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魔法使いと太陽神  作者: 水栽培
三章 狐の呼び声
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032 視察

「戸籍は檜沢村のまま、居住地は天領ハ号島、所属もハ号島の本社勤め、後任者が決まるまで一時的に草壁郷の分社管理の役目を兼任。

 実態としては当面は草壁郷勤務、書類上は天領の住人……。

 うーん……? 兄さんは何を考えてこんな処理を……?

 もしかして形だけじゃなくて佳苗さんも天領に連れてくつもりかな。

 分社の管理を佳苗さんに引き継いで天領は天領でまた人を雇えば良いのに」


 佳苗が雷神の社で働き始めてから数日、予定の上では休暇となっているはずのこの日もまた、楠本要は自室で一人書類と格闘していた。

 急ぎの仕事が入って予定が狂った、というわけではない。

 暇に飽かせて前倒しで作業を進めているだけの話である。


(気になるけど聞き辛いな……)


 今は出来れば孝洋とも次郎とも顔を合わせたくはない。

 本来であれば何らかの形で孝洋とコミュニケーションを取る予定であったこの数日の休暇を、要はただ自宅に籠ったまま消化しようとしていた。


「天領と一般的な村とでは環境がかなり違うから本社勤めの人材は天領に適応出来た人の中から選んだ方が問題が少ないはず、という理由があるにはあるけれど……」


 嫉妬しているのではとの指摘を受けたばかりだというのに、下手に突つけばまた孝洋と佳苗を引き離したがっているのではと誤解を与えかねない。

 要としてはそれはなんとしても避けたかった。


(それが本当に誤解なら、誤解を解けば済む話ではある。

 他の人間相手ならともかく、孝洋さんや兄さんならしっかり話せばわかってくれるはずだ。

 だが、本当にそういう気持ちが無いと私は自信をもって言えるのか)


 自分としては個人的な感情を排し理性的に考えているつもりではあるのだが、それが充分に成功しているかといえばそうではないような気もする。

 孝洋のそばに佳苗が居るのが気に食わないから後付でそういう理屈を用意したのだと言われればあるいはそうなのかもしれない。

 先日の一件で要はすっかり自分の理性というものに自信がなくなってしまっていた。


「まあ、本人が望みでもしたのかな。まっさらな土地に魅力を感じる人というのは居るものだし。

 適応できるかどうかはわからないけど、無理そうなら草壁郷に移って貰えば良い。

 ……まだ引っ越しまで時間はあるからそのうち折を見て話を聞くという事で良いだろう」


 要はそう言って書類と筆記具を置くと、目の周りを軽く揉み解した。

 疲れが速やかに癒える英雄の体を得たとはいえ、染みついた癖はなかなか抜けるものではない。

 無意識のうちに出た癖に気付き、要はじっと自分の手を見た。


(必要無いとわかっていてもついやってしまう。やめようと思っていても無意識のうちに体が動く。

 こんな体たらくでどうして自分を信用出来る)


 要は陰鬱な気分を振り払うように頭を振り、ああ、と小さく呻いた。


「いかん、ひとまずこれは忘れよう。その内何か良い方法が見つかるだろう。

 精神に干渉する系統の忍具なら……いや、先に目の前の仕事を片付けないと。

 この書類はまあこの形式で良いとして」


 佳苗絡みの書類を確認済みの束の上に載せ、気を取り直して別の書類を手に取る。


「他に目を通す書類は……連邦規約の草稿──の修正案に、教育制度草案。

 異論・質問等は期限までに……か。これは夜須奈に今度会う時にでも聞こう。

 私一人で考えても時間の無駄だ」


 朔弥であった頃に次期村長の補佐役候補として多少の教育を受けてはいるものの、そもそもが政治に向いた能力と性格を備えていないと要は自身を評価していた。

 少なくとも、三十数年に渡って一沙の宰相を務め一沙を強国に育て上げた夜須奈とは比べるのも烏滸がましい程の差があると要は信じている。


(外交はともかく、内治は朔弥にあれだけの事が出来たかどうか。

 大国の運営を前提とした政治体制を一沙国成立前から準備し始め、先々に起きるであろう様々な問題を先回りして潰している)


