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凍雲に舞う  作者: 紅月 実
第一話 晩秋の森に若人は集う
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晩秋の森に若人は集う(三)

「もっと強く踏み切れ! ……今度は身体の軸がぶれたぞ。もう一度だ!」

 蹴りを押し返されたミアイが空中で身体を縮め、宙返りの後に元の位置に着地した。その場で片足を引き、再び跳躍すると素早い前回転から踵を振り落ろしてまた戻る。同じ動きを繰り返す合間にテンの指示が飛んだ。

 テンは最後の技を高く評価した。同じ『囮』役のシムよりも動きに切れがあり、空中での姿勢制御が上手く出来ている。修練を積めばもっと強力な蹴りになると、一通り浚った後でそれを繰り返させた。


「……どうも変なところで腰が引けるな。遠慮はいらないと言っているだろう」

 攻め手はあらかじめ分かっており、受けに徹するので怪我の心配はない。そう何度注意してもミアイは全力で攻撃しなかった。

「ごめんなさい。でも、どうしても、上手く出来なくて……」

 眉根を寄せて溜め息をつくテンを前に、ミアイは小柄な身体を更に小さくしていた。両手で胴着の裾を握り締めて目を伏せた姿は、泣き出す寸前の子供のようだ。

「お前、もしかして…………、まあいい。少し休んだら別の誰かと手合わせしてみろ。ヤス、相手をしてくれ」

「……ごめんなさい」


 テンに背を向けたミアイは空き地の端へ行き、タカの隣に座った。皆でやっていた割に仕事が進んでいない。どうやらしごかれているのを見物していたようだ。何かしている方が落ち込みずに済みそうだと薬草の仕分けを始めた。

 この植物は茎と葉を咳止めとして使うので根は不要だ。地面から露出している部分だけを採集するよう指示したはずだが、株ごと抜けてしまった物も少々混じっていた。一番下の葉の根元にナイフを当てて切り取り、後で埋め戻すために一ヶ所にまとめる。

 カクがひょいと手を伸ばし、泥や草の汁の付いていない指の背でミアイの頭を撫でた。童女のような扱いだが不思議と嫌な気分はしなかった。


「上手く出来なくても気にすんな、やり難い相手ってのもいるからな。ま、そういうのに慣れるのも訓練のうちさ」

 涼やかな目元を緩ませる。褐色の髪が木洩れ陽を受けて所々金色に輝いていた。整った容貌に暖かい笑みを浮かべるカクは、異性の関心と同性の嫉妬を大いに掻き立てる美青年だ。普段は端正な口元を皮肉に歪めている事が多いが、彼にしては珍しく慈愛に溢れた笑みだった。兄という環境からか面倒見の良い一面も持っているのだ。

 カクは弟のタカより一つ上だ。シムとミアイを除いた四人はほぼ同年齢で、テンとヤス、タカが十九歳だった。元々男四人の組へ数年のうちにシム、ミアイの順で加わり現在に至る。

 獲物を有利な地形に誘導する『囮』のシムとミアイ。体力を温存し獲物を仕留める『止め』のテンとヤス。間に立って双方を補助し、狩りを円滑に進行させる『横手』のカクとタカ。六人は狩り組としては大所帯だが、その割りには上手くやっていると言えるだろう。




「テンは別としてタカも凄いよ。カクは苦手なとこを狙って来るから、すっげぇ嫌だけど勉強にはなる」

「確かにテンは別格だけど、おれは大した事無い――――」

「そのテンに中々取らせないのは誰だよ! タカから一本取れたら大会でも優勝狙えるじゃん」


 タカは組衆の中で最も大柄だが、控え目で温和な性質である。己の事には無頓着で、ろくに手入れのされていないボサボサの癖っ毛は、先があちこちに撥ねていた。顔の半分を隠す金髪の切れ間からは、暖かい眼差しが見え隠れする。広い背を丸め、子供の胴ほどもある太い腕で、薬草を丁寧に並べる姿はある意味滑稽だった。

