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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

黒髪黒目のその青年は、皮の軽鎧を身に着け、右手に剣を持つ。

連載小説そっちのけで書いてしまいました。すみません。

拙い作品ですが、少しでも読んでくださった方の暇つぶしに役立てば嬉しいです。

 消炭色の大地に怒号が飛び交う。


 生と死が入り乱れ、蘇芳色の空の彼方へまた……命が一つ還っていった。






「ふぅ……ここまで来てみたはいいが、来たら来たでめんどくさくなってきたな……いっそ帰るか……?」


 青年は溜め息まじりに愚痴をこぼし、一瞬、真剣にそのことについて考えてみる。


「グォおおおおおお!!」


 だがそんな暇は本来ないのだ。


 一つ目で人型の魔族が横合いから彼に襲いかかってくる。


「ふっ」


 相手が持ってる棍棒を彼の頭上へ振り下ろす……直前、横薙ぎの一線がその両腕と首を跳ね飛ばす。


「腹減ったな……あいつの作ったロースカツが食いたい……」


 態勢を低くし踏み込む……鎧を纏った骸骨剣士の袈裟斬りが頭上を通り過ぎた。

 「ひゅっ」という空を斬る音を置き去りにしながら脇に構えた剣で斜めに斬り上げる。


 鎧ごと崩れ落ちるソレ。


「たらふく食った後は軽く飲んでからしこたま寝たいな……」


 成人男性くらいの大きさがある蝙蝠が正面から青年に向かって滑空してきた。

 それに対し青年も駆ける。鋭い爪が迫り……交叉。舞う血飛沫。

 すれ違い様に両脚を斬り飛ばされ、体勢を崩しながらもなお飛び続けようとする蝙蝠の背に向けて思いっきり剣をぶん投げる。「ぐげっ」という悲鳴と共に墜落していった。


 無手になったところを襲われるが、ここは戦場……剣など腐るほど落ちている。


 無造作にその一つを拾いあげ、さらに青年は愚痴を垂れ流しにしながら魔族の屍を作り続けていった。






 人魔大戦。

 人と魔の間で起こった世界を巻き込む戦争。


 もはやその発端は霞み、何故戦争しているのか知らない者が大多数になるほど長く続く戦争。


 悲劇が悲劇を呼び、両陣営共に勝利を……というよりも相手を叩き潰す以外には終われないほどに死と涙を積み重ねてしまっていた。


 だがどちらかが勝利を手にするほどの決定的な要因が両陣営共になかった。

 魔は個々が持つ強力な身体能力と物量。

 人は人為的に自然現象を起こし、それを操る技法【魂術】とそれに合わせた緻密な戦略と豊かな戦術を駆使して戦った。


 その結果、戦力は拮抗し、戦況は停滞した……いやしていた。


 均衡が崩れ始めたのはここ2、3年のことだ。


 魔の軍勢にじわじわと圧され出し、すでに小国のいくつかは滅びた。


 ここにきて人の足並みが乱れてきたのだ。


 魔と比べ、失った戦力を補うのに時間と金がかかる人。

 連合軍に属する各国の政治的な駆け引きはそのまま足の引っ張り合いになった。

 若者から先に死んでいく時勢に疲れ、段々と活気を無くしていく民草。

 果ては魔の陣営に付き、人に刃を向ける人まで現れた。


 このままではそう遠くない未来に人は負けるだろう……。


 そんな不安と締観が空気に混じり始めた頃……現れたのが救世主だった。






「「ぎゃあああああああああ!!」」


 突如、淡く温かな光が戦場を包み込み、そこかしこで断末魔の叫びが木霊しはじめる。


 その声の全ては魔族によるもの。

 彼らの身体は徐々に砂のようになり、そして崩れていった。


 今までそこが戦場だったとは思えないほどの静寂が流れ……


「うおおおおおおおおおお!!!」


 どこからか勝利の雄叫びが聞こえたかと思うと、それはあっという間に軍全体に拡がっていった。


「……」


 だが、誰もが勝鬨に酔いしれている中、彼だけは自軍の……あの光を放ったであろうソレが居る方向を静かに……ただ見つめていた。






 『聖なる光』……それを浴びた魔を必ず亡ぼす……それは人側にとっての希望の光。

 その力を持った人族が救世主と呼ばれ、同時に最終兵器として戦場に引きずり出されることになるのは必然であり、避けられない運命だった……。






「タスク……また隊列から離れ単独で敵軍に突っ込んでいったらしいな……お前が死ぬのは構わん……だが作戦行動に支障をきたすような行動は止めろと常々言っているだろう!!少しは真面目に戦え!!!!」


 ここは魔の国の首都『シュラ』を目の前にした平陵。最前線の野営地。

 その中、第三独立遊撃部隊に与えられている区画内で青年は彼の上司から“いつもの”雷を落とされていた。


「あぁ……すまん。これからは気を付けるよ」


 無気力にボソリとそう呟く青年。


 その態度はまさに火に油を注ぐ行為そのもの。


 「プツン」という何かが切れた音が聞こえた……ような気がした。


 隊長である彼女、サツキ・カグラは「戦姫」と称されるその麗姿から冷気を放ち始め、薄い笑みを浮かべた。

 目は暗く光り、銀朱色の髪は怒気によって揺らめいている。


「~~っ!!お前……歯を食い縛れ!!」


 振り上がった拳がせまるのを青年はどこかつまらなそうな目でぼんやりと見つめていた。






「タスク君、またこんなところでご飯食べてるの?」


 背後から少しくぐもった声がかけられ「ん?」と振り返るとそこには


 青い細身の長ズボンに黒のオーバーニーブーツ、白い服の上に所々金属で補強された皮鎧を着こんだ人物が立っていた。

 スラリとした体型に男性にはない丸みが所々に見受けられるあたり多分女性なのだろう……。

 なぜ多分なのかと言うと、その頭部に頭を覆い隠すタイプの鉄兜が載っかっているのだ。

 しかも多分重いのだろう……両手で頭を支えており、その両腕がプルプル震えている。


「……」



 シュールすぎるその光景になんとも言えない沈黙が降りる。


「あ、あの……」


 空気に耐えられなかったのか鉄兜の人から声がでる。


 青年は無言ながらも次の言葉を促すように身体をそちらに向けた。


「その……これ外すの手伝ってくれない?勢いで着けちゃったんだけど、外れなくなっちゃって……」


 アホすぎる状況に青年は「はぁ……」とため息を一つ落とし、立ち上がる。


「……何やってんだお前は……」


 そう呆れながら言いつつも兜を外すのを手伝うのだった。






 隊長クラスに支給されている個人用の仮設テント内。

 今は戦闘が停止しているとはいえ、鎧などの装備は着けたままだ。

 そのまま布と毛布の敷かれた寝床に座り、傍らに剣を立て掛ける。


 多少窮屈だが身を休めることができるのはありがたかった。


 落ち着くと、右の拳が疼いてくる。


「まったく……あいつはなぜああなんだ……」


 溜まった怒りを吐き出すようにひとりごちた。




 第三独立遊撃部隊は、主に傭兵で構成された部隊だ。

 それゆえ所属している人員は実力はあっても一癖や二癖ある者ばかり。


 その中でも一際異彩を放ち彼女の頭痛の種になっているのが先ほど殴り飛ばしたタスクだ。


 実力はあるのだ。


 現に彼は単身で敵軍のど真ん中に斬り込んだのにも関わらず生還している。

 それもただの生還ではなく、圧倒的な討伐数を誇ってでのことだ。


 自身と敵の血で濡れた彼の姿を見た味方の中には、彼が殺戮に飢えた獣であると畏怖し、“狂鬼”などと呼ぶ者さえいる。


 だが……


「私には、お前が死に場所を探しているようにしか見えん……」


 適当に使い潰してしまえばいい。

 貴族出の士官あたりならそう思うかもしれない。


 しかし彼女は平民出身の叩き上げであり、これ以上の出世などそれこそ英雄にでもならない限り期待できない身。

 元々の性格がお人好しなのもあって一時的であれ部下になった者達の命に対し、きちんと責任を果たそうとしていた。


 そういった部分が彼女の人気に繋がっており、個人の能力と相まって戦果をあげる要因の一つになっていたりする。

 が、同時にそれを妬んだりやっかんだりする貴族出の士官に嫌がらせを受けたりもするのだが……。


「タスク……」


 先ほど彼を殴り飛ばした人物とは思えないほどに彼女の表情が哀しみに揺れた。


「なぜお前は私達に背を向ける……?」


 タスクという青年は彼女にとってかけがえのない存在だった。


「やはりまだあのことを……?」


 3年前、サツキ、タスク、あともう一人を加えた幼なじみ3人の故郷である町が魔軍によって滅ぼされた。


「あれからタスクは私達に何も話してくれなくなった」


 冒険者であった彼が傭兵に転身し、サツキの部隊への入隊を願い出た時は嬉しかった。

 同じ気持ちを共有でき、親友と呼べる彼に背中を預けれることを彼女は期待した。

 だが再会した時のタスクはすでに彼女の知るタスクではなかった。


 故郷を滅ぼされ、両親や兄弟が殺されたのだ。

 引きずるのは当然だし、復讐に燃え、戦場に赴く気持ちもわかるつもりだった。


 しかしタスクの瞳は何も写してなかった。

 あの頃のいつまでも少年のようなヤンチャな光も、復讐者に宿る暗い炎すらも……。


「なぜ何も話してくれない……?お前とニナしかもう……私が心を許せる者はいないと言うのに……」


 悲しみが痛みを伴って彼女に襲いかかる……。

 震える身体を必死になって小さくし、抱き締める。

 孤独に押し潰されそうになるのを必死で耐えているところに


「隊長!!!」


 という声がテントの外から掛けられた。


 情けない自分の姿を気取られないよう必死で体裁を整える。


「な、なんだ?」


「大変です!救世主様がいなくなりました!!」


 サツキは「またか……」と溜め息を吐いてしまう。


「まったくどいつもこいつも!!!」


 剣を取り、立ち上がる。外に出ると部下の男が慌てふためいた表情で待っていた。


 そんな男に「ふっ」と笑いかけ


「探しに行くぞ!!」


 と走りだす。


「は、はい!!」


 怒りもあるが、さっきまでの辛気臭さをまぎらわしてくれた救世主殿に、なんとなく感謝してしまうサツキだった。






 野営地から少し外れたところに小高い丘がある。

 そこにポツンとある岩の上で一組の男女が良い雰囲気に……


「タスク君はまたサッちゃんを怒らせたんだって?」


 はなっていないかった。


 勿忘草色の髪が揺れ、それよりも少し薄い色をした瞳がタスクに視線を向ける。


 幼さを残した彼女の顔立ちは笑顔であれば誰もが思わず見とれてしまうほど愛くるしい。

 しかし今は口を尖らせ、ジト目でタスクを責めるように見つめている。


 一応怒っているのだが、全然怖くないのもまた彼女の魅力だろう。


「むぅ~」


 対するタスクはどこ吹く風、黙々と食事を続けている。


「もう!!タスク君は最近なんでそんなにぶっきらぼうなの!?」


 「ポカポカ」と肩を叩いて抗議してくる彼女。


「……」


 それでも反応を見せないでいると


 肩への衝撃がなくなっていき……


「うぅ……ぐす……」


 となんとも不穏な音が聞こえてきた。


 こうなってはさすがにタスクも無視できず


「……はぁ~……ニナ、嘘泣きはやめろ」


 そう言いつつ横を向く。

 両手で目元を擦っていた彼女は動きをピタリと止め


「……えへ?バレた?」


 と性懲りもなく言う。


「はぁ……まぁ付き合いだけは長いからな」


 子供の頃は騙されていたりもしたが、今はもう通用しない。


 その言葉を聞き、少しはにかむとニナは再びタスクを問い詰める。


「じゃ、続き!なんでいっつも一人で敵に突っ込んでっちゃうの?」


 一度言葉を交わしてしまったにも関わらず再び無視を決め込むことができるほどタスクという青年も剛の者ではなかったらしく、今度はちゃんと答える。


(今度無視したらこいつは本当に泣きはじめるだろうし……)


