少しづつ
「アリエル様、本日の殿下からのお届け物です」
「今日は何?」
「押し花のしおりです。アリエル様がよく本を読まれているのを見て、作られたそうで」
「……」
「一枚一枚、殿下が手作りされたと」
「…………」
「アリエル様?」
「ちょっと待って。今、感情の整理をしているから」
侍女のベティが、困ったような、でも少し楽しそうな顔で私を見ている。
しおりを手に取る。
薄紙に丁寧に挟まれた小さな花たち。押し花の配置がまた絶妙で、色のバランスまで計算されている。
十三歳が、これを手で作った。この国の第三王子が。
しおりをそっと本に挟んだ。
うん。可愛い。
でもこれは「弟が工作してくれた」という意味での可愛いであって、決してそれ以上ではないのだ。
そう自分に言い聞かせる必要があることに、うっすらと気づき始めていた。
今日は使節団が王宮を訪れる日だった。周辺諸国からの訪問ということで、私も同席することになっている。正妃(仮)としての初めての公式行事だ。
謁見の間に入ると、使節団の一行が既に並んでいた。
正装に身を包んだ大人たちが、こちらを品定めするような目で見ている。外交の場というのは、どこの世界でも独特の緊張感があった。
挨拶は滞りなく進んだ。
問題が起きたのは、その後の歓談の席だ。
使節団の副団長でいかにも権威のありそうな男が、私のそばに来てこう言った。
「して、あなたが仮婚の正妃殿とか。隣国のどこぞの男爵家から来られたとか」
「はい。アリエル・フォン・エーデルと申します」
「ははあ。仮婚とは言え、なかなか面白い人選ですな。まあ、どうせ解消される婚姻ですから、家柄など関係ないということでしょうか」
笑いを含んだ声だった。周囲の数名も、同じように薄く笑っている。
私は内心で深呼吸した。
わかってる。これは外交の場で、私はただの「仮」の正妃で、家柄で言えば最下層に近い。嫌味を言われる立場であることは百も承知だ。
でも、まあ、傷つくものは傷つく。
「ごもっともでございます」
笑顔を作って答えた。前世仕込みの「笑顔で受け流す」スキルは、この世界でも十分に役立っている。
男はさらに続けようとした。
「殿下もいずれは相応しい——」
「副団長」
静かな声が、会話を断った。
ルシアンだった。
いつのまにか私の隣に立っていて、副団長をまっすぐ見ていた。十三歳の、まだ声変わりも終わっていない少年の声。でも、その声には不思議な重さがあった。
「アルクレシアの正妃に対して、その言葉は適切とは言えません」
「し、しかし殿下、仮婚というのは——」
「仮婚であっても、正妃は正妃です。私の妻です」
副団長が口をつぐんだ。周囲の空気が、ぴんと張る。
ルシアンは表情を変えないまま、続けた。
「アリエル様がどの家の出身であるかは、私には関係ありません。私が選んだ方です。それ以上の理由は必要ないと、私は考えています」
短い沈黙。
副団長が、ゆっくりと頭を下げた。
「失礼いたしました」
ルシアンは一度だけ私を見た。確認するように、静かに。それからまた前を向いた。
その横顔は、いつもの「可愛い年下の王子」ではなかった。
知らなかった。こんな顔もできるんだ。
歓談が終わり、廊下に出たところで、私はようやく息を吐いた。
「ルシアン」
「はい」
「さっきは、ありがとう」
「いいえ。当然のことをしたまでです。アリエル様を軽く扱われるのは、気に入りません。今後もそうします」
さらりと言って、彼は歩き出す。
私はその背中を見ながら、胸の奥で何かが音を立てた気がした。
当然、って言った。
あの場で、あんな顔で、あんな声で「私の妻です」と言うことが、当然なのか。十三歳なのに。
その夜。
私はベッドの上で天井を見つめながら、今日の出来事を反芻していた。
「私が選んだ方です。それ以上の理由は必要ない」
なんか、すごいこと言いませんでした?
いや、確かに外交の場での発言として、あれは正しい対応だったと思う。王子として、あの場を収める必要があった。つまり政治的な判断として、ああ言ったわけで。
でも。でも、あの横顔。
「可愛い」では、なかった。「可愛い年下の王子(弟みたいな)」では、全然なかった。
あれは普通に、格好よかった。
「…………」
私は枕に顔を埋めた。
だめだ。だめだめだめ。
こういう気持ちを認めてしまったら、色々なことが面倒になる。
「君が笑うと、僕も嬉しいです」
「貴女のために選びました」
「私の妻です」
これまでのやり取りが走馬灯みたいに浮かんで、そのたびに心拍数が上がる。
これ、まずくない?
私はもそもそと起き上がり、押し花のしおりが挟まれた本を手に取った。
丁寧に作られた、小さなしおり。
「弟が工作してくれた」という意味での可愛い、だと思っていた。
でも今日の彼の顔を見てしまったら、同じ「可愛い」では片付けられなくなってきた。
「あと数年待ってほしい」と、私はルシアンに言ったはずだ。
あと数年、この気持ちが育ったら、ちゃんと向き合おうと思っていた。
けど、このペースだと。
待てないのは、私かもしれない。
「えっ……私、ショタコン?」
自問自答して、また枕に顔を埋めた。
違う。違うと思う。たぶん。
ただ、今日の彼は十三歳っぽくなかった、それだけで。
そう言い訳しながら、しおりをそっと胸元で握った。
翌朝。
廊下でルシアンとすれ違ったとき、いつも通りに彼は言った。
「おはようございます、アリエル様。今日のお召し物も、とても似合っています」
「あ、ありがとう」
昨日まで軽くかわせた言葉が、今日はなぜかうまくかわせなかった。
視線を逸らしながら歩き出すと、後ろから声がした。
「アリエル様」
「なに」
「顔が赤いですよ」
「室内が暑いんです」
「外ですよ?」
「暑いの!」
くすくすという笑い声が背中に届いた。
くそう。気づいてる。絶対気づいてる。
私は早足で廊下を進みながら、自分の心臓の音がやけに鮮明なことに、こっそり気づいていた。
まずい。
これは、まずい流れだ。