 全てが夜須奈の手柄というわけではないが、一沙の優秀な人材を育てたのは夜須奈が整えた教育制度だ。

 それらの人材が能力を発揮できる仕組みを整えた部分も含め、要は夜須奈を高く評価していた。


「次、調査船団は……武装がまだ心許ないな。船を動かせる忍者もまだ数が充分じゃない」


 気候風土の特徴が日本のそれに酷似しているこの土地は、おそらく日本に近い地理的環境にあるものと要は予想している。

 つまりは、この列島の西側、それもそう遠くない距離に大陸があるものと考えていた。


 今現在わかっている範囲では、連邦が存在するこの陸地は日本で言う所の本州に当たる弓状の細長い島の形をしており、その西端から狭い海峡を越えた先に九州と同程度の大きさの島、また本州相当の島の南に四国と同程度の大きさの島がある事が知られている。

 それぞれの島に公的な呼び名は無いが、扶桑から齎される書籍に於いては本州が蓬莱、九州が方壺(ほうこ)、四国が方丈と表記されており、連邦の周辺地域に於いてもしばしばその名称が用いられる。


 要の手持ちの情報の範囲では方壺が大陸と交易を行っているという事実はなく、また連邦の東北、山脈を隔てて存在する扶桑国が蓬莱東北の海を越えたという話も聞かない。

 ただ蓬莱の北端まで旅をした祈祷師が海の向こうにも陸地がある事を目視で確認し、扶桑ではその地を瀛洲と名付けたという事が知られているのみである。

 今現在のところ、既知の世界は蓬莱方壺方丈の三島、及びいくつかの小島だけだ。


 要が口にした調査船団とは、そうした既知の世界の外側を調査する為に組織された飛行船による船団である。


(扶桑との繋がりさえ今の所は山脈の向こうの港一つとの交易を通してのみ。

 神の加護を受けられる特定の航路を除いては人は海を越えられない。

 飛行船を保有する我々はその限りではないが)


 それは犠牲を厭わなければの話だ、と要は呟いた。


 大陸に関しては現状情報が全く無い。

 人が住んでいるのかいないのか、住んでいるとしてどの程度の規模なのか、扶桑と比べてどの程度の脅威なのか、また、大陸にはどのような妖怪が存在するのか、大陸への道中に遭遇する妖怪はどの程度厄介なのか。

 何一つわからない以上、飛行船を持っているとはいえ気安く送り込むわけにもいかない。

 今少し時間をかければ、神と同等の強さの妖怪に襲われでもしない限りは安全に空を旅する事が可能になるはずなのだ。

 そこをあえて危険を冒す程急ぐ理由が今の連邦にはない。

 強力な妖怪に対抗する為の武装の開発と船団を組む為の船員の訓練には、もうしばらく時間をかける必要があるというのが要の考えだ。

 書類にペンを走らせその旨書き加える。


「これはまだ進展なし、こっちは……どうも実現性がなさそうだがもう少し様子を見よう。

 で、これは……ん、昨日処理したやつが混じってる。……これこの下全部そうか?」


 今しがた読み終えた書類を確認済みの束の上に移し、手違いで混入したと思しきものを取り除くと手元に残ったのは僅かに二枚。

 ざっと目を通すと要はそれを確認済みの束の上にポンと載せた。


(思ったよりも早く予定を消化してしまった)


 手持無沙汰になり、要は何気なく左手首の甲側にある小さな突起を押し込んだ。

 押し込まれた突起が皮膚の下に消え、指を離すとそこに時計の文字盤が現れる。


「確か貫川の人達の視察がこのぐらいの時間だったはず」


 かつて草壁郷が属していた連合、川上望が作り上げた一沙国とは別に、草壁郷の近隣地域にはもう一つ大きな勢力が存在した。

 正式な名称は存在しないが、一般には貫川衆、あるいは貫川流域同盟などと呼ばれている。

 一沙国のような一個の国家ではなく、連合のような連携の取れた集団でもなく、しかし実質的には一個の勢力として緩やかに連帯している、中小規模の村の集合体だ。


 一沙が敗れた今、連邦近隣でそれなりの規模を持つ勢力といえば貫川衆ぐらいなもので、あとは精々草壁郷と同程度の規模の村が2~3離れて存在する程度。

 扶桑との距離も直線距離ではそう離れてはいないが、間に往来の困難な山脈という空白地帯を挟んでいる為そちらの方面で領土を接するには今暫く時間の猶予があり、港を通じての侵攻があるにしても扶桑と連邦との間には未だ独立を保っているいくつかの港や村が緩衝地帯として存在する為にまだすぐに攻め込まれるような心配はない。


