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⑪渡したいもの

 リーン……リーン……。


風鈴の音を聞いて俺は飛び起きた。もうとっくに朝を迎えていたのだ。

俺は慌てて着替えを済ませ、窓辺に提げた風鈴を上着のポケットにしまった。それから急いで荷物を抱えフロントに向かった。

「あらお客さん、そんなに慌てた様子でどうしただい?」

「大事なことを思い出して。お世話になりました」

すぐに会計を済ませると、慌てて車を走らせた。


あそこまで二十分か……。

急げ……。もう時間がない。

頼むから、まだ消えないでくれ。

 

俺の心臓が高鳴り、手が震える。

ハンドルを強く握りしめると、昨夜見た夢を思い返した。


俺は約束したんだ。

全部、思い出したよ。朧守。

ずっと待たせて……ごめん。


目から勝手に涙がボロボロと零れ落ちてくる。

幼い頃。家を飛び出した俺は、まだその約束を覚えていたことに気づいた。

それと同時に俺の中では、全てが一本の糸のように繋がった。


あの時はまだ時期尚早だったこと。子どもの頃の記憶を忘れたこと。母親からあの話を聞いて、約束の存在を知ったこと。そして大人になった自分が、またここへ戻ってきたこと。

それだけじゃない。あの場所で朧守に会ったことや、たまたま風鈴を買ったこと。懐かしい夢を見たこと。そして自分が約束を思い出したこと。

全ての偶然が重なり、その全てが必要であったことを悟った。


そう、全ては必然だったのかもしれない……。

 

 

見晴らし台に着くと車を停め、俺は急いで石段へ駆け寄った。


「朧守――!」

石段の上に向かって叫ぶが、答えはない。

慌てて石段に足を乗せ駆け上がると、ポロポロと石が欠けて転がった。


急げ。

早く渡さなきゃ。

待っていて、朧守。


休むことなく石段を駆け上がると、祠に向かって立つ朧守が目に入った。

朧守の輪郭は薄れ、目の前の祠が透けて見える。


「良かった、間に合った」

何とか間に合ったことに、ひとまず安堵した。

俺は肩で息をしながら、両膝に手をつき呼吸を整えていた。

 

「騒々しいぞ。静かに時を迎えようとしていた矢先に」


朧守の声を聴くと、俺はポケットから風鈴を取り出し腕を伸ばした。

するとどこからともなく風が吹き、風鈴を揺らした。


リーン……。


その音を聞くと朧守はゆっくりと振り返った。

朧守の瞳は静かに揺れていた。

 

「なぜ……それを」

朧守は驚いた顔をするが、俺は黙って祠の方へ歩き出した。

そして石造りの祠の屋根先に、そっと風鈴を提げた。


「――鈴風。この祠の主は鈴風でしょ? 全部思い出したんだ。あの時……俺と約束したよね」

俺は色々と混ざった思いが込み上げてきた。嬉しいような、謝りたいような、感謝のような。

この張り裂けそうな思いで、俺は今どんな顔をしているのだろうか。ちゃんと笑えているのだろうか。

「ずいぶん時間がかかったけど、届けに来たよ。朧守にずっと渡したかったものを」


「鈴風……まさか……」

朧守の声は震えていた。


「あの時はうまく伝えられなかったから、……だから今聞いて欲しい。朧守は知ってた? 頭の中の記憶とは別に、()()()があることを。記憶と似てるけど、少し違う」


「記憶とは、違う……」

「そう。思い出は頭の中の記憶だけじゃないんだ。ここに残るんだよ。ずっと」

俺は自分の胸に手を置いた。

「思い出は温かいんだ。思い出の一つ一つには思いがある。楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、大好きだったこと。時が変わっても……その思いは風のように巡り……、こうしてまた記憶のように心の中で思い出すんだよ。それが思い出なんだ。妖も人間も心は同じなんだ」


朧守は空を見上げ、見えない風を追っていた。

「風のように巡りか……」


「俺は、むかし鈴風だった頃を思い出した。だから……俺の大切な思い出と一緒にこの記憶を、また朧守に渡すよ。だから、まだ消えないで欲しい」

「馬鹿なことを言うな。そんなことをしたが故に、過去のお前の大切な思いとやらも共に失うことになる」

「大丈夫。それが俺のしたかったことだから。朧守。ずっと俺を信じて待っていてくれて……ありがとう」

 

朧守はしばらく考え込んで黙ったが、静かに口を開いた。

「灯真よ。この巡り会わせもまた……定めであらば。今度はその思いと共に、大事に預かろう」


俺は嬉しくてにっこりと笑った。

風が優しく風鈴を揺らしていた。

これまで長いこと会わなかった俺たちだったけど、でもその時間の隔たりはどこにもなかった。

俺はそんな気がした。

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