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遺書

 額の中で全ての物が燃えだし、見知らぬ人々が悲鳴をあげながら苦しんでいるが、額から出てくる事は無かった。

 ただ一人だけ、その炎の中をお婆さんがこちらに駆け寄ってきて、絵の中から外へと手を伸ばしてきた。


「これを! あの子を助けてやっておくれ!」


 そう言って、お婆さんは全身を炎に焼かれながら、俺の顔を見て懇願した。


「全部私が悪いんだ。私の部屋に行って、あの女の子を助けてあげておくれ」


 お婆さんのその真剣な顔を見て、俺は咄嗟に手を出すとお婆さんから鍵を受け取った。


「熱っ!!!」


 ジュッという音と共に、掌に激痛が走る。

 鍵は高温になっていて、掌の皮膚を燃やして張り付いてしまっていた。


 お婆さんは俺が鍵を受け取ったのを見ると、地面の上に倒れて動かなくなり、絵が全て炎に包まれると、額縁から赤い植物の根が部屋中に広がり始めた。


 狂気界の浸食現象がまた起こっていた。


「ダーリンこっち!」


 リザリィに腕を引っ張られて、扉の絵の額から203へと逃げ戻ると、背後で絵の扉はバシン、と音をたてて閉まり、その扉の表面にいくつもの歯を食いしばった口が現れ、自らの唇を噛みきって血を流していた。


