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歴史・あやかし

やきもちおもち

作者: 采火

雪の日一夜、白銀の小袖を吹雪かせて、飢えた子を抱く若き娘がこう云った。


「この子にやきもちをやかせてやってください」


合掌造りの山の家主を尋ねた娘に、家主は困り顔。赤子に食わせる餅など有りはしない。

暖炉にくべた、焦がしたお味噌の、お餅を一つ手に取って、家の主はこう云った。


「赤子に餅はやれないが、こんな餅でよければあんたにやろう」


若き娘が御相伴に預かると、乳がでて赤子もそれを飲む。

乳を与えながら娘は云った。


「この子にやきもちをやかせてやってください」


なんて強情な吹雪の娘よ。

家の主は首を降り、雪の日一夜の宿を取らせてやった。

そうして(あした)になると、娘の姿はなく、後には笑いもせぬ、泣きもせぬ、氷のような赤子が一人残されておったと云う。




これはまだ一昔前のお話。

一昔───たった十年ほど前のお話だ。



☆☆☆



ごろりんと高い天井に目をやって、複雑に組合わさった梁の本数を数えてみる。もう何度も繰り返したから数えなくても分かっているけれど、もしかしたら一本くらい数えていないのがいるかもしれないし、いないかもしれない。

ぬばたまの髪を板張りの床に広げて、囲炉裏の暖が届くすぐそばで、申子(さるこ)はうとうとと梁を数え始めた。


「ひとーつ、ふたーつ、みー……くぅ」

「おいこら起きろや」


数え初めてすぐに寝こけた申子の額にでこぴんが。痛いよぅ。


「にゃにすんの……」


眠たげに見上げた申子の目に、青筋をたてた家主が仁王立ちして申子を見下ろしているのが飛び込んできた。

家主・五兵衛(ごへえ)は転がってる申子の首根っこを掴んでずるずる土間へと引きずっていく。やーん、五兵衛の乱暴者ー、と申子が喚こうが知ったこっちゃない。


「お前、明日は祭りなんだから今日のうちに餅作るぞって言っておいただろう。なんで俺が隣のじいさんの屋根葺き手伝っている間、なーんの準備もしていないのかなぁ……?」

「だってぇ、五兵衛が作った方が皆も喜ぶし……」


表情が全く変わりもしない割には、その声が少し後ろめたそうにしているのは、長年彼女を育ててきた五兵衛だからこそだろう。伊達に男手一つで育ててきたわけではない。


まだ赤子だった申子を預かって早十数年。彼女の母親は未だに申子を引き取りに来やしない。申子はもう十と四つの年を重ねてしまっている。

極度の冷え性で、夏でも常に人肌の体温に満たないのではと心配してしまう申子は、その出自にまつわる話のせいで雪女と言われて村の者から敬遠されていた。五兵衛にその被害が及ばないのは、ひとえにこの祭り行事でのお役目があるからこそ。


「お社さまの御使いなんだから、五兵衛がやらないといけないでしょー」

「俺の仕事だが、助手はお前しかいないんだよ。男どもが平野に降りて仕事をしてる間、村に残る男手は貴重なんだから」

「むー」

「手伝ってくれねーんなら、今日の飯抜き」

「やーんっ」


相変わらず表情の変化はないが、分かりやすいほど声に気持ちがのっている。五兵衛は土間に立たせた申子に次々と指示をする。


「うるち米はあるかー」

「あるよー」

「竈に火を炊けー」

「はいなー」


申子が竈に火を炊いている間、五兵衛はうるち米を研いで、鍋に入れる。それも沢山。一つの鍋じゃ足りなくて、二つの鍋を同時に炊くが、それでも足りないから後からまた付け足す。この時間が勿体ないからやっておけと言ったのに申子という娘は、本当に話を聞かない。

