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3.愚か者は嘯く

愛こそ、狂気の最たるものだ。


「それを自覚しても尚、止められないのは愛ゆえ、ってか…?」


くだらない、と低く笑う声が、幾つもの機材で埋もれた部屋に波紋する。


白を基調にした室内は、清潔感漂うと言うよりも、個性も味気もないものだ。

ただ、大病院や他の研究所でも滅多にお目に掛かれない大規模な装置の数々が、その部屋の主の性質を語っていた。


男は、ゆうに大人の人間が入れる程の大きさの水槽をずっと眺めていた。

その中にあるのは、小さな命。


やっと、だ。

もうじき、願いが叶う。

その為だけに、自分はどれだけ狂ったか。


声高な、電子音が耳に入る。

誰か来訪者が来たらしい。

この研究施設には部外者は入れないのだから、客なんてたかが知れている。

ドアを開けると、そこには男と同じ白衣を着た女が立っていた。


「今度、新しく研究チームを作ることになったの。悪いんだけどそこに入ってくれない?所長からは許可を得てるわ」

「急な話だな。俺だって、これで何かと忙しいんだが…」

「どうせ、またクローンの実験でしょ?もっと真面目に仕事しなさいよ」


言って、女は室内に入り、大きな水槽に視線を投げかける。

薄青く発光する液体に満たされたそれは、どこか神秘的なものを感じた。


「仕事はちゃんとやってるさ。それに、こいつの研究は俺がこの施設に入る時の条件だ。文句言われる筋合いはないな」

「別に、やることをやるなら文句はないわ。人手が無くて困ってるのよ」

「誰か寿退社でもしたのか?」


皮肉交じりに男が言うと、女は不機嫌に自殺よ、と答えた。

柳眉な眉を歪ませたのは、室内に染み付いた煙草の匂いのせいかもしれない。

そう言えば、最後に換気をしたのは何日前だったか。


「本当、嫌になるわ。常識や良心に耐えられないって言うなら、初めから此処に来なければいいのに」

「まぁ、そう言うなよ。そういうまともな奴も来るからこそ、俺たちが狂ってるってようやく判るんだろうが」

「だからって自分の頭を壁に打ち付けて死なないで欲しいわ。誰が後始末するのよ」

「麻薬中毒者か?」

「それもまた純度の高い物ばかり使ってたのよ。結局死ぬんだったら、安物にしとけばいいのに。贅沢な話よね」


男は声を漏らさずに自嘲した。

きっと、いつかは自分がその醜態をさらすだろうと予測していたから。


この施設には、まともな神経をした人間はいない。

人間をモルモットにして研究している場所だ。

集まるのは、知能だけは優秀な愚か者ばかりだ。


「今の引継ぎに時間がいるから直ぐには無理だが、お宅のチームは何をやるんだ?」

「新しい被験者が入るのよ。まずは適正からね」

「期待出来るのか?」

紫苑(しおん)の瞳よ。魔力は問題ないわ」


それに、と女は続ける。


「どこぞの過激派の少年兵だったらしいから、人を殺すのには慣れてるわ」

「へぇ、そりゃまた頼もしいな…。今までのネックは折角手間隙掛けて“兵器”をつくっても、その“兵器”自身が人を殺せなかったんだからな」

「魔力って案外デリケートなのよね。自我を壊しすぎても使えないんだから」


かと言って、自我を残した“兵器”は人としての良心の呵責に苦悩して、結局は使い物にならないのだ。

何事もバランスが大事ということだろうか。


「貴方のチームの実験はどうなの?」

「さあ。まだ始めたばっかだからな。まだ何とも言えん」

「“ブランド”同士を掛け合わせるんだったわよね」

「…多分、これが終わったらアザミは廃棄処分だな。あいつはもう兵器としては使えねぇ」


“ブランド”とは、彼らの実験体の総称だ。

希少種に似せた銀眼銀髪の姿を、“焼印”代わりに用いることから自然とその名が定着した。


アザミはそのブランドの初期の実験体だが、精神面に問題が有りすぎた。


「…女はいいねぇ。精子があれば十月十日で人間がつくれる」


自分は、たった一人をつくるために一体どれほどの歳月を費やしていることか。


