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カラン、とドアベルが鳴り、静寂が戻った店内。
佐藤は、カウンターに残された琥珀色のアンプルを見つめていた。
「……鑑定士。正直に言うと、驚いたよ。初恋の売却なんて、この店では珍しくもない。大抵は数万円、良くて十万円前後の、ありふれた素材だろう? なぜ彼女にあんな値段をつけたんだ」
解析室から表に戻ってきた鑑定士に佐藤は問いかけた。
椅子の軋む音と、タブレットを操作する無機質な音が返ってくる。
「……佐藤。君は相変わらず、感情を名前で判断するんだな」
鑑定士がタブレット越しに冷ややかな視線を送る。
「初恋なんて記憶は、大抵が時間の経過とともに解像度が落ち、腐敗する。供給過多で市場価値も低い。だが、彼女のケースは特殊だった。彼女はあの初恋をきっかけにして、自分を作り替える努力を十数年も継続していた。その強烈なフィードバックが、潜在意識の中で感情の鮮度を真空パックのように保っていたんだ」
「……努力が、鮮度を保った?」
「そうだ。さらに言えば、純粋な甘酸っぱさだけならあの値はつかない。評価に拍車をかけたのは、彼女が抱き続けた劣等感だ。自分の容姿への憎悪、彼への不釣り合いな絶望――その泥臭い不純物が、初恋というベースに最高級のスパイスとして溶け込んでいた。シロップに一滴の塩を混ぜれば、甘さが際立つだろう? それと同じだよ」
鑑定士はタブレット画面上の波形を指差し、淡々と続けた。
「初恋の純粋さと、執着の苦味。この絶妙なブレンド比率こそがヴィンテージの証だ。……まあ、彼女が自分の人生をかけて煮詰めたスープに、いくらの価値を感じたかは興味がないがね。私はただ、抽出されたデータの希少性を数値化したまでだ」
「……鑑定士、本当に、ロマンがないね」
「ロマンで腹は膨れないよ。……さあ、次の客が来る。佐藤、アンプルを棚へ。商品名は――劣等感を隠し味にした初恋、これでいい。」
「……なぁ鑑定士。彼女、あの日図書室で彼が読んでいた雑誌のアイドルの顔に、自分を似せていたんだね」
解析室のモニターには、夢の中で彼が見つめていた雑誌の表紙と、今の彼女の顔が並べて表示されていた。
鑑定士が、ふんと鼻を鳴らす。
「非効率な努力だよ。彼はアイドルが好きだったんじゃない。ただ、そこに映る、自分とは違う世界の輝きに憧れていただけだ。……まあ、おかげで良い値がついたがね」
佐藤はアンプルを手に取り、光に透かした。
かつて彼女の人生を狂わせ、そして彼女を救った、一滴の初恋。
それは今や、名前も知らない誰かの人生を豊かにするための、ただの通貨として棚に並べられるのを待っている。
「……また一〇〇万稼がないと、彼女の次のメンテナンスには間に合わないだろうな」
佐藤の独り言に、鑑定士は答えなかった。
ただ、次の客を告げるベルが、冷たく店内に響き渡った。
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【劣等感を隠し味にした初恋】
成分名:自己否定型執着思慕
「名前を呼ばれただけで、心臓の音が耳元まで跳ね上がった」
泥に塗れた日常の中で、彼女が死守し続けた「最初で最後の無垢」です。
すぐ隣にいるのに触れられない距離、夕暮れの図書室の匂い、そして、自分が何者でもなかった頃の真っさらな憧憬。夜の帳でどれほど心を削り取られても、この一滴だけは決して汚させなかった。
[効能]
倦怠しきった精神に、劇薬のような「初々しさ」を注入します。世界が再び輝いて見え、誰かを想って眠れない夜の苦しさを、最高の贅沢として味わえます。
[備考]
持ち主は、目も眩むほどの美貌を持つ「夜の蝶」です。
彼女はこの一滴を手放したことで、もう二度と、他人の瞳の中に「あの人の面影」を追わずに済むようになりました。もはや彼女の微笑みに、一切の淀み(躊躇い)はありません。
本日の感情残高はいかがでしょうか。
この物語は、感情が価値になる世界のお話です。
これからよろしくお願いします。
この物語の価値は、読者さまの感情で成り立っています。
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