中で相手がお待ちかねだ」
「弓塚君は扉を開けたらすぐに逃げて下さいね。後は私達がやりますわ」
「ダーリン、扉を開けたら、私の後ろに隠れるのよ」
「弓塚君の事はリザリィに任せるよ。狂気界の住人が相手だと、さすがに余裕が無いかもしれない」
縫香さんがそう言い、硯ちゃんが魔法の準備を調えたのを見計らって、俺に扉を開けるようにサインを出す。
「行きます」
ドアノブに手をかけ、引っ張り開けると、中から七色の光が溢れ出し、グオアアという、怪物の吠える低い声が轟いた。
扉が完全に開く前にリザリィの背後に隠れると、リザリィが両手を前につきだして、七色の光を漆黒の魔方陣ではじき返していた。
リザリィがしているのと同じ様に、硯ちゃんが両手を前につきだし、赤、白、紫、黄色の魔方陣を展開して、七色の光を受け止めていた。
「とんでもない防御陣を使うわね。リザリィでもあんなすごいシールドは作れないわ」
硯ちゃんが扉の中から放射される光を全て受け止めたのを見届けた後、縫香さんが襟亜さんと腕を組んで消え、そして扉の前に襟亜さんを瞬時に移動させる。
着地と同時に襟亜さんは腰の日本刀を抜き、下から上へと一閃していた。
「いきなりエビルアイですわね」
「硯もリザリィもお見事。あんな光線を喰らったら、どうなるか分からないな」
「定番だと、即死か石化か発狂か衰弱。あと麻痺と分子分解って所かしら。厄介な護衛を用意してたわね」
一難は去ったらしく、縫香さん達が部屋の中に入っていき、その後に続いてリザリィと一緒に部屋の中に入る。
102号室は壁一面に木の根が張っていて、他の部屋とは異なり、床全体が絵になっていた。
絵には薄気味悪い大木が描かれていて、その幹には一つの大きな目があり、幹の胴体部分には真結が捕まっている様子が描かれていた。
「絵の中に逃げたか」
「真結がいるんじゃ、この絵は斬れませんわね」
「中に入るしかなさそうねぇ。マッドローパーって初めて見たけど、狂気界の生き物はどれも好きになれないわぁ」
「仕方ありませんわ、他に術も無し、行きましょう」
襟亜さんはそう言うと、一足先に絵の中に飛び込んでいった。
終始、襟亜さんは真結の事を心配していて、目の前で捕らわれているのを見て、いてもたってもいられなくなった、という感じだった。
いつもは毒舌を吐いて他人事の様に一歩間を置くのに、現場では最初に飛び込む。
軍の特殊部隊の言葉にファーストイン・ラストアウトというのがあり、現場では最初に飛び込み、最後に出る。という心がけをしている話を聞いた事がある。
襟亜さんもそういう心がけを持っているのかもしれない。
襟亜さんに続いて縫香さんが絵の中に飛び込み、その後にリザリィが俺と硯ちゃんの手を掴んで、額縁にたった。
「未成年の二人は、見たくないものは見ちゃ駄目よ。殴り合いは二人に任せて、私達は後ろで待機しましょ」
そう言って、三人で同時に飛び込んだ……のだが。
「うわぁぁ!?」
俺の身体は重力法則に従って地面へと落下していき、リザリィと繋いだ手はすぐに離れてしまった。
数メートル落下した後、俺はどぶん、と地下の水たまりに落ち、あわてて水面に出ると、少し離れた所にある太い木の幹の所へ向かって泳ぐ。
幸い眼鏡を落とす事は無かったが、全身ずぶ濡れで、しかもこの水は臭くて粘りけがあった。
俺が木の根によじ登ると、近くにリザリィと硯ちゃんがふわふわと降りて来た。
「ごめんなさいお兄ちゃん。フェザーフォールの呪文、効かなかったの」
「ごめんねダーリン。魔法が効かない事、時々忘れるのよね」
「死ぬかと思ったよ……この水、臭いしなんだかドロドロしてるし……」
俺が腕についたヘドロ状の何かを手でぬぐって水の中に落としていると、硯ちゃんとリザリィが二人揃って口にハンカチを当てているのが見えた。
「酷い匂いね……磯臭いわ」
「リザリィ、布は持ってないって言ってなかった?」
「このハンカチは洗ってないからダメよ。手に巻いてるの、汚れちゃった?」
「あ、ああ……ごめん」
俺が火傷した方の手を差し出すと、リザリィは手に巻かれたぱんつを見て言った。
「これは、もう汚いから捨てるわね。はい、新しいやつ」
そう言うと、リザリィは汚水で汚れたぱんつを水の中に投げ捨て、別のぱんつをポケットから取り出すと、俺の手を綺麗に拭いて、また捨てた。
そして更にポケットから新しいぱんつを取り出すと、手に巻いてくれた。
「な、何枚持ってるの!?」
「どうしてぱんつなの!?」
俺と硯ちゃんの二人からつっこまれたリザリィは、ちょっと嬉しそうに苦笑いをしていた。