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感情通貨~その「初恋」に100万、その「絶望」に1600万。心を切り売りして人生をリセットする人々~  作者: ヘレン
偶像の防衛シェルター

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5


薄暗い鑑定所の、古いブラウン管テレビがノイズ混じりの声を上げている。

ニュース番組では、感情通貨反対派の代表が声を荒らげていた。


『――いいですか、感情を切り離すということは、人間性の放棄に他ならない!悲しみを知らない者に他人の痛みは解らず、恐怖を売った者に倫理は通用しなくなる。これは魂の去勢だ!』


佐藤は、手元の帳簿を付ける手を止めて画面を見入る。


「最近すごいな、反対派のデモ。あちこちで、心を取り戻せ!って看板を見かける……」


「……騒がしいな。佐藤、チャンネルを切ろ。彼らは、自分が正義という名の快感(通貨)を消費していることに無自覚なだけだ」


天才鑑定士は、カウンターでアンティークの顕微鏡を磨きながら、一度も目を向けずに言い放つ。

鑑定士にとって、社会の喧騒は鑑定のノイズでしかなかったようだ。


…あの顕微鏡、何に使うのだろう。

感情鑑定の時は全部モニターで分析しているし、あんなアナログな器具を実際に鑑定士が使っている所は見たことがない。

カウンターの隅の蓄音機もだけど、趣味のものなのか、はたまた、何か別の意味があるものなのか。


今度聞いてみよう、今は少し、テレビのせいで機嫌が悪そうだ。


佐藤がテレビのチャンネルを切り替えたとき、店のドアベルが乾いた音を立てる。

入ってきたのは、深く帽子を被り、大きなサングラスで顔を隠した女性。

そして、周囲を病的なほど警戒しながら付き添う、痩せこけた中年男性だ。


「……ここが、噂の感情の銀行か」


男は、店内の怪しげな棚を眺め、値踏みするように呟く。

そして、佐藤を鋭い眼差しで貫いた。


「うちの白雪しらゆきが、次の役作りのために、余計なものを捨てたいと言っていてね」


隣の女性がゆっくりとサングラスを外す。

彼女の顔に見覚えがあった。


彼女はかつて、国民的アイドルとして数多の雑誌の表紙を飾り、今は、演技の幅に限界があると囁かれている女優。


「よろしくお願いします」


彼女の声は、驚くほど平坦で、どこか遠い場所から響いているようだった。


「私の中に残っている、ファンへの愛を全部抜いてください。次の仕事は悪女役なんです。誰かを愛おしむような余計な感情は、今の私には……毒でしかないから」


佐藤は息を呑む。

アイドル時代は日夜テレビを彩っていた、あの輝くような笑顔の裏側にあったものを、今からこの冷たい瓶の中に閉じ込めようとしている。

佐藤はちらりとカウンターの鑑定士をみる。

鑑定士は、わずかに眉間に視野を寄せた後、彼女の瞳の奥をじっと見つめていた。

しかし、一瞬のうちに鑑定士の顔に浮かんだ感情は消え去り、また冷徹な表情へ戻る。


「佐藤、準備を。彼女が持ち込んだのが、本当に、愛なのかどうか。慎重に、かつ公平に仕分けなければならない」


鑑定士の言葉に、佐藤は頷き、カウンターの向こうの二人に向き直った。


「わかりました、それでは詳しくお話をお伺いします。お一人ずつご案内いたしますね」


「おい、待て」


佐藤が白雪を奥のカウンセリングルームへ案内しようとした矢先、男が彼女の細い肩を掴んで制止した。


「異性と二人きりの密室に、元アイドルの彼女を入れる? 常識で考えろ。マネージャーとして、そんな不確定要素を看過できるわけがないだろう」


「いえ、そんな、ただ仕事の手順として必要なことなので……」


詰め寄る男の異様な威圧感に、佐藤は言葉を詰まらせる。

男の目は血走り、防衛本能というよりは、もはや所有欲に近い執念が滲んでいるような気がした。

明らかに敵とみなされている。

そんな相手にいくら言葉を重ねて説得しても無駄だ、佐藤が何を言っても火に油を注ぐような行為、聞き入れてはもらえない。

だからと言って、これ以上ここで騒がれたら鑑定士の機嫌が…。


ぐるぐると思考を巡らせた結果、何も言えずにいる佐藤を見かねた鑑定士が、一つ、深いため息をついた後、顕微鏡から目を離さずに口を開く。


「――無用な心配ですよ、マネージャー殿」


「何だと?」


「その男は、自身の心臓を切り売りしてでも他人の歩幅に合わせようとする、救いようのないお人好し。危惧しているような、獣じみた衝動を優先できるほど、その男は厚かましくもなければ、自意識も持っていない。その無垢さを疑うのは、鏡に向かって自分の不潔さを叫んでいるのと同義だ」


遠回しすぎる侮辱に、マネージャーの男が顔を赤くして言い返そうとしたが、鑑定士が顕微鏡から目を離しそれを手で制した。


「だが、あなたの猜疑心を説得する時間は非効率だ。解決策を提示しましょう。――佐藤、君の『性的欲求』および『異性への関心』を今すぐ一時的に抽出する。もちろん、作業経費としてあちらの顧客負担でね」


 佐藤が「えっ」と声を上げる暇もなく、鑑定士は冷徹な視線をマネージャーへ投げた。


「ただし、それらを抜き取った後の彼は、一切の加減を知らない効率の塊になる。女優という肩書きにすら敬意を払わず、まるで壊れた機械を分解するかのように、そこの女の心を容赦なく暴き立てる、血も涙もない尋問者インタロゲーターとなる。……それでもよろしいかな?」


あまりに冷酷な宣告に、店内の空気が凍りつく。佐藤ですら、鑑定士の言い分に背筋が寒くなった。

マネージャーの男も同様だった。

その反応に佐藤は意外性を感じた。

さらに逆上してしまうかとも思ったが、男の顔色は真っ青だった。


「……ふふっ、面白い人たち」


静寂を破ったのは、白雪の柔らかな笑い声だった。

冷たかった部屋に、春の風が一筋、柔らかく吹き抜けた気がした。

彼女はマネージャーの腕をそっと外すと、サングラスを外し佐藤の目を真っ直ぐに見つめた。

そして、ふっと微笑む。

その瞳は、暗い店内を照らすほどに澄んでいて、まさに全盛期の彼女を彷彿とさせる、太陽のような笑顔だった。


「大丈夫。信じて任せるわ。彼、ひどいことをする人には見えないもの。……それに、専門家に任せるのが一番だって、私が一番よく分かってるから」


彼女のプロフェッショナルな微笑みに、マネージャーは毒気を抜かれたように黙り込んだ。


「さあ、行きましょう、佐藤さん。私の『愛』を、上手に剥がしてね」


促された佐藤は、彼女の笑顔の眩しさに一瞬目を細めたが、同時に胸の奥がチリりと痛んだ。


なぜ、こんな笑顔ができる人間が、愛を手放したいと思うのか。なにが、そうさせているのか。


奥の部屋へ進む二人の背後で、鑑定士の皮肉げな独り言が響いた。


「……やれやれ。太陽が眩しいほど、影は色濃く、毒々しくなるというのにね」 



本日の感情残高はいかがでしょうか。

この物語は、感情が価値になる世界のお話です。

これからよろしくお願いします。


この物語の価値は、読者さまの感情で成り立っています。

面白い、続きが気になると思っていただけましたら、

☆評価やブックマークという“感情通貨”を少し分けていただけると嬉しいです。


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