(とはいえ、扶桑との戦は近い将来必ず起こる。

 その前にまず周辺地域を平定して、扶桑との戦いに集中できる状況を作っておく必要がある)


 その為に取り得る手段は二つ。決戦か、連邦への参加を促すかである。

 決戦には双方の合意が必要であり、両者の間に力量差があり過ぎる場合にはまず合意に至らない。

 一沙を吸収した連邦とまともに戦える戦力を持つ勢力は近隣には存在せず、条件の摺り合わせが不可能な決戦という形式は弱小勢力側にあまりに不利である。

 決戦という形式は通常、弱者の側にも充分に勝利の可能性があり、且つ強者の側にもリスクを冒してでも速やかに勝負を決する必要性がある場合に選択される。

 今の状況では連邦が決戦を提案したとしても同意を得られる可能性はまずないものと思われた。

 であれば連邦参加を促す以外に選択肢はない。

 現草壁郷長──旧名草壁左近、郷長就任とともに名を改め今の名は草壁岩槻(いわつき)──が積極的に情報を流しているのは、そうした交渉をスムーズに進める為の下準備であると要は受け止めている。


「一応扶桑に漏れても問題の無い情報を選ったつもりではあるけれど、満足してくれるかな。

 ……大人しく降られるのも困るからある程度戦意を維持して貰えると助かるんだけど」


 連邦の勢力拡大を速やかに実現するには結界関連技術の情報公開は有効だ。

 神に選ばれる村長には、盆暗な無能者というのは基本的にはありえない。

 それなりに先が見える人間がこれらの公開情報を目にすれば、座視すれば日を追う毎に連邦との差が開くと嫌でも理解できてしまうはずだ。

 全く勝ち目のない小勢力ならば少しでも早く連邦に参加し未だ連邦規約も定まっていない連邦内部の仕組み作りに関わるのが利口と判断するであろうし、貫川衆のような制限戦で勝利を得られる可能性のある勢力ならばまだ戦える今の内に一勝を得て連邦参加後の立ち回りを有利にする事を考えるだろう。

 貫川衆が焦りから戦を仕掛けてくれるなら、望に手柄を与えたい要にとっては都合が良い。


(郷長──先代なりの、私への歩み寄りといった所か)


 要の目には児屋太が貫川衆から戦を仕掛けてくるようにわざと仕向けているように見える。

 それは単に貫川衆を速やかに取り込むうえでそのやり方が有効だったから、と解釈する事も出来るが、要に協力的な姿勢を見せる為に要にとって都合の良い展開に誘導したのだ、との解釈も可能だ。


 眷属は、主である神にとって不利益となるような行動を選択出来ない。

 しかし主の不利益にならない範囲であれば、主の周囲の者にとって不利益になるような行動を選択する事は出来る。

 児屋太は孝洋にとっては安全な存在になったが、要や次郎にとっては必ずしもそうではない。

 ゆえに、要と児屋太の間には未だ緊張感のある関係が継続している。

 今回のこれはそうした関係を改善する為の児屋太からの進物であろうと要は解釈した。


 それにこれは、ただ要一人に益のある話でもない。

 孝洋とヤマツミの間には孝洋の眷属である先代草壁郷長を介した強い繋がりがある。

 そして孝洋と一沙との間にも、王の義姉である要を介した強い繋がりがある。

 一沙の影響力が増せば、そして児屋太と要との関係が友好的なものになれば、それはヤマツミの影響力の強化にも繋がる。

 一沙の人材を大いに活用しようとしている児屋太にとっても、連合にかつて敵対した敗北者という形で一沙国の印象が固定されてしまうのは避けたいはずだ。

 旧一沙の出身者が連邦の為に働いたという実績を付与する。

 それは一般人にも理解しやすいものでなくてはならず、また旧一沙の王であった望の英雄としての名誉を挽回するものであった方が都合が良い。

 一沙王であった望の評価が見直されれば、自ずと一沙国の再評価の流れも起きる。


 協力的且つ優秀な人材である望と夜須奈の活用を望む要にとっても、要及び旧一沙との協力関係を構築しヤマツミの影響力を強化せんと望む児屋太にとっても、貫川衆との戦は益があるはずだ。