 見慣れた形に口の端を吊り上げたカクは、わざわざ弟の顔を覗き込んだ。色合いの異なる青い瞳が束の間交差する。顔を歪めたタカがついと目を反らした。そんな事をしてもからかいの『声』は届くと言うのに。

 この兄弟には〈絆〉がある。精神的な繋がりではなく、〈恵みの祝福〉の発露の一つである。心話・念話などと称されるこの能力は、肉声を使わず意思の疎通が出来た。ある程度なら離れても〈声〉を届かせる事が可能で、およその距離と相手の居る方角までも判る。近親者間に多いこの能力こそ、外見のかけ離れた彼らが同じ両親を持つ肉親たる証だった。


「ミアイもタカに相手してもらうと好いよ。タカは受けるだけで殆ど手を出さないんだ。その分守りに入るとまずマトモに攻撃が通らない。もし、防御を崩して当てられたら、ミアイを尊敬する」

「でも、お前はこういうの嫌いだよな」

「……殴られたら痛いじゃないか」

 絆は当人たちにしか聞こえない。普段の『会話』がどんなものであれ、他者を交えた時はこの兄弟も肉声で話す。


「タカは優しいものね」

 さもありなんとミアイが呟けば、タカは耳まで赤くなって縮こまった。分厚い胸板とごつい肩を竦めて薬草の仕分けに没頭する。

「あ、ねえ。じゃあヤスは?」

 シムは先ほどテンとの手合わせを見ている。以前ヤスに締め上げられた経験から体術に秀でているのは分かっているが、どの程度自分と差があるのかまでは判断出来なかった。口の端を吊り上げたカクが顎で示した先には、ヤスとテンがいた。




「何で急に止めたんだ? ミアイも筋は悪かねえだろ」

「本当は遠慮が無くなるまでやらせるつもりだったんだが、すぐ謝るのがどうにも…………」

「あぁん? それがイラついてる原因かよ」

 己の決断とは言え、身に付いた習慣や考えはすぐには変わらない。本人が納得し、考えがこなれるまで上手く出来ないのは道理である。

 入念に身体を解すヤスに淡々と答える。テンは表情が暗いので不機嫌だと勘違いされがちだ。実際には無関心を装っているだけで、狩り場で組衆に囲まれている時は気負い無く振舞っている。そうと分かってからは、自然とヤスがテンの相談役になった。もちろん、相談はテン個人のものではなかったが。


「どうも苦手だと思われているようだ。もしかしたら嫌われて、いや、怖がられていると言った方が正しいのかもしれないな」

 眉間に深い皺を作ったヤスがテンを睨む。

「違う……と思うがね。ただ、すぐに謝る癖があるのは俺も気になってた。自分に自信が無いんだろ。まあ、お前が苦手なのは確かだろうから、狩り以外の事も少しずつ慣らして行けや。……それより、やろうぜ」

 最後に大きく肩を回して構えるヤス。受けたテンも腰を落とした。不敵な笑みを浮かべた二人は生き生きとしていた。

「誰か、始めの合図を頼む」




「よくやるね~。いつまでやってんだろね」

「いつもの事だろ。とっとと勝負決めろっての」

「兄貴が割って入れば止めるんじゃないか?」

「そんな事したら二人に袋叩きにされるだろうが」

 されりゃ良いのにとシムが零せば、腕枕で寛いでいたカクが跳ね起きる。だが、シムとカクの舌戦にもミアイは無反応だ。彼女の意識と五感の全ては別の所に釘付けになっていた。


 武術大会での個人戦は長くても四半刻(十五分)で片がつく。しかし、テンとヤスの手合わせはもう半刻ほども続いていた。滝のように流れる汗が共に全力なのを物語っていた。空き地の中を所狭しと移動しつつ、どちらも攻撃の手を休めない。蹴りに空を切らせ、腕や足を払い除ける。その音はミアイの時とは比べ物にならないほど重く鋭く響いた。


 実力の伯仲した好敵手同士の戦いとはなんと美しいのだろう。真剣でありながら喜びの表情でまみえる若人に、身体から立ち上る湯気が纏わり付く。それは果てなく披露される舞いのようだった。ミアイは何時までも、飛び散る汗が飾る二人に魅入られていた。

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