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凍雲に舞う  作者: 紅月 実
第五話 白い吐息は長く尾を引く
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白い吐息は長く尾を引く(一)

 試合はバリノフの勝ちとなった。膝――――急所への攻撃は故意ではなかったため不問に付されたが、動けなくなった父の姿を目にしたエレラは戦意を喪失し、試合放棄と見なされた。

 断固として担架を拒んだバリノフとエレラは、それぞれ審判に付き添われて退場した。片足を使えないバリノフに二人が両側から肩を貸す。足元の見えないエレラは手を取られて抱えられるように救護の幕屋テントを訪れた。


 成り行きを見ていたナタリアら治療師たちはすぐに患者の手当てを始めた。ミアイはエレラに問診をしたが、動揺していてどうにも要領を得ない。涙が止まらないのは、砂粒に痛めつけられたせいだけではないのだ。

 一見して他に異常はないようなので、首から下は後回しにする。涙の自浄作用に期待しつつ、ハナカエデの樹皮とナンテンの干果で洗眼薬を煎じた。清潔な布に含ませたそれをまぶたにあてて気持ちが落ち着くのを待った。


 一方、より重症のバリノフにはナタリアと他の三人で処置にあたる。寝台に腰掛けたバリノフのズボンを、鉄のはさみで裾から思い切りよく切り裂いた。鋏を置いたナタリアが露出した右膝を診察する。僅かな曲げ伸ばしでも辛いようだ。やがて曇った表情のナタリアが診立てを告げた。

「……完全には割れていないようですが、膝の皿が傷ついています。添え木で固定して安静が必要です」

 顔をしかめた患者は、薬を用意しようとしたナタリアを止めた。添え木も薬も断るバリノフをナタリアはまじまじと見返した。

「それがどういうことか、分かってらっしゃるのですか……?」


 このまま激しい運動をすれば症状が進み、膝関節が歪んで後遺症が残る。曲げることも困難になり、日常生活にも支障がでるのは明らかだった。

 次は名誉ある御前試合になるとは言え、これは例年通りの武術大会である。健康を損ねるのが分かっていて黙って見過ごせすことなどできない。しかし、ナタリアが言葉を尽くして説得しても、バリノフは頑として聞き入れなかった。

 添え木をするのも、痛み止めを服用しても棄権となる。骨折を装って添え木を武器にするのを避けるためだが、そもそも、真実添え木が必要な者が格闘などっての外である。

 また、鎮痛薬には少量の麻薬を混ぜることもある。正常な判断を妨げるので、服用しての参加は禁じられていた。その状態で異能力ちからを使うと抑制が利かなくなり、使用者本人だけでなく対戦相手や観客にまで被害が及ぶ可能性があるからだ。


 治療師の権威で強制的に棄権させる事も一応は可能だが、そうなってもバリノフが従わないのは目に見えていた。命に別状がない限り、試合へ参加するかどうかは選手本人の希望が優先される。つまり足が動かなくなったとしても、それは自分が選んだ結果ということだ。

 ナタリアは渋々と、足を伸ばしたまま包帯を巻くようナナイに指示した。膝を冷やしていると、やっと目を開けられるようになったエレラがおずおずと近付いた。やりとりは聞こえていたので、真っ赤に腫らした目を伏せている。


 意を決して口を開こうとしたエレラの顔に向かってバリノフが手を伸ばす。思わず知らず、再び目を閉じたエレラだったが、顎先を摘ままれ顔を横に向けられた。エレラの頬は腹への中段蹴りで地面に突っ伏したときにできた擦り傷ができていた。血が滲んでおり、その周辺の皮膚が赤くなっている。バリノフが嘆息した。

「こういう試合に怪我はつきものだ。わざとやった訳でなし、気を抜いたほうが悪いのだ。お前が気にすることでは無い。それより、指は折れていないか? 顔の傷もちゃんと診てもらいなさい」

 特に感情のこもらない声音だったが、エレラは胸が苦しくなり言葉に詰まった。不具になるやもしれぬというのに、娘の顔に傷が残ることを心配する父に、収まっていた涙が再び溢れ出した。


 泣きじゃくるエレラは年よりずっと幼く見えた。そしてそれは、愛称で呼んでいた在りし日の姿と重なった。己の名を言うことすらできぬと、兄たちに手酷くからかわれたのは二歳ふたつになるころだったか。大泣きする小さな娘はすぐに機嫌を直したが、数ヶ月後には「わたしはロウのエレオノーラです」と名乗れるようになっていた。

 肩車に代わるもので泣き止ませたかったのだが、生憎と何も浮かばなかった。娘の泣き顔を長く見ていたいと思う親などいない。仕方なく、昔よくやったように、エレラの頭を無骨な手で撫でた。

「気にしなくていいんだ、エレ……」

 治療師に託したエレラに大した怪我はないようで安堵する。しかし、次の対戦相手のことを考えるとみるみる表情が険しくなり、敷物に置かれた衝立の陰へ射抜くような視線を送った。そして、あの・・小僧にだけは負けぬと固く決意した。

ハナカエデはメグスリノキの別名だったりします。

メグスリノキって日本固有の品種なんですね~(知らなかった)。

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