ふぅふぅ一生懸命火に風を送っていた申子が五兵衛を呼んだ。


「おーし、鍋を投下ー」

「はじめはちょろちょろ~」

「中ぱっぱ」

「赤子泣いても~」

「蓋とるな。……申子は泣かなかったけどなー」


どげし。

火の加減を見るためにしゃがんだ五兵衛の背中を申子が蹴る。つんのめりそうになるが、申子の強さじゃ全然余裕で耐えられる。痛いけど。


炊いたうるち米を今度はすりつぶして餅にする。五兵衛がすりつぶすしている間、申子はひたすら米を炊く。

餅にしたら木の棒に草履のように平ぺったく塗りつけて、囲炉裏に突き刺す。それを幾つも作って下準備が完了だ。

村人の数と社に奉納する数だけ囲炉裏に突き刺して程よく焼くと、やっと作業は終わりを迎える。

申子がうるち米を炊く合間に夕食の雑炊の準備も終えていたので、囲炉裏に雑炊の鍋も吊るしてやった。


「ご飯ご飯ー」

「ふぃー、疲れた」

「お疲れさま」


はい、と温まった雑炊を差し出された五兵衛は椀を受けとる。その拍子に申子の手が触れる。火事場にずっといたからか、いつもは氷のように冷たい申子の指先も、今は人並みの温もりを持っていた。


「……お椀とってよ」

「冷え症のお前の指先が暖かいのってこんな時ぐらいだけだからなー」

「新婚かよ」


五兵衛が椀を取り上げようとした瞬間に言うものだから、手元が狂って椀をひっくり返……さなかった。しっかりと申子がて掴んでる。囲炉裏に椀をぶちまけなくてよかった。

じゃなくて。


「おまっ、育ての父に向かってなんてこと言うんだよっ」

「いやらしい手つきで養い子の手を握る養父もどうかと思うけど?」

「いやらしくはない」


そこだけはきっぱりと否定しておかねばなるまい。

五兵衛は今度こそきちんと椀を受け取って菜っ葉のわんさか入った雑炊を匙ですする。あー、美味しい。


明日の祭りは五兵衛はずっと神事奉納に付きっきりだから、申子が一人になってしまうので心配だが、祭りの時まで申子にちょっかいをかける馬鹿なぞいまい。祭りの前日の今日だって、何事もなく過ごしているようだったので(実際はぐうたらしていたようだが)、五兵衛は安心していた。


まさか、翌朝すぐに穏やかでない訪問客が来るとは微塵にも思っていなかったのだ。



☆☆☆



ぱちくりと目を瞬いて、申子は起きた。誰かが言い争う声がうるさくて、惰眠を貪れやしない。

もぞもぞと布団を被ってゆきんこのようにまんまるになって寝間を出る。隣で寝ていたはずの五兵衛がいないから、きっと声の主は五兵衛に違いない。というかどうでもいいけど、この寒空の時期に裸足で床を歩くのはつらい。


「ごへぇー、うるさーい」


寝間から囲炉裏の部屋まで出て、明かりの透ける障子を開く。するとどうか、見知らぬ女が五兵衛を押し倒しているではないか。

普段表情の動かない申子が一瞬、驚いた顔になる。

それから何かを心得たように、奥の部屋を指差して、


「寝具、あっちにあるよ」

「あらー、気が利くじゃなーい」

「じゃねーよ! いい加減退きやがれ年増巫女!!」

「あらー、幻聴かしらー。やーね、歳とると」

「あ……い、や……言葉……過……ぐぇ」

「やーん、五兵衛ー!」


自らの失言によって、まさに読んで字のごとく首を絞められた五兵衛の意識は、朝早くからお休みしてしまった。さすがの申子も表情を変えて五兵衛に駆け寄る。もちろん布団は被ったまま。

そんなゆきんこ申子を見て、五兵衛にのし掛かっている巫女が笑い出す。


「だいじょーぶ。諸々を含めた、かるーいお仕置きだから。まったく、社守のくせして不甲斐ないんだから……」


やれやれと言った体で五兵衛から降りると、女はくんくんと申子の匂いを嗅ぐ。知らない人に突然匂いを嗅がれた申子はは被ってた布団に顔を引っ込めた。申子は基本的に人見知り。でもこの女の人、何か見覚えがあるような……?


