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凍雲に舞う  作者: 紅月 実
第四話 肌を刺す空気は清々しく
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肌を刺す空気は清々しく(一)

 準々決勝の三回戦第一試合、テンの相手は免除シード選手のセサだった。『村』で二番目に背の高い彼は二十代半ば。テンよりも少し上の世代で、狩りの技術も熟達している。狩り人特有の無駄の無い肉体は、背丈のせいで病的な細さにも見えた。しかし、冬の今時期でも日焼けした肌は、彼が毎日のように森の狩り場で過ごしている証だった。

 シードの常連で時には決勝まで残るのだから、狩り人――――戦士の頂点に近い一人である。今年のセサは優勝できるのか。大半の観客はそこに注目していた。




 テンとセサは試合場の中央にいた。二人の間に立っていた主審が右手を上げて高らかに呼ばわる。

「三回戦第一試合を始める。両者、構え!」

 テンが右足を引いて半身になり、セサは両手を軽く広げて腰を落とした。腕を振り下ろした審判は即座に後方へ退避する。

「……始め!」

 一息に距離を詰めたテンをセサが待ち構えていた。速さも威力も、放つ瞬間タイミングまで完璧な一撃だった。しかし、跳躍の勢いと体重が乗った拳を余裕で反らされたテンの上体が泳ぐ。熟練者がその僅かな隙とて見逃す訳も無く。

 テンが横に吹っ飛んだ。自身の腕がぶつかった耳がじんと痺れ、セサの先取を告げる声が遠かった。いつ当てられたのか定かでないところからして、僅かに意識が飛んだらしい。主審が声を張って数を数えていた。深呼吸で六まで待ち、七でゆっくりと身体を起こす。


 セサは狩りでは『囮』役だ。しなやかで素早い身のこなしが基本の狩り人の中でも、特に敏捷性が必要な囮役は小柄な者が多い。格段に広い間合いとあの速さは反則だと評されている。今やっとその意味を理解した。

 『止め』担当のテン自身も一応囮はこなせるものの、やはり反応速度は本職に一歩譲る。間合いはタカ並み、速さはミアイと同等、体術の技量はヤス以上。そして経験はテン自身を遥かに凌ぐ。格上に勝てるのだろうか?

 自問の答えは否。ここまでの順調に慢心していた。そんな問いが浮かぶ事自体が過ちなのだ。勝負の行方は自らで「勝ち」得るもの。技量の差を推し測るのが目的ではない。


 立ち上がって背筋を伸ばすとちょうど秒読みカウント九だった。頭を回し、拳を握って開く。首にも右腕にも異常は無かった。考えるより先に身体が反応したのだ。反射的に頭を庇っていなければ、昏倒してそのまま負けていただろう。

「続けられるか?」

「大丈夫だ」

 尋ねる主審にはっきりと答えた。聴覚も正常に戻っており、セサへの声援も元通り聞こえる。呼吸を整えたテンが片足を引く。両手を大きく広げたセサは獲物を狙うカマキリのようだった。

「両者構えよ!」

 ぴいんと張り詰めた意識から徐々に雑音が消える。己と言う器に〈祝福〉が満ちる浮遊感。この万能感は仮初めだがまやかしではない。みなぎ強化能力ちからがテンの肉体の要所に分割収束する。


「始め!」

 鳩尾から湧き出す活力で下肢を強化した。跳躍後に低い位置から打ち上げた拳は身を引いてかわされる。空いた胴への誘いに乗らず後退するセサ。肘を落とす狙いは見透かされていた。

 軸足を支点にした連続蹴りで畳み掛けてから、定石セオリー通りに足元を狙う。軽やかに後退するセサへの追撃もまた基本のパターンだった。誰もが知っている基礎ゆえに予想も可能で防ぐのも容易いが、次もそう・・と決め付けるのは危険だろう。いつ何時奇抜な攻め手に変化するのか知れたものではないのだ。


 しかしテンは基本に忠実な戦い方をしていた。人には得手不得手や好みがあり、それは戦闘時の態勢スタイルにも影響する。テンは持久力と一撃の確実性を重視される『止め』としては平均的な体格である。単調にならぬよう牽制を織り交ぜてはいても、基本が最も効率が良い。動きを止めずに攻め続けた。

 対してセサは意外なほど消極的だ。体術に秀でた規格外の『囮』は、相手の力量を探っている。懐に入ろうとするテンだったが、己が間合いを保とうとするセサは、長い腕で攻撃を受け流すと滑らかに蹴りへと繋げた。束の間の交差の後にすぐさま突き放し、規定の円内を所狭しと駆け巡る二人。




 テンが攻め、セサが受ける図式が定着したように思われた。しかし実際にはテンの不利に傾きつつある。セサが徐々に攻撃を始めると、じわじわとライン際へと押し込まれる。そして遂に、その時が来たと言うべきか。

 セサの強打が防御をも貫く。たたらを踏んでよろめくテンの踵が灰白色の砂粒を掠めた。セサの闘気が瞬時に噴き上がり、裂帛れっぱくの気合いと共にテンへ襲い掛かる!

 漁師が投網を投げるが如く、覆い被されば逃げ場は背後のみ。退しりぞく先は敗けしかない。精神を集中して〈恵み〉の力で全身を覆うが、守りに入ったテンはセサの恰好の餌食だった。

 肉体は一時的に強固な鎧と化しており、意外に軽い一打は大した痛手ではない。だが、余りにも手数が多く反撃の糸口が掴めなかった。ガードを上げて頭部と喉元だけを守り他は全て耐える。舌打ちしたセサの速度が更に増し、連打音を残してセサの身体が浮いた。


 鋭い回転からの蹴りは強烈だった。咄嗟にテンは左腕を右手で支え、更に重心を左に寄せて弾き返した。しかしセサはその勢いまでも我が物とし、空中で再度身体を捻りテンの右側へ追撃した!

 またも身体が自然に動いた。テンは勢いを削ぐべく横に跳び、即座に左足で急制動をかける。少々の事では消えぬ衝撃であばらが……、脇腹の筋肉が軋んだ。それを無視してセサに向かって大きく踏み込む。テンの蹴りがセサの右脇を捉えた。全てを一点に集約して振り抜けば、枯れ枝のような細い身体が地面に叩き付けられる。大きく弾んだセサは再び地に落ちた。

 沈黙が試合場を支配した。だがしかしそれも須臾の間のみ。我に返った主審が沈黙に終わりを告げた。

「い……、一本! テンの一本! 同点だ!!」

※須臾(の間)しゅゆ=一瞬、束の間の意。

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