「……足手まといを置いていっただけだ」


「……ホントに?」


 その答えの真偽を確めようと真っ直ぐにタスクの目を見るニナ。


 「ああ」と答えつつ視線を前に戻すタスク。


「…………はぁ~~~~~~~」


 深い溜め息の後、ニナはタスクの両肩を「ガッ!」と掴み、自分に向かせる。


「なっ?」


 間抜け面になっているタスクが抗議をしようと口を開くが


「……!?」


 ニナは今度は本気で瞳に涙を溜め、そして怒っていた。


「タスク君……嘘言ってる」


「そんなことは……」


「うそ!!!私聞いたもん!!タスク君が一人で派手に戦うから敵が集中して他の人が戦いやすくなってるって!!」


 それは第三独立遊撃部隊に限って言えば事実だった。

 彼に敵が集中するため、最前線での戦闘だというのに兵の損耗が比較的軽微で済んでいる。


「タスク君……覚えてる?子供の頃、3人でよく近くの森に探検に行ったよね。でもあの日、あの辺りにはいないはずの狼がいて……私もサッちゃんも怯えて何にもできないのに、タスク君ナイフ一本で追い払ってくれて……とってもカッコよかった……だけどあの時、タスク君も大怪我しちゃって……」


 タスクのケガはかなりの重傷で、その後1ヶ月ほど寝たきりになった。

 その傷は今も残っている。

 運良く群れからはぐれた一匹狼であったからよかったものの、そうでなかったら間違いなく3人共命はなかったろう。


「そんな昔話を……」


「あの時と同じでしょ?」


「……何を」


「私やサッちゃん……ううん……他にもたくさんの人を守るためにあんなことするんでしょ?」


 その問いに対しタスクは一度俯き、そして再びニナと向き合う。


「……!?」


 その表情を見て、ニナは「ヒュッ」と息を飲んだ。


「違う……俺にそんな高尚な考えはない。俺はただあいつらを一人でも多く殺したいだけだ。国を滅ぼしたあいつらをな」


 目の前の自分すらも写していないがらんどうの瞳。


 それは拒絶。


 踏み込むことを許さない絶対の拒絶だった。


「なんで……?」


 ニナはそれまでの怒りなど吹き飛び、聞くことしかできなかった。


「なんでなの?タスク君……?」


 彼が自分を犠牲にしてまで自分達を守ろうとしてくれているのなら……彼が復讐に駆り立てられているのなら……自分は彼と共に戦うと……側にいると……そう伝えたかった……。


 しかし、彼は許さない。

 彼は一人で行ってしまう。


 涙が溢れ、彼の胸にしがみついた。


「行かないで!!置いてかないでよ!!もうサッちゃんとタスク君しかいないんだよ!?私が私で居られる場所はもう二人のとこしかないの!!やだよ!!お願い!!!私を連れてって!!」


 自分の胸で泣きじゃくるニナの肩に手を置き、引き離す。


 それだけの感情をぶつけられてもなお、タスクの瞳の色は変わらない。


「ひっく……うぐ……」


「ニナ……俺は……」


 そうタスクが何かを言いかけた時、異変が起こった。


 闇が降り立った……。

 ニナの肩越しにソレが現れるのを見ていたタスクにはそうとしか見えなかった。


 瞬間、のし掛かる重圧。


 殺気でも闘気でもなく、ただ純粋な存在感。


 タスクは固まるニナを背に隠し、剣を抜く。


「ほぅ……我を目の前にして剣に手をかけるか……」


 質の良さを感じさせる漆黒の軍服とマントを身に纏い、腰に帯びた長剣の柄に手をのせたその男。

 艶やかな黒い髪を背に流し、愉しげに向ける黒い瞳に敵意はない。


 が、タスクはその闇色の美丈夫が人にとって最大の怨敵だということを知っていた。


「魔王……」


「え!?あの人が!?」


 突然タスクの背に押し込まれたニナが恐る恐るその男を覗き見しながら驚く。


「ほぅ……我を知っているのか。貴様、何者だ?」


 今代の魔王は一度もその姿を戦場に現したことがないのだ。

 故にその容姿を知る者など、人側には一人もいないはずなのだ。


「まさかこんなに簡単に会えるとはな……」


 魔王の質問に答えず何かを確認するように独り言を呟くタスク。


「ふむ、まぁよいか。貴様が誰であろうとどのみち殺すことに変わりはないのだしな」


 そう言うと、魔王は腰から剣を抜き放ち、こちらに向かって歩き始めた。


「さらばだ、名も知らぬ戦士と……救世主よ……」


 魔王が死の宣告を口にしたのと同時、タスクの横を影が通り抜ける。


「まっ……」


 止める暇などなく、ニナは掌を魔王へ向け、唱える。


「光よ――あれ――」


 ニナの身体から光が生まれ、そして魔王を飲み込む。


 救世主であるニナが放つ光に触れた魔はすべからく消滅する……。







 3年前、突如現れた魔軍の大軍勢に攻め込まれ、故郷の町は一夜にして滅びた。

 ニナと家族はなんとか町の外に脱出することができたが、追走の手は緩まず、とうとう追い付かれた。


 父が殺され、母が殺され、妹が殺された……そして次はニナの番となった時……彼女の力は覚醒した。


 暴発した『聖なる光』は彼女を中心に光の波となって周囲を呑み込み……果ては町にまで届いた。


 後に、連合軍の救出部隊が現れた時には、周囲に魔族はおらず、数多の人の死体と気絶した彼女だけが残っていた。




 そこから人の反撃が始まった。




 救世主であるニナの力は魔に対し、まさに無敵だった。


 先の戦闘のような大規模な術を作り上げるのには時間がかかるが、魔族一人に対する術であるば、今のニナは瞬時に発動ができる。

 それゆえ、術が魔王を包んだ時点でニナは勝利を確信していた。


 光が収まり、視界が開ける。


「はぁ……はぁ……はぁ……えっ!?」


 そこには変わらず、悠然と立つ魔王が居た。


「な……なんで?」


「ふむ、あれほどの大規模な術を使用した直後にも関わらず、まだこれほどの術を行使できるか……やはり、危険だな」


 一瞬の殺気……周囲の音が消え、斜めの銀閃が走る。


 ニナの身体は当てられた殺気によって凍り付き、目を瞑ることすら出来ず、ゆっくりとその刃が自分の身体に吸い込まれていく様をただただ見ていることしかできなかった……。


 ……ガキィン!!


 鈍い衝突音と散る火花。


 音と時間が戻ってくる。


「ほぅ……我の初太刀を受け止めるか……」


 魔王は愉快げに口角を引き上げる。


「ニナ……逃げろ」


 その声を聞き、そこでやっと自分がまだ生きていること、そしてタスクが自分を守ってくれたことに気付くニナ。


「え……?あ……」


 呆けていた思考が戻ってくる。


 自分の力が通じず、タスクがいなければ殺されていた。


 その事実に身体が震える。


 それは原始的な死の恐怖から来る震えではなかった。


「そんなはずない……」


 その呟きは哀願。


「行かないで……」


 それは孤独に震える少女。


「もう一人は嫌だよ……」


 故郷の皆を……家族を目の前で殺されて手に入れたこの力……


 あの時、自分しか守らなかったこの力……


 だから戦うと決めた。


 タスクと……サツキと……共に戦うと決めたのだ。


「……私だけ逃げるなんて……できない」


 再びニナの身体が光を纏う。


 だが……


「ニナ、無駄だ。魔王にお前の光は通じない」


「ふむ、それも知ってるとは……貴様、危険だな」


「ちっ」


 魔王の身体を闇が包み、タスクはソレを嫌がるように魔王から距離を取るべく後ろに跳び、ニナの胴を脇に抱えさらに跳ぶ。


「きゃっ」


 ニナを置き、そして背に隠す。


 影よりも濃い漆黒……闇を纏った魔王の視線は標的であったニナではなく、タスクに向かっていた。


「我を知り、闇の存在も知る貴様は何者だ?」


 先程までのどこか余裕を残した表情ではなく、真剣そのもののソレ。

 「答えねば斬る」という無言の殺気で場はキリキリと張りつめる。


 先ほどとは違い、純粋な恐怖がニナの身体を小刻みに震えさせ、高地にいるような息苦しさを感じさせた。


 助けを求めるように泳ぐ視線がタスクにたどり着く。


「え?」


 タスクの顔に浮かぶのは怒りでも憎しみでもましてや無味乾燥なあの表情ですらなかった。


 痛み……そして哀しみ……。


 ニナにはわからなかった。

 なぜタスクがそんな顔するのかが……

 そしてそれは魔王とて同じこと。


 少しの戸惑いが混じった口調で再び


「貴様は……なんだ?」


 問う。


「マルス・タリエント・アビス……」


 タスクの放った言葉はニナには何のことだか検討もつかなかったが、魔王にとっては違った。


「なぜ……貴様がその名を……?」


 タスクは胸に手を当て


「マルス……使わせてもらうぞ……」


 そう呟くと


「「なっ!?」」


 救世主と魔王が驚愕する。


 タスクの身体から闇が溢れだし、そして纏ったのだ。





***





「タスク……泣くなよ。これは元々決まっていたことなんだから」


「……バカ野郎」


「ははは、最後まで君は君だね」


「……」


「でもまぁ……そんな君が居たからこそ、僕はこうやって安らかな気持ちで最後を迎えられる……ありがとう」


「礼など言うな……俺はお前の死すら利用する下種だ」


「……ったく、君はまたそんなことを……これは僕から言い出したことだし……いや、このことは散々言い合ったか……」


「すまん……」


 優しい空気が穏やかな時と共に流れる。


「……そろそろ……かな」


「マルス……」


「兄さんによろしく言ってくれ」


「……ああ」


「それじゃ……さよならだ……またいつか会おう……」


 弱々しく差し出される手。


「必ず……」


 それをしっかりと握る……2人の手にポタポタと雫が落ちた。


『我が友に託そう……我が力を……人でありながら魔のために涙を流せる優しき友に……』





***





「魔王よ、貴殿に決闘を申し込む!!」


 闇を身体に纏ったタスクは剣先を魔王に向かい、告げた。


「え……?え……?」


「……」


 展開についていけないニナはひたすら戸惑いの声をあげる。


 それに対し魔王は沈黙。


「聞けば、貴殿は王である前に誇り高き戦士であるという!!なれば申し込まれた決闘を受けない道理はないはず!!いかがか!?」


「何を賭ける?」


「もちろん!互いの魂!!」


「……貴様に捕らえられている弟の魂も同様か?」


「望むのならば!!」


「なれば……仕方あるまいな……」


 剣を構える2人……


 両者の間を突風が駆け抜け、次の瞬間、2つの闇が交わりぶつかる!!






