延々と0
時は、ウストランド卿の王都到達前に巻き戻る。
ハシャラ王朝の内政文書には、新王サルスールがまず下した指令は恩赦であったと記されている。慣習でやっているからやるといういかにもな役人仕事、内政ばかりやっていて現場が見えていないサルスールらしさが表れている、などの評と共に、これもサルスールの暗愚さを象徴するエピソードとして扱われている。
「この状況で最初にすることが恩赦で本当に良かったのか」
半ば呆れたようなアルアの問いに、サルスールは渋面で答える。
「だってそうする決まりになってるし。非常時だからってやらなかったら後から文句つけられるし。うちの民、タダで貰えるものが貰えなかったときの反発厳しいから」
ところで仕事のできる読者ならおわかりだろうが、確実にやることが決まっている案件から着手するというのはなかなか馬鹿にできない仕事術である。特に引き継いだばかりの新任であるなら尚更だ。いかに差し迫った重大案件が他にあろうが、その見通しすら立っていないのであれば、まずはわかりきっていることにリソースを割くべきであり、その行為に対して「それ今すること?」などと言うのを許されるのは社会人経験が無い者に限られ、決して当事者である周囲の人間がほざいて良い言葉ではないのだ。「それ今すること?」と思うなら、それをわざわざ口に出したりSNSに書き込んだりするより先にフォローをするべきである。
と、話が自己啓発本じみた内容に逸れてしまったので、サルスールの発言に戻そう。
「アルアこそ、その、良かったのかよ」
「言葉を濁すな。はっきり言え」
「カボレヤン将軍が出て行ったとき、てっきりついていくもんだと思ってた」
アルアは憤慨した。
「どんな主君であっても最後まで尽くすのが武人だ! 私にはずっとそう教えてきたのに……父上にはほとほと愛想が尽きた!」
「おお、怒ってる怒ってる」
「お前が怒らないといけないところだぞ!」
「だからってキミがそんな怒らんでも」
「お前が無礼られると私が悔しいんだ!」
これである。
いかに「そ、そういうのじゃないですからっ!」との公式見解を出そうとも、「しかしねえ、アルア嬢としては、こうしてツンデレ台詞を言っているのだから」などとラブコメの匂いを嗅ぎつけたカプ厨界隈を引き寄せるのだ。しかし主君のためにアルアが怒ったという記録は確かに存在しているので、これはもう詮無きことである。
「それで、これからどうする」
ひとしきり憤慨して落ち着いたアルアが問う。それにサルスールがどう答えたか、王と側近との間でどのようなやり取りが為されたのかを残した史料はない。間違いないのは、「王都を脱出する」という結論を出したことだ。
これを「逃げた」と貶めるのは早計である。そもそも主力であるカボレヤン将軍が出奔した状態で王都を決戦の地にしても勝ち目などあるはずもない。態勢を立て直すための戦略的撤退と見るのが自然であろう。
それを言い出したのはサルスールだったのか、アルアだったのか。もはや想像するしかない部分ではあるが、ハシャラ王朝の研究者の間では、この場面こそがクライマックスであるかのように、精力的な妄想が繰り広げられている。
その一。
サルスールが「決戦の場を移す。付いてきてくれ」と戦略的撤退を主導したパターン。これには武人の娘たるアルアもニッコリであったことだろう。
その二。
サルスールが「もうダメだ、逃げよう!」と暗君ムーブをしたパターン。アルアはどやしつけたりはっ倒したりしただろうが、戦略的撤退を図るべきである点は一致しているので、異を唱えることはなかったと思われる。
その三。
サルスールが「どうするアルア」と丸投げしたパターン。やはりアルアは戦略的撤退を提案するはずなので、サルスールが何をしようが王都を離れることに違いはなかったのだろう。何と主体性のない王であることか。
ここまでが歴史研究者の考える大まかなパターンだ。しかし、カプ厨界隈は更にアクロバティックな妄想を見せてくれる。
その四。
サルスールが「このまま王都で迎え撃つぞ!」と決断する、暗君の中の暗君であるパターン。カプ厨界隈では、このパターンの人気が意外に高い。なぜなら、主君の間違った選択を翻させる有能なアルアを描けるからである。アルアを上げるためならサルスールはいくら下げてもいいと思っている勢が支持している。
そして、その五。
アルアこそが「逃げてしまおうか」とサルスールに切り出すパターンである。世間一般のサルスールとアルアの人物像からここに辿り着くのは難しい、まさに妄想の産物といえる。だが、退廃的な雰囲気が人間ドラマとしては最も魅力的であると筆者は思っている。難癖を付ける目的でカプ厨が書いた小説を読み漁っている際に、もっと深堀りしているパターンも発見した。サルスールが冗談めかして「逃げちまおうかな」と呟くとアルアは「いいんじゃないか」と返す。「逃げてもいいのか?」「許す。私も連れて行ってくれるんだろう?」という台詞の応酬にすっかりやられてしまい、危うく筆者もカプ厨になりかけた。こう、武人の娘というアイデンティティがあり、サルスールとの関係を「そ、そういうのじゃないですからっ!」と公式見解を出しているあのアルアが、「私も連れて行って」なんて言うのである。湿っぽいアルアの破壊力は読者諸兄も一度味わった方が良い。とぶぞ。
ふう。
さて。
あとはもう、ハシャラ王朝は滅びるだけである。突然こんなこと言ってごめんね。でも本当です。
故に、大半の作家はここでモチベーションを失うので、サルスールとアルアのシーンを物語全体のクライマックスに選んで熱量を全振りし、その後を書くことはない。と言うより、書きたくても書けないと言った方が正しいかもしれない。王都脱出を決したのは良いが、護衛してくれる兵すら失った彼らがいったいどうやって脱出したのか、何も史料が残されていないのだ。
仮に「秘密の通路」を使ったのであれば、秘密を堂々と記すはずもないので当然とも言える。巡礼軍側も、ここはさして重要なところではないと判断したのか、脱出ルートの詳細な調査はしなかったようだ。あるいは、占領してこのまま利用するつもりであったウストランド卿が、どう転んでもいいように秘密の通路の存在を帝国側にひた隠しにしたのかもしれない。かもしれない、は尽きないが、どれだけ掘っても史料は延々とゼロである。
なので、この先は筆者がゼロから描く展開となることをお断りしておく。だって脱出させないと先に進めないんだもの。魔法があったら都合が良くて楽なんだけどな。
それはそうと、湿度が高めなアルアをお目にかかれるカプ厨小説について、巻末の参考文献にアドレスを載せておくから、作者のアカウントごと消滅しないうちに読んでほしい。何だか最近、政治にいっちょ噛みしようとしていらんこと言うようになっているから急いだ方が良いと思われる。




