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凍雲に舞う  作者: 紅月 実
第一話 晩秋の森に若人は集う
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晩秋の森に若人は集う(一)

   はじけた〈虚無〉の欠片が氷にぶつかり光が生まれた

   熱を帯びた光は氷を溶かし水となった

   水は〈虚無〉の欠片に染み込んだ


          ───はじまりのうた───







 春に芽吹いた草花が夏に盛り、秋に実りを結んで冬を耐える。そしてそれを糧とする山野の獣たちもまた鳴りを潜める。

 ここドルディア山脈に数多く生息するシカは、領内を始め近隣の地域の祝い事に欠かせない食材である。餌となる若芽が豊富な春から夏に旬を迎え、秋に入って山の寒さが厳しくなると繁殖期に入る。そしてその頃から、身籠っていると思しき雌が獲物から除外される。食餌の時間も惜しんで多数の雌と交尾する事で痩せ細った雄も、可能な限り見送られるようになる。

 暫し遅れてイノシシも同じように繁殖期に入るので、春先までは雌争いに負けたはぐれの雄と、冬眠せずに冬を越す小動物が貴重な獲物だった。当然ながら、植物も極く限られた種類しか収穫出来ない。


 狩り人が駆使する能力は生き物が本来持っている生命力が源である。その力は時に集まって光り輝き、〈自然の恵み〉がもたらす〈祝福〉として尊ばれた。

 祝福の発露は〈月〉として彼ら狩り人の中に存在していた。不思議な事に、月を持つ者は己の能力を飛躍的に向上させる事が可能だった。

 山や森に満ちる霊気を取り込んで己が物とする異能力。それらを使いこなすためには、只人よりも頑健な肉体と強靭な精神が必要である。


 だが、〈恵みの祝福〉を使うに足る肉体を維持するのは難しい。身体はとても正直だ。使わなければ肉体や感覚は衰えてしまう。彼らが組と呼ばれる小集団で狩りをするのも、兵としての連携と〈祝福〉を使う鍛錬の延長なのだ。

 とは言え、冬時期は稼ぎが減る事となり鬱屈した気分になりがちだ。そんな彼らの気を引き立たせるため、新年に武技を競わせる大会が催されていた。



―― ◇ ――




「ねえ、テン。稽古つけてよ」

 秋の祭りが終わって十日ばかり。狩り場での昼食時にシムがテンに強請った。日中でも湖岸の風は凍えそうに冷たく、昼食用の火は水際から離れた所で焚いていた。そろそろ袖の有る上着が必要になる頃か。

 〈自然の恵み〉を操る狩り人たちは常人よりも暑がりだ。運動能力を強化するとそれに伴って体温が上がり、彼らは驚くほど沢山の汗をかく。身体に籠もった熱を発散するために、殆どの季節を風通しの良い衣服で過ごす。


 テンをかしらとするこの狩り組も、最近では狩る事が許されている雄ジカを狙いつつ、ウサギやイタチなどの巣穴を地道に探していた。未だ生活に困窮する時期ではないものの、来月にはイノシシが繁殖期に入るので、今後はますます狩りの好機チャンスが減る。

 そんな時こそ組唯一の女衆ミアイの出番だ。治療師としての修練もしている彼女を通じて、薬種の原料を直接治療所に持ち込み、暇を持て余す事無く着実に稼いでいた。在庫の乏しい物であれば治療所は喜んで買い取るのだ。

 しかし、安価な物は沢山採集しなければならないので手間が掛かり、皆――――特に男たち――――が細々した作業に飽き初めていた。体術の研鑽ももちろんだが、狩りが出来ない憂さ晴らしに思い切り身体を動かしたいのが本音だ。


「いっつも予選で揉みくちゃにされちゃうからさ……。オレ、今年こそ本選に出てみたいんだよね」

 テン組の中で最年少のシムはまだ十五歳。美しい黒髪と青玉の瞳が元々の童顔と相俟って、男装の美少女の様な風情だが、暦とした男性である。くるくると良く動く瞳は好奇心に満ちており、悪戯好きの小妖精を彷彿とさせた。


「ミアイも居るし、狩り場で修練するのが良いんじゃねえか?」

 薄い唇に親指を当てたヤスは思案顔だ。短く刈り込んだこわい黒髪と細い顎、高い頬骨に鷲鼻。光の加減で銀に見えるほど色素の薄い灰青色の瞳など、見る者に冬の申し子のような冷たい印象を与える。

 眼光鋭い強面の長身は威圧感の塊だが、今も怒っている訳ではない。狩り組の仲間にはちゃんと考え事をしている風に映っていた。


「そうだな。午前のうちに稼ぎが確保出来たら、午後に稽古をしても良いな」

 熱いスープを啜っていたテンが顔を上げた。干したキノコとニンジンにショウガを足し、干し肉で塩気を出した物だ。今時期の温かい汁物はそれだけでご馳走だった。

 テンも先の二人と同じ黒髪だが、また別の趣きだ。肩に掛かる髪は首の後ろで一つにまとめ、長めの前髪は黒い瞳を一層暗くして表情まで陰鬱に見せた。服も濃い色を好むので、シムは時折テンを「黒いヤツ」とひやかした。


