花が欲するは陽に非ず(三)
「…………あと少しよ。ヤス、頑張って」
「テンならきっと……。やった!」
それまでの混乱が嘘のように、二対二の対決は呆気なく終わった。二人の名を主審が呼ばわると、若い娘たちは思わず抱き合って喜んだ。
テスへの礼を尽くした男二人はそのまま本営へと歩み寄り、木箱から引いたくじを係の者に渡した。その木札には一から二十四までの数字が焼印で押されている。長方形の掲示板には、本選一回戦の組み合わせが木炭で書き込まれていた。今はまだ空欄が目立つが最終的には選手の名前がずらりと並ぶ。テンとヤスは対戦相手が不明な己の枠番だけを確認して救護の天幕へやって来た。
そこには大きな水甕が置いてあるので、井戸まで行かずとも喉を潤せる。口を濯ぐ二人へ、満面の笑みでミアイとナナイが予選を勝った祝いを述べた。
「おお。まあ、何とかな」
さらりと答えるヤスと対照的に、テンはあまり嬉しそうに見えなかった。むっつりと目をやったのは先ほど揉めた相手だ。テンとヤスが近付く素振りを見せると、首から吊った片腕を庇いながらも早々に去って行った。
「あの人なら大した事ないわよ? 筋を違えたりもしてないから、湿布して今日一日じっとしてれば痛みも引くと思う」
ミアイの診立てを聞いても、遠ざかった背中へ不機嫌な視線を向けていた。
「もうここにいるって事は負けたんだな。せっかく稽古に付き合ったってえのに」
「……悪かったわね」
ヤスにしては珍しく、被せるようにからかい続ける。目を合わせたくなくて俯くと、ついでに気分も下向きになった。事実とは言え何度も負けたと繰り返されるとやはり堪える。そんなミアイの顔を上げさせたのは意外にもテンだった。
「良い方に考えればいい。これは師補になって初めての仕事だろう。それをしっかりやれば……、今日が『嫌な日』から『良い日』になる」
何故そんな事を言ったのか、理由はさっぱり分からないがその通りだった。ミアイの治療師としての地位は、見習いの調合士から治療師師補へと昇格していた。昨年の暮れに昇進を告げられたおかげで、新年を何時に無く晴れやかな気持ちで迎えられたのだ。少々浮かれ気味だったのは言うまでもないが。
武術大会は性質上怪我をする者が多い。〈自然の恵み〉の恩恵を受ける者は病に強く怪我の治りも早いが、折れた骨を放っておいても元に戻る訳ではないし痛みも普通に感じる。早急に適切な処置が必要なのは只人と同じだ。
広場担当の二人とナナイは調合士なので、師補のミアイが最も地位が高い。しかし、地位が上がれば責任も重くなる。浮かれてばかりもいられないのだ。
「……そうね、そうよね。……ありがとう」
有らぬ方へ顔を向けていたテンがぎょっとした。まさか礼を言われるとは思っていなかったらしい。ふわりと花のように微笑んだミアイを前に、テンは落ち着かない風だった。左右の足に交互に体重を移動させ、胸の前で腕を組み、外す。しかし、結局溜め息をついて踵を返した。
「…………行こう」
ヤスは複雑な顔をしていた。まるで、もっとここにいたいような様子だったが、それでもテンについて行く。
「二人ともがんばってね」
腕を上げて答えたヤスとちらりと振り返っただけのテンを見送ると、ナナイが大げさに肩を落とした。自分もミアイのように気軽に話せたらと零している。先ほどまでの意気消沈ぶりはどこへやら、ミアイは朗らかな口調だった。
「そりゃあ、わたしは同じ狩り組だし……。でも、試合中なら大声で応援できるでしょ」
「ちょっと、私たちは中立じゃない」
主催者の領主以下、審判団や救護――――大会運営側の人員はもちろん中立の立場である。
名前を呼ばなければ平気だと言えば、それでは誰を応援しているのか分からないとナナイが悲観する。しかし、ミアイはそれにも大丈夫と自信たっぷりに力説した。
「どうしてどっちの応援をしてるのか分かるのよ?」
「だって、わたしたちはこのテントにいるんだもの。そこから声が掛かれば誰が応援してるのかばっちり分かるに決まってるじゃない!」
「そ、そう? ほんとに分かると思う?」
ぽっと頬を染めて念を押すナナイはエプロンを揉み絞っている。救護の幕屋は大きめで、テスの天幕と同じく本部側にある。この並びは大会を取り仕切る係の者しかいないので、本部側から叫ぶと比較的声が響く。試合場を囲む観客の声援は圧倒的だが、聞こえてくる方角が知れていて、高い女の声ならば判断がつくだろう。ナナイが納得した頃にはスカートの前掛け部分は皺が寄っていた。
皆顔見知りや親しい者の勇姿を見たいのだ。相手を野次り貶さなければ少々応援が偏っていたとて、場を盛り上げる声援の一つとして黙認される。そしてそれは、ナナイだけでなくミアイにも当てはまるのだった。