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凍雲に舞う  作者: 紅月 実
第二話 花が欲するは陽に非ず
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花が欲するは陽に非ず(四)

 館前で最後となる九班の選手たちは、長く待たされて気が逸っていたようだ。「始め!」の合図で突出した一人が派手に転倒した。折悪しく後ろから来た者がそれを避けようと他の選手にぶつかり、更にそれを避けようと別の選手が、と、いった具合だ。

 折り重なった選手たちが倒れ伏す様は、何かの冗談のようだった。他の選手の下敷きになった者を助けるために予選が一時中断された。無事に救出された若者が数人の審判によって救護の天幕へ担ぎ込まれる。幸い他の選手たちに怪我は無く、一人の失格者を出した状態で九班の予選が始まった。


「……無事と言えば無事なのかも知れないけど」

 敷物に打ち上がっている若者は完全に白目を剥いていた。顔から地面に突っ込んで動かなくなった彼は、去年若衆に入ったばかりで、雰囲気に呑まれたのだろうと審判の一人が言っていた。衝立ついたての影で土埃に塗れた服を脱がせて下着姿にする。年齢的にまだ身体が出来ていないのは当然だが、筋肉の付き方を見たミアイは、『囮』に向いているような気がした。

 予選が終わる前にと二人掛かりで徹底的に身体を調べる。当人の意識が戻ってから確かめるにしても、先に異常を見付けておきたかった。

 意識の無い人の身体は只でさえ重いが、もしこれが自分たちよりも背の高い男衆だったなら、服を脱がせるだけでも大変だったろう。細身に見えても狩り人は筋肉の塊だ。彼が小柄で良かったと胸を撫で下ろした。


 軽度の打撲と擦過傷が殆どだが、つけたらしい肩は大きな青痣が出来ていた。痛みそうなその箇所へ湿布をしようと、両側から支えて起こすと小さく呻いて目を開けた。反射的に肩へ手をやり顔をしかめていた彼は、左右を確かめ己の状況を把握し――――。

 言葉にならない悲鳴を上げ、尻をつけたまま幕屋の隅まで一気に後ずさる。根元を土に埋められた柱に背が当たり、それ以上逃げられなくなると柱にしがみついて震え出した。ぎゅっと瞑った目に涙を浮かべて必死に身体を隠しながら、「ごめんなさいごめんなさいもうしません……」と口走っている。

 ミアイたちはぽかんとして顔を見合わせた。彼に降りかかった災難はあっという間の出来事で、予選中の記憶が飛んでいるのも無理からぬ事だ。しかし、それにしても驚き過ぎ……、いや、何故怯えているのか。


「あの……、大丈夫よ? 痛くしないから」

「何もしないからこっちへいらっしゃい」

 猫撫で声でなだすかし、事情を説明してやっとのことで柱から引っぺがす。毛布に包まった彼は火鉢の前で、今度は寒さのために震えていた。薬缶で沸かした熱い茶を口にして落ち着くとミアイたちに平謝りした。

「……本当にすみません、目が覚めたら女の人に囲まれてて、自分が裸だったので……。昔姉の服に悪戯をしたら、怒った姉たちに仕返しされたんです。昼寝してる間に素っ裸にされて、冬なのに家の外に放り出されて……。それ以来女の人が苦手なんです」


 ミアイが思わず横を見たが、ナナイは必死に首を横に振っていた。ナナイにも弟が一人いるが、悪戯に対してそんな仕打ちをした覚えは断じて無い。少々年が離れているので、早くに亡くなった母の代わりに、膝に腹這いにさせて尻を叩いたくらいだった。

 女性恐怖症の患者でも診察はしなくてはならない。余り彼に触れないよう腕や足を動かして貰って不調を確かめた。肩の打ち身以外にも数ヶ所湿布を当てて手早く包帯を巻く。服を着て良いと告げると明らかにほっとした彼は、謝りつつそそくさと幕屋を後にした。


「お大事にね」

 愛想良く手を振った二人は彼が充分に離れると、とうとう我慢できずに笑い出した。一応辺りをはばかったつもりだったが、声が響かないよう必死に口を押さえた。

「ひ、非道いわ。何も裸にしなくてもいいのに……」

「晴れ着を家禽の糞で汚されたら誰だって怒るだろうけど……。い、いくら何でも、や……、やり過ぎよ」

 ナナイの喉が苦しそうな音を立てている。ミアイは身体を丸めて攣りそうな腹筋を緩めた。

「あ、あの子、お尻が半分見えちゃっ…………。あ、あは、もうダメ! お腹がよじれちゃう……」

「やだっ、どこ見てるのっ……! で、でも、日に焼けてない所はやっぱり白いのね……」


「そりゃあそうよ。組のみんなだって腿は白いわよ? ……っ!」

 涙を拭うミアイの肩が物凄い力で掴まれた。外套の上からだと言うのに、爪が喰い込むのが分かるほどだ。乱れ気味の髪と、肩でぜいぜいと呼吸するナナイは普段からは考えられぬほどの迫力があった。

「……どうしてそんなこと知ってるの?」

「夏に湖で何度も泳いだから…………。わたしはズボンと胸当てで泳いだけど、みんなはシャツとズボンも脱いでたもの。……ナナイも一緒に泳げたら良いのにね」


 暑い季節に涼を求めて水浴びするのは普通で、ナナイ自身も夏になれば川で水遊びをする。しかし、割り当てられた組衆以外の者が狩りに使う森に入るには特別な許可が必要だった。しかも、山の中腹にあるムトリニ湖の一部も縄張りにしているテン組の狩り場は、易々と往復できるような道のりではない。これは、只人のナナイのせいでも、狩り人のミアイのせいでもなかった。

 押し黙ったナナイに、したり顔のミアイがこそりと耳打ちすると、ぱっと顔を輝かせて喰い付いた。元々喧嘩をするつもりなどなく、ただ、只人と狩り人の違いが遣る瀬無かっただけだ。


「……そんなとこに黒子ほくろがあるの?」

「本人も知らなかったみたい。……確かに、自分じゃ見えない所なんだけど。みんなきれいな筋肉だなって思って見てたら見付けたの」

 友人の機嫌が直った事にミアイは安堵した。そしてまた、屈託のない笑いがさざめく。癒しの場に花たちの楽しげな声が満ちた。

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