「はぁ……はぁ……はぁ……」


 野営地の外れ、最後にタスクと鉄兜を両手で支えながら歩く妙な女が目撃された場所。


「あのバカ2人……まさか野営地から外に出ているとは……」


 救世主の捜索は難航していた。

 軍全体に動揺を与えないよう、一部の者にしかその情報は知らされておらず、当然、捜索する者も少数になったためだ。


 サツキはニナと幼なじみということで、駆り出されていた。



「十中八九、タスクを追って行っている……ならばセットで説教だな……見つけたらタダじゃおかん……」


 とりあえずまず始めに脳天へのチョップを決定させ、丘の方とは逆、林のある方向へ足を踏み出す……が


「ん?」


 振り返る……丘の方を見るが、特に何もない……ないのだが、何かが気にかかる。


(なんだ……?)


「―――!!」


(……声?)


 吹き抜ける風の音にかき消されるほどの微かな声……。


(ただの空耳……?いや……違うな)


 サツキはその声へ意識を向け、次第に感覚を鋭敏にしていく。


「――ク君!!タスク君!!」


「……!?ニナ!?」


 身体を翻し、丘の方へ向かって駆け出す。


 すると一瞬、なにか膜のようなモノを通り抜ける感覚を覚え


「いや~さすがにこれだけ広い範囲だと完全には隠しきれなかったか~……」


 というどこか陽気で自嘲の籠った声と共に、サツキの首筋へ線条が走った。


「くっ!」


 身体を無理やり捻りながら地面に投げだす。


 受け身をとることもせず背中から倒れるが、構わず剣を抜き


「炎破!!」


 サツキの身体が炎に包まれ


 ドンッッ!!


 爆発した。


 地面が抉れ、礫が飛び散り土煙が舞う。


「うっわ、マジかよ!?」


 一連の流れはものの数秒のこと。

 サツキを襲った存在も予知しきれなかったらしく、驚きの声をあげる。


 爆発の規模はそれほどでもなかったため、少し離れたところへサツキは「トンっ」と爪先から着地する。

 本来であれば追撃をするべきだが、相手の得体が知れないため、いつでも攻撃ができるよう構えを取りつつ様子を窺う。


「……!?」


 土煙が不自然に揺らめき何かが抜け出たと思った次の瞬間にはサツキの目の前に人影があった。

 地を滑るがごとく沈ませた体勢でサツキの懐近くまで入り込んだ相手はそこから全身のバネを一気に使い、サツキへ渾身の突きを放つ!

 予備動作すらない無駄を一切省いたその突きは速く鋭い。


 並みの兵士ならばなんの抵抗もできず、喉を貫かれ死んでいただろう。


「はっっ!」


 しかしサツキは違った。


 剣を上段に構え、振り下ろす!!


「ぎゃあっっ!!」


 その一振りは短剣を腕ごと叩き潰していた。


 刀身が砕け握りの部分だけになった短剣は地に落ち、その人物は後ろへ跳ぶ。


 サツキから距離を取り、その場で膝を着くと腰のポーチから小瓶を取り出し、フタを口で開け、血が吹き出し、もはや原型を留めていない右腕へかける。


「ぐっ……うお~なんちゅうエグいことを…」


 サツキはそこで初めて相手をきちんと視界に収め、そして驚く。


「人……?」


 黒の軍服に胸、腹、肩を覆う紫苑色の鎧……魔軍の上位に位置する者が身に付けることを許される衣装と装備だ。


 つまり自分を襲って来たのは間違いなく魔の側に立つ者であるということ。


 だが、それを着ている者は人だった。


 短く刈られた金髪、精悍さと幼さの混じった顔立ち、翡翠色の瞳が右腕へ視線を落としその状態を確認すると、こちらへ向いた。

 酷い負傷を受けたのにも関わらず、その表情は痛みに歪むどころかむしろ口元をニヤリとさせた笑みを浮かべている。


「さ~すが戦姫。俺なんかが太刀打ちできるわけないか~」


(人でありながら魔の装備を着け、私に刃を向ける者……)


「魔人か」


 サツキの口から出たのは魔の側に立った人を指す総称であり蔑称。


(この男はその中でも魔軍の上位に立つ存在……)


「まぁ~そゆことだね。はぁ……ってかどうしようかなぁ……アンタはこれからどうする?軍に戻って報告、んで援軍を呼んでくる感じ?それとも……」


 そこまで言うと、男は視線だけを丘の上へ向ける。


「あそこへ真っ先に向かう?」


 サツキは視線を逸らさない。

 少しの隙も見せず、常に男を次の一撃で倒せるよう構えている。


 だが、耳に入ってくる剣戟の音とニナの声に少なからず焦りを感じていた。


(ニナとあと2人いる……1人はタスクだとしてもう1人は誰だ?あのタスクと互角かそれ以上……しかもこの尋常でない気配……)


 万が一にもタスクが敗れ、ニナが殺されることになればそれはこの戦争での人側の敗北を意味する。


 そしてサツキにとっては、命よりも大切な幼なじみ2人を同時に失うということ。


(戻って援軍を呼ぶなんて悠長なことはしてられん。目の前のこいつを一刻も早く倒し、タスクに助太刀する……それしかない!!)


 逸る気持ちを抑え、サツキは今、この場での戦いに集中する。


 正眼の構えのまま、己の魂に刻まれた力を呼び起こす。


「炎弾」


 するとサツキの周囲を拳大の炎の玉が幾数も生まれ、たゆたう。


 無駄に入りそうになる力を抜きつつ、下肢に力を溜める。


 炎弾を乱射した後、体勢を崩した相手へトドメの一撃を入れる。


 力押しの強引な戦法だが、サツキの技量であればほぼ確実に敵を倒せる。


(いくぞ!!)

「タンマ!!!」


 ………………………。


「………………は?」


「だ~か~ら~タンマ!!」


「……」


 炎弾が相手へ乱れ飛ぶ!!


「いやおいちょっまっっ!!」


 着弾と同時に炸裂する炎。

 再び粉塵が舞い、相手の姿が見えなくなるがすでに気配は捕捉している。

 それを辿り、斬り込む!!


「破っ!!」


 「ブン!」という音と共に土煙を捲き込みながら薙ぎ払われるサツキの剣。


 斬撃は確かに影を捉え、ソレを両断した。


「……?」


 だが、それは人を斬った時の感触とは違い、まるでゼリーのような……なにかゲル状のモノを斬ったような不可思議な感触だった。


 サツキは困惑しつつも、周りを警戒し、気配を探る。


 気配はないが、相手を倒したと確信することもできていないため、その場に留まらざるおえない。


 だんだんと粉塵が晴れていき、視界が安定しだすとサツキの目の前に死体はなく、水溜まりがあるだけだった。


「ちっ」


(やはり避けられていたか……だが奴はどこにいる……?)


 周りには誰もおらずサツキは段々と焦りが募る。


(……っ!こんなところでグズグズしているわけには……)


 いっそこのままタスクの元へ向かってしまおうかと思い始めた時、微かな殺気を感じ、振り向きながら剣を横薙ぎに振るう。


「どわっっ!?」


 何かが飛び退き、そのさらに向こう側で着地する音がする。


「はぁ~駄目だ……やっぱ勝てる気しないわぁ……」


 するとその地点から急に魔人の男が現れる。


「なっ……」


 薄々そうではないかと考えていたが、現実にその様を見せつけられると歴戦の戦士であるサツキであれど思わず目を見開き驚きの声をあげてしまう。


「お~、戦姫にその表情させられただけでも儲けモンかな」


 右腕はいつのまにか何やら白濁した水球に包まれ、朗らかに笑みを浮かべる男。


 そのセリフにサツキは再び表情を引き締め、構えをとる。


「お前……水鏡か……」


 確信を持って問うサツキへ水鏡と呼ばれた男は「なはは」と笑い声を溢し答える。


「あらま……バレちゃった?ってかあの戦姫が俺のこと知ってくれてるとかマジ感激だわ~」


「ふんっ……最悪の裏切り者の貴様を知らない人族がいるはずないだろう」


 水鏡……水の魂術を巧みに使い数多の同族を殺してきた最悪の魔人。

 元々は凄腕の冒険者だった。

 彼が迷宮や秘境などから持ち帰った様々なアイテムが人族へ与えた恩恵はかなりのもので、彼を英雄扱いする者がいるほどであった。


 そんな彼が魔人となった理由は誰も知らない。

 多くの人が「なぜ!?」と戸惑い、「どうしてだ!?」と涙を流し問いたが彼は答えなかった。


 サツキにとって向かい側に立つ男を倒すことはすでに決まっていたことだが、相手が水鏡だとわかり、さらに気迫が籠る。


 それを見て水鏡は慌てて左手を目の前で振り、声を上げる。


「待った待った!ここは俺は退くからもう止めようよ!ってかアンタも早くあっちに行きたいでしょ?」


 その言葉に剣を構えたサツキは訝しげに眉尻をあげる。


 本来ならば聞く耳など持つ必要ないのだが、タスクとニナの元へ今すぐ向かいたいという思いが耳を傾けさせた。


「今さら後ろから襲うとか無意味なことしないし?こっちもさ~結構広範囲に術を展開してるからホントは戦闘なんかしたくないし……右腕なくなっちゃったし……軍に戻ろうとするなら足止めせざるおえないけど、あっちに向かうなら止める必要ないし?」


 早口でまくし立てられたその言葉を吟味する。


「向こうにいるのはお前の仲間なのではないのか?」


「へ?……あぁ~……まぁ~仲間ってか上司なんだけどね~あの人めちゃくちゃ強いから心配ないっていうか?今回は隠蔽と監視しか命令されてなくて、ホントは俺、戦闘しなくてよかったはずだし……ってかそういや俺、なんで戦姫になんて戦い挑んじゃったんだろ……ぐぉぉ……自分の真面目さが怨めしい……いや、半分以上戦ってみたかったっていう好奇心だったわけだけど……バカ俺……ホントバカ……」


 後半、後悔含みの愚痴を漏らし出した水鏡。


 どこまで本気で言っているのかわからなかったが、サツキにしてみれば目の前の男を信じれる要素がなく、今はなぜかそうしていないが、この男がニナを狙うかもしれないと考えるとやはり倒すべきだと思考が固まり始める。


