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⑤邂逅(かいこう)

 思ったより急な階段で息が上がる。

すると林の中から急に鳥が飛び立った。

俺は驚いて石段を踏み外しそうになり、欠けた小石が石段の下まで転がって行くのを目で追った。


危なかった……。


息を整え、また石段を登りはじめようとした時だ。

急に吹き抜ける強い風で木々が軋んだ。それと同時に、僅かに声が紛れて聞こえた。

「……れ。……来るな……」

太く枯れた老成の声だった。俺は周りを見渡し、その声の主を探した。

ふと見上げると、鳥居の真ん中に人影が薄っすらと立って見える。輪郭はあやふやだが、確かに人の形だ。

「誰……?」

俺はその声の主であろう人影に呼びかけた。

ギシギシと高い枝を揺らしていた風が、ぱたりと止んだ。

 

 時が止まったような静寂の中、自分の息を切らす音だけが聞こえる。

目を凝らすと、今の時代には似つかない装束をまとい、髭を(たくわ)えた老人が立っていた。

羽織りは薄黒く、所々朽ちているようだった。

 俺がその老人の目を(とら)えると、すぐに老人は顔を背け、くるりと(ひるがえ)して祠へ向かって歩き出した。

「待って!」

俺は慌てて石段を駆け上がり老人の背中を追うと、彼は立ち止まった。

「勝手に踏み入るな。帰れ」

老人の背中から強い怒りを感じた。その威圧に心拍数が一気に上がり、全身に鼓動が響く。足は震え、腰が抜けそうだ。

俺は何とか言葉を絞り出し、老人に話しかけた。

「勝手に入ってごめんなさい。あの……あなたはここの人ですか?」

 「――――」

俺は慌てて続けた。

「あ、自分はもともとこの近くの町で生まれて、あの、あそこから見える場所の……。えっと、子供の頃までいたんですが、まったく記憶がなくて……。あ、それで一度自分の生まれた町をもう一度確かめたくて、そしたら偶然ここが目に入って……」

支離滅裂な言葉を何とか並べながら必死に言い訳をした。

すると老人はぐるりと振り返り、しつこいと言わんばかりに口を開こうとした瞬間だった。

ひとつの風が俺たちの間を吹き抜けて行った。


リーン……。


俺たちは同時に音が鳴った方を見た。

視線の先には小さな祠があった。


「風鈴……の音……?」

 

まるで俺たちは同時に同じ幻聴を聞いたようだった。

なぜなら風鈴や鈴のように音が鳴る物は、祠にはひとつも見当たらないからだ。

だが、風鈴に似たその音は、どこかで聞き覚えのあるような音だった。


俺は、そっと老人の様子を伺った。

彼は鳩が豆鉄砲を食らったような顔で立ちすくんでいた。

「もしや……そこに……いるのか?」

老人は祠に向かって話しかけるが、静寂が広がる。


老人は大きなため息をひとつして、俺に向かって静かに言った。

「もう帰ってくれ。わしは……人間は好かん」

そして小さな祠の横にある磐座(いわくら)に腰をかけ、苦しそうにうつむいた。


 「あの、本当に……ごめんなさい……」

俺はこれ以上言葉が見つからず、石段を降りることにした。

ただ老人の孤独な様子が無性に寂しく感じ、俺の心を締め付けた。


「あの……。明日また遊びに来ていいですか?」

「――――」 


少しの間待ってみたが、返事はなかった。

諦めて石段を降り始めてから、途中で一度振り返ってみた。だが老人の姿はどこにもなかった。


消えた……? いや、まさか。

 

車を走らせ峠を下りながら、先ほどの出来事を思い返す。


あー怖かった……。

あのおじいさん、時々少し透けていたよな……。

人間が嫌いって……。やっぱり人間じゃないってことなのか?

夢……じゃないよな。

 

俺は狐につままれたような気分だった。


 それから町に着くと、計画通りに自分の痕跡巡りをした。

だが全ての要点を辿っても、思い出せた事は何も無かった。残念だが期待外れだ。

 

ただ、ひとつだけ収穫があった。

町を歩いていた時、小さな骨董屋が目に留まりふらっと立ち寄った。そこで古い風鈴を買った。

真鍮(しんちゅう)製の風鈴だ。

澄み渡るような綺麗な音がリーンと鳴り響き、その余韻が懐かしいような、切ないような……そんな気持ちになる。

おかしな事に、気づいたら涙が出ていた。何故か分からないが、その音は涙が出るほど俺の心を揺さぶった。


 その夜、宿の布団に入ると昼間の老人の表情が目に浮かんで寝付けなかった。


あのおじいさん、独りで誰かを待ってるのかな。

明日……もう一度行ってみるか。

また怒られるかな……そしたら一目散に逃げるか……。


そんなことを考えていたら、くすっと笑いがこみ上げてきた。

俺は目を閉じて、明日へ備えた。

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