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或る、うだる様な、暑い夏の日に。

 夏。照りつける太陽にアスファルトが焦がされ、かげろうが立ち上る季節。

 人々はうだる暑さに干されながら、地面に真っ黒な影を落としつつ、額から汗を流して歩いて行く。


 繁華街のビルには大型の室外機が取り付けられ、室内の快適さを得る為に屋外に熱気を放ち続ける。

 広告を流している大型液晶モニターには、熱中症に対する注意が促され、水分を取るように警告される。

 それに続く、ミネラルウォーターとスポーツドリンクの宣伝効果は絶大だろう。


 真っ黒に日焼けした子供が帽子を被って、熱い熱いと喚きながら走っていく。

 すれ違う子供は生白い肌に汗の粒を浮かべながら、黙々と携帯端末の画面を見ながら歩いている。

 子供は大人にぶつかりかけると、身体をくねらせて直撃を避け、大人は毒づきながら大きく一歩横に避け、忌々しい目つきで子供の背中を睨む。


 暑さが、人を苛立たさせていた。


 繁華街の外れにある細い路地を入ると、街の内蔵部分とも言える下町の古びた平屋が軒を連ねている。

 表通りのビルや店舗の影に隠された築何十年の日本家屋は、青い瓦屋根で日光をはじき返していたが、うだる熱気はどうする事も出来なかった。

 エアコンをつけている民家は半分程度で、残り半分は家の中が見える事も構わず窓を全開にし、扇風機が風切り音を小さく慣らしながら、生ぬるい風を室内にまき散らしていた。


 典型的な下町の風景の中に、異質な存在が二人、焼けた道の上に立っていた。

 無駄な肉の無いすらりとした体つき、真っ白できめの細かい肌、腰まで届く金髪と端整な顔立ちに青い瞳。

 一見して外人でありながら、着ているのは白いロングのチャイナドレスで、横のスリットは腰まで深く切り込まれていて、左足が腰の部分から露わになり、白い綺麗な太股が伸びていた。


 男でなくとも、一体どこの国の誰が、何の用でこんな下町に来たのかと振り返るだろうに、周りの人々はその女性が存在していないかの様に無視していた。

 彼ら人間は、彼女達、魔女の事を知らない。


 魔女達は自分の存在を隠し、他人の意識に触れない隠蔽魔法を使う。

 或いはハイド・イン・プレイン・サイトと呼ばれる、平地でも隠れるという特殊技能を持つ者もいる。

 たとえ丸裸で人混みの中を歩いていたとしても、誰も彼女達には気付かない。

 カメラに映るその姿は、全くの別人であり、機械でも事実を移す事は出来ない。


 金髪の魔女は長い髪をツーサイドアップと呼ばれる結い方でまとめていた。

 その隣には、背中に届く程度の黒髪を、首の後ろで一つに纏めた女性が立っていた。


 白いブラウスに軽い生地製の膝上丈のスカートは清潔感があり、優しい笑顔はどことなく若妻を彷彿とさせる。

 彼女の姿は商店街でよく見られ、近隣の人達からの評判も良い。

 隣に立つ金髪の『姉』とは対象的に、日常に溶け込んで正体を隠す魔女だった。


 彼女達姉妹は、遠巻きに古ぼけた建物を見ていた。

 下町の中に、築20年以上はするだろう古い木造のアパートが立っている。

 私有地の部分は舗装されず、砂利のままになっており、建物の側には無造作に住人の自転車が置かれていた。


 金髪の姉が、口にくわえた煙草を一口吸い、紫煙を宙に吐き出した。

 正確には煙草ではなく、魔女達が魔法を使う為の「魔力」が成分に含まれる魔界の植物で、マナ葉と呼ばれる。

 という説明をされても、見た目には喫煙者と変わりない。


 二人の魔女は、この暑さの中でも汗一つかかず、涼しい顔でその建物を見ていた。

 隣をこの近所に住む老人が歩いて行くが、この二人を気に止める様子は無かった。


「これ以上、近づけないな」


 姉がそうぼやいた。


縫香ぬいか姉さんでも近づけないのは、不思議ですわね」


 妹がそう答える。


「シフトもダメだ。拒まれる。魔法も弾かれる」


 縫香と呼ばれた金髪の女性が片手を軽くあげると、目の前の空間で稲妻が弾け、放電現象の如く霧散した。


「斬る事もできませんわ」


 妹が腰に手を添えると、その腰に一本の日本刀が現れる。その鞘から白い刃を抜いて眼前に斬りつけるも、何の手応えもなく、宙を斬っただけだった。

 刀を鞘に収め、両手を自由にすると、刀身を納めた鞘は忽然と消える。


襟亜えりあでもだめか」


「残念ですが、お役に立てそうにありません」


「学校が終わったら、すずりに見に来て貰うしかなさそうだ」


 硯、というのは、この二人の姉妹の妹の名前だった。

 この二人には下に二人、真結まゆと硯という妹が居る。

 どちらもまだ学業に励む年頃だった。


「魔力はあの建物に流れ込んでいる。いや、流れ込んでいるというよりは吸い込まれているって感じだな」


「邪悪な感じはしませんが?」


「うん。魔力の坩堝クルーシブルじゃないみたいだ。だからここを通るまで気付かなかった」


「もし、この道を通らなければ、ずっと気付かないままでしたのね?」

 

「多分ね。奇妙、或いは奇怪……そういう類だ。何が起こっているのか分からないし、この不思議な境界も今まで見た事が無い」


「結界なら触れたら弾かれたり、見えない壁があったりしますわね。でもここは何故か近付く事すら出来ない」


「ま、今出来る事は何も無いね。帰ろうか」


 そう言うと縫香は、隣に立っていた襟亜と腕を組み、忽然と姿を消した。


 彼女は異次元を渡り歩く能力を持つ魔女で、プレーンウォーカーと呼ばれていた。


 魔力の流れに身体を溶け込ませてエーテル化し、隣接する平行世界に移動する。

 この能力をシフトと呼び、生まれながらに出来る者はごく少数しか存在せず、一般的な魔法使い達は勉強の末に、魔法として会得していた。



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