狂気の世界
「リザリィ、あの絵の事について聞きたいんだけど」
「あ、そうね。縫香と襟亜には伝えておかないと」
「今度はまともな話?」
「まともな話しかしてないわよ。あのね、ダーリンが狂気界の作品を見たみたいなのよ。聞いた事あるでしょ、狂気界の芸術家の話」
「狂ってる世界の狂ってる画家の話だな。魔界に来た時に追い返してたな」
「あの、狂気界って何ですか?」
「地獄界とか天界とか魔界とかと同じ、異世界の一つでね。人間から見たらどちらも地獄みたいな物だけど……狂気界はその言葉通り、何もかもが狂ってて常識が通じない」
「狂気界が絡んでるなら、分からなくもないのよね。物が落ちた様に見えても落ちてなかったり、扉の向こうが違う部屋だったり」
「扉って、あの脱衣所の扉の事?」
「そうそれ。リザリィはその絵を見てないから、狂気界については多分、としか言えないけど」
「……狂気界は人間界には直接繋がってない。狂気界と行き来する為の門を作らないと……ああ、そういう事か……」
「誰かが、人間界と狂気界の門をあの建物のどこかに作ったのか」
「でも、それと私達魔女が近づけない事とは、関係がないと思いますけど?」
「うん。また別の話だな。ただ、魔力が吸い込まれているのは狂気界に通じる門があるからだってのは、想像がついたよ」
「一晩で色々と手がかりを得られたな、助かったよ」
「町田だったら、こういうの、得意だと思うんですけど……」
「狂気界が絡んでるなら、かしこ達は巻き込めないわ。普通の人は見ただけで気が狂うのよ? ダーリンもあやうく取り込まれる所だったんでしょ?」
「うん。真結が居なかったら、どうなっていたか……」
リザリィの言う通りだった。
町田に助けて欲しいという気持ちはあるが、命に関わる様な事に巻き込むわけにはいかない。
町田だったらどうするんだろうな、と考えてみても、あの天才が何を考えているかなんて想像も付かなかった。
「必要以上に不安にならなくてもいいよ、弓塚君」
縫香さんがマナ葉に火をつけ、一息吸うと宙に紫煙を吐く。
「ミステリーマニアの助けがなくとも、ホラーマニアがいるじゃないか」
「心強いですわね。ホラーマニア」
「うん! ホラー!」
「えっ?」
リザリィも俺も、ホラーマニアと言えば真結だと思ったのだが、その真結がリザリィの肩を叩いたので、驚いた。
「あれっ、ホラーマニアってリザリィの事? リザリィ自身がホラーなのに?」
「うん! リザリィちゃんはホラー兼マニア」
屈託のない笑顔でそう言われては、リザリィも言い返しようがないみたいだった。
「……悪魔を虐めてそんなに楽しいの?」
「大体なんで闇の令嬢の異名を持つ様な上級悪魔がホラーとか怖がるんだ? 地獄界なんて毎日ホラーじゃないか」
「びっくりするのがイヤなのよ。リザリィは平穏に生きていきたいの! 七つの大罪にびっくりは入って無いの!」
リザリィの不満は縫香さんにぶつけられ、縫香さんは小さく舌を出して視線を反らしていた。
「夕食の準備をしてきますわ。出来たらお重に詰めるから、持って帰ってね」
話が一段落したと見て襟亜さんはキッチンに戻っていった。
「ここで食べてもいいじゃない。出来たての方が美味しいし、後片付けも楽だしぃ」
「済まないが、もう一仕事頼むよ。私達があの建物に近付く事が出来たら、その後は私達がやるから」
「仕事熱心ねぇ、お金はあるんじゃないの?」
「私の仕事はお金の問題じゃないからね。宮仕えは色々あるんだよ」
「あ、そう。宮仕えは確かに大変よね。お兄様も理不尽な事をさせられてる時があるわ……そう言えば襟亜も宮仕えだったわね」
「はい。正義のお巡りさんですわよ」
「襟亜が正義なら、悪って何なのよ」
「私に刃向かう者の事かしら?」
縫香さんが、いわゆる公僕なのはなんとなく納得出来るが、襟亜さんがお巡りさんというのは未だにしっくり来ない。
何を以て正義かなんて、人間も曖昧な物なのだけれど。
襟亜さんが夕食の準備を終えるまでの間、俺とリザリィはリビングで暇を潰し、真結は襟亜さんの手伝いをしていた。
縫香さんはベランダに出て、チェアに座りながら裏野ハイツに異常が無いかどうかを見張っていた。
その姿をガラス戸越しに見た時、大人だなと思った。
縫香さんも襟亜さんも真結も仕事をしているのに、俺はリザリィと子供の様に暇を潰している。
誰もそれを責めはしないのは分かっているけど、肩身が狭い。
「気にしなくてもいいわよ。ダーリンはまだ学生なのよ? 仕事なんて大人になったら嫌でもする事になるわ」
「リザリィ、もしかして、心を読んだりした?」
「魔法なんて使わなくても分かるわよ。縫香の方みたり襟亜の方見たり、考え込んだり、全然落ち着いて無いじゃない」
「そんなにそわそわしてた?」
「みんな見て見ぬ振りをしてるだけよ。ダーリンのそういう生真面目で不器用な所がこの姉妹は好きなのよ。おかげで全然リザリィの誘惑に惑わされてくれないのよね」
リザリィはそう言うと、紙皿の上に乗っているピーナッツをひと掴み取って、俺に手渡した。
「ピーナッツって落ち着くのよ?」
「ありがとう……」
リザリィも含めて、皆が俺の事を気にしてくれていた。
ここにいるのは皆、俺とは違って色々な力を持つ人達だ。
俺は何も出来ないただの人間で、その上でさらに何もしていない。
「ほら、さっさと食べて!」
俺がまた考え込んでいるのを見て、リザリィが手を取り、口の中にピーナッツを押し込んできた。
それをボリボリとかじりながら、リザリィって本当は優しいよな、と心の中で感謝していた。




