003 長との面会
「そういえば山本様、旅の祈祷師であるなら眉間に印をなさっているはずですが……」
現在、孝洋は草壁郷をまとめる郷長と会食をしている。
許可が出たと迎えに来た次郎に促されるままに、郷長に面通しに来たのだ。
その際にもてなしとして食事に誘われ、今に至る。
昼食には遅く夕食には早い微妙な時間であるためか、料理の量は然程多くはない。
それでも米の飯や焼き味噌といった間食というには重めのものが並んでいる。
客人は会食の席を設けてもてなすのがこの集落でのならわしであるらしかった。
見られている。
やはり、旅の祈祷師と名乗っただけではいそうですかと信用して貰えるわけではないらしい。
いきなり郷長と面会とは少々警備がざるな気もするが、一対一で食事というわけでもない。
入室時に荷物をお預かりされてしまっているし、郷長の左右には美女では無く屈強な若者が控えている。
その程度の脅威度と見做されている、という事だろう。
あるいは、若者達以外にも自衛の術なり設備なりがあるのかも知れなかった。
軽い話題から始まり食事も進み、孝洋の気が少し緩んだあたりで冒頭の問いを投げかけられた。
表情が僅かに強張ったのを見られたかも知れない。
久しぶりに食べる焼き味噌と白いご飯に気を取られている場合では無かった。
「……それはこの辺りでの話でしょう。自分は遠方から流れてきた者です。色々とやり方も違う」
印とはどのようなものであろうか。
装飾品の類か刺青のようなものか、それすらわからなければ誤魔化しようも無い。
孝洋は文化の違いで押し通す事にした。
街道の整備状況を見るに、遠方との行き来にはまだまだ不便があるものと思われる。
地方によって文化が違うというのは如何にもありそうな話だ。
祭祀に関する取り決めが広く共有されている可能性、異教徒として弾圧される可能性もあったが、咄嗟の事で頭がまわらなかった。
「あいや、疑ったわけでは御座いませぬ。御気分を害されたならお詫び申し上げまする。
しかし遠方から、ですか。
この辺りは道も悪く妖怪もちと多めですからご苦労なすった事でしょう。
昨日はどちらにお泊りで?」
「野宿」
「の、野宿ですか。いや、祈祷師であれば……まあ。では、その前は」
「……野宿」
「……西から来られたのであれば汐見の泊を通られたのでは」
西から来た、と判断された理由は何だろうか。
ここで、東から来たからそこは通らなかったと返す事も出来た。
あるいは、西から来たが汐見の泊は通らなかった、とも、汐見はすぐに出たと言う事も出来ただろう。
「……野宿」
ただ、鎌掛けの可能性がある。下手な事は口に出来ない。
東から来たと言えば、東のどこを通ったか聞かれるだろう。
それ以前に、東は今行き来できなくなっているのかもしれない。
汐見を通ったと言えば町の様子を聞かれる。汐見を通る以外に道が無い可能性もある。
下手に西から来たと言う訳にもいかない。
孝洋にできるのは、西から来たとも東から来たとも言わず汐見の泊についても触れず、ただ野宿してきたと繰り返す事だけだった。
「何か、御事情でも……?」
「修行です」
苦しい、と孝洋は内心で呻いた。額に脂汗が滲むのがわかる。
不合理な行動をする合理的な理由といえば修行である。
以前似たような状況に陥った時はそれで押し通した。
しかし苦しい。
前回とてどうにかその場をしのげたというだけで、信用して貰えたわけではなかったのだ。
今回の相手は、集落の長。流してもらえるとは思えない。
「祈祷師であると証立てられる物などは持ち合わせておりませんし、何か、術でも使って見せましょうか」
孝洋は苦し紛れにそう切り出した。
結局の所、彼らにとって重要なのは自分が祈祷師であるかどうか、問題解決能力があるかどうかなのだ。
力を示せば、信は得られる。
呪いを解くまでの関係と割り切るなら、その程度の信用で充分だろうと考えた。
「術を、使えるのですか」
郷長の表情に驚きの色が見える。この世界の祈祷師は術が使える者が少ないのだろうか。
それでいて、祈祷師なら野宿も納得だという。
孝洋は内心混乱しながら、どの程度の術まで許容されるのか量ろうと試みた。
あまり派手にいくとまずいかもしれない。
「ええ、手習い程度ですが。何か、こういう術を見たいといった要望は御座いませんか」
その辺りの廃材を掴んで燃やしてやれば充分かと思っていたが、もしかするとこの世界の祈祷師には逆立ちしても出来ない事なのかもしれない。
リクエストに応えるのが一番安全だろうと思われた。
ここで郷長が鎌掛けを仕掛けてきたなら回避するのは難しいが、孝洋にはこれより良い方法が思いつかなかった。
「……では、なゐの術を」
「なゐの術、とは。この辺りの言葉には不慣れでして」
「地を揺らす術です」
地震。やってやれない事も無いが、孝洋の得手ではない。
孝洋の使う魔法は自然現象の再現にはあまり向かない。
孝洋が地震を起こすにはある程度の準備が必要である。
その為、孝洋には地震を起こす魔法は大がかりな魔法だという認識があった。
これは鎌掛けに違いあるまいと孝洋は確信した。
「それはまだ使えません。ご期待に添えず申し訳ない」
「そうですか。……ああ、いや失敬、これは祈祷師の術ではなく忍術でした。
山本様が使えずとも無理はありません。失礼をば致しました」
(忍術? 忍者がいるのか?)
