白い吐息は長く尾を引く(三)
再び歓声が大きく沸いた。この試合で勝った選手が次の準決勝でテンと対戦するが、余程の番狂わせが無い限りバリノフに決まりだろう。しかしテンを納得させるのは、バリノフに勝つよりずっと難しそうだとミアイは思った。
「……よく分からないんだけど」
上目遣いのミアイがテンをつついて腕の自由を取り戻した。ばつが悪そうにミアイの手を離したテンは、苦労してもう一度柱に寄り掛かかる。ミアイの問いに答えるテンの表情は曇っていた。
「俺もだ。でも、『分からないのが半人前の証拠だ』と言われて、自分で色々と考えた」
どうやら一定の条件があるとの目星は付いたが、若衆を出て狩り人になるのでも、充分な稼ぎや貯えがあるのとも違うようだ。普通の狩り人より重きを置かれる組頭でもダメらしい。ミアイにはそこまでの経緯が詳しく分からないので質問を変えた。
「じゃあ、どうして一人前になりたいの?」
テンは昏く光る瞳でミアイを射竦めた。目に見えないものを見るような、何かを探る視線だった。
「そう……か、お前は知らないのか。そう言えば、この村の生まれじゃなかったな。……それなら、これ以上は言いたくない」
苦しい息できっぱりと言い切って、テンは口を噤んだ。他者を拒絶するその態度は覚えがある。超然としていてもどこか諦めたような様子は、ミアイには何故か淋しそうに見えた。話していて疲れたのか、テンは乾いてひび割れた唇を頻りに湿らせていた。
怪我人を問い詰めても良い事は無いし、残念ながら『言いたくない』事については思い当たる節がある。村の住人の一部にテンは嫌われていた。しかも、ただ嫌うと言うより、存在自体を無視されているようだった。テンのほうもそれを分かっていて、露骨に嫌悪の視線を浴びせられても平然としていた。……表面上は。
冷たい視線を浴びせられて嬉しいはずがない。いたたまれない空気で壁を作ったテンは不機嫌に黙り込む。そして、その日の夕食は黙々と料理を口に運び、食べ終えると一人で先に帰った。ミアイがテン組に加わってから半年の間に、何度かそういう場面を目にした。
もちろん、ミアイは狩り組の仲間に理由を聞いたが、異口同音に「本人から聞け」と返って来た。だが、ミアイにも耳はある。口さがない言葉を聞く度に、端々から大体の事情は把握したが、それはテン自身の非ではないだろうに。
仲間がそれを口にしたがらないのも当然だ。下手に他人が関わってこじれたら、テンは迷惑だと思うだろう。自分だけがちゃんと知らない事に疎外感を覚えたが、こればかりは仕方がないとも思っていた。大げさに溜め息をついて、喉が渇いていないか聞く。
憂いを帯びた佇まいから一転。眉根を寄せて警戒の表情を浮かべ、ぴりぴりした空気を醸し出す。テンは一服盛られるのではと疑っている。今にも歯を剥いて威嚇体勢をしそうなテンに、ミアイは木製の杯を示した。
「もうぬるくなっちゃってるけど、さっきまでわたしが飲んでたお茶が残ってるの。飲みかけなら安心でしょ? これを飲んで今のうちに休んでおいて。……試合で力が出せないと困るもの」
凍てついた冬に裂け目を穿つ、春を告げる吐息のようだった。強張っていたテンの目元が綻んで、優しい笑みが心に染みる。意表をつかれ、つい見蕩れた自分をミアイは密かに叱咤した。
「でも、今年の大会は次で終わりにして。たぶん、それ以上は身体が持たないだろうから……。それと、試合が終わったら、怪我が治るまではわたしの言う通りにしてね」
ミアイの提案に満足したテンは、安心したら喉が渇いたと零した。よくよく聞けば、昼食も口にしていないというではないか!
急いで蜂蜜をたっぷり溶かした茶を渡すと、甘すぎると顔を顰めたので、ミアイは全部飲むまで見張っていた。
テンは頑固だが嘘はつかないし、一度した約束は必ず守る。少なくとも大会に拘る理由は話してくれたので、ミアイはそれ以上の詮索を止めたのだ。
茶湯と一緒に不平を飲み干したテンは、右腋を緩める体勢になった。テントの支柱に寄り掛かり、毛布を羽織った不安定な姿勢でうとうとし始める。ミアイは驚いたが、身動きが取れない中でテンが楽だと感じるならそれでいい。
〈自然の恵み〉を受けた狩り人たちは治癒能力も高かった。常人と比べて驚くほど早く快復するが、〈祝福〉が高まれば体力を消耗するので、やはり一番の薬は休息である。
ミアイは火桶の位置を調整して少しだけ炭を足した。エレラとバリノフの試合が気になったので、テンの邪魔をしないよう静かに立ち去った。
ナタリアにセサの具合を尋ねて愕然とした。セサは右の肋骨が二本と、自分の身体の下敷きになった左手の薬指と小指が折れていた。左の腿も肉離れを起こしていて、肩と首の捻挫もかなりひどい。打撲による内出血で変色したところは……、とてもたくさん。
その殆どをテンがやったのだ。無論、テンにも内出血はいくつもあった。しかし、添え木をして横になったセサの姿が、ミアイの胸に謂れの無い罪悪感を呼び起こした。そして、もし逆だったらと思うと、恐怖で胃の腑がきゅっと縮まった。
騒然となった会場のざわめきが治療師の会話を中断させた。どうやらバリノフが負傷したようだ。エレラの棄権とバリノフの勝利が宣言される。
「バリノフさんが膝をやられた。エレラは目に何か入ったらしくて、目を開けられない」
選手の親子二人を連れて来た審判の一人がナタリアに報告した。すぐに手分けして診察を始める。ミアイはエレラの世話をしながら、ナタリアとバリノフが揉めるのを聞いていた。当然、内容はエレラにも聞こえている。感極まった様子で縋るエレラを父親が慰めた。
困り顔のバリノフからエレラを受け取ると、別の寝台の周りに衝立を置いた。視界を遮った中でエレラの服を脱がせる。やっと全身の診察と湿布を終えたミアイは、彼女を寝台で休ませた。再びハナカエデの洗眼薬で湿布する。目に入った異物を取り除いても違和感が残る事はままあるし、冷やすのは泣き腫らした目元にも効果があるはずだ。
エレラは軽症だとナタリアに報告すると、横で聞いていたバリノフの表情も晴れる。
「そういえば、テンはどうなの? 随分と祝福を使ったみたいで、つらそうに見えたけど」
先ほどの話の続きを求められ、ミアイは余所行きの口調で答えた。
「脇腹を痛めていますが、試合は続けると言っています。今は薬を飲んで休んでいます」
「何の薬だよ」
ミアイがエレラと衝立の中にいる間に、バリノフの付き添いは様変わりしていた。審判たちは割り当ての務めをこなすためにテントを後にし、代わりにロウの男衆が何人も付き従っていた。厳しい視線がミアイに集まる。
「アイツに何を飲ませた」
目元に険のある、腕を吊った青年がずいと一歩前に出た。彼の診察はミアイが、処置はナナイがした。予選七班で審判に反抗してまでテンの勝ちを認めなかった、この青年の名はラニという。




