暑い日にはデオドラント
空は青く、強烈な日差しが照りつけていた。
額から汗がにじみ出し、頬を伝って顎へと滑り落ち、ポタポタと地面へ落ちていく。
背中も脇も汗だくで、ハイツに戻ったらご飯よりも先に風呂に入りたかった。
しかし、横を歩く二人の女の子は、暑さなど微塵も感じていない様で、涼しい顔で歩いていた。
「二人とも、暑くないの?」
「今は大丈夫。暑さ避けのスプレーをふってきたから」
「暑さ避け……?」
「部屋で身体にふってたでしょ。魔法の暑さ避けスプレー」
「あれって魔法のアイテムだったのか……」
ただのデオドラントスプレーだと思ってたが、全然違っていた。
「リザリィも今はサン・シールドの魔法かけてるから平気」
「ああ……そっか……俺には効かなかったね……」
「人間って不便よね」
「ひろくんはちょっと特別だけどね」
こればかりは、自分の魔法耐性という能力を呪うしか無かった。
魔法の炎ならきっと耐えられるのだろうけど、これはただの自然現象で環境の問題だった。
「ダーリン、せめて汗ぐらいは拭いてあげるわ」
手ぶらのリザリィが、ハンカチで俺の汗を拭いてくれた。
するとその部分から汗がすう、と消えて、とても気持ち良かった。
「ありがとう。そのハンカチも何かあるんだね」
「……これは駅前の百貨店で普通に売ってた、ただのハンカチよ」
「……気のせいか……」
社会科で、ヒートアイランド現象というのを習った事がある。
同じ暑さでも、田舎は涼しくて街が暑いのは、焼けたアスファルトの熱だったり、ガラスや壁面の照り返しだったり、室外機の温風が原因らしい。
人間は人工の涼しさを手に入れる為に、街そのものの気温を犠牲にしていた。
理論的には都会で外を歩くのはオーブンの中を歩くのと変わりがないらしい。
「ひろくん、帽子持って来てないの?」
「荷物の中にあるよ。まさかコンビニに行き来するだけで、こんなに汗だくになるとは思わなかったんだ」
誰がコンビニに行って、両手に何キロもの荷物をかかえて帰って来ると思うだろうか。
コンビニまでの距離は10分程度。行って帰るだけなら、汗なんて殆どかかなかっただろう。
「ごめんね、ダーリン。次から日傘を持ってくるようにするわ」
「ありがとう。でも、買い物の量を減らしてくれたら、それでいいよ」
「それはやだ」
「あ、そう……」
一番簡単なお願いだと思ったのに、あっさり断られてしまった。
暑い。とにかく暑い。だが距離はさほどではない。せいぜい10分の苦行。
それを乗り越えた俺の目の前に、裏野ハイツが見えた。
古ぼけたアパートだが、今の俺のゴールだった。
「おはようございます」
「お、おはようございます。どちら様でしたっけ?」
ゴール目前で101の扉を開けて出てきたのは、昨日の夜に見た、50代の男性だった。
昨日と同じくたびれた灰色の背広を着て、ひしゃげた革の鞄を持っていた。
「昨日203に引っ越してきた頬白です。ご挨拶が遅れてすみません」
真結の丁寧な挨拶に、オヤジの方もにっこりと笑って挨拶を返してくれた。
「101の松前です。よろしくお願いします。今から仕事なんで、失礼しますね」
松前さんは笑顔で軽く頭を下げると、炎天下の中を繁華街へ出る道の方へと歩いて行った。
「ひ、ひろくん、ちょっと来て」
松前さんと挨拶をかわした後、今度こそゴールであるハイツの日陰の中へ入ろうとしたのだが、その前に真結に呼び止められてしまった。
「どうしたの?」
真結はハイツの敷地内から完全に出ると、そこで一旦荷物を置き、ポケットから携帯端末を取り出して耳に当てていた。
仕方無く俺は再度、炎天下の中に戻る事にした。
「縫香お姉ちゃん、今、来れるかな?」
その真結の返事に対し、縫香さんは目前に姿を現す事で答えた。
「どうした、真結。何かあった?」
「なになに、どうしたの?」
リザリィも縫香さんが現れた事に気付いて、こちらへと駆け寄ってくる。
「あの101の松前さんの後を追いかけて欲しいの。今から出勤するって言ってた。あと、103の奥さんも買い物に出かけるみたいだったら、襟亜お姉ちゃんに尾行してほしいの」
「わかった。私達が居ない間は、あのマンションに使い魔に待たせておくから、何かあったら伝えておいて」
「ああ……もし、出来れば、103の男性もどこで働いてるのか知りたいです。名前、まだ聞いてないんですよね」
暑くて意識が遠のきそうだったが、縫香さんに頼めるチャンスはそうそう無い。気になる事は調べてもらいたいと思い、暑さを堪えた。
「そちらも気をつけておくよ。弓塚君は随分暑そうだな。汗をぬぐってやろうか」
俺がかなりギリギリなのを察したらしく、縫香さんがそう言って近付いてきた。
不思議な事に縫香さんが近くに来ると、ひんやりとしていて涼しかった。
白く細い、芸術品のような両手で俺の顔をそっと包みこむと、縫香さんが優しく顔を撫でてくれる。
途端に汗が引き、肌の表面に涼しい風が優しく吹き抜ける感触があった。
そのまま縫香さんの手は首の後ろの汗もぬぐい、更に来ている服を透過して、背中から胸、お腹、と全身を撫で回してくれる。
体中を清涼感が包み、暑さなど微塵も感じなくなった。
「ぬっ、縫香さん! そこはいいです!」
縫香さんの手はそのまま俺の股間まで掴んできたので、あわてて断ったが、構わず縫香さんは裏側まで撫で回し、蒸れている股間までぬぐってくれた。
「お、お姉ちゃん、やり過ぎだよ」
「お礼だよ。皮膚の表面に空気の層を作ったのさ。男の子なんだから、股間は涼しくしないと身体に良くないぞ」
縫香さんは悪戯っぽい笑みを浮かべると、そのまま姿を消した。
暑さも汗も払ってくれたのはありがたいが、最後に股間を撫で回された刺激で、俺の股間は膨らんでしまっていた。
「ダーリン! 帰ったらリザリィがそこを拭いてあげるわ!」
「い、いいよ! はやく帰ろう!」
俺は顔を赤らめながら、両手の荷物で大きくなってしまった股間を隠しつつ、部屋へと急いだ。