「確か、汐見の英雄も来ているんだったか。知らぬ仲でもなし、顔ぐらいは見せに行くべきか」


 本来そういう予定はなかったが、何しろ急に暇になってしまった。

 過去生の知り合いに会う事を口実に気晴らしに外にでも行こうと、要は身支度に取りかかった。




─────




「──忍者?」


 継ぎの当たった野良着を着た老人が足を全く動かさず水平移動をしている。

 よく見ると足が地に付いていない。

 その後ろを一定の距離を保ったまま農具と水筒が付いてゆく。


「いえ、人ですね」


 嗣久の後ろに続く集団の中からあがった声に、嗣久の傍らを歩く草壁右近が答えた。


「あれはどういう……」


 人を指差すのも失礼か、とすんでの所で思いとどまり、嗣久は浮遊する水筒を指差した。


「──ああ、あれは歩空器と言います。人が宙に浮く為の道具……という説明では不十分ですね。

 なんと言いましょうか、移動手段兼運搬手段、行き先も経路も自由に変更できる個人用の軌道車、といった所ですかね。

 後ろの農具や水筒は、そうした荷物を入れた透明な籠を牽引する機能も歩空器にはありまして」


(情報収集にはそれなりに力を入れていたつもりだったが……)


 日毎、新しい道具が生み出されている。それもその一つ一つが生活を大きく変化させ得るようなものばかりだ。


「飛んでいる、という風には見えない。どうも、梁から紐で吊るされてでもいるような」


 嗣久は老人の動きから見て取った違和感をそのまま口にした。

 個人が空を飛ぶ為の道具という点ではスラスターと同じであるが、一見して以前に見たスラスターとは別の原理で動いているという事はわかる。

 スラスターは空気の塊を──正確には空気だけではないらしいが──吐き出す際に生じる反発力で飛ぶという仕組みの都合上、下方や後方に向かってそれなりの強さの風が吹く形になる。

 しかし老人がかなりの低空飛行をしているにも関わらず、老人の周囲で砂埃が舞ったり草が風に倒されたりといった様子は見受けられない。


「遠からず、といった所でしょうか。

 歩空器はスラスターや飛行船とは違いどのような場所でも飛行できるような道具ではありません。

 特別な条件の揃った場所──結界製の薄い壁が無数の格子状に組み合わさった空間内に於いてのみ飛行可能な道具です。

 それ単独で機能する道具ではなく設備あってこその道具という意味でも、歩空器は軌道車に近い。

 そうした不便さがあるかわり、スラスターのように推進の為に突風を生じるという事も無く、飛行船のように浮き袋の為の広い空間を上空に必要とするという事も無く、狭い路地を穏やかに飛行可能です」


 右近の応答を受けて集団がざわめく。

 素直に感心した様子を示す者、困じ果てた様子で呻く者、好材料を得たと笑みを浮かべる者、それぞれに抱える事情の異なる彼らの反応は様々であるが、歩空器の持つ影響力を低く評価した様子は見られない。

 彼らは一人一人が貫川沿いの村から視察に遣わされた代表者であり、皆程度の差はあれど政策決定に関与する立場にある。

 村長の相談役である嗣久もまた、彼ら同様に歩空器が汐見の政治経済にどのような影響を与えうるか、どのような形での利用が可能であるかを見極め情報を持ち帰る責務を負っていた。


