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小さな恋話

 両手を精一杯広げて体の前に抱えた大きな籠の中一杯の芋は今日の夜の城の夕餉で全て消費されるはずのものだった。まだ未成熟の程よく肉のついた白い腕は、その重みに、赤く色を変えていた。視界を遮るほどの量の芋に歩く事も自由が利かない。

 注意深く、その重さを支えるように足を交互に踏み出して、不安定に段差を下りて、目的の場所まで到達すると、セラはようやく苦行から解放されるといった面持ちで、腰を折り曲げて籠を床に下ろした。

 その衝撃で地面が微かに振動して、調理場の裏口の、石畳の階段に座り込んで芋の皮をむいていたロフは顔を上げた。

 「まだあるのか」

 「これで最後だよ」

 「その前ので既に最後だと思ってたよ」

 恨みがましく言う調理場見習いの青年にあきらめろというように肩を竦めて見せて、セラはその隣に腰を下ろした。

 なんだよ、と面倒くさそうに見下ろすロフを、勝気な瞳でひとにらみして文句を封じて、重労働で疲れた腕と足とをひと休めする。ロフはひとつため息をついて、右手のナイフを握りなおして、また芋をむく行為を再会した。

 「なんでこんな量なの。今日は」

 器用にくるくると芋の皮をむいていくロフの指を感心したように見ながら、セラはその問いかけに軽く首をかしげた。

 「確か、お姫様の婚礼相手が顔見せに来るんじゃなかった?」

 「お食事会? それならこんなに芋ばっか向かせてないでもっといいもんいっぱい出せよ」

 「付け合せの量でさえその多さなんだから、主菜の量の推して知るべし、でしょ。さっき厨房の中通ってきたけど、すごい騒ぎよ」

 「本当に? 朝からずっとここ座って芋剥いてたから全然気づかなかった」

 「あんたなんかトロいからあんなとこ居たら跳ね飛ばされて怒鳴られて大変よ」

 「失礼な。これでも料理人見習いなんだけど」

 「もしかしたら芋剥きプロくらいにはなれるかもね」

 「返す返す失礼な」

 不満げに呟くロフの剥いた芋の一つを手に取りながら、セラは軽く笑った。ひとつ年下のこの青年は、入ってきたばかりのときは芋の皮ひとつも剥けないで、いびつな形の芋を料理人たちに罵られていたのに、いつの間にか随分と綺麗にそれをするようになった。

 それを、誉められたって事にさえ気づかない単純さが可愛いと思う。

 「お姫様って、可愛いの?」

 「見たことないの?」

 「あるわけないよ。俺みたいな見習い、機会がないよ」

 「見ようとしたことは?」

 「ある。殴られた」

 「流石」

 「でも、噂はよく聞くな。いろんな人から実によく聞く」

 「へえ」

 「主にまとめると変人の類って話だな」

 「だれから聞いたのそんな噂」

 「大概みんなそう言うよ。でも、それで顔がせめて可愛かったら救われるかなって」

 「誰が救われんのよ」

 「お姫様が」

 「お姫様だってきっとあんたにそんな心配して欲しいとは思ってないと思うんだけど」

 剥かれた芋はセラの座っているのと反対側のロフの隣に置いてある桶につぎつぎと溜まっていく。それが一杯になったら自主休憩を切り上げて、自分も仕事に戻ろうと、セラは内心で決めた。

 「セラは見たことあるんだ?」

 「お城、長いしね」

 「可愛い?」

 二度目の質問に、セラは少し不愉快そうに鼻を鳴らした。

 「まだそこにこだわるの」

 「そりゃあ」

 「どうせもうすぐお嫁に行くのに」

 「それはそれ」

 「どうせ可愛くたって可愛くなくたって、ロフには関係ないことじゃない?」

 「……焦らすね」

 「普通、かな」

 セラが面倒くさそうに、一番知りたそうな質問に答えてやると、ロフはちょっと拍子抜けした顔をした。

 「普通?」

 「普通。好み次第じゃない?」

 「俺の好みかな?」

 「私、あんたの好み知らないし」

 「あ、そお?」

 「知るわけないって」

 苦笑して、セラは立ち上がった。桶の中の芋はもう一つくらいで丁度いっぱいだから、今剥かれているそれが終わったら仕事に戻りついでにその桶も持って行ってやろうかと、桶の方に行ってその取っ手を両手で掴む。