「あや?」

「知らない人とは話しちゃいけないって五兵衛が言ってた」

「その五兵衛の知り合いがあたしなんだから、無問題! さあさ、可愛いお顔をお見せなさい」

「やーんっ」


くるんと大福のように布団を被って防衛体勢になった申子を見て、女は大笑いする。


「あはは、おんもしろい」

「人の娘に何さらしとる……?」

「あらー。起きるの早かったわね」


そりゃあれだけ大声で笑われればおちおち寝ていられないに決まってる……じゃなくて。

五兵衛は居住まいをただして、女に向き直る。


「何しに来た雪解けの巫女。奉納舞いには早いぞ。雪すら降ってねぇよ」


雪解けの巫女。その言葉で申子は思い出す。毎年、冬が明けてからすぐの祭りに、舞いを奉納しに来る人だ。


「何しに来たって失礼じゃないの。新しい雪降ろしの巫女を選定しに来ただけよー」

「選定?」


雪解けの巫女は生来の垂れ目をキリリと吊り上げて真面目な顔を作る。そう、彼女は選定をしに来たのだ。


「雪降ろしの巫女が神隠しに遭われました。それと同時に既に次代の雪降ろしの巫女が生まれていると占に出ました。五兵衛、その娘は誰から預かったのかしら?」


自分の話だと気づいた申子が大福からだるまになる。頭だけだして、話の成り行きを見守る。

五兵衛はむすっとふくれ面になって、雪解けの巫女に言い返す。言葉に伏せて、もう既に特定はしているのだという脅しに屈せず。


「申子は俺の子だ。それは変わらん」

「そーゆー御託はいらないのー。そこの大福っ子が雪女の玄孫(やしゃご)なのは分かってるんだからさ」


雪女の玄孫。

五兵衛はばつの悪い顔をする。よりにもよって本人の前で、本人すら知らないことをいうのかこの年増巫女。さすが歳を重ねてるだけあって容赦ない。

そろりと大福に戻ってしまった申子の様子をうかがう。少なくとも、彼女が陰口として雪女と言われてそれを快く思っていないこと考えたら、彼女の前で言うべきことじゃない。


「雪解けの巫女、お前本当に最低だな」

「その雪解けの巫女が社守の祖なのよー。五兵衛もほんとは絶対服従しないといけないのよー。ほらほら、雪女の玄孫を差しだせーぃ」

「生憎だが、大福娘はいても雪女はいないな。おら、祭りの邪魔だっての」

「あらー、いけずぅ」


ぐいぐいと五兵衛が雪解けの巫女を玄関にまで押し出せば、渋々と雪解けの巫女は土間に降りて自分の下駄を履いた。カランコロンと音を響かせて、玄関を潜る。その時に五兵衛に付け加える。


「何はともあれ、あの玄孫にはやきもちをやかせてはだめだからね」

「……」


いつか、ある人が言った言葉とは全く反対の言葉を残して、雪解けの巫女はこの場を去る。


春が来るのにはまだ早い。



☆☆☆



毎年、村中の屋根の葺き替えが終わると祭りを迎える。祭りはもう雪を降らせても自分たは平気だと天に伝えるもの。

雪降ろしの巫女が雪を降らせるために舞いを奉納し、雪解けの巫女が春を告げるために舞いを奉納する。

二人の巫女によって担われる冬の季節。

これには誰にも知られていない裏事情がある。

それは巫女と社守にしか伝わらない伝説。


雪降ろしの巫女は雪女の子孫。

雪解けの巫女は春一番の化身。


事実、雪解けの巫女は姿形を変えないで、ふらりと村へやって来る。そして雪降ろしの巫女だが、彼女たちは死に際に何も残さない。水となり、大地に染みる。神隠しと称されるこの現象はもう何度繰り返された(あやかし)故の定め。数代前までは雪女が雪降ろしの舞いを奉納していたが、人間と交わったことにより、(あやかし)の運命をもった人の子が雪降ろしの巫女となった。

