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凍雲に舞う  作者: 紅月 実
第四話 肌を刺す空気は清々しく
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肌を刺す空気は清々しく(三)

 三回戦である準々決勝第二試合の選手は、年嵩の男と二十歳そこそこの女衆の対戦となった。どちらも髪は金色だが、男のほうは髪と髭に交じる白いもののせいで、少々色褪せて見えた。それもそのはず、四十そこそこに見えても実際には五十路を超えている。他の参加者より胴回りが太いのは、年齢のせいでも怠惰な生活の結果でもなく、みっしりと筋肉がついているせいだった。猛禽のような精悍さと滲み出る貫禄が一角の人物だと物語っていた。

 女衆のほうも若いながら堂々としていた。女性にしては大柄で肩幅が広く、剥き出しの両腕も日に焼けていて逞しい。黒い眉がきつい目元を縁取り、黄金色の見事な髪が微風に揺れていた。男が悠然と大空を行く鷲ならば、彼女は小回りの利く隼であろう。

 がっしりした骨格や頑固そうな印象の割れた顎、背筋を伸ばした立ち姿まで二人が似ているのはある意味当然だった。バリノフとエレラは共に〈ロウ〉の名に誇りを持つ実の親子である。




 かつてのロウはテス一族と同じく特殊な力を尊び、山野で生きる部族であった。しかし、住み慣れた土地を追われて難民となり、各地を放浪した末にドルディア地方に辿り着く。紆余曲折を経て東ガラットを新たな故郷と定め、領民の一家系として名と風習を守っていた。

 バリノフは東ガラットでただ一人名を変えていない狩り人だ。暮らし向きも価値観も似た二つの部族は慣習と禁忌もよく似ていたが、決定的な違いは『名』についての捉え方だった。異能力ちからを有したテスの者が省略する形で名を変えるのは名誉とされている。しかしロウにとっては、自己の存在意義アイデンティティーを否定されるに等しい大事だった。

 狩り人としての力を備えているにもかかわらず、名を変える事を拒んだバリノフに対して、当時の領主は寛容さを示した。長の家系のみ掟に従わずとも良いとしたのは、暮らしていた土地を取り上げられ、打ちのめされた者を更に虐げても、不満の温床になると考えたからだ。独自の習慣を僅かでも残せば自尊心が保てるだろうと。

 移住者ロウの娘が領主テスの息子に嫁いでいたこともある。世代を重ね血を混ぜ合わせ、平和裏にテスの民となってくれるようにと当時の領主は願ったのだ。




 バリノフはエレオノーラと名付けた娘を見据えた。三人の息子は誰一人として資格を得られず、この娘にのみ恩恵を与えた。そして唯一〈祝福〉を授かった跡継ぎは若衆となる際、テスの掟に従い名を変えた。

 夫を迎えて家長とするのか、名を戻して己が立つのか。バリノフの妹の子、エレラにとって従兄妹いとことなるガリに帰順した結果、『ロウ』が消えるのもむ無しと思っていた。

 少々居心地の悪そうな主審もロウの血筋でエレラの再従兄妹はとこだ。名よりも実を取るならば、テスの中に深く浸透している事実に満足すべきなのだろう。だが、今のエレラは跡継ぎにすぎず、決定権は家長バリノフにある。


 エレラは緊張した面持ちだった。それに比べてバリノフは何の感慨も無いように見える。父と娘。師匠と弟子。家長と跡継。どれを取ってもバリノフが先達としてエレラを指導する立場だ。

「本気で来なさい」

「そのつもりです、父さん」

 主審に従い寸分違わぬ所作で同時に構えた二人は、互いを敵と見定める。

 『栄光エレオノーラは我が手に有り』

 出陣の際にロウの戦士が狩りの女神エレオノーラに捧げる祈りもぴたりと重なる。全く同じだった父娘の体勢が変化した。バリノフが腰を落としたのに対し、エレラは左の肘を肩の高さで保ち右の爪先を浮かせた。

 ゆったりとした呼吸で異能力ちからを高めれば、肩や腕の筋肉が盛り上がる。衣服に隠れた部分でも筋繊維の厚みが増していた。


「始め!」

 バリノフの眼前に突如出現したエレラが左右の拳と蹴りを繰り出した。そつなく捌きながらもバリノフは内心舌を巻いた。『女子おなごは非力』とうそぶく者なら青褪めるだろう三連撃は、男子おのこも羨む威力パワーだった。

 続いて攻め寄るエレラを突き放そうと試みるが、しっかり喰らいついて来る。久方ぶりの手合わせに、彼女の上達ぶりを嬉しく思ったのは父か師か。


 すっ・・とバリノフが前に出た。手首を外へ弾いた上で横へかわし膝で鳩尾を狙う。正面に注意を引き付けておいて後ろを取ると、両手を地につけてエレラの足を払った。振り抜く足と軸足を伸ばす勢いで落ちかかるのを蹴り上げる。強靭な足腰と柔軟性が特に要求されるこの組み合わせコンボは、バリノフが最も得意とする技だった。しかし、腹と肩への蹴りはどちらもきっちりと防がれており、エレラに怯む様子はない。

「ようやりよる」

 バリノフがにやりと笑って挑んで来るエレラを迎え撃つ。しかし、そう容易く先人に追いつける訳もなく、バリノフはエレラの反撃を完璧に潰した。実力の差を見せ付けるべく、一打、また一撃と彼女の自信を突き崩していく。そしてとうとう精神こころを乱したエレラの足がもつれた。


 バリノフが鋭く腕を振った。仰け反って辛くも手刀をかわしたエレラに代わって、彼女の汗が餌食になった。横薙ぎにされて眼前で砕けた水の粒が四方に飛び去り、二人の視線がひたと合った。強い眼差しがエレラを射抜く。

 直後、エレラの胸当てにバリノフの拳がぶち当たった。刹那固まったエレラは、バリノフの右足が上がったのを認めて腕で顔を庇う。

 そして数秒。来るはずの衝撃は無く、ぎゅっと閉じた目を開けると、横蹴りの途中で止まった膝がそこにあった。

「目を閉じるなと教えたはずだ」

 師の教えが空気を微かに振動させた。空白になった弟子の思考がその言葉を理解する前に視界が一転した。小気味良い音で蹴り飛ばされ放物線を描く彼女の瞳に冬空が映る。

「エレラ場外! バリノフ先取!」

 早々と宣告した主審の声を聞きながら、エレラは落下した。

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