009 襲来
そういえば、要が晴れ女では無くなったと信じて貰えるかどうかという問題も残っていたのだったか、と山道を下りながら孝洋は思い返した。
流れ者が何か言った所で、これで枕を高くして眠れるぞ、などと里人が安心してくれるはずもない。
孝洋の説明だけで要が無害になった事を信じて貰うのは難しい。
(しかし、郷長と土地神という後ろ盾が出来た)
孝洋の魔法を使えば要の日照りの力を抑える事が出来る。
孝洋にはそれが可能だと、ヤマツミと郷長が証言してくれる。
孝洋の人格が信頼されるかどうかは別問題として、こと晴れ女関連の話に関しては孝洋の発言にも充分な説得力が生まれる。
言説の内容ではなく、立場による説得力だ。
郷長達に向けられる信頼の一部を孝洋は借り受ける事が出来る。
(郷長が戻ってから、郷長をバックに檀上で演説でもすれば)
そしてそれを郷長が肯定するようなそぶりでも見せれば、ひとまず里人は信じるだろう。
そういう形で郷長と打ち合わせをせねば、と孝洋は計画を練った。
「帰って何をするか。郷長が戻るまでは時間が空くな」
ひとまず次郎と要に報告をするとして、それが終わる頃には郷長も帰ってくるだろうか。
ちょっと長引く、と郷長は言っていた。ちょっととはどのくらいだろうか。
「かといって、昼日中から要さんと長話をするわけにもいかないしな」
要も郷の一員、労働力だ。日中はやらねばならない事も多いだろうと孝洋は考える。
「ここから確か……」
郷が見えたはず、と木々の合間から草壁郷を見渡して、孝洋は顔をしかめた。
「何か、変なのが居る……」
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草壁郷の田植えの時期は、現代日本に比べて少々遅い。
地方によってばらつきがあるものの、五月頃に田植えをして九月頃に収穫する現代の稲作に対し、草壁郷の田植えの最盛期は梅雨の最中の六月である。
草壁郷が遅いというより、現代日本が早い。
現代日本の稲作のスケジュールは昔のそれに比べて一月から一月半程度早いのだ。
現代日本の田植えが早いのにはいくつか理由があるが、大別して二点。
可能であったからと、有効であったから。
田植えをするには当然苗が要る。苗を作るには種を発芽させなければならない。
発芽にも苗の生育にもそれぞれ適した温度や湿度というものがあり、季節を無視して苗を育てるにはそれ相応の設備や道具と言った物が必要だ。
近現代に至って、早期の苗作りを含む早期栽培を容易にする道具や手法が普及した。
そしてそれらの道具や技術、早期栽培・早期収穫には需要があった。
需要の内訳は土地や時代背景によってまちまちであるが、大体は兼業農家のスケジュールの都合や自然災害を理由とするものだ。
スケジュールはさておいて、自然災害。
病害、虫害、温度に強風、水不足。農業は自然との闘いである。
ただそうした被害も起きやすい時期というものがある程度決まっていて、例えば台風などは八月九月に多くなる。
早期の田植えによって台風による受粉障害を避けたり、あるいは更に早めて台風襲来前に収穫する事で倒伏を防いだり。
同じ災害でもそれを受ける時期の稲の生育状態によって被害の程度は変わるもので、土地の性質に応じてある程度田植えや収穫の時期を調整出来るこれらの技術は歓迎された。
こうした事情が、田植え時期の平均的な前倒しという結果に結びついた。
さておき、草壁郷の田植えの時期は、現代日本に比べて少々遅い。
四月頭の今の時期は、稲作を主とする農家にとっては農繁期に向けた準備の時期であった。
「前に言ってた養蜂だけどよ、あれ郷長に話していいか?」
「ああ……可動式巣枠と遠心分離か。
もう私が晴れ女なのは確定だし、知識を隠す意味も無いから良いんじゃないかな」
次郎は昼食を摂る為に要と会話しながら帰宅の途に就いていた。
他より早い時期に田に水を引く家の、田起こし前の蓮華草収穫の手伝いの帰りだ。
蓮華草は鋤き込む以外に家畜のエサとしても利用されており、収穫された蓮華草は日干しにしてエサの少ない冬季まで温存される。
「もう他所の村にも晴れ女が出たって知れ渡っちまってるだろうしな……。
悪い、山本さんに会えるとわかってれば他所の祈祷師なんか頼ったりしなかったんだが」
「放っておいても近い内にばれる事だし、謝るような事じゃないよ。
そんな事よりは、無茶をした事を謝って欲しいかな」
「う……」
「一人で郷の外に出るなんて、無茶な事を。
兄さんに何かあったら私がどう思うかぐらいわかるだろう。
書置きを読んだ時の私の気持ちを想像してみてくれ」
「そ、それを言うなら俺の気持ちだってわかるだろ。
何もせずに大人しくまってろとか無茶を言うな」
「まあ、私も兄さんが呪いにでもかかれば大人しく待つなんて事はしないだろうけどね……。
それにしても、もうちょっとやりようがあったろう。一人はないだろう一人は」
確かにもう少しはやりようがあったかもしれない。
友人を無謀な行動に巻き込む事を厭い、行動前に情報が漏れて阻止される事を恐れ、自己犠牲精神と疑心暗鬼によって一人旅を決行した当時の自分を思い出して次郎はうなだれた。
考えなしに殆ど勢いで動いていたような所がある。
「しかし、山本さんに会えるとわかっていれば、か。
会って一日も経っていないのに、随分と山本さんを買っているね」
これ以上責めても仕方がないと思ったのか、要はさりげなく話題を転換した。
こういう優しさ甘さがあるから、次郎は要に頭が上がらない。
「そりゃあそうよ。要も俺の勘の良さは知ってるだろ?
