武侠よさらば
ハシャラ朝末期、時の王は、武勇に秀でた人物であり、故に武勲の誉れ高い第一王子ジウラーンを溺愛していた。そのジウラーンが討たれたとあれば、その仇を討つために兵を挙げるのは当然のことだった。
「サルスール。王が討ち死にしたぞ」
王、貫禄の出番全カットである。
「……もうちょっと横になってていい?」
寝起きで訃報を聞かされたサルスールは、仰向けになって吐き気を飲み込んだ。
「ウソだろ、ただただ状況を悪化させて死んでいきやがった……」
サルスールが父王に望んだのは、ジウラーンの行動を謝罪した上での、巡礼軍との和解である。直接そう具申したにも関わらず、父王だってそうかわかったと言っていたにも関わらず、何もわかっていなかったのであった。
もっと言えば、この父王のこと自体、我々は何もわかっていない。『武勇に秀でており、ジウラーンを溺愛していた』程度にしか記録が残っていないのである。研究者の間では「武勇伝がすべて人気のあるジウラーンに吸収されたのではないか」と考えられている。同じ理由で、愚行たるエピソードをすべて吸収したと思われるのが――
「え、待って。父上死んだろ。兄上はもう死んでる。じゃ、次の王は」
「お前だ、サルスール」
サルスールは本格的に餌付いた。
「嫌だよぉ……ぬくぬく内政してたかったのに」
「嫌でも何でもお前しかいないのだ。さ、戴冠式するから起きろ」
と、国王に内定した男にタメ口で尻を叩くこの不敬者ではあるが背中をさすってあげる優しさを併せ持つのは、アルア・クラブ。サルスールの側近として名を記されている、武人の女。
女である。
女性を側近に選んでいることもサルスールが暗君と評される理由の一つだ、とSNSで呟いた大学教授が大いに炎上した事件は記憶に新しい。教授としては「いやだから、それを理由に暗君だと言っている連中が差別主義者なのであって私はそれを指摘しただけで別に差別の意図はなかったんだって、それくらいの読解力は持てよお前らさては大学出てねーだろ」という真意だったそうだが、アカウントが焼け野原になった今となっては、何を言っても詮無きことだ。
さて、現代のSNS戦争はほどほどにして、今はハシャラ王朝末期である。
王位継承からの戴冠式を控えたサルスールは、両手を頭の後ろで組み。椅子にもたれて斜めに構えながら言い放った。
「おれ、やだかんね」
即座に椅子の脚をアルアに切り払われ、サルスールは「ぐええ」と呻いてすっ転んだ。
「まだそんなことを言っているのかこの阿呆は……」
「何度だって言うよ。俺は……嫌だ!」
「嫌だ嫌だとガキかお前はッ!」
アルアに引きずられ神官の前に放り出され、あれよあれよという間に戴冠式は済まされた。緊急時とはいえ、超高速で爆誕したハシャラ王朝最後の王サルスール・アルライル。ふてくされて頬杖を突きながら玉座に着くその姿は、絵に描いたような暗君であった。
「お前、そんな姿を後世に残されたらどうするんだ」
「残したきゃ残しゃいい。そんなことする余裕があるんならな」
「……」
「なお俺に余裕はない。昨日からお通じがなくてぽんぽん痛い」
「とっとと厠に籠っていろ」
「いや、まだ厠に行かれては困りますな」
サルスールの厠への道を阻んだのは、鎧に身を包んだ大柄な髭男。ハシャラ王朝末期において最強の武人と名高い、カボレヤン・クラブ将軍である。彼は自分と同じように戦装束の兵たちを引き連れ、サルスールの前に跪いた。
「我ら一同、準備はできております」
「……準備って何のかな」
「無論、戦でございます」
サルスールの表情が強張る。その厳かな雰囲気に、その場にいる一同が続く言葉を待つ。満を持して、サルスールは言い放った。
「戦だなんてそんな野蛮な。ここはひとつ、穏便に降伏で」
「我ら一同、命を捨てる覚悟にございます」
「捨てなくていいんだなこれが降伏しちゃったらさ」
「ただ一言、王と共に死ねと命じていただければ」
「まず前提として王死なないんだよね、王死なない。前提が覆ってるので誰も、死なない」
「王族の役目とは死ぬことだとは思いませんか?」
「思わねえよ! そんなこと優しく訊くなよ!」
「死にませい」
「もうただ俺に死んで欲しいだけの人じゃん!」
「そりゃ娘の彼氏は殺したいですよ」
「ちょっと父上!」
ぐだついてきたので地の文を挟むが、サルスール・アルライル、アルア・クラブ、カボレヤン・クラブ、この三人の関係は、まあそういうことである。そういうことではあるのだが、「ちょっと父上!」と口を挟んだアルアの言い分は「そ、そういうのじゃないですからっ!」である。これは文献にも残る公式見解なので留意されたし。
「娘の彼氏は死ぬべきですが、貴方は王だ。王には相応しい死に場所がある。だから、この場では殺しません」
「王になってなかったら俺ここで死んでたってコト……?」
「死にませい」
「今、殺さないって言ったばっかだよな!?」
「あれは嘘だ」
掌を返した筋肉モリモリマッチョマンに詰め寄られるサルスール。将軍の後には兵士たちも続き、サルスールをその悲鳴ごと奥の部屋へと押し込んだ。閉ざされたその部屋の中で何が行われたのか、それを伝える文献は存在しない。