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凍雲に舞う  作者: 紅月 実
第五話 白い吐息は長く尾を引く
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白い吐息は長く尾を引く(五)

 最大の目玉となる三つの試合に備えて、時折広場へ足を運んでいたガリ=テスも、館前の本営に腰を据えた。試合数の多い広場側は終了が遅れがちだったが、今年に限ってはすんなりと進み、待たされていた選手が意気揚々と入場する。

 その頃には多数の観客も移動していた。ガリが領主となってから恒例の計らいで、選手控え室だった二階の部屋と、張り出しバルコニーも開放されて人が鈴生りだ。

 準決勝第一戦はリフ対マウラ。ここからの試合は三本先取だが、マウラは手も足も出ずリフの圧勝だった。余りにもあっさりと勝敗が決まり、少々拍子抜けした観客たちは次に期待した。

 そう、リフと決勝を争うのは準決勝第二戦目、この試合の勝者なのだ。




 観客のざわめきは、木々の梢が風に揺れている音に似ていた。不安げな囁きは丸い会場の中心へ向かう三人の男に向けられたもの。前を歩くバリノフは右足を庇い、二の腕に黄色い布を巻いた線審の肩を借りて歩いていた。その後ろをテンが少し離れてついて行く。

 腕に赤い布を巻いた主審は、苦虫を噛み潰したような顔で選手の到着を待っていた。〈テス〉に乞われて救護班の様子を見に行った審判ものから、バリノフが重症だと聞いたからだ。そして治療師の説得も聞き入れず、この試合に出ると言う事も。テンとて軽症ではないが、準決勝まで勝ち残って無傷の方が珍しいのだ。

 主審は、縦に切り開かれたズボンの裾が、包帯ですねに巻き止めてあるバリノフの足に目を留めた。厄介な関節の負傷を押してまで試合を続ける理由は分からない。深く嘆息した主審は、既に視線で火花を散らす二人と共にテスへ敬意を示した。




「……若僧が」

 憎々しげに吐き捨てるのを無視したテンは軽く腰を落とした。バリノフは口に出さずに女神に祈り、片足を庇いつつ構える。審判が試合開始を告げても、二人は動かず暫し睨み合っていた。緊張はいや増し、誰もが声を、音を発する事を遠慮した。

 時には栄光エレオノーラと呼ばれ、またある時は名も無き春の化身にして、幸運を司る乙女が促したのか。一陣の突風が二人の間をごうと駆け抜け、ぴたりと止んだ。

 テンの身体が沈み、刹那消えた後にバリノフの前に現れた。その時には既に仕掛けており、左の拳がバリノフに掴まれている。テンは力比べを一瞬で終わらせ、引いた拳を再度打ち付けた。


 後ろへ一跳びしたバリノフは、身体が宙に浮いている間に左足を鋭く振り抜いた。足を一度地につけたバリノフは再び左足で、上体を反らし辛くもかわしたテンの膝下を薙ぐ。テンは素早く上体を右に傾けた。頭を抱えて地面に飛び込むと、そのまま数回転がって距離を取る。

 手をついて身体を起こそうとしたテンは、あばらの痛みに息が詰まった。急いでバリノフに目だけを向けた。テンの動きは予想に反しており、バリノフも平衡バランスを崩していた。顔を顰めて膝の痛みに耐えながら、テンを視線で射抜く。


 巻き直した包帯は手の平の幅一つ分しかない。患部を最小限だけ圧迫し、呼吸を妨げないようにしたとミアイは言っていた。息が苦しくなれば眩冒めまいが起きる、身体も動かなくなる。

 「怪我をひどくしないで」と、自分の事のように気落ちしていた。治療師は患者をそこまで思いやれるのかと感心した。理由はどうあれ、ミアイは皆に顧みられない己を信じてくれたのだ。戦士としてそれに応える手段は唯一つ、全力で闘うのみ!