社守の血筋は本来、人里よりさらに奥山の、暗がりに住む妖であった雪女の接待役なのだ。その祖は天つ春風の化身。この奥山一帯の村々に居を構えており、雪解けの巫女が一年後毎に村を移動しながら滞在しているのがその証拠。彼女の美貌は衰えを知らない。

こうして雪降ろしの巫女と雪解けの巫女は、奥山に季節の巡りをもたらしている。


…………とかなんとか云々を知らない申子からしてみれば、突然、嫌いな陰口に信憑性をもたらすだけの言葉だったわけで。

五兵衛がどう言い繕おうとも、五兵衛が本当の親ではない故に下手な言葉は慰めにもならない。だからこそ、五兵衛はかける言葉が見つからず、大福状態で沈黙を保つ申子を持て余していたのだが、村長がいい加減に祭りの準備を始めろと玄関で騒ぐので、ぽんぽんと頭がありそうな辺りを撫でてから家を出た。


暫くして、もぞもぞと布団から顔だけ這い出た申子はその無表情の中にほっと安心した表情を浮かべた


「こんなはしたない格好してきたのに、五兵衛が怒らなかった……」


客人の前だと叱られるかなーとか思ったけど、五兵衛は何も言及してこなかった。だからといって布団をこのまま放置しておけば、帰ってきたときにうるさいので片付けておく。

それからささっと着替えて、祭りの様子を見に行こうかと土間に降りる。そこで、おや?と、一つの木箱を見つける。これはここにあってはいけないものなのでは……?

ぱかりと木箱の蓋を開けると、昨夜一生懸命作った餅の山と、村人に振る舞う餅にかける特製のタレの詰まった壺が入ってた。やはり五兵衛はこれを置いていったらしい。

持っていってあげようかと思うけれど、はたと止まる。


「そういえば、さっきの巫女さんが雪降ろしの巫女がいないって言ってたけど……お祭りできるの?」


雪降ろしの巫女の跡継ぎとして自分を指名してきた巫女さんの話だと、つまりはそういうことなのだ。雪降ろしの巫女がいなくては祭りができない。この村だけでなく、他の村でも。

雪女云々の下りは五兵衛が気にしているだけで、実際、申子にとってはどうでもいいけれど、祭りができないと、冬の季節は巡ってきてくれるのだろうか。

不安になって、どうしようもないから、申子は木箱をそのままに外へと飛び出した。飛び出して、五兵衛の姿を探す。


「五兵衛っ」


五兵衛は自分に秘密にしていることがある。雪女の玄孫。あの意味を五兵衛はきっと知っている。自分に後ろめたく思ってることだけは分かった。申子は雪女と言われることを気にしてないって五兵衛は知らないから、五兵衛はずっと後ろめたく思ってるに違いない。そうでなければ、雪女どうのこうののくだりであそこまで否定的になるわけがないし、それに申子だって長年五兵衛と一緒にいるのだ。それくらい分かる。

ぱたぱたと村を駆け回って、申子は五兵衛の居場所を探す。村長の家の回りが人混みになっていたから、そこに割り込む。きっと、事情を知った村人に詰め寄られ、責められているんじゃないか。そうなったら自分が本当に雪降ろしの巫女になってでも、五兵衛を助けないと。自分をここまで育ててくれた五兵衛への恩返しになればと。

だけれども、申子の目の前に飛び込んできた光景はそうじゃなかった。


「ご、へぇ……?」


なんだこれ。どうして五兵衛はお祭りの準備をしないで、村長さんの娘さんと杯を交わそうとしているの?


