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凍雲に舞う  作者: 紅月 実
エピローグ
22/22

若人は寒空の下(もと)で春を待つ

 バリノフの蹴りを喰らったテンは失神し、試合終了後速やかに治療所へ運ばれた。気が付いたのは日の出を遥かに過ぎた時刻で、テンは己の状態を把握するまでかなりの時間を要した。一通りの診察と施療、処方された薬を飲み干すと、その場に居合わせた治療師らの制止を振り切って寮へ帰った。自室で丸一日過ごした翌日――――今日はいつもの狩り場へ徒歩・・で向かった。

 テンが狩り場に来るとヤスから聞いたミアイは、目と口を大きく開いて固まった。治療所を抜け出したのは聞いていたが、自室の方がくつろげるからだと思っていた。治るまで自分の指示に従うと約束したのに、後刻本当に合流場所へ現れたテンに恨みがましい視線をぶつける。

 昼食のスープをかき混ぜていた玉杓子をシムに押し付け、何故安静にしないのかと常に無いほど厳しく詰問した。


「寮にいてもやる事が無い……」

 テンが眉根を寄せているのは困惑か傷の痛みか。住人の出払った日中の寮にいるとひどく気が滅入り、部屋に籠もっているより外の方が落ち着くのだと、言い訳染みた説明だった。傷が疼いて寝付けないので、少し身体を動かした方がゆっくり眠れるはずだと、珍しく愚痴らしきものまで零した。

 そんな理由でそこいらをほっつき歩いては困る。どうしてミアイが困るのかと問われると困るが、とにかく休んでくれなければ皆が困るのだ。テンと同じ北の男子寮で寝起きしている三人は、当然ながら呆れ半分心配半分で散歩を止めたが、その心情が分かるだけに強く言えなかった。


 〈狩り人〉は驚異的な運動能力を誇るが故に、一時的にでもそれを失うのを恐れる傾向がある。特に肋骨骨折は添え木ができず、ひたすら耐えつつ癒えるのを待つしかないが、痛みが和らいで復帰運動リハビリが可能になる頃には筋肉が衰えている。

 何もせずじっとしているだけと言うのはかなりの苦行だ。しかも、一度横になると寝返りすら打てず、起き上がるにも他人の助けを必要とする。テンのように自尊心の強い人間には耐え難い屈辱だろう。


 ミアイはきゅっと唇を引き結んで俯いた。テンは決して認めないだろうが、怪我のせいで精神こころも弱っているようだ。「病は気から」と言う格言もある。独り鬱々としていては、かえって傷に障るかも知れない。

「……狩り番のときに、みんなと一緒にお昼を食べるだけなら良いわ。でも食事をして休んだら、明るいうちに寮に帰ること。それと非番の日は何もしないで寮にいるのよ。良い? 今度こそちゃんと言い付けを守ってよ!?」

 ミアイの態度は、もしまた勝手な事をしたら、反対側のあばらも折ってやると言わんばかりだ。しかし、ちらりと見上げた途端、怒りは脆くも氷解した。テンは意見が通った事に驚きながらも、浮かべた微笑は弱々しく儚ささえ漂っている。


 黙りこくったミアイに、火のそばに座って休んでも良いか、テンが恐る恐るお伺いを立てた。先日意見が衝突した時も、ミアイが折れると明らかに喜んでいた。

 テンはごく一部の人間になら、弱った姿を見られても頼っても、恥にはならない『仲間』と認めているらしい。ミアイは自分もそこに加えられているのを確信し、緩みそうな顔の筋肉を精一杯引き締めた。勿体ぶってじろりと一睨みしてから大きく頷く。


 ここは縄張りの中心から南へ大きく外れた水場で、常の青空食堂のムトリニ湖畔よりもずっと村と寮に近い。湖畔は風が冷たいので冬に入ってから休憩場所を変えたのだ。

 タカが寮から持参した毛布を地面に敷くと、テンは苦労してそこに腰を下ろす。大急ぎで湿布を用意したミアイは、テンが上着コートを脱ぐのを手伝った。シャツをまくり湿布を交換して包帯を巻き直すと、テンはぐったりとカエデの木に背を預けた。

 寮の自室でもずっと寝台に腰掛けているのはヤスから聞いた。大会当日に救護テントでしていた姿勢だ。横になるより座っている方が良いかと尋ねると、テンはほんの少し躊躇ってから僅かに首肯した。


 ミアイは以前治療所を訪れた患者の事を思い出した。カクが持って来たもう一つの毛布を丸め、テンの腰とカエデの間にそれを挟むと、再びテンが驚きに目を見開いた。

「腰を緩めると背中が楽になるでしょ。でも、治ったらしちゃダメよ」

 人差し指を振り立てて童子こどもに言い聞かせる口調で叱る。腰痛持ちの年寄りがやる方法など、テンが知らなくて当然だ。腰や背中の負担を減らす助けにはなるが、行儀が悪い事この上無い。テンが普段はだらしない座り方をしないのを知っているからこそ通じる冗談だ。