 内側からドシン、ドシン、と扉が叩かれる音が響き、その衝撃に耐えきれず、額が壁から剥がれて手前側に倒れてくる。


「これって、一体……」


「どうやら黒幕が怒ったみたいね。あのお婆さんが鍵を渡したからでしょ。ダーリン、手を見せて」


 俺が手を見せると、部屋の鍵が掌の皮にびっちりと張り付いていた。

 取るには皮ごと引き剥がさなければ無理そうだった。


「大丈夫、リザリィに任せて」


 リザリィが俺の掌の上に片手を掲げると、細くて黒い無数の線が、掌に向かってちくちくと放たれていた。

 痛みは全く無く、見ている間に焼けただれた皮膚が少しずつ削り取られていき、掌から鍵を剥がしてくれた。


 鍵を剥がした後は、手の肉が剥き出しになって痛々しい状態になってしまったが、痛みは全くなくなっていて、難なく握ったり開いたりする事が出来た。


 リザリィはポケットから白い布を取り出すと、その傷口を覆うように被せて、手の甲でキュッと結びあげる。


 それは良く見て見ると、白いぱんつだった。


「こっ、これ、ぱんつじゃないの!?」


「洗ってあるから綺麗よ。今日お風呂に入った後で履き替えるつもりだったの」


「そ、そう……他に、布とか無いんだよね……」


「ごめんね、ダーリン。服もリボンも破りたくないの。ぱんつが無かったら、破いてたと思うけど、我慢して?」


「うん……我慢するよ……鍵を取ってくれただけでもありがたいし」


 包帯代わりに下着を巻かれたのはびっくりしたが、他に代用品がないのなら仕方が無いだろう。

 リザリィの服やリボンは魔法の物だと言うし、きっと特別な物だろうから、そうそう破るわけにはいかなさそうだった。


「宴もたけなわって所かしら。相手は真結ちゃんを手に入れたけど、私達がうまく逃げたのは気に入らなかったでしょうね」


「あのお婆さんは、俺達を助けようとしたから、殺されたのかな……」


「そうかもしれないわね。リザリィは言ったでしょ、あのお婆さんはいい人だって」


 悪魔にそう言われても、にわかには信じられるものではなかったが、結果としてはリザリィの言う事は正しかったのだろう。


 あのお婆さんは、この鍵を使って201号室に行き、真結を助ける様に言った。


 101号室の男性は狂気の世界で死んだ。

 103号室の旦那さんは車に跳ねられて死に、奥さんは両目を潰されて壁に打ち付けられて死に、子供は洋箪笥の中で首を吊って死んでいた。

 201号室のお婆さんも狂気の世界で焼け死んでしまった。


 202号室は狂気界への入り口になっていたが、そこへ通じる扉は、相手の方から壊してしまった。


 残っている部屋は102号室のみ。

 そこに何があるか、201号室にいけば分かるだろうか。


 203号室を出た俺達は、201号室の扉の前まで行くと、鍵を使って扉を開けた。

 何かが出て来ないかと恐る恐る中を覗き、俺が先に部屋の中に入る。


 奥の部屋に続く引き戸は、初めて見た時と同じく、ぴったりと閉じられていた。

 取ってに手をかけ、ゆっくりと扉を開けると、何故隠していたのかが分かった。


 103と同じく古い畳の間には、L字型に三段重ねの祭壇が作られ、ろうそくが並べて立てられていた。

 祭壇の上には六体の彫像が並べられていて、その後ろの壁には垂れ幕が飾られている。

 垂れ幕にはそれぞれ貧、怒、飢、欺、陰、混の字が一つずつ書かれていた。七つの大罪とはまた別の概念らしい。


 部屋に入って左側の部屋の隅には、小さな書机があり、その上に折りたたまれた手紙が置かれていた。


 俺とリザリィはその机の前に行くと、手紙を広げて、中に目を通す。


――年貢の納め時が来たようです。全ては私が若い頃の過ちが原因です。


 それが書き出しだった。


『自由奔放に遊び、刺激を求め続けた私は、世の中に退屈して、何か違う刺激を求めて毎日を怠惰に過ごしていました』


『その時、私は”彼”と出会い、すぐに恋に落ちました』


『彼は一見して日本人ではない、彫りの深い顔立ちをしていて、話す言葉もカタコトで聞き取りにくい物でした』


『彼は自分の事を異国の芸術家で、日本の文化に興味を持ったのでやってきたと言っていました。その時の私にとっては願ってもない存在でした』


『私は目の前の希有な存在に心惹かれ、全てを費やして彼を手に入れようとしました』


『しかし、本当は違っていました。彼こそが私を手に入れたのです』


『気付いた時には手遅れでした』


『彼は確かに異国の人間でした、しかしそれは海外の国ではなく、異世界の住人でした』


『彼は私を捕らえると、狂った世界へと連れて行き、そしていかがわしい装置に私を拘束すると、無理矢理に子供を孕ませました』


『彼らの国ではそれは普通かもしれませんが、人間の国では機械か怪物かもわからない、不気味な装置に固定されて妊娠するまで子種を注入し続けられるなんて、異常です』


『そして子供を宿した後も、私は別の不気味な装置に入れられ、生かされ続けました』


『彼は時折、私の様子を見に来る事があり、元気かどうかを尋ねていきました。でも、それは優しさや気遣いとは別の思惑からでした』


『単純に、子供が無事に産まれるかどうかを確認していただけで、心配ですらありませんでした』


『やがて私は、到底人間とは思えない呪われた子供を産み落とし、そしてこのハイツに幽閉されました』


『102号室に居る子供を守る為に、私は邪悪な六つの神の彫像に祈りを捧げて、魔女達が来るのを防ぐ様に言われました』


『あの子が生きる為には魔力と人間の魂が必要でした。ですから時折人間を捕らえては、狂気の世界に引きずり込み、その魂を食べていました』


『彼の話では、天使も悪魔も積極的に干渉してくる事はないという事でした』


『ですが魔女や魔法使い達だけは魔力の流れを追いかけて、あの子が無尽蔵に魔力を食べるているのを突き止め、そして殺すだろうと言っていました』


『私は邪悪な神々に祈りを捧げ続け、そして子供の犠牲者達の魂を弔う為に、この部屋でろうそくを立てました。それしか私には出来ませんでした』


『彼は時折このハイツにやってきては、あの子のエサになる人間をおびき寄せる為の絵を仕掛けていきました』


『彼にとってはこの建物とあの子が大切な作品であり、私は単なる世話係でしかありません。何度か自分で死のうと思った事もありますが、死ねないのです』


『何十年もの間、あの子を守る為だけに、ここで生き続けました』


『ずっと彼の言う様な魔女や魔法使いは現れませんでした。でも、この歳になってとうとう、魔女がやってきました』


『初めての事に、私は恐れおののきながら、様子を伺いました』


『やってきたのは一人の少年と二人の少女、その三人は魔女ではありませんが、魔女の知り合いのようでした』


『今までと同じく、彼らはエサとして203に引っ越しをさせ、そして彼の作った罠をいつもの様に部屋に置きましたが、彼らはその罠にはかかりませんでした』


『それどころか、彼らはあの狂った世界から無事に戻り、我が子の関心を引きました』


『我が子は狂った宴を始め、そして一人の少女を手に入れました』


『私が思うに、その少女は人間ではない様な気がします。とても優しいのです。もしかしたらあの少女は天使かもしれません』


『我が子はこの建物を捨てて、少女を連れて狂気の世界に帰るつもりなのかもしれません。魔女に見つかった事にひどく怯えています』


『私は疲れました』


『もし、彼の言う通り、魔女が私達を殺すのならば、そうしてもらいたいと思います』


『だから私はこの部屋の鍵を彼らに渡すつもりです』


『罪無き人々をエサとしてあの子に与え続けた私は、地獄に落ちるでしょう。いや、地獄どころか、あの狂った世界に捕らわれるかもしれません』


『それでも、もう終わりにしたいのです』


『あの天使の様な少女が助かりますように。そして、願わくば、呪われた私の子が良き神の裁きを受けられますように』



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