「おーい、五兵衛ー。雪降ろしの巫女がいないなら、社守の嫁が雪降ろしの巫女やればいいんじゃねーのー」

「なんでそうなるんだよ!?」

「雪降ろしの巫女って時たま、社守と結婚するんだろー? 今年一番に巫女が来るのは自分たの村なんだから、他の村にはバレないてー」

「いや、そういう意味じゃ……って、うわ、待って、無理やり杯持たせるなぁっ」

「わたくしでよろしければ……」


おずおずと杯を交わそうと酒を注ぐ村長の娘。回りの衆が次々と五兵衛と娘を祝福しようと口々に野次を飛ばす。

そんな中、一人、申子だけが冷静にその場を眺めていた。そんな屁理屈認めない。

ゆらゆらと重たい感情が心の奥底で生まれ出る。

なんだろう、形容しがたいこの気持ち───


「はい、止め」


目の前が突然真っ暗になった申子は慌てふためく。声の主によって視界を覆われたのだと気づくのに数秒かかった。


「全く。やきもちをやかせないようにと、さっき言ったばかりよ五兵衛。まぁ間に合ったから良いけれど、間に合わなかったなら祭りどころの話じゃなくなっていたわよー」

「雪解けの巫女さま……」


わらわらと集まっていた村人がしんと静まる。雪解けの巫女は、そんな彼らをおかまいなく咎める。


「雪降ろしの巫女はその血が大切なの。雪降ろしの巫女が社守と婚姻を結ぶのは、社守の純血によって巫女の血筋の純度を保つため。むやみやたらに血族を増やさないように……あなた達が怖がる雪女ですものねぇ?」


妖しい笑みを浮かべて、雪解けの巫女は言葉を紡ぐ。まぁ、社守との婚姻の例はずいぶん昔に一度あっただけなのだけれど。そんなこと村人が知る由もないか。

それから、申子の視界を覆っていた手を退けて、くるんと申子をこちらへ向かせる。

感情のなさげな表情の代わりに、不思議そうな目が物語っている。どういうことなの。


「あたしは申子を雪降ろしの巫女に指名したい。いいえ、今指名できるのはあなただけ。来年になれば別の巫女が奥山から来てくれるだろうけれど、今年はもう望めない。今年だけでも雪女のままでいて頂戴」

「おま、それを今言うのかよ……」

「どこで言ったって印象は変わらないものー。雪降ろしの巫女になった時点で敬遠されるのは変わらないわよ」


目をそらす村人たちなど一瞥すらくれず、雪解けの巫女は申子に語る。


「あなたはまだ雪女の血を持ったまま。全身に流れるその血を失う方法もあるけれど、なんとか今日まで保ってきた。運命の一つとして今年だけは雪降ろし行脚をして頂戴。雪女であることが嫌なら、後でその血を失う方法を教えてあげるから」


懇願するように言われて、申子はたじろぐ。そんな、自分に雪女の名前を負って奉納舞なんかできっこない。

助けを求めるように五兵衛を見るけれど、五兵衛も真剣な表情だ。それで申子は察する。そうか、きっと五兵衛は、いつかこうなることを知っていたんじゃないだろうか。

雪解けの巫女の言葉からすれば、雪女じゃなくなる方法が、つまりは雪降ろしの巫女にはならない方法もある。それを五兵衛が申子にさせなかったのは、申子に雪降ろしの巫女としてのお役目を、いつかさせるため?

五兵衛は申子に雪女であることを望んでる。そういうことなのか。


「五兵衛は私が雪女のままでいることを望んでるのよね。それならいっそ、開き直って雪降ろしの巫女になってもいいよ」

「いや、違───」

「あらー、ありがとっ。これで今年も無事に冬が迎えられるわー」

「おいこら年増巫……ぐえ」

「あらー、幻聴かしらー」


同じ失言を繰り返そうとした五兵衛の頭をギリギリと掴む雪解けの巫女。今の今まで申子の目の前にいたのに、今は五兵衛のもとにいる。なんたる早さか。

手はギリギリと五兵衛の頭蓋をにぎったままで、村長の家を覗いていた村人に、雪解けの巫女が声を張り上げる。


「さあさあ皆様、祭りの準備に取りかからないと今年の冬はやってこないわよー。」


村人は戸惑いながらも散っていく。

さーてさて、こちらも準備をしなくては。

雪解けの巫女はにっこりと微笑んで申子に向き合った。



☆☆☆



奉納舞いを見るための特別な席を設けてもらった雪解けの巫女の隣に、しずしずと一人の女性が座った。数年来の付き合いの女性は、涼やかな美貌で、愛嬌たっぷりの雪解けの巫女と並ぶと、まるで白と黒のように正反対な印象を与えた。