「では私達があれを購入したとしても」


「結界格子をそちらで組んでからでないと使えませんね」


「それにはどの程度の費用と手間が?」


「基材の打ち込み箇所の選定が済んでいるなら、人が十人程も居れば半日で草壁郷全域程度は。

 費用は人件費の他には基材の材料費が少しかかる程度で……ざっとした計算ですが、今の相場ですと草壁郷と同規模の平地と仮定して……このくらい」


「ふむ」


 想像よりも随分と安く、必要な人員も少ない。


「実際には土地の調査と基材の打ち込み箇所の選定がありますから、それを含めてまあ……この程度はかかるものとお考え下さい。基材打ち込みと結界格子形成以外の行程はそちらで済ませて頂く形でも問題ありません。その場合必要になる資料は……こちらに」


「なるほど」


(これでは駄目だな)


 ざっと目を通しただけでも、結界格子造成事業には歩空器普及によって生じるであろう大量の失業者を吸収できるような規模はない、という事はわかる。


(事務が出来るとか手先が器用だとか、何か他の取り柄がある奴は良いが……力仕事以外に能のない連中をどうやって世話してやれば良いか)


 荷の積み降ろしの仕事も残りはするだろうが、歩空器が普及すればそれは体力が要る仕事ではあっても筋力が必要な仕事ではなくなる──宙に浮いた老人に牽引される農具を見て、嗣久はそう判断した。

 一定程度の筋力を必要とするという障壁が取り除かれ、尚且つ結界製品によって他の業界でも人余りになるわけであるから、まず確実に競争が激化し賃金も低下するものと思われた。


 汐見は海港であり、また川舟を用いて貫川沿岸の村々と交易を行う川港でもある。

 扶桑と直接取引のある東方の港や方丈方壷を含む西方地域から海路で運ばれる品々、また貫川沿岸に陸路で運ばれ汐見に集められる品々……汐見には列島中の物が集まる。

 それを日々適切に捌き続けるには現場の指揮や書類仕事の出来る人材を充分な数用意する必要があるのはもちろんの事として、それ以上に数を揃える必要があるのが手足となって働く単純労働者である。

 連邦が移住要件を緩和する以前から港は労働力として積極的に移住者を受け入れてきた。

 上役の席が埋まっていてどうにも出世の望みがないと嘆く者は開拓村に流れ、村には馴染めぬが不便な生活もしたくはないという者の多くは港に流れる。

 籍を移す場合もあれば名目上は長期間の出稼ぎという形をとる場合もあるといった具合にそれぞれの労働者の抱える事情によって細部は異なるものの、実質的には移住であり彼らの生活基盤は故郷ではなく港にあった。

 詰まるところ汐見は大量の単純労働者──結界製品群が人を単純労働から解放する事で増えるはずの失業者、その予備軍──への対処に頭を悩ませねばならない立場にある。


「……積層型屋内農場、というものについて詳しく聞きたいのですが」


 先とは異なる誰かの声が集団の中からあがる。


「屋内農場、ですか。あれはまだ未完成で情報を出していなかったように思いますが……」


「少し、小耳に挟みまして」


 草壁は防諜に力を入れている事で知られているが、連邦に属する他の村までもが草壁と同等の防諜体制を敷いているわけではない。

 草壁が特別に注意を払って秘匿している情報はともかくとして、忍者を雇って情報を抜く事はある程度までは可能である。

 嗣久が握っている連邦に関する情報も、その大半は汐見が雇った忍者から齎されたものだ。


「浮遊島はご存じですね」


「ええ」


 村が作れる程の陸地が空に浮くという話は嗣久には少々受け入れ難いものであったが、歩空器を目の当たりにした今となってはまあ島の一つや二つは浮きもするだろうと納得している。

 スラスターなどを用いて浮くのであれば島の下方への影響はどうなるのだろう、振動や傾きで人が住むには適さないものになるのではないか、などと構想倒れになる可能性を考えてもいたが、静かに水平移動をする老人を見た嗣久には実用に足る仕上がりになる事を充分に信じる事ができた。


「ここではなくその浮遊島で実験をしておりますものですから今日お見せするのは難しいのですが、まあ、こう普通の畑が非常に広い部屋の中に広がっていまして……その部屋を縦に何段も重箱のように重ねる、といった具合です」