「まぁ~信じられるわけないか……でもさ、不完全とはいえ、水で姿を消した俺が隠れることに集中したらいくら戦姫といっても捉えられないよ?」


「……」


 それはなかなかに的を射ていた。

 姿を消した水鏡を捉えるのはかなり難しく、殺気を乗せた攻撃がくるその瞬間までどうしようも出来なかった。


 範囲攻撃を行えば当たるかもしれないが、サツキの術にそこまで強力なモノはなく、連発もできないため対処されれば無駄に気力だけ消費して不利になるだけだ。


「そ~れ~に!」


「……?」


「今、狂鬼が戦っているのは……なんとあの魔王だよ?」


 瞬間、それまでの思考がふっ飛ぶ


「ま、まさか……」


「ホントだよ?だから今、救世主ちゃん大ぴ~んちですよ?ほらほら!早く行かなくていいのかな~?」


 水鏡は左手に持った大振りのナイフをポイっと投げ捨て肩を竦める。


「狂鬼の方もそろそろ限界なんじゃないかなぁ?ってかよく持ってる方だと思うよ?」


 そう言いながら足の方から何かが巻き付くように消えていく水鏡


「くっ……」


 咄嗟に斬りかかるサツキだったが、水鏡は横に跳びそれを避ける。


「そんじゃまぁ~がんばってね~」


 それを最後に水鏡は消え、気配を一切感じれなくなる。


「くそっ……」


 残されたサツキは攻撃がくるかもしれずその場で迎撃の構えをとり、しばらくじっとするが、攻撃は来ず構えを解く。


「今度会った時は必ず倒す……」


 そう言い残し、サツキは大切な2人を助けるため、丘の上へ向かって走り出した。


 一陣の風が通りすぎる。


「はぁ……やっと行ったか……可愛い顔してどこまでも戦士だったな……さすがあいつの幼馴染み……。さて、お膳立てはしてやったぞ?お前が足掻き目指したモノがどんな結末を呼ぶか……見せてもらうぞ」


 呟きは風に流される。






 漆黒を纏った銀光が二対。

 それらは幾数もの流線を描いて飛び交い、折り重なり、そして衝突する。




 タスクは左上段で剣を寝かせ、二の腕で刀身の背を支えた。


 そこへ魔王の剣が闇色の帯を弧状に残しながら襲いかかってくる。


 衝撃は一瞬……身体全体が軋む。


「くっ……」


 タスクの口から少しの苦鳴が漏れる。


 だがタスクもただ受けるだけでは留まらない。


 右足を軸として左足を引きながら半身になる。

 同時に支えている左腕を支点とし剣をより傾け、上半身を左に絞る。


 円の運動による力の受け流し……魔王の剣は支えを失いタスク剣の腹から切っ先に向かって滑るように往なされる。


「ふっ!!」


 魔王の剣を往なしつつ引き絞った身体から間髪入れずに横薙ぎの一線を放つタスク。


 魔王は斬撃を透かされ、前方に流れる身体を無理に立て直すのではなく、勢いを殺さない程度にブレを但しそのまま右前方に跳ぶ。

 剣風と共に魔王の髪が数本、空を泳いだ。


「ちっ……」


 振り抜いた体勢から剣を反し、魔王に向き直ると間髪入れずにそちらへ踏み切る。


 跳び上がり魔王に向かう最中、タスクは上半身を右に引き絞りながら肩口で剣を水平に構え……突き下ろす!!


「っ!!」


 魔王は上段から己の心臓に向かってくる突きを上半身を捻りながら小さく横に跳び避ける。


 暴風が横を過ぎると、突きの姿勢で着地したタスクがおり、その腕へ剣を振り下ろす!


「くっ……ああああ!!」


 タスクは着地と同時に迷わず真横へ……魔王へ体当たりをすべく跳び込む。


「ぐっ」


 タスクの右肩が魔王の鳩尾に刺さるが、元々攻撃というよりも回避が目的だったため、踏み込みも重心移動も無茶苦茶。

 魔王はそれほどダメージを与えれていない。


 魔王は上段に、タスクは左脇に剣を置きお互いの視線が交差する。


 瞬間、弾かれたように動き出す両者。


 互いに一歩引き、そして霞む腕、斬線が閃き……ぶつかる。


 「キィン!」という耳の奥に響く音を置き去りにし、次々と繰り出される斬撃。


 魔王の袈裟斬りを剣で受け、それを押し込みながら一歩踏み込み頭突きを放つ。


 よろけ、一歩後退した魔王へ胴薙ぎ。

 だがその一撃は魔王の蹴りがタスクの顎を捉えたことで阻止される。


「がっ!?」


 仰け反るように空中へ投げ出されるタスク。


 その隙を逃すはずのない魔王。


 跳び上がり、タスクの真上から剣を振り下ろす。


 脳が揺れ、意識が半分以上飛んでいるはずのタスクだったが、魔王の斬撃が己に届く寸前で目を見開き、なんとか剣を滑り込ませた。


「ぐっ……がぁああああ!!」


 だが、斬撃の勢いまでは受け止められず、地面に叩きつけられる。


 空中で魔王は剣を逆手に持ち反し、振り上げる。


 タスクは胸に剣が突き立てられる直前に横へ転がりソレを避け、なんとかしゃがんだ体勢になる。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 立ち上がり、剣を正眼に構えるタスク。


 地面に突き立てた剣を抜き、脇に構える魔王。


 両者の身体が沈み……間合いが零になる。


 もう何度目かになるかわからない衝突……そして拮抗。




「……」


 ここまで魔王は常に無表情で一切の声も出さずにタスクと相対してきた。


 しかし外面とは裏腹にその胸中は驚嘆の一色に染められていた。


(人族にこれほどの戦士がいたとは……剣技だけならば我と同格……いやそれ以上か?)


 魔族である魔王の身体能力はタスクのソレを大きく上回る。


 タスクはそのハンデを剣技や体術のみで埋めている。


 魂術に頼らず、魔王とここまで互角に戦える人族など他にはいないだろう。


(だが……それもそろそろ限界か……)


 魔王は深く踏み込み、大振りの一撃を横薙ぎに放つ。


「なっ……くっ!?」


 タスクは正面からそれを剣で受け止める。


 が、すで踏ん張る力が足りず後方へ吹き飛ばされる。


「くっ……」


 なんとか空中で体勢を整えしゃがんだ状態で着地。

 そのまま少し地面を滑り、止まる。


「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……」


 先ほどとは違い立ち上がることが出来ず、そのまま荒い呼吸を続けるタスク。


 そこへゆっくりと歩み寄る魔王。


(惜しくも思うがこれも運命……)


 タスクの前で止まり、剣を頭上へ翳す。


「終わりだ」




(まだだ!!)


 翳された剣を見上げる、タスクの瞳に諦めの色はなかった。


「風砲」


 風の砲弾がタスクの目の前で生まれ、闇を纏って魔王の鳩尾へ突き刺さる!


「なっ!?」


 一瞬身体が浮き、立ったまま後方へ地面を滑り、止まったその場で片膝を着く。


 鳩尾に手を置きつつタスクへ視線を向ける魔王。


 その視線には驚きと戸惑いが籠っている。


 魂術とはその者が持つ魂に刻まれた、たった一つの約束の力。

 二つの魂術を行使することなど当然できない。


 魔王とタスクが纏う闇も魂術だ。


 つまり闇を纏ったまま風の魂術を使うことなど本来ありえないのだ。


 だがタスクは使えた。


 そのことにここまでの戦闘で一切の感情を表に出さなかった魔王もさすがに目を見開いて驚きを隠せずにいた。


「はぁ……はぁ……はぁ……くっ!!」


 ふらつきながらもなんとか立ち上がるタスク。


「まだ……終わらせないさ……ここからだ!」


 剣を構えるその姿はもはや限界ギリギリ。

 時折ふらついてさえいる。

 だがその瞳に宿る闘志に翳りはなく、いまだ勝利を疑っていなかった。


「ふっ……」


 そんなタスクを視界に納め、魔王は口元を綻ばせた。


 そして立ち上がり、剣を構える。


「よかろう。貴様の誇り高き魂はしかと見せてもらった。ならば我も我の魂と誇りを賭けた奥義をもって貴様を迎え撃とう」


 言葉と共に右手で剣を持ちながら、左手を胸に当てる。


 空気が重くのし掛かり、冷たく凍る……。


 そして数瞬後、突如魔王の身体から火山の噴火の如く膨大な闇が溢れ、上空へ昇った。


「如法闇夜……」


 空間全体に響く声。


 溢れだし、無秩序に暴れまわっていた闇が次第に静かになり、そして剣に収束されていく。


 魔王の手にはそれまであったそれよりも一回り……いや二回りほど長大化し、禍々しいまでに漆黒へ染まった剣があった。


 それを上段に構える。


「往くぞっっ!!」


 踏み込んだ地面に亀裂が入る。


 残像を置き去りにし、一息で闇の利剣が目の前に迫る。


 タスクは右下段に構えていた剣を横向きで掲げ、その一撃を受け止めようとする。


「なっ!?」


 それはもう滑稽にすら思えるほどにたやすく起こった。


 ここまで魔王の斬撃をことごとく受け止め、弾いてきたタスクの剣が目の前で両断されたのだ。


 折れるでも、砕けるでもなく、なんの抵抗もなく絶ち斬られた。


 そんな絶望的な光景を前にしても無意識の内に左前方、魔王の横をすり抜けるように跳びながら身体を捻り斬撃を避けるタスク。


 跳び込み前転の要領で転がりながら着地し、追撃を恐れ、さらに跳ぶ。


 反転しながら着地し魔王のいるであろう方へ向く。


「あそこから避けるか……たしかに風を纏うことで身軽になっているようだが……さすがだな……だが!!」


 再び迫る闇。


 すでに剣はない……予備で持っていたナイフを手に取り闇で覆う。


(それでも……)


 袈裟斬りを半身になり上半身を反らして避け、胴薙ぎを後ろに跳んで避ける。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 着地と共に迫る突きを避けようとして更に後ろに跳んだ次の瞬間……


「くそっ……」


 黒い剣身がタスクを追うように伸びた。


 急な間合いの変化、そして度重なる疲労……もはやタスクにソレを避けきることなど出来るはずもなく……


「ぐぅっ……」


 肩に突き刺さり、その勢いのまま後ろへ吹き飛び、背中から地面へ倒れる。


 直ぐ様立ち上がろうと上半身を起こす。


 巨大な黒剣を大上段に掲げる魔王。


 そしてタスクの前で両手を広げるニナの背中が視界に入る。


「止せ……」


 振り下ろされる大剣。


 振り返り、笑顔を見せるニナ。


「ダメだぁあああああああああああああ!!」






 ニナは決闘をただ見ていることしかできなかった。


 光の通じない相手に対してあまりにも自分は無力で……足手まといだった。


(何が一緒に戦うだ……何が側にいるだ……私は結局いつも何もできずにただ見ていることしかできない)

 それが悔しくてたまらず、涙が出そうになるが、それだけは我慢した。


(泣くな!まだ何も終わってない!!私に出来ることを探さないと……)


 あの凄まじい戦闘に割り込んでも自分は何の役にも立てない。


 ならば援軍を呼ぶか?