 これまで狩り控えの時期には、非番の日を増やして鍛錬に充てていた。一人だけ西寮住まいのシムが、テンたち四人が部屋を持つ北寮付近で落ち合って組み手をするのだ。

 試合と同じかそれに近い広さの場所が欲しいが、そういう場所は競争も激しい。彼ら自身が使う縄張りならば誰に気兼ねする必要も無いだろう。

 かしらの許しを得たシムが意気揚々と食事に戻る。既にたんまりと咳止めの薬草を刈ってあるので、今日の稽古は決定である。




 昼食を終えたテンたちは、水辺の石がごろつく剥き出しの固い地面から、柔らかい土に落ち葉が積もった森の中へと移動した。言い出したシムが一番手として名乗りを上げ、本番と同じように武器帯と道具帯を外した。身一つで手足の屈伸をし、充分に身体を解したシムがテンに宣言する。

「ほんじゃ、行っくよ~」

 言うが早いか一息で数メートルの距離を詰めた。拳で腹を打つと見せ掛けて垂直に跳び上がり、踵で頭部を狙う。狩りでは敏捷性を活かした『囮』役をしているシムならではの早業だった。

 しかし、テンは何事も無かったように顔の横で足首を掴む。蹴りを阻まれたシムは動きを止めず、掴まれた右足を軸にして左の爪先でこめかみを狙った。


 テンが頭を仰け反らせた僅かな隙に、縛めから抜け出したシムは素早く後退した。しかし、テンは余裕の笑みで自身の足元を指し示す。舌打ちしたシムが容赦なくテンに挑むが、全て止められいなされた。

 低い姿勢で地面すれすれを蹴り払うとテンは飛び上がって難なく避ける。シムは地面についた手を軸にそのまま一回転して勢いをつけ、流れるような動作で脇腹へ鋭い蹴りを放つ。

 当たる瞬間に両手に力を入れて身体を押し出した。上体を反らしてかわそうとしていたテンは、急に間合いの伸びた蹴りを辛くも防いだ。腕を上げた姿勢のままテンの足が半歩横にずれる。再び距離を取ったシムがにやりと笑った。


「始めの場所から動かしたよ」

「……良い蹴りだ。」

 腰を落としたテンが間髪入れずシムに迫る。軽く踏み込んで掌で胸を打ち上げた。腕を交差させて受けたシムの身体が衝撃で浮き上がる。続けてテンの肘が後頭部を打つとシムの上体が沈んだ。無理な体勢から繰り出したシムの裏拳がテンの腋を掠める。テンは身を翻し――――。

 再び肉迫したシムの攻撃は空を切り、全て止められる。有効打が無いまま攻めていたシムが焦って大きく踏み込んだ。素早く繰り出される左右の拳を易々と反らしたテンが、シムの背後を取って肩を押した。


 素早く回頭し、振り薙いだシムの拳はやはりテンに止められた。そして、押さえた腕を伝うようにテンの手刀が喉元に吸い込まれる。鎖骨を強く打たれて怯んだ肩を掴まれ、足も払われて仰向けに引き倒された。止めの正拳突きがシムの眼前に迫る!

「決まったな。一本だ」

「…………うぅ~。良いとこまで行ったと思うんだけどなあ」

 拳で顎を小突かれたシムが全身を弛緩させて負けを認めた。テンの手に掴まって起き上がる。

「まだ大振りになる癖が抜けていないな。焦ると動きが雑になるのは自分で気を付けるしかない。腰が入って蹴りも重くなったが、まだ時々身体の軸がぶれている。それだと当たっても大した痛手にならないぞ。……最初からさらうか?」


 初手から一つ一つ順を追い、動作の長所と短所を確かめるテンは、まるでシムの師のようだ。

「お前は目が良いから、腕や足……、あちこちが見え過ぎているのかも知れない。全体を見るようにと言葉で言うのは簡単でも実際には難しいな。相手の視線や気配から行動を先読み出来れば少し余裕が出るはずだ。目先の牽制に囚われると、それを追っているうちに後手になるから――――」

「あー、そっか、そうなんだよねえ。……でも、その通り出来たら困んないよ!」

「俺で好ければいくらでも練習に付き合うぞ」

「出来るようになる前に足腰立たなくなります……」

 教えられた箇所に注意して同じ攻め手を繰り返すと、シムの動きが良くなった。身のこなしは滑らかに、蹴りや拳は更に鋭く。取り敢えずシムは気が済んだようだ。

「ありがと、テン」


「次は……、ミアイだ」

 テンが上向けた二本の指で呼ぶ仕草をする。ミアイの手から布袋がぽろりと落ちた。

「え……、ええ!? わたし?」

「お前との手合せは初めてだな。遠慮はいらないぞ」

 見物がてら収穫した薬草を干していたミアイは、まさか自分に声が掛かるとは露ほども考えていなかった。

 シムとの見事な立ち合いを見た後では、格下として先手を譲られても怒る気さえ起きない。渋々と鉈と小物入れを外して身軽になる。カクとタカに後を任せて、ゆったりと自分を待つ頭の前に立った。

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