2.危険色
慣れた手つきで弾丸をばらして、中の火薬を取り出すとそれを迷いも無く舐めた。
最後の一発だったが、使いもしない銃を持ってても仕方が無い。
剣やナイフに比べれば銃は子供でも比較的使いやすい武器だが、それでも戦族相手には少々役不足だ。
奴らの動体視力と運動能力は獣並みと言ってもいい。
火薬に含まれるトルエンが効き始めた。
手の震えが治まる。
恐怖は、消えた。
潜んでいた壊れかけた家屋から顔を出して周囲を見渡せば、あちこちで立ち上る黒い煙が視界に入る。
瓦礫の山々。
漂う血の匂い。
先程までいた仲間の大人たちは、どうやら逃げたらしい。
銃撃や悲鳴が離れた場所から聞こえる。
辺りには、彼と同じ年頃の子供の死体がいくつも転がっていた。
どこか見覚えのある顔ばかりなので、多分、仲間だ。
毎日誰かが死んでいくから、名前なんか覚えていない。
麻薬の中毒症状で自分の存在ですら危ういくらいだ。
気が付いたら、彼はそこにいた。
自分の意思ではなかったと思う。
多分、攫われたか売られたかしたのだろう。
仲間の少年兵の多くはそうだったと言う。
「―――おい、此処にまだ残党がいるぞ!」
声に振り返ると、大剣を握った大人がいた。
いつの時代でも、戦族には銃は不要だ。
相手を小さな弾丸で狙うよりも、戦族自慢の脚力と豪腕で剣を振り下ろした方が圧倒的に効率が良い。
正面からなら、戦族は敵の弾丸をいくらでも避けられる。
だから、彼らには銃は意味が無い。
「ガキでも一人残らず始末するよう言われてるんだ、悪く思うなよ!」
突進してくる大人たち。
少年は、虚ろな瞳で右手をかざした。
――――少年の周りには死体しか残っていなかった。
先に死んだのは、彼と歳の近い仲間だった子供たち。
次に死んだのは、彼の敵だった大人たち。
みんな死んだ。
一人だけ生き残ったのは、彼が他よりも運と魔力が強かったからだ。
だから、今日まで生きて来れた。
「……早く、追いつかないと…」
置いていかれる。
彼の頭の中は、それだけで一杯だった。
所詮、少年兵は消耗品だ。
地雷原を走らせられたり、今みたいに敵を引き付ける餌にされる。
消耗品が足りなくなれば、また適当に攫って来ればいい。
このまま此処に残っていても、誰も助けには来てくれない。
微かだけれども、父親と母親の記憶はある。
けれど、家と呼べる場所はもうない。
少年にとって、帰るべき場所は自分たちを捨て駒にする大人たちのところだ。
敵の殺し方しか知らない子供は、生きる術を知らない。
少年にとっての唯一の生きていく術が、敵を殺すことだから。
そうすれば、寝る場所と飢えない程度に食事が貰えるのだ。
じゃり、と足音がした。
血と砂まみれの少年とは対照的に、そこに立っていた男の姿には汚れ一つ無く、暢気に煙草を銜えていた。
廃墟と化した村の中、随分とシュールな画がそこにある。
「ガキにしちゃ、中々な魔力だなぁ」
にやり、と男が紫煙を吐いて笑った。
両手に武器はない。
少年はすぐさまそれを確認すると、戦族の時と同じように右手を男に向ける。
掌に意識を集中させて、そこに熱が帯びるのを感じた。
瞬間、熱が爆ぜる。
男が立っていた場所を中心に、広範囲で爆炎が湧き上がった。
仲間の死体の幾つかが、巻き添えを食ってそのまま火葬されていく。
命中した、そう思った。
「紫苑の目か。リズ族かカザニア族あたりってところか…?」
上物だ、と少年の右手側から男の飄々とした声が聞こえた。
視線を動かせば、そこに居る彼は火傷どころか衣服に焦げ一つなかった。
爆炎を避けた瞬間など、全く見えなかった。
並みの戦族とは違う。
そう判断して少年は一つ二つと、幾つもの火力で粉塵を上げて煙幕を作り、踵を返して走り出す。
味方が全員逃げた今、まともに相手をする必要はない。
彼は、この紛争の意味なんて知らない。
ただ、大人たちが生きるために戦えと言うから、敵を殺してるに過ぎない。
生きるために、何でもする。
だから、今は必死に逃げる。