 「お、持ってってくれんの?」

 「ついでだしね」

 「ありがと」

 ころん、と最後の一つが桶に収まったので、それをよいしょと持ち上げようとしたところで、うーん、とロフが唸った。

 「何?」

 「俺ね、結構セラとか好みだよ」

 「は?」

 「好みの話」

 「…それはどうも」

 セラは桶の取っ手を尚掴んだまま、それを持ち上げるタイミングを逸して、中腰のままの姿勢で答えた。

 「で、どう?」

 「何が?」

 「その好みによると、お姫様、可愛い?」

 まだその話、とセラは呆れたように言って、それから改めてよいしょ、と桶を持ち上げた。

 「結構いいセン行ってるんじゃない?」

 「マジで!?」

 何故だか嬉しそうな声を背後に聞きながら、セラはもう桶を抱えてよろよろと歩き出していた。

 (変人、ねぇ……)

 頭の中で先ほどの会話を反芻して。

 (一理あるっちゃぁあるかなぁ?)


 「王子!」

 引きつった声が聞こえて、ロフはまたもや芋から目を離して顔を上げると、煌びやかな服装の中年の男が、顔を青ざめさせて、かつ引きつらせてロフの目の前に立っていた。

 「ああ。久しぶりー」

 ロフがにっこりと笑って芋を置いて手を洗うと、男は癇癪を起こす一歩手前といった面持ちで顔を赤くさせたり青くさせたりした。

 「もうすぐ、会食が始まってしまいます! こんな時まで一体何を」

 「いや、最後の最後までお姫様の姿を一目見れないかなーって粘ってたんだけど、やっぱ上手くjはいかないねえ。全然駄目だ」

 「こんなところで粘っていなくても、あと少しすれば会食の間でお目にかかれますよ! あなたの婚約者殿として」

 「着飾って取り澄ましたお嬢さん見て、何が分かるっていうんだか」

 「つべこべ言ってないで、早くいらしてください」

 男は乱暴にロフの手首を掴むと、引き摺るようにしてその場を連れ出そうとする。

 「ああ駄目駄目。もし俺を連れて行くんだとしたら、代わりの芋剥きの者を連れてきてくれなくちゃあ。会食の料理が出来なくて料理人連中が叱られたら可哀想だ」

 「そんな事言ってる場合ですか」

 「お前が代わりに芋を剥くっていうんならいいけど。それか、代わりの者を連れてくるまで俺はここを動かないよ」

 ロフがどんとその場に腰を下ろしてしまったのを見て、男は更に顔を赤くして、それから怒鳴りかけた言葉を辛うじて封じ込めて、きびすを返してとにかく誰か、芋が剥ける人物を探しに向かった。

 ロフはちょっと苦笑して、それからまたナイフを握りなおす。

 「婚約者の下見」と称して、身分を隠し、料理人見習いとしてこの城に入ってから聞いた、未来の自分の妃となる人の噂をあれこれと思い浮かべながら、口笛を吹いて、手はするすると芋を剥いていく。

 庭の大木の上から、布を手足に結び付けて飛び降りて大怪我したり、こっそりと調理場に忍び込んで父である王の食事に笑いの止まらなくなる木の実を入れたり、城の優秀な番犬と本気の大喧嘩をして、最終的には自分の馬代わりとしたりと、幼い頃から一種の「伝説」が耐えなかった事。

 現在も引き続き、変わり者で愉快でお転婆な姫君らしい。

 (それで、顔さえ好みだったらば、大変俺の好みなのに)

 ロフはそう考えて、一瞬頭に浮かんできたセラの面影を気づかなかったフリをして、芋を剥き続けた。

 

 「姫様!」

 桶を調理場において、一息ついたところに、血相を変えた教育係の初老の女性が駆けて来たので、セラは軽く舌を出した。

 「見つかっちゃった」

 「こんなところで何をなさっているのですか! こんなところで一体何を」

 「あはは。ごめんなさい、今行くわ」

 セラは軽快に笑って自室に向かって歩き出す。

 「ああ! もう、こんな汚い格好で。髪だってそんな……会食が始まるまで、もうそんなに時間がないんですよ! 本当に、一体何をなさっていたんですか」

 部屋に向かいながらも、女性の小言は尽きない。

 「えっと、未来の旦那様の下見を」

 「はぁ!?」

 「なんでもないです」

 女性の癇癪寸前の反応に、セラは大人しく黙る事にした。

 心の中で、調理場の前に座って芋を剥く青年の姿を思い浮かべて。

 (身分をやつして私を下見、だなんて生意気)

 さて、騙しているつもりが騙されていたのは自分だと知った時、彼はどんな顔をするだろう?

 それを想像して、セラは口元を少し緩めた。

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