花が欲するは陽に非ず(一)
武術大会は新年の初月吉日を選んで開かれる。男女に分かれていても基本的な規定は同じである。狩り人見習いの若衆は強制だが、それ以外は誰でも参加が可能だった。参加者を複数の班に分けて乱戦形式の予選を行ない、勝ち抜けた二名ずつで本選を戦う。
大きく違うのは参加する人数である。女子の部は南寮住まいの女衆が殆どで、毎年三十人前後が参加する。それを六つに分けるので一つの班は五人前後。そこから勝ち上がった十二名で一回戦を、二回戦から前年の一位と二位が加わった。
男の部は圧倒的に人数が多く、今年は百八十三人が参加している。寮住まいの狩り人は主に独身の者たちだ。伴侶を得ると寮を出てどこかの集落に住居を構えるため、その周囲を狩り場にしている者たちも参加する。
年齢層も十代前半の若衆から四十路五十路までと幅広く、他所のテスの地から腕に覚えの有る猛者が顔を出す事さえあった。それを十二の班に分け、勝ち上がった二十四名で一回戦を行い、前年の上位四名は二回戦からとなる。
そして、男女どちらの部も準決勝と決勝は御前試合となるので領主館前へ場を移す。
「負けちゃったの?」
尋ねる方が負けた当人よりもよほど気落ちしていた。ぺたりと座り込んだナナイは、歳も十六のミアイより一つ上なだけだが、大人びて落ち着いた雰囲気の娘である。食堂で働く傍ら治療師になる修練もしているナナイは、ミアイの数少ない友人だった。
「だって……、ドナイとグエンが同じ班だったんだもの。二人掛かりじゃ敵わないわ」
肩を竦めて大袈裟に溜め息をついて見せた。ミアイも組衆に揉まれたおかげでかなり体術の腕を上げたが、意地の悪い女衆二人が相手では分が悪いと言わざるを得ない。
「ミアイの組のシムは勝ち抜けたみたい。さっき本選のくじを引きに来てたわ」
「シムは偶数班だったんだ。でも、気になるのは『シム』じゃないでしょ」
にやにやしながらしながら言うと、言葉に詰まったナナイは頬を染めて俯いた。普段は優しい榛色の瞳で上目使いに睨む。
「……ミアイだって同じなくせに」
「あっ、次の予選が始まるよっ! あれは三班かな!?」
「五班よ」
無理矢理前に向かせてミアイは話題を反らした。
領主館前で奇数班が、村の広場では偶数班の予選が同時進行している。既に五班まで進んでいるのなら、今年はすんなりと進んでいるようだ。
館の前庭は剥き出しの地面になっており、白石を細かく砕いた砂で大きな円が描かれていた。五班の選手十五人が等間隔で円の外側に並ぶ。その中に略式の胸当てを着けた者が存在した。狩り人ならば持っていて当たり前の革製防具だが、この場で着用を許されているのは女性のみ。息を呑んだミアイの視線を追ったナナイも二つの人影に注目した。
「一人はエレラよね……。もう一人は誰だっけ?」
「マウラよ、二人共同じ班になったんだ……」
エレラの狩り場はテン組と縄張りを接していた。東ガラットで発言力のあるロウの血筋で狩り組を作り、彼女が頭として仕切っている。昨年の女衆の大会でマウラは優勝し、エレラは二位だった。女性は女衆の方に出場しなければならないと言う規定は無い。腕に自信があるのなら、男性に混じって戦士としての技量を競う事も奨励されている。
今年は一位、二位共に不在だったので、三位と四位を繰り上げて女衆の大会を行なった。狙い目だとミアイも期待していたのだが、組み合わせ運に頼るようでは駄目だと分かっただけだ。
審判の号令で選手が白線を跨いで円に入る。エレラが正面に位置するマウラと目を合わせた。マウラの頭が微かに動いたとミアイが認識した瞬間に、五班の予選が開始された。
「エレラとマウラが組んでる……!」
「ええっ!?」
「もしかしたら二人共勝ち抜けるかも」
予選の班は試合当日にくじを引いて決め、十四、五人の乱戦となる。狩り組の仲間や親しい者に予め根回しをしておき、同じ班になった場合に手を組むのは常套手段だ。ミアイの言葉通り二人の女衆はお互いの背後に配慮しつつ、狙い定めた相手を確実に一人ずつ場外へ押し出して行った。
審判は地上と樹上合わせて十二人。六人が判定を行い残る六人は樹上で待機して、対戦相手に礫などを投げ付ける不正行為を監視していた。堂々と試合に臨む以外にも手を組む場合はあるのだ。