「にゃはー、やっぱり雪女の吹雪小袖って便利ねぇ」

「血でしか動かない妖し着物なぞに頼ってばかりいては、次代は担えぬ」


そう言ってぐびぐび酒を飲む雪解けの巫女に、女性は毒を吐く。本当であれば、自分があの小袖を羽織って奉納舞いを舞わされたはずなのだ。雪解けの巫女には分かるまい。自分の意思とは関係なく、小袖によって動かされるその気持ち悪さよ。


「それでー。可愛い娘を手放してこちらの里に預けていた理由をお聞かせ願いましょーか、先代さま?」

「ふん……主には分かるまい。人にも雪女にも成りきれぬ子らの気持ちなぞ……」


氷のように冷えきった眼差しで雪解けの巫女を睨み付けた女性は、つと目の前に置かれた膳を見る。香ばしいお味噌の香り。平たい餅にかけられた特製のタレは、我が愛し子を預けたあの夜に味わったときと同じで。

……雪女の血筋は代を下る毎に、その力を失い、とうとう申子の代では雪を呼ぶ力を失った。雪を操れなければ山向こうにある雪女の住む雪里では生きてはいけない。赤子にその力はないと悟った彼女は人里に預けることに決めた。そしてもう一つ。


「ほんに……やきもち一つ焼かせられんとは、なんと情けない」

「まぁでも? あなたが今回ヘマをした結果としては大団円として収まりそうじゃないのー」


ぷいと美貌の女性はそっぽを向いてしまう。


神隠しに遭ったとされた先代雪降ろしの巫女の真実。

それは巫女が雪女でなくなってしまったことに由来する。

雪女は生来、感情の起伏があまり見られない。以前であれば感情一つが昂ったところで問題はなかったが、血が薄まった現状においてはそれはあまりにも危うい橋となる。


「やきもち一つで、全身に流れる雪女の血が全て蒸発するとか……笑えないわよねぇ」

「逆じゃ。やきもち一つ焼けさえすれば、申子は只人の子になれた。(わらわ)自身はその感情の程度が分からず……今回やらかしてしまったわけじゃが」

「あはは。こちら側の里へ来る直前に、旦那が他の女といる現場を目撃して山を渡る間ずっとやきもきしてるとか、可愛いじゃなーい」

「それでこちら側に着いた途端、只人になってしもうたとか笑えぬわ!」


はいはいと適当に返事をして、雪解けの巫女は杯から餅へと手を伸ばす。五兵衛の焼きもちは上手いと、他の村でも噂となっているくらいだ。

その餅を見て、先代巫女は半眼になる。そういえば。


「あの社守、妾が赤子にやきもちをやかせておくれと言ったのを正しく理解せなんだな。この十四年、焼き餅を焼かせることばかりで、やきもちを妬かせてはくれなんだのがその証拠じゃ」


ぷんすかと怒る先代巫女に、雪解けの巫女は何も言わないで黙々と餅を食す。やきもちなんて人の心次第。妬かせようと思って妬かせられるものではない。


この焼き餅の味が五兵衛にしか作れないように、やきもちを妬くほどの感情は申子自身にしか作れない。


十四になっても未だに雪女の血が蒸発していないことを見れば、彼女の感情はやはり常人と比べ起伏がないのだ。そんな彼女の感情を表に起こすなど、とても他人には無理だろう。


舞台の上で袖を吹雪かせて舞う申子。

舞台の下で秘伝の餅を振る舞う五兵衛。


お役目か、家族か、それともはたまた別の関係か。

雪解けの巫女が春告げの舞いを踊る頃、二人の関係はどうなるか。


雪解けの巫女は二人を見て酒杯をあおぐ。


焼き餅がヤキモチに変わるかどうかは。



また別のお話───。






End.

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