もう一目見てビビッと来たね、この人しか居ないって。
実際ホラ、郷長だってやけに丁重にもてなしてたし」
不審者と見て問い詰めた事は次郎の中では無かった事になっている。
まあ勘が良いのは本当だけどさ、と要は今一つ納得がいかない様子だ。
「要は信用してないのか?」
「いや、信用というか……自分は助かったと確信しているよ」
「マジか」
「マジだ」
次郎は驚愕した。
可能性があるだとか十中八九だとか、おそらく、多分、予想される、などといった言葉を好んで使う要が、確信したなどと言うセリフを吐いた。
もうちょっと無責任でもいいじゃないかと諭しても未だに断言を避けたがる傾向のある要が、である。
「断言する程か……いつの間にそんな信頼関係を」
「確信したって断言の内に入るの? 個人的な感想を語っただけのつもりなんだけど」
ああ、いつも通りの要だ、と次郎は安堵した。
「ああ、うん、断言っつうか確実だの間違いないだのは言ってないな」
「うん」
「しかしいつもより自信がありそうというか、珍しい」
「いつものはただ予防線張ってるだけで、自信の無い事はたまにしか口に出さないよ」
まあそうだね、と要は少し考えて
「信用しきるにはまだ色々と情報は足りないけど、彼の言葉に嘘が無ければ私の抱える問題は解決するだろう。
根拠は無いが、彼は嘘を言っていないと感じた」
結局は勘だよ、兄さんと同じだな、と笑った。
「惚れたのか?」
「ぶふぇっ!? きゅ、急に何を」
乙女にあるまじき吹き出し方をして要が動揺している。
どうも、図星を突かれたというよりは予想外の言葉に驚いただけといった印象を次郎は受けた。
「あー、その反応じゃ違うっぽいな」
「会って一日やそこらで惚れたりするか!」
「一日やそこらじゃ、て事は」
「揚げ足をとるな! 人の事なんか気にしてないで兄さんもいい加減結婚を考えたらどうだ。
いくら男だと言っても結婚適齢期はあるだろう」
「お前ももうそろそろヤバいよ? 十七だよ十七」
「晴れ女かどうかはっきりするまでは恋なんて無責任な事出来なかったんだから仕様がないじゃないか。私はいいから今は兄さんの話だ。
もう私も兄さんの後見が無いと生活できないような子供じゃないぞ」
「結婚ねえ……」
次郎はこと女性関係に関しては枯れている。
要を育てるのに必死で、というわけではなく、単純にそっち方面に気力が湧かない。
女性と話してみても、どうしても要や亡き兄嫁と比べてしまって欠点ばかりが目についてしまう。
ああいう面倒な生き物と一つ屋根の下で暮らすなら、男の友人を集めて共同生活した方が楽しそうだと考えている。
面倒な話題になったな、と次郎がふと西の堀の方へ目を遣ると、なにやら大慌てで半鐘を吊るした櫓へ駆けあがる人の姿が目に入った。
「妖怪ー!! 妖怪が出たぞー!! でけえハリネズミだぁー!!」
登り終えた里人がけたたましく半鐘を鳴らしながら声の限りに叫ぶ。
狼煙台へ走って行く影も見える。隣村の英雄への救援要請だろう。
次郎と要は互いを見て頷き、状況を把握するべく見晴らしの良い所を目指して駈け出した。
ハリネズミ、それも大型となると青銅の破魔矢だけでは少し厳しいかもしれない。
祈祷師による妖怪の弱体化及び兵と武器の強化があれば、英雄不在でもおそらくどうにかなる。
しかし……
(郷長も山本さんも山行ってるしなあ。間に合わんだろう。多分、英雄が来る方が早い)
英雄の到着まで里人だけで持ちこたえる必要がある。
死人を出さずにどうにか乗り切らないと、と次郎は気合を入れた。
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戦況は芳しくないな、と要は苦い顔をした。
大型のハリネズミに襲撃を受けたと聞き見通しの良い位置まで移動した要が見たものは、橋を落として弓矢で抗戦する自警団と、低く見積もっても体高三メートルを超えるサイズのハリネズミの姿だった。立ち上がれば五メートル程になるだろうか。
(よりにもよってハリネズミ……遠距離攻撃手段持ち。
しかも川越しに針を放って置き盾を貫通する程の威力)
近接戦闘以外の攻撃手段を持たない妖怪であれば、堀と弓矢があればある程度どうにかなる。
時々現れる遠距離攻撃手段持ちも、置き盾か何かで防いで数で圧せばそれ程脅威でも無い。
今まではこの程度の兵力で英雄の到着まで充分に持ち堪えられていた。
しかし、このハリネズミの攻撃力の前では盾もあまり役に立たない。
死者が出るのも時間の問題であるように思われた。