「分かった。気を付ける」

 苦笑するテンの目はとても穏やかで優しかった。



―― ◇ ――



 山と森から〈自然の恵み〉を存分に吸収したテンはめきめきと回復した。非番の日はあらかじめミアイに許可を取り付けておき、村まで歩いて組衆と夕食を囲んだ。骨折から十日もすると、狩り場と寮の移動中に長い休憩を必要としなくなった。

 何よりもミアイが安心したのは、暇を持て余さなくなった事だ。テンは大会で得た賞金の一部を使って、雑貨屋で新しい木彫刀と、木目の美しい種類の材料を幾つも購入した。先が半円や鋭角になった細工用ののみで、有意義な時間を楽しんでいた。

「ヤスに頼まれていたのを仕上げたら、他にも作るつもりだ。幸い、時間はたっぷりある」

 今はヤスがかしらの代理を務めているので、その礼のつもりなのだ。

「あ、ねえねえ。だったらオレにも作ってよ」


 シムを皮切りに、男たちは次々と帯の飾り留めバックルやナイフの柄や鞘を依頼する。その全てをテンは快く了承し、それぞれの細工デザイン寸法サイズを尋ねた。

「……シムは前の小刀と同じ太さの握りで良いんだな。ミアイはどうする? 小刀の鞘が少し欠けていただろう。お前さえ良ければ柄と揃いで新しく作り直すぞ」

「わたしのも作ってくれるの?」

 大喜びのミアイが道具帯から鞘ごと取り外してナイフを渡した。二人はどんな模様にするかで会話が弾んだ。




「そういや、巫女サマはだいじょぶなのかな」

「もう平気だろ。大会ん時もガリの後ろにいたし」

「うそん!」

 新年早々、東ガラットの巫女姫は体調を崩して周囲を心配させた。高熱を出した衛士見習いの少年を看病した際に感染うつったのだが、性質の悪い風邪で長引いたため、公式には武術大会の観戦を欠席した事になっている。兄に同意を求められたタカは怪訝そうに聞き返す。


「どうしておれに聞くんだよ……」

「だってお前、衛士のボブとも念話で話せんだろ?」

「それはそうだけど……。そうじゃなくてもガリのテントの後ろにボブが立ってたじゃないか。あれを見れば誰だって近くに巫女がいるって分かるんじゃ……」

「ええっ、うそ!?」

「何だ! お前? シム!! 知らなかったのかよ!?」

「にゃにおうっ! オレは試合に集中してたんだよ!」

 観る専門の癖にとカクが意地悪く笑う。タカは上を、ヤスが下を向いて頭を抱えた。カクはいつもシムをからかうが、本当はとても気に入っているのを皆が知っている。組の中では一番年下でも、頭と舌の回転が人一倍早いシムの軽口は聞いていて爽快だ。




 シムとカクのじゃれ合いを聞き流して、テンはミアイの手を調べた。シムから預かった小刀を握らせて手の大きさを確かめる。

「シムよりも指が細いな。手も小さい……」

「テンのは……、随分大きいね」

 ミアイに丁度良い長さの柄は、テンが握ると全部隠れた。目を丸くしたミアイはテンの手を摘まんで顔の高さに持ち上げる。しげしげと眺めていると、テンが邪険に手を払った。親指と人差し指で、汚れ物のように扱われて気に障ったのだ。


 素早くミアイの右手を捉えて開いた左手を押し付ける。手首に近い手の平の下を揃えてぴたりと重ねた。ミアイの指先はテンの第二関節に僅かに届くくらいだ。次に付け根の位置を合わせて指の長さを比べた。第一関節にも届かない指を、優越感を滲ませたテンが眺める。

「細い指だ……、それに指の皮も柔らかい。こんなに小さいのに、この手は薬も作れるし包帯も巻ける。色々な事が出来るんだな」

 あちこち触れて手首を返し、甲も手の平も満足そうに検分した。そしてミアイの反応が無いのを遅まきながら不信に思った。

「……あの、…………テン?」

 ようやくミアイがおずおずと口を開く。赤面し耳まで紅潮させたミアイを見て、テンは自分が何をしていたか気付いた。手を放し、謝り、身を引く。三つの事を同時にやろうとしたテンは脇腹の痛みに大きく呻いた。

「やだ……、急に動いちゃダメじゃない。……大丈夫?」




「……だ、か、ら。オレに喚くな」

 むっとしたカクが〈絆〉の能力――――念話で大騒ぎする弟に文句を言う。

「ナニよ、この雰囲気……」

 ジト目のシムの呟きは、ヤスに黙殺された。

 若人たちに春風はまだ遠かった。



   了

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