「部屋の中で光を当てて育て、水と肥料を無駄なく再利用して、最小限の水と燃料と肥料を外から継ぎ足してやるだけで大量の作物が育てられる……そう聞いております」


「ああ、そこまで知っておられるなら話が早い。そうです。その燃料と水にしても、歩空器などにも使われている技術を使えば成層圏まで水と肥料を何の苦もなく上げられますし、成層圏は常に晴れておりますから燃料を作るための日光にも事欠きません。

 何より優れているのは──それぞれの層毎に気象条件を調整する事が可能であるという事。

 温度の管理は勿論、日照時間も変えられますしある時期に特有の風雨や熱波などを再現する事も可能、海からの照り返しなども……まあここはまだ実験中ですが」


(方丈方壷、扶桑などの気候の異なる地域からの品の価値も下がる、か。これに関しては汐見にとって不利に働くとは限らないが……)


 ごく狭い土地に耕作に適した土地を人工的に作り出し、高度に効率化された農業を神力を極力利用せずに行う。

 嗣久の見るところ積層型屋内農場とはそういう代物で、もしそのような物が実現すれば農産物の価値が暴落するのが目に見えている。


「連邦でも農耕で日々の糧を得ておられる方は少なくはないと伺っておりますが……」


「ええ」


(ああ、これは俺も聞こうと思っていた)


 職にあぶれた者を連邦ではどのように扱うのかを知っておく必要がある、と嗣久は考えている。

 返答如何によっては連邦加入を先送りにしてぎりぎりまで戦わねばならない。


(草壁が宰相に納まっていたなら何の心配もなかったが、雷神と当代の晴れ女が大きな影響力を持つ今の連邦で、尚且つここにきて草壁が代替わりまでしたとなると)


 正直読み切れない、と嗣久は唸る。

 先代草壁郷長、草壁児屋太がしっかりと押さえているなら何の問題も無かった。

 児屋太本人の人格はともかくとして、ヤマツミは必ず領民の生活の安定と心身の健康を望むはずであるし、ヤマツミがそれを望む以上は万難を排して児屋太がそれを実現すると信じる事が出来た。

 その前提があればこそ、嗣久は連邦への加入を推したのだ。

 嗣久が草壁の代替わりを知ったのはその後の事だった。


(健康に問題が生じ、人前に出る事が難しくなったという話だが……いや、深読みはよそう)


「年若い方や何か他の技能をお持ちの方、もしくは老年であっても柔軟性を維持しておられる一部の方、そうした方々に関しては別のお仕事を紹介する方向で進めております」


「それ以外の──例えば老い衰えて新しい仕事など覚えられそうにもない人は?」


「これまで同様に畑仕事を」


「それは、つまり積層型屋内農場で」


「いえ、そちらでも色々と新しい試みを考えておりますので……若い方の方が好ましいように思います」


「では──」


 放置、という単語が頭をよぎるが、流石にそれはあるまいと嗣久は自身の考えを否定した。

 信仰とそれが生み出す神力無くしては村の運営なぞまともに出来るものではなく、民の暮らしを蔑ろにする事は自身の首を絞めるも同然。

 神は領民を見捨てないという強固な信頼、長い時間をかけて育まれたそれの価値を知らぬ者が国を動かしているとは流石に想像したくもない、と嗣久は思った。

 神が政治に関与しない政体を選択したかつての一沙、仙が国を取り仕切る扶桑でさえ、環境に適応出来るだけの強さを持たない者達をただ捨て置くなどという真似はしない。


(しかし雷神の力と晴れ女の知恵を以てすれば、あるいは)


 神力を必要としない国家の運営というものがあるいは可能であるのかもしれず、であるならば民の生活に気を配る必要もないのかもしれない。


「神事に従事していただく、という方向で話を進めております。

 大多数の人は、御神田や御料畑での農作業が主な仕事になるかと思います」


 神事、なるほどそれならば、と嗣久は心中で膝を打った。

 神事。神を祀る行事全般を指す語であるが、断りのない場合扶桑以西では特に収穫祭に関する諸々とその下準備を指す。

 神饌の大部分は村人による自発的な奉納で賄われているが、それとは別に収穫祭に際しては御神田や御料畑として指定されている土地から収穫されたその年の初物が捧げられる習わしとなっている。

