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凍雲に舞う  作者: 紅月 実
第五話 白い吐息は長く尾を引く
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白い吐息は長く尾を引く(四)

 ラニの両親は森の集落の一つに住むごく普通の村人だった。商売を始めるために夫婦揃って別の町へ移り住んだのは、ラニが生まれて間もなくの事だ。そして数年後に二人目の子が生まれ、その翌年父親に連れられたラニだけが『村』へ戻った。

 〈恵み〉の力に目覚めた息子を只人の両親は持て余した。それに〈祝福〉に対する訓練は領地の名を冠した山間の村でしかできない。異能力を活かすかどうかは本人次第だが、半端なまま放置するのは誰のためにもならなかった。

 村では唯一の肉親――――父方の祖母に預けられる事となった。祖母は領主館の家事を手伝っており、ラニは祖母と共に、或いは一人で領主館へ出入りした。そこで出会ったバリノフは、甥の遊び相手として己の子を伴っていた。広い胸にがっしりした肩や腕、男らしい低い声。夕暮れ時に我が子たちを呼び集め、家路に着く背中は、ラニには理想の父親に見えた。



―― ◇ ――



「何を、飲ませたんだよ。そういやアンタ、治療師だけどアイツの組の女衆だったよな」

 ラニが上から下へと無遠慮にめ回し、足元から再び辿って最後に顔でひたりと止まる。ミアイの小柄な身体が潰れてしまうような不快な重圧だ。バリノフの元に集った者たちは多かれ少なかれ同様の敵意を発していた。

 容赦なくぶつけられる悪意にミアイの指先が冷たくなった。ラニから少しでも離れようと、腰が引けて目が泳いだ。

 正確にはラニはロウの一族ではないが、バリノフは親元を離れて村で暮らす若者の世話役もしており、かつてのラニもその一人だ。


「黙ってるのは、言えないようなもんを飲ませたって事だな。アンタ、もしかしてアイツの女か? さっきもこそこそと話してしなぁ!」

「ち、違います。そ、それに掟に背くような薬は使ってません……」

 否定の言葉を口にするミアイの怯えた態度は、ラニにはやましさのせいにしか見えなかった。重ねてラニが声を荒げると、ミアイの細い肩がびくりと震えた。

 しかし驚いたのはミアイだけではないようで。社会的責任は皆無でも、最も守られるべき存在が不平の声を上げた。いち早く反応したのは母親のナタリアだった。


「息子が起きてしまったわ」

 ちらりとラニへ送った視線には、少々の厭味と非難も含まれていた。眠りを妨げられた赤児は安息を求めて更に不満を募らせる。この場をミアイに任せるか否かとナタリアが躊躇っているうちに、ナナイが「おむつを替えてきます」と身を翻した。

 この幕間は皆に平静を思い出させた。泣き声は弱まりむずがる声に変わった。苛立ったラニでさえ声量を落とし、テンに与えた薬について説明しろと、幾分ましな様子で要求する。

「ペオニアの根と、セリとウケラの根茎を何種類か。それからコブキノコと――――」

 配合された材料を一つずつ挙げられてもラニにはさっぱりだったが、ナタリアは瞠目した。

「もしかしてあの薬湯をテンに飲ませたの?」

「他に薬を飲んでなければ平気だもの。それに……」

 疑われて飲みしを渡したと言えずに口ごもった。耳慣れない薬草ばかりで、蚊帳の外に追いやられて面白い訳もなく、ラニは不機嫌さを増した。


「何の薬だよ、それ」

「あの……、わたしが普段からお茶として飲んでいる薬湯で…………、血の道の薬です」

 チノミチという言葉が男たちの思考に染み込むまで数秒掛かった。バリノフでさえ一時痛みを忘れたらしい。予想以上の注目を集めてしまったミアイは、居心地の悪さを誤魔化すために喋り続けた。

「障りの時期じゃなくても、普段から少しずつ飲むようにしてるんです。その方が身体が楽なので……。お茶としてたまに飲むくらいなら誰が飲んでも問題は無いですし……。とにかく、大会の決まりに反した材料は入ってません。テンは緊張して神経質になっていたみたいなので、コブキノコが効けばいいとは思いましたけど」


「コブキノコは緊張して高ぶった神経を鎮めてくれます。癇の強い童子こどもの夜泣きにも使えるくらい安全・・な薬なんですよ。禁じられた興奮剤とは真逆の作用ですし、お茶程度の濃さならただの飲み物と同じです」

 ナタリアは薬草茶の無害な点を強調した。長期的な体質改善を目的とした予防なら、薬よりも効果は薄いが、その分味は格段に飲みやすくなる。月の物の度にひどく具合が悪くなるミアイに、ペオニアの常飲を勧めたのも、『女』としての周期によって調節する事を教えたのもナタリアだった。


「お尻じゃないみたいなの……」

 ナナイの控え目な呼び掛けに、ナタリアは息子が自分を必要としているのを知った。はっとして胸を押さえたナタリアがバリノフに目礼して踵を返す。ナタリアには他に重要な務めができた事だし、後はミアイが説明できると判断したのだ。

「乳をやる時間なのか」

 ぽつりと呟いたバリノフには、エレラを含めて四人の子がいる。張った胸へ手をやる仕草は妻もよくやっていた。他の青年たちも理由が分かったので、黙ってナタリアを行かせた。代わりに再びミアイを注視する。


「薬じゃなくても……、お茶でもただの水でも、一息つければ何でも構いませんでした。テンがあの薬草茶を飲んだのは、ここにいる間わたしがずっと飲んでいたので、すぐに渡せたからです。何か飲んで、次の試合までちょっとでも長く休んで欲しかっただけです」

 少々青褪めた顔色でバリノフの目を見ながらしっかりと伝えた。ミアイの懸案を察した訳でもなかろうが、バリノフは納得したようだ。そして緊張を解す効果があるのなら、自分も飲みたいとさえ申し出た。もちろんミアイに否やなど無く、少し癖があるので甘くするかと尋ねられて首肯した。


 己を通り越してバリノフと話すミアイを睨んでいたラニも、やっとミアイから目線を外した。バリノフの意向ならばと言葉の矛を収める。ちらりと周りを見やったバリノフが自嘲気味に付け加えた。

「ここには随分と血の気の多いのが集まっているようだ。茶葉が足りると良いが」

お目通しありがとうございます。

ミアイが飲んでいる婦人病の薬は漢方の「当帰芍薬散とうきしゃくやくさん」に近いものです。

ペオニアが芍薬しゃくやくでコブキノコが茯苓ぶくりょう、ウケラはオケラの古語でじゅつ当帰とうき川芎せんきゅうがセリ科の植物。

沢瀉たくしゃが省いてあるのは面倒になったからです!(開き直り)。


でもきっと作者が実際の生薬を見ても、乾燥させた物を破砕したチップの状態なので「茶色いかけらその1、その2……」と表現すること請け合い(苦笑)。

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