(何より、青銅製の鏃がたいして効いていない。
鉄製であればともかく、神意を通しやすい青銅であれは……)
大型の妖怪は神力に対する耐性も皮膚の強度も一般に高いものではあるが、加護を受けた青銅の破魔矢を食らって皮膚に浅く刺さる程度というのは少しおかしい。
ヤマツミと余程相性が悪いのか、ヤマツミの力が衰えているのか。
両方だろうな、と要は考えた。
土地神の管理が万全であれば、一定以上の強さの妖怪は郷へ入って来ないのだ。
脅威となり得る妖怪を通してしまう程、ヤマツミの管理能力が低下している。
ただ前日までの郷長の働きを考えるに、いくら弱っていると言ってもこのレベルの妖怪を見過ごす程ではないはずだ。
恐らく、ヤマツミの結界をすり抜ける程ヤマツミの特性との相性が悪い。
両方の要素が噛みあってしまったのだろう。
「……もたないな」
「ああ」
家に保管してある兵器の設計図を思い出す。
バリスタあたりを作っておけば、あのデカブツ相手ならさぞ有効な攻撃手段になった事だろう。
(充分予測出来た事態だ。私の為にヤマツミ様の力が衰えれば、当然こうなる。
保身など考えず、兵器の作成を依頼するべきだった)
対妖怪にのみ有効な兵器であれば、周辺に与える動揺は少ない。
要の知識を以てすれば、軍事的緊張を起こさない程度に防衛力を強化するのは充分に可能なはずだった。
しかしあまり目立つ発明をすると、晴れ女のこれまでの実績から草壁郷に晴れ女が居るのではないかとの疑いを持たれる。
そうなると、猶予期間などと悠長な事を言わずに早く身を捧げてしまえとの意見が周辺の村々から出る可能性があった。
この窮地は自分が招いた。対抗する為の手段も、自分の臆病さの為に失われた。
自責の念が要を苦しめた。
「要、どうにかならんか」
「……今、考えている」
過去の事例から考えるに、敵の目的は恐らく倉に備蓄してある食料。
家畜も狙われる事があるが、確かハリネズミ型の妖怪は肉食では無かったはずだ。
死者を出すよりは、倉まで通してしまうのも一つの手かもしれない。
先々代の晴れ女の旱魃の際に作られた連合は未だ有効だ。
倉を失ったとしても食料の融通は受けられるだろう。
(駄目だな。被害が大きすぎる。
あれは食糧庫というより、換金作物の入った金蔵のようなものだ。
草壁郷の輸出品の中でも最重要の穀物をやられれば、財政に影響が出る。
財政の悪化はあらゆる分野に悪影響を与える)
その場だけをしのげれば良いというものでは無い。
長期的に見て、少数の死者を出す選択こそが最良であるなんて事はざらにある。
近隣で戦争が発生している現状、経済・外交面での弱体化は避けたい。
(あれ以上進ませず、且つ死者を抑える……皮膚が硬く巨大な敵との戦い方……一寸法師?)
外からの攻撃が効かないならば、内側からならどうだろうか、と要は考えた。
(内側に直接入って、というのは現実的では無いな。英雄ならば口をこじあけて口腔内を滅多刺しにするぐらいは出来るだろうが、今の郷にはそういう人材は居ない。
となれば……爆弾)
要は小型の「てつはう」を試作し、家に保管している。
入手した少量の火薬の原料を使って実験の為に要が作った物が余ったのだ。
「てつはう」とはかつて元寇の際に元軍が用いた兵器、爆弾である。
漢字では鉄炮または鉄砲と書くとされている。
陶器の球に火薬と金属片を詰めて導火線を付けた爆弾で、爆発時の轟音と爆風、爆発の際に撒き散らされる破片によって敵を攻撃する武器である。
導火線式ではあるが、大昔の手榴弾と考えて差し支えない。
要が作った物は遠投用に紐を通す取っ手を付けてあるので然程近づかずに攻撃できる。
万一口の中に放り込むのに失敗しても、轟音と光と青銅製の釘の破片被害でひるませるぐらいの効果は期待できる。
人間も含めて、獣というものは基本的に大きな音に弱い。
戦意を減退させられるならいくらか時間稼ぎの役にたつ。
至近距離で爆発させられれば、目と耳を潰せる可能性もある。
問題は在庫が二つしか無い事だ。
実験の回数が少なく、導火線が燃え尽きるまでにかかる時間が充分に把握出来ていない。
効果的な使い方が出来るかといえば、少し難しいかもしれない。
「兄さん、家に帰ろう。以前作った爆弾を取ってくる」
続きは移動しながら考えようと要が次郎の方を振り返ると、何か信じられない物を見たような表情で一点を注視して固まっている。
振り返り、視線の先を見る。
川から天に向かって真っすぐに、長大な水の柱が立っていた。