 テンは脇腹の痛覚を切り離して呼吸を整える。底をついた〈祝福〉も僅かながらに回復しているが、使い処と配分に注意が必要だ。


 三度みたび息を吐いてから地を蹴った。踏ん張りの利かないバリノフは攻撃を受け流し、片足で飛び跳ねて避けた。姿勢制御の舵として爪先を浮かせた右足を上手く使っていた。

 強靭な下半身が生み出す柔軟な所作はテンを寄せ付けず、軽やかな舞いは危険も孕んでいた。テンが少しでも隙を見せれば、牽制フェイントが猛攻となるのは火を見るより明らかだ。

 限界を超えた未知の領域にテンの身体が興奮で震える。苦しい状況だと言うのに、意識が身体の隅々まで行き届き、感覚は冴え渡っていた。諸々の事情で能力を制限せざるを得ず、全ての動作に細心の注意が必要だというのに、だ。


 テンは自信を持ってバリノフの左側面へ大きく跳んだ。右、左の順で跳ね上げた足が空を切っても動きを止めず、左の踵を鋭く振り抜き着地と同時に身体を縮めてくるぶしを狙う。全てをかわしたバリノフが後方回転で距離を取ろうと試みた。両手と片足の鋭い振りで接近を阻むが、時期タイミングを計ったテンは怯まずに相手の間合いに飛び込んだ。

 しかしバリノフはテンの拳を手首でいとも簡単にはたき上げ、がら空きになった胸を撃つ。鎖骨の衝撃があばらに届く。知らぬ間にまた能力を使い過ぎていた。テンの背筋に嫌な汗が流れ、萎えそうな身体を内心で激しく叱咤して動かし続ける。少しでも止めたら、そのまま動けなくなってしまいそうだった。


 少々大降りになったテンの腕をバリノフが捉え、肩に担ぐとくるりと背を向けて投げ落とす。その時テンは大地に叩き付けられた背中より、傷めたあばらより、捻られた腕の方が痛かった。己を見下ろす影はぼんやりしていた。敵意の凝り固まった存在ものから、陽炎のように立ち上る何かが一点に集まると、こちらへ向けて解き放たれる。

 遠のく意識を力尽くで引き戻したテンは、咄嗟に横へ転がりうつ伏せたが、脇腹の痛みは無視できなかった。今まで押さえられていた肉体の悲鳴は苛烈を極めた。

 テンの腹を打つはずの正拳は地面の直前で開かれ、そのままバリノフの身体を力強く支えた。そしてバリノフの靴底がテンの視界を埋めた。



―― ◇ ――



 どうして楽しい時間はすぐに過ぎてしまうのだろうか。ガリは試合が終わった事を心底残念に思った。深い溜め息は白く染まり、空の雲を切り取ったよう。揺蕩たゆたって薄れ消える小さな雲を見送ると、大きく身震いして毛皮のついた襟を直した。身を切るような冷たい空気さえも好ましいのは、この場この刻だからだろうと一人納得する。

 もう一つ溜め息をついたガリは、ひそやかな笑い声に振り返って苦笑したが、リフを伴った主審が会場の中心に進むのを目にしてすぐに正面に向き直る。主審はバリノフが怪我のため決勝を棄権するので、今年の優勝者はリフに決まったと告げると、悲喜交々こもごもの歓声が上がった。

 リフの贔屓ひいきでさえ不戦勝を残念に思う者は少なくなかった。してやもう一人の決勝進出者は、負傷させたのが誰あろう将来を嘱望された跡継ぎ娘のエレラなので、ロウ一族と親しい者らも少々複雑な面持ちだ。

 微妙な空気を感じ取ったガリは、天幕を出て白砂が描いた線まで歩む。この中は〈テス〉といえど踏み込めぬ戦士たちの聖域だ。その境でガリが右手を頭上に掲げる。

「勝者に栄誉を! リフ! リフ!……」

 幸運も実力、一種の才能である。戦士としての技量を十二分に備えたリフに何ら恥じる処は無い。皆がほっとしたようにガリにならい、腕を振り上げ拳で天をつく。勝者の名がガラテアの山に熱く響いた。

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