#25 ため息ばかり吐いていると
それは巨大なコウモリの姿をした異形だった。
膜のように薄い翼を羽ばたかせ、足先まである長い両手をだらんと垂らしている。異形の顔には目も鼻もなかったが、大きな口だけはついていて、気味の悪いニタニタとした笑みを浮かべていた。
「おや、お出ましのようですね。こうも早く出てきてくれるとは、幸先が良い」
ダンデはそう言うと、淡く緑に光るサーベルを出現させ、手で掴んだ。そのままスッと軽く振れば、サーベルの光が空中で軌跡を描く。それはまるで流れ星のようだった。
「ごはん おいしそう」
そうしていると異形が再び言葉を発した。
異形はダンデやリカントには目もくれず、まっすぐに五十鈴だけに顔を向けている。
そいつには目がないはずなのに、五十鈴はその異形から、体に纏わりつくような嫌な視線を感じた。獲物として――餌として自分を狙う眼差しに、本能的な恐怖が刺激され、首の後ろにぞわぞわと悪寒が走る。
「怖ぇなら、向こうの世界で待ってりゃいいのに……」
リカントがため息交じりにそう言った。
呆れたようなその声に五十鈴はハッと彼の方を向く。
「こ、これがわたくしのお仕事ですから!」
五十鈴はムッとして言い返す。
出会った時からチクチクと突っかかられて、さすがにちょっと嫌だったのだ。
「…………そーかよ」
すると意外なことに、彼はちらりと五十鈴を見遣り、素っ気なくそう言うだけだった。
嫌味なり怒鳴りなりが返ってくると思っていた五十鈴は、ポカンと拍子抜けしてしまう。
「……何だよ、その顔は」
「カウンター待ちでしたの」
「…………」
五十鈴が素直に答えると、リカントは嫌そうに顔をしかめた。そして付き合ってられるかと言わんばかりに小さく息を吐くと、腕を組んでダンデの方へと顔を向ける。
「おい、ダンデ。手は貸さねぇぞ」
「もとから数に入っておりませんので、結構でございますよ」
「おいコラ、てめぇはひと言もふた言も多いんだよ」
「性分でございますから。――ああ、そうだ。ただ見ているだけでお暇ならば、お嬢様の身の安全を確保していただけると助かります」
「はあ? 何で俺が……」
「お嬢様を異形からお守りすることは、オーナーからの厳命でもあります。あなたがフロストに戻りたいのならば、恩を売っておいた方が良いでしょう」
「…………分かったよ」
難色を示していたリカントだったが、アルヴェアーレの名前が出たとたんに、苦虫を噛み潰した顔で頷いた。
彼の返事を聞いたダンデは「よろしい!」と機嫌の良さそうに笑う。
「五十鈴お嬢様。リカントは口も態度も悪い男ではありますが、腕は確かでございます。ですので安心してくださいね」
「はいですの! ダンデさん、頑張ってくださいまし!」
「ああっ、元気が出る……! ふふ、ふふふ、ははははっ! それでは行ってまいります!」
ダンデは高笑いを響かせ、異形の方へと向き直る。そしてトンッと軽く地面を蹴り、高く跳躍した彼は、次の瞬間には異形の目の前にいた。そして異形に何か行動させる余裕など与えずに、その左の翼を斬り落とす。異形の口から「ギャッ」と短い悲鳴が上がった。
「すごい……」
瞬きの間に起きた出来事に、五十鈴は驚き入る。
空中戦なら相手の方に分があるはずだが、ダンデはそんなハンデなど物ともせずに異形と渡り合っていた。こういうことに詳しくない五十鈴でも「何かすごいことが起きた」と分かるくらい、ダンデの動きは鮮やかだ。
「相変わらず嘘みたいな戦い方しやがるなぁ……」
五十鈴と同じくダンデの戦いを眺めていたリカントが、ぼやくようにつぶやいた。声からは棘が抜けきっていないものの、彼なりに褒めているのだろう。
そう思った五十鈴が目を細くして小さく笑うと、リカントの耳がぴくりと動いた。彼は五十鈴をじろりと見下ろして、口を尖らせる。
「あんだよ」
「何でもありませんわ」
「…………」
五十鈴がにこっと微笑むと、リカントは眉根を寄せる。ややあって、本日何度目かになるため息を吐いた。
「ため息ばかり吐いていると、幸せが逃げてしまうらしいですわ」
「何だそりゃ。ため息はリラックス効果もあるって、オーナーが言ってたぞ」
「あらまぁ、アルヴェさんが。そうでしたの、うふふ」
「……あんだよ、その反応は。オーナーの言葉を疑ってんのか?」
「いいえ、そんなことはありませんわ。ただリカントさんは、アルヴェさんのことが好きなんだろうなって思いまして」
「ばっ!? ばばば、馬鹿お前! す、好きってそんな、何を……っ!?」
リカントは目をカッと見開いて慌てふためく。
その分かりやすい反応に、五十鈴はあらまぁと目を丸くした。
(アルヴェさんから解雇されたとは伺いましたけれど、リカントさんは彼女に悪い感情は抱いていなさそうですわね)
リカントは仕事で問題を起こして、それが原因でカフェ・フロストを解雇された。その話がダンデの口から出た時に、リカントは否定しなかったので、それは事実のだろう。
けれどもそのことで彼はアルヴェアーレを恨んでいない。解雇されるくらいの何かがあれば、雇い主のことを話題に出す際には、少なからず気まずさを覚えそうなものだが、リカントにはそれがなかった。むしろ今もアルヴェアーレを尊敬している風な印象もある。
(お金がないからとは仰っていましたけれど、フロストに戻って来た理由はもしかして……)
そんなことを五十鈴が考えていた時、突然リカントに腕を掴まれ、彼の方へと引き寄せた。
五十鈴が「わっ」と吃驚した次の瞬間、彼女が立っていた場所目掛けて、空から黒い槍が落ちてきた。