予選の規定時間である四半刻(十五分)が過ぎる頃には、円の中は三人になっていた。エレラとマウラは残った一人を挟んで攻め立て、隙を見て背後に回り込んだエレラがきれいな回し蹴りを決めた。空中で独楽のように回転した相手は倒れて動かなくなった。
すかさず審判が割って入って男に呼び掛ける。立ち上がった審判は五班の代表として二人の女衆の名を告げ、ぐったりした男を運ぶよう指示する。
蹴りを喰らった男は軽い脳震盪を起こしていたが、救護の幕屋で暫し安静にしていれば大丈夫だと診立てられた。
「めまいが治まるまではじっとして、吐き気が酷くなったりどこかおかしい所が有ったらすぐに言ってね。今は興奮しててよく分からないかも知れないけど、後できっと首も痛み出すと思うわ」
絞った濡れ布で拭いてから首に湿布を当てる。折り畳んだ布を枕にした男は、蹴られた頬と額にもひんやりと湿った布を当てて大人しくしている。若い娘二人の手厚い看護を受けて満更でもないようだ。
試合が終わる度に枠線を引き直すので、次の予選までは少々間が空く。二本の杭に紐の両端を結んだ円規を使い、一人が基準となる中央に立って杭を押さえている。紐をぴんと張った先でもう一人が杭に沿って白っぽい砂を撒いていた。
細かい砂粒を踏み散らせば跡が残って場外に出た証拠となる。あちこち欠けてしまった部分を丁寧に繋げれば、黒茶の地面に灰色の円が浮き上がった。
準備が整うと審判がやっと次の予選の出場者を呼び集めた。五班の予選の間から待っていた七班の選手がぞろぞろとテスの元に向かう。
「あっ……!」
ナナイとミアイは揃って小さく声を上げた。二人にとって、見慣れた姿を見付けたからだった。
「ね、ねえ、ヤスとテンが同じ班て事は、お互い協力して予選を抜ける約束してるわよね? ね!?」
「たぶん……。狩り組の仲間が同じ班にいれば、普通は手を組むから」
「たぶんって、決めてないの?」
「シムは他の組の人と相談してたみたいだけど、ヤスとテンにそういう様子は無かったの」
ミアイは自分の事のように焦って詰め寄るナナイを宥めた。天幕の前で二列に並びガリ=テスに一礼すると、十五人の選手は等間隔で円の縁に立つ。枠線を踏んで審判に叱り飛ばされる者もおり、観客の失笑を買っていた。落ち着きの無い様子からして初参加の若衆なのだろう。周囲に比して身体つきが貧弱だ。背ばかり伸びた若者は何度も足元を確かめている。
「でもきっと予選の班が決まった時点で手を組んでると思う」
ミアイが知る限り、あの二人は何かが始まる前から気に病んだりはしない。テン組に入って初めての大会を迎えるミアイがシムに聞いたところによれば、予選での決まり事は特に無いらしい。カクとタカが共にいる班に割り振られた場合は、兄弟が優先して手を組むということくらいだった。
誰と組むのが良いか真剣に悩むシムに、テンは「他の組の者と一緒に掛かって来ればいい」と放言し、ヤスも「まとめて伸しちまえばいいな」と二人で笑っていた。どこまでが冗談なのかミアイには判断出来ないが、何となく本気でそう思っているような気がした。
「あ、ほら。今ヤスがちらっとテンを見たでしょ。きっと混雑する真ん中を避けて大外で合流するわよ。テンは右、ヤスは左へ回り込むんじゃないかな」
「ほんとね。そうすれば近いわね」
ナナイは感心して傾聴していた。同じ狩り組の者は審判が離れた位置に誘導するのが暗黙の了解だった。二人の間には五、六人が存在するので、最短距離で合流するにはミアイの言った通りにするのが良さそうだ。
主審が大声で規定と諸注意を述べていた。一つ、枠線の外に出てはならない。身体の一部が線の外の地面に触れても失格となる。二つ、胸、肩、頭部の何れかが地面に触れた状態で審判が十数える間に立ち上がらなければ失格とする。三つ、眼球や喉笛、金的など、急所へ故意に致命的な攻撃を与えた者は失格の上厳罰に処す。四つ、その他卑怯な振る舞いは禁じる。皆誇り高くあれ!
「中に入れ!」
身を乗り出したガリ=テスが見守る中、主審が高々と上げた手を鋭く振り下ろす。全員がわっとばかりに中央へ向かったかに見えた。しかし、棒立ちのヤスとテンにナナイが顔色を失った。一拍置いて二人が枠線に沿って走り出すとミアイの声が裏返った。
「何で逆よ!」
予想に反してテンは左に、ヤスが右へ移動したのだ。