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感情通貨~その「初恋」に100万、その「絶望」に1600万。心を切り売りして人生をリセットする人々~  作者: ヘレン
偶像の防衛シェルター

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7


『……レム睡眠導入完了。深度、正常。これよりダイブを開始する』


抑揚のあまりない、まるで機械のような感情のない声が遠くの方で聞こえた気がした。


あの鑑定士のものだろうと、まどろんだ意識の中で考えるが、それもどこか私でない誰かの思考のようで、なんだかふわふわしている。


視界が白濁し、意識が泥のように沈んでいく。


…気づけば私は、あの日の、あの熱気の檻の中に立っていた。

鼻を突く、何百人分もの男たちの汗の匂い。

眩しすぎるスポットライト。

そして、私を監視する目、目、目ー


「白雪ちゃん、愛してるよ」


「応援してるよ」


「大好きだよ、また会いにくるね」


壊れたスピーカーのように繰り返される定型句の波。

私は笑っている。

顔の筋肉がひきつっていることに気づかれないよう、一秒間に数ミリの精度で、アイドルを演じている。


……ああ、早く、終わって。


体は鉛のように重い。

最近スケジュールが立て込んでいて、睡眠時間もろくにとれていない。

睡眠不足で視界の端がチカチカと明滅している。


そこへ、一人の男が立った。

デビュー当時から私を追いかけているという、自称・古参のファン。


「白雪。今日のダンス、キレがなかったぞ。お前、天狗になってるんじゃないか?」


「そんなこと……。ごめんなさい、次はもっと頑張りますね」


彼が背を向けた瞬間、肺の底に溜まっていた泥を吐き出すように、私は一息ついた。


やっと終わる。

やっと一人になれる。

あまりに人間的な安堵。


そしてそれは、ほんのわずかな、自分でも気づかないほどの、拒絶の吐息。


その時。


背を向けたはずの男の首が、まるで別の生き物のような速さで真後ろに回転した。


「――今、溜息ついたな?」


逃げ場のない、至近距離。

男の指が、私の両肩に食い込む。

激しい揺さぶりに、視界がぐわんぐわんと歪む。


「なんだその態度は! いくら金を使ったと思ってる! 俺がいなきゃお前はただのゴミだ! プロ失格だ、裏切り者!」


怖い。


怖い怖い怖い怖い。


目の前の男が、私を愛していると嘯くこの怪物が、今すぐ私をバラバラに解体してしまいそうで。


スタッフが割って入る。

男の叫び声が、狭いブース内に反響する。


「触るな! 俺の白雪に触るなッ!」


スタッフが男の体を押さえ込もうとした、その時。

男はポケットから、黒いノック式のボールペンを抜き取った。


「お前がプロを辞めないなら、俺が、辞めさせてやる……!」


男の目が、濁った憎悪で私を射抜く。

彼は、そのペンのペン先をカチリと押し出すと、狂乱のままに私の喉元をめがけて、それを真っ直ぐに突き出した。

細いプラスチックの塊が、私には死神の鎌のように見えた。


殺される。


反射的に目を閉じた。


ー待っていても予想していた痛みや衝撃はない。


目を開けた。

どうやら会場のスタッフがその場を収めてくれたらしい、あの男はもう目の前にはいなかった。


場面が変わったようだ、目の前の光景が変わる。


イベントが終わった直後の、夜の会場裏だった。

スタッフの怒号やファンの喧騒も遠ざかり、ようやく解放されたという安堵感で、私の足取りは軽かった。


「お疲れ様、白雪。車、すぐそこだから」


数歩先を歩くマネージャーの声に頷き、私は夜の空気を吸い込んだ。


その時。


植え込みの影から、一人の男が飛び出してきた。


「――溜息、ついたよな。さっき、俺が背を向けた時」


昼間のイベントにいた、あの古参のファンだった。

男の手には、街灯を反射して鈍く光るーあれは何?刃物?

それを判断する間もなかった。


「死ねよ、裏切り者ッ!」


男が獣のような咆哮を上げ、ナイフを私の首目掛けて真横に薙いだ。


「……っ!」


反射的に体を逸らす。

首筋に冷たい感触が走り、ピリリとした痛みが走る。間一髪、刃先が皮膚を掠めた。


だが、恐怖はそこからだった。


男は体勢を立て直し、今度はナイフを真っ直ぐ、私の喉元へと突き出してきた。


逃げなきゃ。


そう思うのに、足が、腰が、コンクリートに張り付いたように動かない。


網膜に焼き付く、銀色の刃先。


殺されるという純粋な思考が、脳内のすべてを真っ白に塗りつぶした。


「白雪ッ!!」


衝撃。


気づいた時、私の目の前には、血に染まった背中があった。

間に割って入ったマネージャーが、私の喉元に突き刺さるはずだったナイフを、自らの手のひらで掴んで止めていた。


「……あ、が……っ!」


肉を裂き、指の隙間から溢れ出す赤い液体。

マネージャーは激痛に顔を歪めながらも、私を庇うように両腕を広げ、男を突き飛ばした。


飛び散った鮮血が私の服を汚し、鉄の匂いが鼻を突く。

男の狂気。

マネージャーの呻き。

遠くで鳴り響くサイレン。

それらすべてが混ざり合い、頭の中で、最高純度の恐怖が爆発した。



本日の感情残高はいかがでしょうか。

この物語は、感情が価値になる世界のお話です。

これからよろしくお願いします。


この物語の価値は、読者さまの感情で成り立っています。

面白い、続きが気になると思っていただけましたら、

☆評価やブックマークという“感情通貨”を少し分けていただけると嬉しいです。


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