「女だって、出産する時は命がけよ」

「そりゃ失礼……。だが、人間をつくるのに一年も掛からないってのは羨ましい」


生命の神秘。

何百年も前から多くの学者達が研究をしても容易くつくれない物。

それを何千年も前から、女は生み出すのだ。

医者として、研究者として、これほど羨ましい存在はない。


「でも、貴方だってもうじきヒトをつくれるんじゃない?」

「このまま順調に進めれたらな」


二人は、水槽の中に目を向ける。

そこにあるのは男が長年求めていた、女のクローン体のまだ未熟な姿。





彼には、心の底から好きだった女がいた。

幼馴染みだったが、彼女の笑顔を見たことはほとんどなかった。


ただ一度だけ。


たった一度だけ、彼女に好きだと告げた時、一瞬だけ笑ってくれたのは今でも記憶に鮮やかだ。

その直後に彼女は泣き崩れてしまったけど。


名家の養女だった彼女には、養親が決めた婚約者がいたのは知っていた。

彼女の選択肢は、どこにも無かった。

そして、彼女はそのまま婚約者と結婚したが、若くして病で死んだ。

初めから、想いが叶わないのは、男にはどうでも良かった。

ただ、彼女に笑って欲しかった。

彼女を想っている人間が、ちゃんといることを知って欲しかった。


それだけのつもりの告白だったが、人間というのは欲が深い生き物だ。

たった一度だけ見せてくれた笑顔が、もう一度見たかった。



その為だけに、彼は医者としての道を捨てた。



ぽつりと、女が羨ましいと呟いた。


「何が?」

「それだけ執着出来ることがよ。そんなもの、私には無いわ」


だから此処に来たの、と彼女は言う。


「普通は逆だろ?何かを成したいからこそ、こんな狂った場所に来るんだ」

「成したいことはあるわよ。この世界を終わらすの。だって、争いばかりで何も生み出さないじゃない?だったら在っても無意味よ」

「ニヒリズムか。まぁ、それも悪くないわな…」


男は研究資料に埋まった机に手を伸ばす。

紙束の山に手を突っ込んでも一切それを崩さず、目当てのピルケースを取れるのは器用を通り越して神業の領域である。

ピルケースを開くと、その中には数種のドラッグ。

錠剤に粉末、中には薄い切手のような形状のものまである。

男は切手のようなそれを一枚手に取り、女の前で隠すことなくそれを舌の上にのせた。

咥内の唾液で薬を溶かして、飲み込む。


「あんまり服用し過ぎると、折角の知能が台無しになるわよ?」

「少しくらい馬鹿になったところで、俺より優秀な奴が此処にいるか?」

「…自意識過剰ね」

「事実だろ」


じわじわと麻薬が男の脳を犯していく。

細胞の一つ一つが目覚める感覚。

全ての感覚が鋭くなる。

感情が、昂ぶっていく。

意識が集中する。

他のことはどうでも良い。



……ああ、もう少しなんだ。



「研究の続きがしたいんだ。悪いが、出てってくれ」


男が背を向けると、女は大人しく頷いて踵を返した。


残ったのは静寂を押し潰した部屋の中、静かに唸る稼動音。


「さぁ、マリー。今度こそ笑顔を見せてくれや」


そして、謝らせてくれ。

貴女の命を弄んでいることを。

赦してくれなくていいから。

その手で殺してくれていいから。


何度、最愛の人の死を見て、生を見てきたか。

何度、最愛の人を“人ではない物”にして、殺してきたか。


彼女を作り出したところで、この世が楽園になどなりはしない。

待っているのは罪悪感による自己の崩壊で、生き地獄だ。

クローニングはあくまで姿形だけで、記憶や思想までをコピー出来るわけではない。


知っている。

覚悟している。


それでも、あの姿をまた見たいのだ。

夢を見たいのだ。


それしか、男には生きる糧がないのだ。





「―――愛こそ全て、ってな。滑稽で良い言葉だ」


その為なら、幾らでも狂ってやろう。

愚か者には似合いだと、男は眉を歪めて自嘲した。


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