 その考えも即座に否定する。

 先程自分は光を放った。

 いくら野営地から外れた丘といえど誰かしら気づくはずである。

 にも関わらず誰も来る気配がないということは認識を阻害する何かがあるのだろうとニナは考えた。


(私の足じゃ遅すぎるし、何より認識阻害の術を行使している敵が少なくとも一人はいるはず……そしてそれは恐らく魔人)


 となればニナの光は効かないということだ。 無力感に唇を噛む……。


(どうしよう……どうすれば……)


 その間にも戦況はどんどん変化する。


 タスクが傷つき疲弊していく様を見てることしかできないニナ。


 唇からはすでに血が滴っている。


 途中、タスクが風の魂術で魔王を吹き飛ばした時、ニナも闇を纏い風を操るタスクの魂に何が起こっているか不安と疑問を感じた……。

 タスクの消耗が尋常のモノではないように見えているのも相まって胸中を不安が支配する。


 だがそれもその直後に起こったことで思考の隅へ追いやられる。


 魔王が膨大な闇で作り上げた剣でタスクの剣を断ち、その剣がタスクの肩に突き刺さったのだ。


「タスク君!タスク君!」


 魔王の剣がさらに巨大なモノへと変貌する。


 振り上がる闇の大剣。


 何も考えず……駆け出した。


 タスクを庇うように魔王へ立ちはだかる。


 魔王はそれに一瞬目を見開くが、構わず剣を振り下ろす。


(ごめん……)


 それは誰に向けての謝罪だったのか……


 ニナは振り返りタスクへ笑顔を向けた。


(せめて……一緒に……ね?)





***





「タスク、闇の魂術の本質ってなんだと思う?」


「本質?」


「そう、本質。それを理解しているかいないかで、闇の力をどこまで引き出せるかが変わってくるんだ」


「ふぅん……それでなんなんだ?」


「はぁ……少しは自分で考えてほしいから問いかけたんだけどなぁ……」


「マルス……お前遠回しに俺をバカにしてるだろ……」


「いやいや、半分当たってるけど、そういうわけじゃないんだよ」


「……おい」


「ははっ、ごめんごめん。話を戻すけど、闇の本質は【拒絶】さ」


「拒絶?」


「そう、術者が対象を拒めば拒むほど強い力を得る。光を拒めば届かないし、敵を拒めば呑み込み喰らう」


「エグいな……」


「うん、我ながらなんとも性根の曲がった力だと思うよ」


「まぁ……お前だしな……」


「それはどういう意味だい?タスク?」


「そのままの意味だ」


「……まぁいいけど……それで、闇の性質からしてそれを突き詰めてしまうと……」





***





「ダメだぁあああああああああああああ!!」


 ――ドクン


(こんな結末は許さない)


 ――ドクン


(故郷の皆も……家族も……親友も……誰一人守れなかった……)


 ――ドクン


(だから誓ったんだ……どんなことをしてでも……)


 ――ドクン


(あいつらだけは守ると!!)


 タスクの視界が闇に包まれる。




「きゃっ!!」


 ニナは後ろからソレに肩を掴まれ、物凄い勢いで後ろに引き倒されていた。


「ニナ!!!」


 やっとの思いで丘の上に着き最初に見た光景はまさしく異常事態だった。


 ソレは恐らく魔王である人物が振り下ろした漆黒の大剣を黒い棒のようなモノで受け止め、弾き返した。


 重心が乱れた魔王に向かい、続けて横薙ぎに棒を振るうソレ。


 それを正面から剣で受ける魔王……だが、すさまじい威力だったらしく、後方に弾き飛ばされた。


 それを追うソレ。


「な、なんだこれは……いや……呆けてる場合ではないな」


 サツキは一先ずニナの下へ駆け寄る。

 すでにソレと魔王はニナが尻餅を着いている場から離れた場所で戦っている。

 安全とは言えないがここでニナに事情を聞こうとするサツキ。


「ニナ!何があった!?」


 ニナは全身を小刻みに震わせて呆けていた。


「ちっ……すまん!」


 パァン!という音が鳴りニナの頬を痛みが走る。


「……え?あ……サッちゃん?」


 自分に焦点が合うニナの瞳を見て幾分か安心するサツキ。


「ニナ……何があった?それにタスクはいないのか?」


 サツキの言葉を聞き、ニナはハッ!と再び今なお続く戦いへ視線を向ける。


「ニナ?」


「タスク……くん……」


「何を言っている?」


「あれ……タスク君なんだよ……」


 ニナの呟きにサツキは目を見開き、ソレを……“闇に染まる人型の何か”へ視線を移す。


「な、何を言っているんだ……ニナ……あれがタスクなわけが……」


 首を振り、下を向きながら両手で顔を覆うニナ。


「私だって信じられない!!魔王が来て、タスク君が負けそうになって……せめて一緒に……って思ったら……突然あんな姿になって……」


 ニナがこの状況で嘘を言うわけがなく、言っていることも雑然としているが、アレがタスクなのは間違いなさそうだった。


 もう一度タスクであるはずのモノを見る。


「タスク……お前……帰って……くるよな?」


 サツキの呟きはタスクに届くことはなかった。




 甲高く、それでいて重い音律が轟く。

 それは互いに引けぬ者達の魂の衝突。

 それは己の命を省みない守る者の覚悟の証。

 そしてそれは……この世界の命運を賭けた死闘の終幕への序章を告げる音色。





 弾き、弾かれる剣撃の応酬は佳境に入っていた。


 もはや闇そのものと化したタスクの一撃はそれまでの斬撃の数倍重く、鋭く、速い。


 それは魔王をもってしても守りに徹せねばならぬほどに……。


 ……ガキィン!!


「ぐぅっ……」


 互いの袈裟斬りが交錯し、押し合いになる。


 至近距離で睨み合う格好となるが、相手の表情は読み取れない。


「……?」


 だが、そこから微かに感じる懐かしい気配。


「……マルス?」


 それはもういないであろう弟の名。


 自分が王となり最初に踏みにじった罪の名。


 一瞬、身体が強ばり、隙を作ってしまう。


 それはこの場においては致命的な隙。


「しまっ……」


 均衡が崩れ、魔王の剣が右下払い退けられる。

 その衝撃で後ろへたたらを踏み……鳩尾に衝撃が走った。


 魔王はくの字になりながら吹き飛ばされ、背中から地面に落るとそのまま引きずられるように滑っていき、ようやく止まった。


「ぐっ……」


 すぐさま立ち上がろうと身体に力を籠める魔王。


 だが、強烈なモノだったとはいえたったの一撃を受けただけで魔王の身体は本人の言うことを聞かなくなっていた。


 よろける身体に鞭を打ち、剣を杖にして立ち上がる。

 ふらつき、緩慢な動きをする己の身体に舌打ちする。

 そして、みずからに起きたことを確認する。


 外傷はほぼない。

 ではなぜここまで消耗しているか……?


 その答えは纏っていた闇の衣が消え、剣の姿が元に戻っていることで推測できる。


(闇を……喰われた……?)


 魂術は本人の気力を駆使して使用する力。

 気力とは精神の持久力、削られ、無くなれば体力をも蝕む。


(魔の王たる我の闇を喰らうか……奴があの瞬間に“拒絶”したものはおそらく……)


 それを思い、魔王は苦笑と共に今だ動かずこちらを伺うタスクを見る。

 その視線に宿るのが嫉妬と羨望であることを誰かが気づくことはなかった。


(マルスよ……貴様は何を思い奴に力を託したのだろうな……)


「ふっ……今さら我がそれを考える資格などないか……なれば我は我の道を往くのみ……」


 再び魔王から闇が溢れ出す。

 だが先ほどとは違い、衣を纏わず全てを剣に集約した。


 光を透さず、揺らぐことすらない真っ直ぐと伸びる闇の刀身が顕現する。


 魔王は左足を一歩踏み出し、半身になりつつ腰を落とす。

 剣を顔の横に携える。


「我は魔王……冥道を往くは宿命……なれば全てを喰らおう……例え貴様が闇そのものであろうとも……それすら喰らい進むが我……」


 先ほどのダメージなど微塵も感じさせない魔王。

 威風堂々としたその姿は魔の象徴そのもの。


 張り詰める空気は「キリキリ」という幻聴を風に乗せ、決着の時が近いことを告げていた。




(限界が近いな……)


 魔王がゆっくり立ち上がるのを見つつ、タスクは思う。


 闇そのものになったタスク。


 驚くほどに身体は動き、感覚は鋭敏、意識もはっきりとしていた。


 しかしそれは一時的なもの。


 あと数分持てばいいといったところだ。


 闇の大半を喰われ、相手もほぼ致命的なダメージを負っているはず。

 が、それでも立ち上がり、己の魂を絞り出すように剣を創りあげ、それを構える魔王の姿はまさに圧巻だった。


(闇を纏わず……か)


 闇を纏わず闇に触れればその瞬間に死を迎える。


 それはまさに決死の覚悟。


 もはや表情すらないタスクだったが、自分の口元が緩んだような感覚を覚える。


(なんだろうな……この思いは……)