 神に捧げる為の作物を育てる御神田御料畑の管理及び農作業はそれ自体重要な神事であるとされる。


(神事に関わる仕事であるなら、旧慣温存は容易い。

 目的は食料の生産ではなく信仰を示し神にご満足頂く事なのだから、作業の効率や生産量を高める事は重視されない。

 これならば、農耕に限らず手仕事全般の保護に利用出来る──しかし)


「神事……しかしそうなると、かなりの数の人が、その……こう言ってはなんですが、公費に頼った生活を営むという事に。

 扶桑に備えねばならない我々に、そのような余裕があるものでしょうか」


 問題はそこだな、と嗣久は小さく頷いた。


(食料の大量生産が始まれば相場と同額の報酬では生活が成り立たぬし、割り増しで支払うとなればそう多くの者を養う事は出来ぬはず)


「これまでとは異なる報酬の形を考えております。

 具体的には、公社というものを作りましてそちらで結界製の製品の一部などを取り扱うのですが、そこでの物品の購入の際に割引を受ける事が出来る割引券というものを発行します。

 また、紙幣での支払いを大幅に減額する代わりに下げ渡し品の量を増やします。

 これまでですと御神田などで収穫された物は一度全て神前にあげられて、然る後に神饌として消費される分を差し引いた余りの大部分を祭の場に食材として提供し、そして残った僅かな分を生産者に下げ渡す、という形でした。

 しかし神事に従事する者が増えるという事は奉納される物の量も増えるという事ですから、かなりの量が余ります。それを下げ渡す、といいますか一度受け取るだけ受け取ってすぐに返すという形ですね。

 なぜ一度受け取るなどという手間のかかる事をするかといえば、一度神前に供えられた下げ渡し品は──」


「相場よりも高く取引される」


「そうです」


 よく出来ましたとばかりに笑みを向ける右近に嗣久も曖昧な笑みを返す。

 口を挟むつもりは無かったが、つい……と、嗣久は心中で誰にともなく言い訳をした。


「単に栄養をとり飢えを癒す事だけを目的に食事をされる方というのはまあ少数でして、大抵の人は味や匂い、見栄えなども気にされますね。

 そして中には、食材の来歴に拘る方や食するという行為に信仰を絡める方などもおられます。

 心の健康の為の、少しばかりの贅沢。食材としては高いが、たまの贅沢と考えればそう高い買い物でもない……そういう値付けが出来れば、多少割高であってもそのような品が選択される余地はあると思うのです。

 ゆくゆくは、まあそのあたりを上手く利用した商売で自立していただく、という形を考えています」


 そう上手くいくものだろうか、と今一つ納得しきれないものを感じつつ、取り敢えずは無策というわけでもないらしいと嗣久は安堵した。


(これで不安は一つ消えた。あとは……今後の汐見の在り方、その糸口でも見つけられれば)


 飛行船と軌道車それに歩空器の登場で、水運という汐見の武器はその力を失った。

 それに代わる新しい武器を見つける事が出来なければ、汐見は次第に寂れてゆく事だろう。

 汐見でなければならない何かを打ち出せねば、移住の障壁が取り払われつつある今汐見に人を留めておく事は容易ではない。


(汐見の武器は立地だ。これまではそうだった。だがこれからは……。

 いくつか作られるであろう物資の集積所の一つを汐見に作る事が出来れば、少しは延命できるはずだ。まずはそこを押さえて、稼いだ時間で次の手を考えねば)


「おや、要様」


 熟考中にふと聞こえた右近の言葉に視線を遣ると、小柄な少女が男となにやら話している。


(赤い瞳……あれが当代の晴れ女か。隣の男は……まさか雷神か?)


 外見的な特徴は事前に得ていた情報と一致する。

 まさか神が道端で立ち話などしているはずが、と嗣久は一度否定しかけ、しかし茶屋で羊羹を食ったという雷神ならば充分に有り得る事だと思い直した。


(……しかしまあ晴れ女も)


 ああしていると年相応にしか見えんな、と嗣久は心中でひとりごちた。


 周囲に目を遣る余裕も失いただ雷神との会話だけに集中するその横顔を見れば、女心に疎い嗣久といえど一目でわかる。



 叶えば良い、と嗣久は小さく呟いた。

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