弥生時代あたりかと思っていたが、認識を改める必要があるかもしれない。
弥生時代に忍者。孝洋にとってはありえない組み合わせだ。
忍者の衝撃で鎌掛けをされた事に対する焦りも何も吹き飛んでしまった。
「では、この器を」
郷長が素焼きの器を手に取り、孝洋に差し出した。
「水で満たせますか」
水で器を満たす。
外で水を汲んで来たら怒られるかな、などと忍術の衝撃が抜けきらない頭で考えながら、手持ちの術で実現する方法を考える。
ほどなく、空気中の水分を集めればなんとかなるだろう、との結論に達した。
孝洋には水をゼロから生み出す術は使えないが、温度を上げ下げする術や、空気を圧縮する術は使える。
まだ肌寒いとはいえ春先で、冬よりは湿度も期待できる。
まあ可能だろうと判断した。
「ではそれでいきましょうか。少し寒くなりますが良いですか?」
「温度を下げる術を使えるので?」
「へ?ええ、まあ」
「ではそちらをお願いします」
温度を下げられる、というのは驚くポイントなのだろうか、と孝洋は戸惑った。
反応を見る限り、水を出すより難しいようだ。どうも、随分と術の系統が違うらしい。
先程から認識の修正を繰り返しているが、まるで噛みあう気配が無い。
少々投げやりになりながら孝洋は冷却魔法を使う事にした。
冷却魔法、というと語弊があるかもしれない。
魔法は魔力を消費して使うものだ。冷却魔法は魔力を消費しない。むしろ、魔力が回復する。
冷却を目的として使う事も少ないのだし、熱を魔力に変換する、吸熱魔法や魔力回復魔法と呼ぶのが適当だろう。
「何か、小石でもありませんか。割れても良いような」
「小石……ではこれで」
郷長は手近な引き出しから宝石らしきものを取り出させた。メノウか何かだろうと思われる。
直径一センチ程の大きさであるから、壊れても惜しくは無いという事なのだろう。
「では失礼して」
孝洋はメノウを受け取り意識を集中した。
呪文も何もない、ただ念じるだけの魔法。それが孝洋の扱う魔法である。
テンションが上がって技名を口に出す事もあるが、そこに意味は無い。
ほどなく、メノウに水滴が付き始めた。孝洋は先程の茶碗の中にメノウを転がした。
温度は順調に下がっているようで、薄らと霜がつき始めている。湿度も低くは無いようだ。
「これを放っておけばいずれ水が溜まりましょう。温度を下げる術ですが、とりあえずはメノウだけを冷やしております。触って確かめて下さい」
「ほうほう、どれ……あ痛っ」
「あっ……」
問,霜まで付き始めたつるつるの石を素手で触るとどうなるか
答,手の温度で溶けた霜が再び凍る際に接着剤の役割を果たし、手と石が接着される
──────
即座に魔法によってメノウの温度を上昇させて氷を溶かし、どうにか事なきを得た。
意図的にやった訳では無い事を説明し誠心誠意謝り、どうにか場を収める事が出来た。
郷長も自分のミスだから謝らなくても良いと言って左右の若衆を押さえてくれたので、荒事になる事は無かった。
低温で表面が滑らかな物に迂闊に触れるとああなる、という常識はこちらでもあるらしい。
「いや、しかし驚きました。
こうもはっきりと、しかも土地神と語らう事も無しに術を使えるとは。
余程の修行を積まれた祈祷師様とお見受けいたします。ご無礼の段、平にご容赦を」
「いやいや、どうか頭を上げて下さい。自分はそんな大層な者ではありません」
頭を下げる郷長に慌てながら、どうも失敗したようだと孝洋は自分の頭の弱さを悲しく思っていた。
土地神がどうの、という事は、どうやらこの世界の祈祷師は土地神の力を借りない事には大した術を使えないものらしい。
つまりは、少々規格外の力を持っている事が早くも知られてしまったという事になる。
術を使えると言った際に驚いたようなそぶりを見せたのは、土地神に会う前なのに使えるのか、という驚きだったという事なのだろう。
土地神と面会した後であったならあの程度の術で驚かれる事は無かったと思われる。
逆に言えば、あの状況ではどんな術を使っても高く評価されてしまった事だろう。
術を見せる、という選択自体が間違っていた。
気候・植生に愛着を感じ、味噌や白ご飯の味を噛み締め、もうここに骨をうずめてしまおうかと思っていた矢先にこれだ。
最早この土地での平穏な生活は望めまい。
(しかし、まあ……)
力がばれなかったとしても、ここでの平穏な生活など不可能であったろうとの思いが孝洋にはあった。
広大な田畑、妖怪が出没する道、環濠集落、出入り口の見張り番、矢倉。
集落の周りに堀を巡らせ、出入り口に見張り番を置き、矢倉から弓兵が監視している。
敵襲に備える必要がある、とわかる。
あるいは、妖怪に対する備えなのかもしれない。
しかし、よく利用するものと思われる街道の安全を維持できない程度……このあたりは妖怪が多いと郷長が認める程度の戦力しかない。
そして何より田畑の面積の広さ。
この集落の人口の四倍程度は楽に養えるだけの農地が広がっている。
農地が多く防備が薄い。こんな土地が、捨て置かれるはずは無い。
どういう形であるにせよ、この集落が遠からず税を納める立場になるのは確定的であるように思われた。
その時に、戦が起きるようであれば。
ここに骨をうずめるつもりなら、当然自分も戦うだろう。力を隠すような事はすまい。
ここでばれようがばれまいが、結局同じだ。
とっとと次の世界に行くならばれても大した問題は無いし、ここに留まるならいずれはばれた。
失敗を悔やんでいても仕方がない。孝洋は前向きに考える事にした。