 死か勝利かの瀬戸際……。

 守るべき大切なモノ……そしてここまでに犠牲となった多くのコト。


 タスクはそれを思考に巡らせながらもなお不敵な笑みを心で浮かべる。


 変化が起こる。


 闇そのものとなっていたタスクから闇が引き、全てが右手に集まり、剣となった。


 正眼に構えるタスク。


 両者が浮かべる表情は同じモノだった。


 雲の切れ間から光の天幕が降り注ぎ、2人の戦士を照らしだす。


 神秘的でありどこまでも武骨な絵。


 だがそれは、どの絵師にも描かれることなく過ぎ去る一瞬の名画。


「「はぁああああああああああああ!!」」


 想いが咆哮となり、覚悟が剣に宿る。

 意思が身体を動かし、魂が敵へと叩きつけられる。


 そして……


 「カタン」と剣が落ち、膝を着くその姿は終幕を告げるラストシーン。






「タスク!!」

「タスク君!!」


 ニナとサツキは立ち尽くし、呆然と虚空を見つめるタスクへ走った。


 その反対側には俯せで倒れ伏している魔王。


 すれ違い様に斬撃を放ち合い、倒れたのは魔王だった。


 それは勝利を意味していたが、2人にはそれを喜ぶ余裕などない。


 今は戻っているが、先程まで闇そのものと化していたタスク。

 それを除いても怪我や戦いの消耗がある。


 勝ったとはいえ、タスクが無事である保証などどこにもないのだ。


 タスクに駆け寄った2人。


「無事か!?」


 サツキが肩に手を乗せる。


「!?……あ、あぁ……そうか……勝てたのか」


 振り向いたタスクは心ここにあらずといったところだが、ちゃんと意識を持ち、言葉も正常だった。


 それに少しの安堵を覚える2人。


「タスク君……肩の傷、早く手当てしないと!」


「あ……これか……いやそれは後だ。まだやるべきことがある」


 ニナの指摘を受け、怪我した部分に手を当てながら魔王の方へ歩き始めるタスク。


「そんなの後でいいでしょ!?」


 タスクの手を取り阻もうとするがタスクはその手を優しく振りほどく。


「ごめんニナ……でもどうしても今しなければならないんだ」


「え……?あ……うん」


 タスクの言葉に思わず従ってしまうニナ。


 ニナと同じくタスクの治療をしようと彼を止めようとしていたサツキも固まる。


 タスクの言葉と表情……それは最近の彼のモノとは全く違い、あの頃のような……優しさを含んだモノだったからだ。




 魔王の前で歩みを止める。


「起きるまでは出来ないだろうがこちらを向くぐらいならできるだろう?」


 その言葉を聞くと「くっ」という小さな呻き声をあげながら魔王は腕だけで仰向けに転がった。


 睨み合いになる両者。


 少しの沈黙の後、「ふん!」と鼻を鳴らしてから口を開く魔王。


「この期に及んで命ごいなどせん。さっさと殺せ」


 敗者となってもなお、その瞳に弱者の色は混じらない。


 タスクはそんな魔王に対し止めの一撃ではなく、静かに言葉を放つ。


「この決闘で賭けたのは互いの魂。あんたの魂は今、俺のモノとなった」


 その言葉に苦々しい表情を作る魔王。


「だからこそ、我の……」


 魔王の言葉をタスクは首を振って遮る。


「いや、あんたには頼みたいことがある」


 そしてそのままタスクはその場でゆっくりと両膝と両手を地面に着け、頭を下げる。


「!?」


「えっ?」


「なっ!?」


 タスク以外の三者がそれぞれ違えど同じく驚きの表情を浮かべる。


 しかしその先に続くタスクの言葉でさらにその場は混乱の坩堝と化す。


「戦争を……終わらせてくれ」


 それは懇願。

 勝者が敗者へ示す態度としてはありえない光景。


 しかしその願いはあまりにも法外。


 多くの人々が願いながらも諦めている泡沫の夢。


「……貴様は……」


「何をやってるんだタスク!!」


 土下座するタスクの肩に手を置き、止めさせようとするサツキ。


「この男が魔王であるならば、今ここでこいつを殺せば戦争は終わる。なぜわざわざ勝者であるお前がそんなことをする?」


 サツキは憎しみの篭った視線を魔王へ向け、タスクへ問う。


 魔軍に故郷を滅ぼされ、戦いの中で多くの仲間を魔族に殺されたサツキ。


 戦争だから……そう自分を納得させてきた彼女であってもその元凶とも言える存在を目の前にして、感情を抑えることが出来ずにいた。


「サツキ……それじゃ終わらないんだ……」


 頭を下げたままの態勢でタスクはサツキの問いに答える。


「なに?」


 タスクの肩に置いた手に自然と力が入る。


「魔王が死に、人族が勝利を宣言しても戦いは終わらない。人族は魔族を滅ぼすか、隷属させようと戦いは続く。魔族もそれに抗うために戦うだろう。結局、何も変わらない」


「だが!!」


「同じなんだっっ!!」


「!?」


「魔族にも家族がいて、友がいて恋人がいる!!悲しければ泣くし、嬉しかったら笑うんだ!!」


「……」


「サツキ……わかってくれとは言わない。だが、ここでの戦いは俺と魔王との決闘。そして勝者は俺だ」


 決着をどんな形にするかはタスク次第。


 暗にそう言われたサツキはその場で固まる。そこへ……


「サっちゃん……見届けよう?」


「ニナ?」


「ああなったタスク君を止めることって結局私達にはできないもん」


 呆れと諦めのこもった口調はあの頃の3人のやり取りを思い起こさせる。


「……」


 見つめ合うサツキとニナ。


「ふぅぅ……」


 懐かしさと共に結局はタスクの我儘に振り回されてしまうであろう自分に苦笑してしまう。


「そういえば、そうだったな……」


 サツキはタスクの肩にある手に一瞬力を籠め、そして離す。



 サツキがニナの横に立つのと同時に、そこまで沈黙していた魔王が口を開く。


「……わからんな。先程の貴様の台詞は人族だけでなく、魔族をも傷つけたくないと聞こえる」


「マルスは俺の友だ」


「……」


「あいつが死ぬ間際に俺に託したモノは自身の魂……そして願い」


「願い?」


「兄であるあんたに幸せになってほしいそうだ」


「っ!?」


「そのためにはまず平和を……」


「ありえんっっ」


 それは慟哭。 


「そんなことがあるはずがない!!」


 肘をつき、震える上半身をゆっくりと持ち上げながら魔王は叫ぶ。


「我が奴にどれほどの仕打ちをしたと思っている!?全てだ!!全てを奪ったのだぞ!?」


 その怒りはタスクに向けてのものではなかった。


「踏みにじり、打ち捨てたのだ!!」


 その瞳に写る悲しみを誰が推し量れるだろうか。


 恨まれて当然……いや、恨まれることを望んでいるかのように魔王は怒声を放つ。


 だが、タスクはひるまない。魔王の目を真っ直ぐと見据え、そして口角を少し上げながら答えた。


「感謝こそすれ、恨むなど到底できないさ」


「!?」


 息を呑む……目の前の人族の男に弟の面影が重なった……。


「魔王という地位に未練なんてこれっぽっちもなかった。そんなものより僕は外の世界が見たかった。だからあの城から……あの国から追放された時、歓喜に打ち震えたよ。例え、病に身体を蝕まれ、数年と生きられなくても。兄さん……あなたが僕の兄でいてくれて、本当によかった。だから、あなたには幸せになってほしい」


 タスクの言葉を聞き、魔王はそれでも何かを言おうとタスクを睨み付け口を開いた。


「……っっ!!くっ……」


 だがその口から言葉は出ず、魔王は歯を食いしばった。そして、目を瞑り、涙を流す。


「戦争を終わらせてくれ……マルスだけじゃない。誰もが望んでいることだ。今はまだ難しいことかもしれない。だが、俺とマルスがそうであるように、人と魔が手を取り合うことができる世が必ずくるはずだ。あんたならそれができるはずだ」


「……」


 下を向き、沈黙する魔王にタスクは頭を下げ、額を地面に着ける。


「頼む」


 ドサッと何かが地面に落ちる音がした。


 タスクが音のするほうを見ると魔王が大の字になって目の辺りを手で抑えていた。


 そして……


「ふっ……どのみち我は貴様に負けた。我の魂は貴様のもの。貴様の望むようにするのが道理だ」


 魔王の口元からはため息と、ほんの少しの微笑みが漏れていた。






「ありがとう」


 タスクはそう魔王に言って立ち上がる。その表情には一つの目標を達した者の清々しさがあったが、まだ緊張が完全に取り除かれてはいなかった。


「ニナ、サツキ来てくれ」


「「?」」


 タスクはその場で二人を呼ぶ。呼ばれた二人は戸惑いを表情に張り付けてタスクに近づいてきた。


「タスク君……」

「タスク……」


「二人に頼みがある」


「え?」


 二人の戸惑いや疑問に一切答えず、タスクは話を進める。


「ここで起こったことは魔王の襲撃に合いそれに対してサツキとニナが協力して戦った。その結果は相討ち。そしてそこで魔王と話し合うことができ、戦争の終結を約束してお互い自陣に戻った……」


 いきなり始まったその筋書に二人は同時に呆け、そしてゆっくりと疑問が押し寄せてくる。


「えっ?」

「タスク?何を言っているんだ?」


「いいから聞け。時間がないんだ」


 二人の戸惑いを無視し、なおも話を続けようとするタスク。


「そんなわけにいくか!お前が言っていることの1から10までわからないんだぞ!!」


 サツキがタスクに詰め寄る。それを止めず、ニナもタスクを責めるように見つめた。


「わかるように話せ!!お前は何をするつもりなんだ!」


 詰め寄られても決して目を逸らさずにサツキの目を見ていたタスクが張りつめていた空気を吐き出すかのように嘆息する。


「はぁ……わかった。ってかそりゃそうだよな……俺も少し焦りすぎてた。すまん、聞いてくれ」


 その言葉に多少の安堵を得たサツキは後ろに下がり、ニナの隣に立つ。だがその表情はまだ硬い。ニナも同様だ。


「俺は戦争を終わらせたい。それも人と魔、どちらか一方の勝利ではない両方が生き残る形でだ」


「「……」」


 タスクの願いは先ほどの魔王との会話で予測できていたが、改めて言葉にされることでやはり戸惑ってしまう二人。

 人族と魔族との戦争の歴史を……いや、二人の過去だけを見てもそう簡単に納得できる内容ではないのだ。

 他でもないタスクの言葉であるからこそ、二人は聞く姿勢を保てている。だからこそ……


「サツキ、例えばこのままニナの力を使って戦争に勝利したとして、その後ニナはどうなる?」


 タスクの質問は戸惑いをさらに深く、困惑にさせた。


「?……それは、人族の救世主として……」


「政争の道具か……もしくは魔族の残党狩りのためのたんなる兵器として扱われ、使い潰される……」


「……」


 ニナの表情は硬いまま動かず、だが目に若干の諦観が混じっているのをタスクは見逃さなかった。


「っ!?……ありえない話でもないな……今の人族に余裕はない……」


 そんなニナの目を一瞬見つめ、タスクはサツキに視線を向ける。


「ニナを守るためには近くに信頼できる人間がいなきゃならない。つまりお前だサツキ」


「なっ……いや、そうなるのか」


「それには肩書が必要だ。つまり、この戦争を救世主と共に終わらせた英雄が」


「……なるほど……だが、そこにお前がいないのはなぜだ」


「お前は正規の軍人で俺はただの傭兵だ。それに仲間の覚えも悪い。あわよく英雄となれてもニナの側にいれるような役職はもらえないだろう」


 苦笑いを浮かべながらため息をつくタスク。


「ニナが言えばなんとかなるんじゃないのか?」


「お前までならな。俺は無理だ。なんせ“狂鬼”だからな」


 サツキは拳を握る。その異名は同じ現場の兵士からすれば決して悪名ではないのだ。その名はより多くの敵を屠り、仲間を守った勇者の証でもあるのだから……。彼に憧れる若者もいるし、できれば酒を飲み交わしたいと照れ笑いするベテランもいるのだ。


