#12 空の赤い屋上で
靴の音を響かせながら五十鈴とダンデは階段を上る。窓のない薄暗い階段は、どこか空気も停滞しているかのような、妙な気持ちの悪さがあった。これも気分のせいでしょうねと五十鈴は思いながら、屋上へ繋がる扉だけを見上げて進む。
そうして辿り着いた扉のドアノブを、ダンデがすっと回した。どうやら鍵はかかっていないらしい。するりと回ったそれを開けて、二人は屋上へと足を踏み入れた。
すると五十鈴の目に、血のように赤い夕焼けの空が飛び込んできた。
窓から見た時よりもさらに色が深く、濃くなっている気がする。その空は鮮やかではあるものの、何故か五十鈴には綺麗な色とは思えなかった。見ていると胸がざわついて妙に落ち着かない。五十鈴は無意識に、制服の胸の辺りを右手でぎゅっと握っていた。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫ですわ!」
どうやら一瞬の五十鈴の動揺をダンデは感じ取ったらしい。そんな彼に五十鈴は、笑顔を作ってそう返す。
――そう、平気だ。問題ない。空がどんなに不気味に感じても、あとはもう帰るだけなのだ。
五十鈴は自分自身にそう言い聞かせ、深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。それから屋上をぐるりと見渡した。落下防止の柵に覆われたコンクリートの床を見ると、何の変哲もない屋上のように思える。
「ねぇダンデさん。出口ってどこにあるでしょう?」
「あちらです。柵の手前に、ほら」
そう言って、ダンデは右側を指差した。彼の示す先を目で追っていけば、その先に蜃気楼のようにぼんやりと揺れる扉らしきものを見つけた。その扉は、時々ノイズが走るようにジジッと揺れており、ずいぶん不安定な様子である。
「何だか心配な揺れをしていますけれど……大丈夫かしら?」
「ご安心ください、お嬢様。これがありますから」
ダンデは胸元から砂時計のペンダントを引っ張り出した。黒い塵でいっぱいになった砂時計は、先ほどと比べると不思議な光を発しているように見える。
「あとはこれを……」
ダンデは砂時計を指で摘まんだまま、扉へ向かって歩き出した。近付くにつれて、やはり砂時計の中に溜まった塵の光が強くなっている。扉と共鳴しているのだろうか。そうなるとダンデの話も現実味を帯びてきて、五十鈴はほっと安堵の息を吐き、彼の後をついて歩き出す。
「はぁ、良かったですわ……。これでこの不思議な異界から、元の世界へ帰ることが出来ますのね」
「なるほど、お嬢様の目にはこの世界がそう映っているのですね」
「そうですわねぇ。色々と違っているから、そういう印象を受けているのかもしれませんけれど」
「ふふ、なるほど。私はこちらの方が馴染み深いので、正直なことを申し上げますと、お嬢様達の世界よりもよほど分かりやすいと思うのですよ」
「そうなんですの?」
「ええ。この世界は実にシンプルですからね。余計なものが存在しなくて、いるのは自分の心に忠実な異形だけです」
ダンデは靴音を響かせながら歩く。そして扉の手前まで到着すると、彼はくるりと振り返って五十鈴を見た。つられて五十鈴もその場で足を止める。
「そしてお嬢様の世界と異界を行き来出来るのも、そういう存在なのです。いくら美味しそうな香りをしているからと言って、それだけではこちらの世界へ引っ張り込むのは難しい」
ダンデは淡々とそう話す。少しだけ彼の雰囲気が変わったように感じられて、五十鈴は首を傾げた。
「ダンデさん? 何を――」
「お嬢様」
訊き返そうとした五十鈴の言葉を、ダンデはすっぱりと遮る。そして答えの代わりと言わんばかりに、彼は自分の目の前に淡く光るサーベルを出現させ、柄を握ると、切っ先を五十鈴へと向けた。
五十鈴はヒュッと息を呑んだ。まるで背筋に氷を入れられたかのようにぞっとした悪寒が走り、心臓が急に早鐘を打ち始める。
「だ、ダンデさん、何を……」
五十鈴は思わず後ずさる。けれどもダンデもまた、距離が開いた分だけ詰めてきた。
「少々違和感を感じておりましたが、ご一緒して良く理解できました」
「だ、だから何が……」
「お嬢様、あなたはすでに――異形に一部、食べられておりますね」
「――――はい?」
えっ、と五十鈴がつぶやいたのと同時に、ダンデがサーベルを構えながらこちらへ突進してくる。ヒッ、と五十鈴の口から短い悲鳴が零れた。
(ダンデさんまでっ!?)
信頼していた人が豹変したショックで泣きそうになりながら、とにかく逃げねばと五十鈴は振り返る。そして走り出――そうとした直後、五十鈴の顔は何かにぶつかった。
「わぷっ!?」
「わっ! 五十鈴ちゃん、大丈夫!?」
「えっ」
聞き慣れた声がして、五十鈴は顔を上げる。するとそこには友人の果歩がいて、心配そうに五十鈴を見下ろしていた。
「か、果歩さん……?」
「もー、びっくりしちゃった! どうしたの、五十鈴ちゃん? そんなに慌てて……」
果歩は困ったように笑って言う。五十鈴はそんな親しい友人の姿にほっとして――だがすぐにおかしいと思い、バッと体を離した。
(果歩さんが、どうしてここに……)
先程のダンデの話を信じるかどうかは、今の五十鈴には分からなくなってしまった。けれども、それでも強烈な違和感がある。彼女が五体満足でいることだ。
もちろん無事であることは喜ばしい。しかし――あちら側の人間である五十鈴が、あれほど異形に狙われたのだ。同じ世界から来た彼女が、たった一人で彷徨っていたとしたら、無事なことなどありえない。
それなら、この友人は、一体何なのだろうか?