突然、体が少年の意志とは関係ない方向へ飛んだ。
体内に響く鈍い音。
腹部に走る痛み。
現状を理解した時には、彼の体は地面に倒れていた。
男が少年に追いついて脇腹に蹴りを入れたのだろう。
おそらく、骨が何本か折れている。
呼吸をするのが苦しかった。
男は、えづく少年の髪を乱暴に掴んで顔を上げさせる。
「少年兵って言ったら薬漬けにされて、痛みも死の恐怖もない奴らばっかりだと思ってたんだがな。あっさり逃げるとは、良い判断だ」
少年が見上げる先、琥珀の瞳が彼を品定めのように見遣っていた。
何を考えるよりも先に、少年は男の手を払って魔力を向ける。
けれど、それは男を傷付ける前に容易く手ごと潰された。
指の骨が、皮膚を破ってその白さを見せている。
「…ぁ、ぐ…っ」
「おー、悪い悪い。流石にこの距離から魔力を受けるのは痛いからな。つい、やり過ぎた」
臆病なんだ、と男は悪びれも無く笑っていた。
心なしか、琥珀の瞳に鮮やかな色が浮かんでいる。
「…あ、んた、…戦族か?」
少年はこれまで何度も死線を渡り歩いてきた。
戦族を相手にしても、そうそう引けをとらないと思っていた。
けれど、目の前の男はその戦族としても度を越す動きだ。
必死に男を睨む子供をよそに、男の口元からは笑みは崩れない。
琥珀の瞳が更に輝きを増していく。
否、それは既に色そのものを変えていた。
金色の、肉食獣のような瞳だった。
「危険色とでも言うのかね。魔力が高ければ高い種族ほど、珍しい髪や瞳の色を持ってる。絶滅寸前のツバス族が良い例だ。銀眼銀髪なんざ、他にないだろ?」
ならば、金の瞳は?
そんな種族を、少年は聞いたことがない。
「俺は数百年も前に絶滅した、獣人族の成れの果てだ」
「じゅう、じん…?」
「今のガキは知らないだろうなぁ。戦族は所詮ヒトだが獣人は更にその上、正しく獣なんだよ」
どくどくと、少年の右手から鼓動に合わせて熱が疼いた。
血が流れる感触。
先程服用したトルエンか、それともショックのせいなのか、手も腹も思ったより痛みは感じない。
どうしたらこの男から逃げられるか。
……無理かもしれない。
何もかもが、圧倒的だ。
不意に、右手に奇妙な感触を感じた。
痛みとも違う、生温い感触。
「…美味いな。やはり血は新鮮なのに限る」
男の舌が、赤く染まった手を這っていた。
時折、愛撫のように皮膚から突き出た骨を噛まれる。
戦場には幾らでも異常者はいる。
他者の悲鳴や血を見ることに興奮する者。
妊婦の腹を生きたまま切り裂いて悦ぶ者。
死体を犯す者。
女ならば幼い子供でも関係なかった。
幾つも、何度もそんな異常な光景を見て来た。
けれど、どうしても嫌悪感を覚えた。
今もそうだ。
潰した手から止めど無く溢れる血を舐めとる男のその行動に、吐き気が起きる。
左手に魔力を集中させようとすると、男が睨んだ。
「左手も潰されたいのか?」
「………っ」
少年の反応に、男はくつくつと笑った。
「おい。お前、まだ生きたいか?」
突然の問いに、男の意図が分からないのだろう。
少年は迷いながらも、こくりと頷いた。
「だったら、うちに来い。…なに、辛いのは最初だけだ。温かい食事と寝床の保障はしてやる。服だっていくらでも与えてやる」
男の言葉に、少年は唾を飲み込んだ。
温かい食事と寝床は、とても魅力的だった。
なにせ、飢えから逃れるために自ら少年兵に志願する子供もいるくらいなのだから。
「…いや、だって…言ったら…?」
「俺の餌になるだけだ」
言って、脅すように男は舌なめずりをしてみせる。
「や、…だっ。生きたい…!」
少年の脳裏に、戦場で見た大人たちの狂行が幾つも浮かんだ。
狂う一歩手前までの痛みでなぶられながら死ぬのが、どれだけ恐ろしいことか。
男は金の瞳を細めて笑っていた。
「なら、来い」
軽々と抱えられたが、少年は抵抗しなかった。
血を流し過ぎたせいかもしれない。
徐々に視界が霞み始める。
「お前なら、いい道具になりそうだ」
男がそう呟いたのを、少年は夢うつつに聞いたような気がした。