 しかしそれを上は許容しないだろう……。血に飢えた下賤な獣……彼をそう呼んだ上司の顔が浮かび、握った拳が震える。


「……」


 背中を丸めたサツキの肩に手をゆっくりと乗せ、寄り添うように身を近づけるニナ。


 ニナに顔を向け、一度タスクを見ると「ふぅぅ」と深呼吸をする。


 そんなサツキに「ありがとな」と口元を緩めて言うタスク。


 それに対し顔をほんのり赤くさせたサツキは顔を背け、話の続きを促す。


 ニナはその優しい時間がたまらなく嬉しかった。あの頃の三人のようで、とても……とても……。



 不毛の大地に風が吹く。


「魔族を滅ぼさないことがニナを救うことになる」


「どういうことだ?」


「魔族を打ち倒すにはニナが必要だ。だが、魔王にはニナの力が効かない。そして、魔王に水鏡が付いている以上今日のようなことが起こる。魔王の闇ははっきり言って殺人という面で言えば最強だ。対抗できるのは俺ぐらいだからな。その魔王を抑えられるのがサツキだけだとしたら……」


「私はニナの側に常にいることになるだろうな」


「ああ、そしてお前たち二人を丁重に扱わなければ、魔族の脅威から常に晒されることになる」


「ふむ、そして我々が魔族との終戦とそして調和を唱えれば戦争を続けることもままならない……か」


「そうだ。魔族を抑えるのと同時に人族をも抑えることができる。元々すでに各国とも戦争を続けられるような状態じゃない。魔王が協力してくれれば勝率の高い賭けだといえる」


「救世主と魔王が協力か……だが、ニナを守るためにはそれが一番いいのかもしれないな」


 サツキにとって魔族を打ち倒すことは絶対の目標だった。だが、その行く末がニナの破滅だとしたら、タスクの提案にも頷けた。魔族は憎いが、人族の上層部に一矢報いるのもまた面白いとさえ思う自分もいた。


「我にその三文芝居に付き合えというのか?」


 それまで静観していた魔王が話の終息を感じ、割って入ってくる。


 タスクは魔王へ向き


「ははは、三文芝居か。確かにな。だがそれで多くの魔族と人族が救える。もう町ごと市民が消えるなんてこともなくなる。今はお互いの恨みが深いが、ここを出発点として時間をかけて平和を作り上げていけば、それも風化する。やるんだ……ここから」


 最後は自分に言い聞かせるように小さく強く……。


「ふん、我からすれば貴様の我儘を貫き通しているだけにしかみえんがな」


 それを聞き、タスクは口をニヤリとさせる。 


「はっ!うっせぇよ。それの何が悪い」


 それは悪童のように、そして小憎らしく手のかかる弟のように。


「くっ……くく……はーっはっはっは」


 ひとしきり高笑いをあげた魔王はゆっくりと立ち上がりタスクを見据える。


「よかろう我も全力で役者を演じてやろう。我が弟の我儘であれば仕方あるまい」


 魔王へ頷き。


「サツキ、ニナも納得してくれるか?」


 サツキはため息を吐きながら薄く笑顔を浮かべつつ


「まぁーそこまで言われてしまっては仕方ないな」


 と納得の意を伝える。だが 


「……」


 勿忘草色の瞳は頑なだった。


「ニナ?」


「タスク君、何か隠してる」


 ニナの表情は真剣で。


「……」


 それに一瞬、沈黙するタスク。


「……?タスク?」


 それにサツキも眉をひそめる。


「俺が何を隠してると思ってるんだ?」


「わからない。だけど、タスク君が何かを隠してることはわかる」


「……」 


 ニナの言葉にサツキも無言で問いかけてくる。


 二人の視線を受け止め、タスクは口を開こうとするが


「……私たちが救世主と英雄になるとして、タスク君はその後どうするの?」


 ニナのさらなる問いかけがそれを遮る。その声音にはタスクの答えに怯えているかのような響きがのっている。


「俺は……もちろんお前達と共にいるさ。まぁ~陰ながらになるだろうがな」


「……。ホント?私たちを置いてったりしない?」


「……」


 致命的な間の沈黙を作ってしまうタスクに、ニナとサツキが同時に責めるような視線を向ける。


 それに耐えられず何かを言いかけ、そしてまた目を逸らし再びの沈黙……そして。


「…………はぁ~~~~~~~~~」


 タスクは盛大に息を吐きつつ下を向き、頭をガシガシ掻くと「やっぱ敵わないな」とニナとサツキへもう一度向き直る。


「身体が結構ボロボロなんだ。何気に無茶させてきたからな。だから、ちょっと休む必要がある。その間お前達の側にいてやれないんだ」


 ニナとサツキはその言葉に一瞬凍りつく。

 あれだけの戦闘を繰り広げたのだから当然といえば当然だった。それに今回の決闘以前に戦場でも結構な無茶をしていたわけであるから、肩の怪我以外にもあちこちガタがきていると考えてもおかしくない。


 ニナとサツキは悲痛の表情を浮かべる。それに対しタスクは


「あんまり気にするな。いつものことだろ?」


「気にするわ!!」

「気にするよバカ!!」


「……すまん」


 さすがに2人の瞳に涙が溜められた状態で責められては謝るしかない。




 二人が落ち着いたところで話が元に戻る。


「しかし、それをなぜ隠した」


「隠したというか言いにくかったんだ。なんせこれだけのことをお前達にさせておきながら、俺は田舎で療養だ。どの面下げて言える」


 バツの悪そうな苦笑いを浮かべる。


 ニナが口を開きかけ、タスクは手のひらを向けてそれを静止し、今度は二人を安心させるように柔らかく笑う。


「俺はどこにもいかないさ。いつでも、お前達二人の側にいる。だから、お願いだ。この戦争を終わらすのに協力してくれないか?」


 それはいつもの……あの頃のタスクの表情だった。だから、ニナは二度と失いたくないと強く思った。


「わかった……。でも、一つ約束して?」


「?」


「勝手にいなくならないで。そして、3人共幸せになるの」


 ニナは至って真剣な顔つきで2人をそれぞれ見ながら言った。


「「……」」


 キョトンする2人……そして3人の周りに故郷でよく吹いていた風の香りが通り抜けた。


「ふっ」


「ははっ」


「ふふふっ」


 それは再会を喜ぶように。

 そしてこれからを共に歩める喜びを分かち合うように。

 3人の幼馴染はあの頃のように笑顔を向け合った。

 


 こうして、永きに渡り繰り広げられた人魔大戦は終結を迎える。





***






「タスク、今さらだが、ホントにいいのか?これで」


「……お前、ホントに今さらだな。もしかして怖気づいたのか?」


「はぁ……まぁ、後始末のこと考えると憂鬱になるのは確かだな……特にあの二人のことを考えると本気でお前を止めたくなる」


「ははは、まぁ~そこはすまないと思ってるさ。だから、一応これを渡しておく」


「これは?」


「まぁ~気休めくらいにはなるお助けアイテムってところか」


「ふ~ん……ならありがたく使わせてもらうかね」


「お、そろそろだな」


「やるしかないか……」


「最後まで頼むぜ、相棒」


「……ちっ……お前はホント、最後まで世話の焼けるの奴だよ。まぁ~でも晴れの舞台だし、思いっきり派手にぶちかましますかね」


「よしよしその意気だ。じゃ、行くぞ!!」


「へいへ~い」




 空は快晴、雲一つ割り込まない澄み渡る蒼。

 ポツンと燃ゆる太陽から降り注ぐ光が平原の緑をより鮮やかに見せている。

 駆ける風はこもりそうになる熱をいい具合に流しながら、そこに集まる大勢の人族と魔族の間を巡り巡る。

 

 “あの日”から1年。

 今日、歴史が変わる。


 ここに至るまで様々な困難があった。

 いかに救世主であろうとも所詮は平民の小娘。彼女の訴えが素直に通るわけもなくそれこそ「救世主が魔人と化してしまった」などと嘯く輩まで現れた。


 しかし、それでも彼女は救世主だった。


 彼女の言葉に耳を傾け、味方になってくれる人も段々と現れ、それらが集まり言葉に力が宿った。

 そして魔王が非常に協力的であったのも追い風となった。

 秘術である闇の魂術すら惜しげもなく説得の材料にし、政治的折衝においても柔軟に、粘り強く対応した。


 そういった経緯を経て、新たに決められた人と魔の領域線上で講和条約が結ばれることになった。





「ようやく実を結んだな」


 そう話しかけるのは新たに設立された特衛隊の隊長であるサツキ。

 特衛隊とは、救世主の警護を担う隊。

 この1年で彼女は“英雄”となり、その隊長に収まっていた。

 白い軍服に所々に細やかな意匠がこらされた白銀の軽鎧を身に着け、腰にある剣の鍔に手を添えながら立つ彼女の麗姿は張りぼてのソレと知ってても彼女に英雄の風格を与えている。


「うん、やっとこの日がきてくれた」


 全身を包む白のローブと帽子には随所に彼女の髪や瞳と同じ勿忘草色の文様が入っており、それらが腰まで伸びる髪と共に風に揺れる姿は、清楚や清廉といった言葉がそのまま現出したようにさえ感じさせる。巷ではもはや女神などと称えられることすらしばしばあるくらいだ。


 長いようで短かったこの1年。

 戦場とはまた違った戦いを強いられた。

 戦い方すらわからない二人に向けられた様々な悪意。

 それに耐えられたのは二人が常に一緒に居れたこと、そしてタスクと3人で平和な日常を送れる未来を信じれたからだった。


 今日、無事に調印が終わればニナとサツキは表舞台に立つ必要がなくなる。

 むしろ無駄に権力を持ったこの二人は今後の人族の世に無用な混乱を招く可能性すらある。

 だからこそ二人は決めている。


 故郷に帰ろう。


 無くなってしまった故郷の町を復興させよう。

 タスクはまた冒険に出てしまうかもしれないが、彼がいつでも帰ってこれる場所を作ろう。


 二人で話し合った結果、そうなった。


「ふふふ」


 救世主や女神ではなく、自然な彼女の笑みがこぼれる。


「ニナ、まだ終わってないぞ?油断するな」


 戒めはするが、サツキの表情も随分柔らかい。


「ごめん、うん、そうだよね」

 

 下を向き、深呼吸をする。


「よし、最後の大仕事、がんばりますか」


 瞳に力がこもり、自然体だが、どこか厳かな雰囲気を纏うニナ。

 

 この1年で随分と救世主らしくなったものだ。とサツキは苦笑を浮かべながら思う。


「では、行こうか、最後の舞台へ」






「人族代表、ライレン・コメック・ステラデウス」


「うむ」


 ニナの呼びかけに応じ、人族の陣営から初老の男が領域線上に置かれたテーブルの前に4人の護衛を率いて歩いて来た。


「魔族代表、ガイラス・タリエント・アビス」


「うむ」


 対する魔王は一人で、テーブルの前に着く。


 ニナは両者を1回ずつ見てから


「では講和条約について確認します」


 告げ、条文を読み上げる。


「第1条、この条約に両種族の代表者による署名が為された時をもって人と魔による戦争状態を終了することとする。第2条、人と魔は今後……」


 条文の第一条がニナによって読まれた瞬間、それまでどこか雑多で落ち着かない雰囲気だったその場に戦争が終わるという事実が浸透した。

 人も魔も軍人だけでなく、民間人まで多くの者が風の魂術が封じ込まれた術具で拡声されたニナの声を聞いていた。

 不思議と場は静まりかえった。滔々と条文を読むニナのその声だけが場を支配していた。

 怒りも悲しみも憎しみも安堵も、全てを内包した静寂。


「……以上です。何か異議はありますか?」


「「ない」」


「では、署名をお願いします」


 装本された条約が2冊。


 それぞれに両者の署名がなされる。


 張りつめる緊張が最高潮を向かえる。誰もが無言、その作業の音だけが流れ。それが止む。


 「コト」と両者がペンを置いた。


 そこかしこからため息が漏れ……そして




「ぎゃああああああああああああああ」


 弛緩した空気を突然の悲鳴が切り裂いた。


「えっ?」


 思わず零れるニナの声。


「はぎゃあああああああああああああ」


「な、なんだ!?」


 ステラデウスが狼狽しつつ周りを見渡す、護衛が陣形を取る。


「がぁああああああああああああああ」


「……」


 魔王も剣の柄に手をかける。


「ニナ、人族の陣営に襲撃があったようだ」


 特衛隊がニナを囲み、サツキが現状をニナに伝える。


「講和反対派?」


「わからん」

 

 襲撃は軍・政府関係者の集まる区画に対して行われているようで、そこを中心として怒号や悲鳴、そして剣戟の音が聞こえてくる。

 風に血の匂いが混じり始めており、死傷者が出ていることが間違いなさそうだ。


「まずいな……このままでは民間人にまで犠牲者が」


 最悪、今回の講和自体が危ういものになってしまうかもしれないこの事態に焦るサツキ。


「許せない」


「え?」


 突如ニナが自分を囲んでいた特衛隊の隙間を抜け、人族の陣営に向かって駆け出す。


「待て!!」


 サツキが追う。


「うわぁぁぁぁぁぁあああああ!!」


 ニナが向かう区画で一際大きな糾合が響いた。


 同時にその辺りから黒い影が跳びあがり、ニナの目の前で着地した。


 立ち止まるニナ。その影が立ち上がり……。


「え……?」


 口元を両手で押さえ、目はこれ以上ないほどに見開かれるニナ。


「なっ!?」


 ニナに追いついたサツキもその影の正体に驚愕を隠せなかった。


「タスクくん?」

「タスク?」


 そう、影の正体はタスクであった。

 彼の右手に握られた剣には血が滴っている。


「なっ……え?……ど、どういうこと?」


 今起こっていることが何一つ理解できないニナ。

 それはサツキも同じでその場に立ち止まり、タスクを見ることしかできないでいる。


「聞けぇえええええええええええええええええええええええ!!」


 タスクが剣を掲げて叫びあげる。


 その気迫はそれまで混乱の坩堝と化していた場を呑みこみ、喧噪を静寂に変えた。


「俺は講和なんぞ認めない!!!」


「えっ!?」

「なっ!?」


「足りない!!全然足りない!!俺は殺したりない!!!」


 剣を振り回し喚き散らす。


「俺の故郷を滅ぼした魔族と手を取り合うなんぞ虫唾が走る!!」


 目は血走り、その姿はまさに狂鬼。


「救世主、英雄……お前達が元凶だな?」


 切っ先をニナに向け、殺気を孕んだ視線をぶつける。


「!?」


「タスク!!何のつもりだ!?」


 サツキと特衛隊が抜剣し、ニナの前に出ようとする。


「烈風!!」


「なっ?!!!」


 特衛隊を襲う風圧が彼女たちを後ろへ吹き飛ばす。  


「死ねぇえええええええええ」


 ニナに斬りかかるタスク。 


 あの日の焼き直しのような光景。だがその配役はあの日の真逆で。


「え?」


 タスクの斬撃からニナを守ったのは魔王だった。


 拮抗する押し合い。にらみ合う二人。そして魔王は口を開く


「もはや講和は為された。貴様の行為は無意味だ」


「ここでお前らを皆殺しにすればいい!!」


「それを我が許すと思うか?」


「はっ、薄汚い魔族が!!ぶっ殺してやるよ!!」


 タスクがその場を蹴って後ろに跳び、着地と共に剣を構える。


 あの日と同じその2人の対峙にニナは焦った。 


「ま、待って!!」


 あの日の焼き直しであるのならば、その結末は……。


「だめぇええええええええええええええ」


 ニナの制止の声を振り切り、両者が動き……そして……。






 両膝を着き、同時に手から剣が零れ落ちる。


 痛みはないが、意識がぼんやりとし、はっきりしない。


 だが、後悔はない。


――あいつらはもう十分傷ついた……。


――だから、これからは……


――あいつらが幸せに……笑いながら生きれる世を……。





 目の前で崩れ落ちるタスク。


「あぁ……そんな……なんで……」


 それを見てニナはついには座り込み、力なくつぶやいた。


 しかし周囲の人族は違った。


「魔王が救世主様を守った……?」


 その言葉が波紋のように周りへ広がっていく。


 茫然としているニナの前で魔王が勢いよく剣を天上に向ける。


「我ら魔族は平和を求める!!人族よ、共に生きよう!!!」


 その姿は神々しく。そしてその宣言は決定的だった。


「「オオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ」」


 人も魔もその瞬間に酔いしれた。講和が果たされたその瞬間に。




「タスク!!!」


 サツキがタスクに向かって走る。


「待て!!!」


 それを左手が遮った。


「水鏡!?」


 表情は見えないが、声は周りに聞こえないよう静かであの時と違って硬い。


「今は行くな」


「どけ!!!」


 それを無理やり跳ね除けようとするサツキ 


「タスクの行為を無駄にする気か!?」


「なっ……え?」


 それに一瞬怯み、そして戸惑う。


「おい!そこの狂人を片付けろ」


 どこまでも感情を読み取らせない声で水鏡は近くにいた人型の魔族に指示を出す。


「はっ!」


「戦姫、救世主を連れてこい。事情は話す。タスクはこちらのテントで寝かせる」


「……わかった」


 渋々だが納得するサツキ。水鏡とはこの1年で何度か顔を合わせており、ある程度の信用はできると思っているからだ。



「こっちだ」


 ヨロヨロと歩くニナを支えながら水鏡の後を歩くサツキ。

 特衛隊は何人かに負傷者が出たため、治療のため待機させてある。


「あいつの魂と身体は“あの日”すでに限界に達してた」


「「えっ?」」


 知らない事実が二人に突き刺さる。 


「それを無理やり気力だけで今日までもたせてたんだ」


「そ、そんな……」


 声が震えるニナ。 


「そして、今日、あいつは自分の願いの最後の仕上げにかかった」


「願い?」


 同じく震える声で問うサツキ。


「あいつの願いは、お前達二人が平和な世で幸せに生きること」


 それはあまりにも2人の心を無視した願いだった。


「人族の救世主と英雄を狂鬼から魔王が守る。この三文芝居は講和をより目に見える形にできる」


 水鏡は一つため息を吐き


「タスクはそう考えたみたいだな」


 円形で大型のテントの前に着く。  


「酷なようだが、あいつはもう助からない。俺にできることは別れの場を作ったやることだけだ」


 そう言い、入り口の布を開く水鏡。


「入れ、あとは任せる。お前達も出ろ」


「はっ」


 先ほどの魔族が外に出る。


 強張った表情でテントに入る2人は簡易ベッドに横たわるタスクを見た瞬間、弾かれたように走り寄った。


「タスク君!!」

「タスク!!」


 その声を聞き、目を開けるタスク。


「ちっ、あいつ、余計なマネを……」


 忌々しそうに顔をしかめるタスク。


 そんなタスクのセリフは二人に届かず、彼の容態を見て彼女たちは絶句していた。


「バカ野郎……」


 サツキが怒りと悲しみをない交ぜにしたような表情と声でタスクを責める。


 タスクの身体には袈裟掛けに斬撃を浴びた後があったがそこから血は出ておらず、服の下から見えるのは人の肌ではなく、闇が詰まっていた。


 タスクの横で膝を着き、両手で彼の左手を握るニナは、言葉が詰まり、ただ泣くことしかできないでいる。


「はは、サツキ、お前はさ、なかなかに美人なんだから、その男勝りな口調をどうにかしろよな」


「ニナ、お前はいつまでたっても泣き虫だなぁ……。少しはサツキを見習えよ」


 ニナが涙声で叫ぶ。


「約束したじゃない!!!勝手にいなくならないって!!3人共幸せになるって!!」


 ゆっくりとタスクは言葉を紡ぐ


「あぁ……そうだったなぁ……ごめんな。でもま、約束はちゃんと守るさ」


 タスクの笑顔はどこまでも安らかだった 


「俺はいつだってお前達と共にいる……。だから、お前達が幸せになることが俺にとっての幸せだ」


 ニナの両手に力が籠る。


「そんなのずるい……そんなこと言われたら……」


 サツキの頬を伝う一筋の涙。


「いつだってそうだ……お前は勝手でわがままで……私たちはいつもお前に振り回される」


 ニィっと意地の悪い笑みを浮かべるタスク。


「悪いな。だけどそれが俺だってこともわかってるだろ?」


 サツキがそれに怒りの言葉を向けようとした時


「くっ」


 タスクの身体が一瞬跳ね、顔が苦し気に歪む。


「タスク君!!」


「はぁ……そろそろ行く……かな」


 その表情はタスクが冒険者になって初めての仕事に出かける時にしていたモノと同じだった。


 ニナは顔を左右に振り、必死でそれを拒絶する。


「やだよ!!行かないで!!」


 サツキがニナの隣で膝立ちになり、繋がった二人の手を両手でさらに包むように握る。


「行くな!!私たちを置いていくな!!」


 二人の哀願にタスクは苦笑いし


「バーカ、言ったろ?いつも一緒だ」


 泣き叫ぶ2人。


「だから、幸せに……なれ……よ」




 今日、世界が平和になり、3人は2人になった。


 





***






「やっぱり、ここに来ちゃうと泣いちゃうな」


「ここには3人しかいない。たまにはいいんじゃないか?」





 小高い丘に小さなお墓があった。


 ヒューヒューと吹く風が手向けられた花束を揺らし、花びらが舞う。


 そこに立つのは二人の女性。


 2人は無言で立っていた。

 

 同じ首飾りを着け、それに手を添えている。


 泣きそうな顔をし、それでも微笑んでいた。



 人魔大戦終結から10年、その平和は今なお続いている。


 戦争終結に大きく貢献した救世主と英雄、そして魔王と呼ばれた3人の名はこの先もずっと多くの人々の間で語り継がれるだろう。そして、平和を妨げようとする者を狂鬼と呼び忌み嫌うだろう……。

 しかし、彼女たち3人は心に刻み込んでいる……彼こそがこの平和を築いたのだと……彼こそが真の……。













 






 





 


 




 



 


 




 


  





 


  



  

 








 



読んでいただきありがとうございます。

連載小説の方は今ちょっと止まっております……書いては消し……書いては消ししちゃっているのが現状です。待っていただいている方々には大変申し訳なく思っておりますが、もう少しお待ちいただければと思います。

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