ジウラーン戦記
ハシャラ王朝第一王子、ジウラーン・アルライルは、「雷王」の別名で知られている。その由来は、数々の電撃作戦を成功させた武勲はもちろんのこと、それ以上に、雷鳴のように声がでかいからであった。同年代の文献に「声がでかい」と記述があれば、それはジウラーン・アルライルを指すというのは識者の間では有名だ。ただし、「ウーヤーター」と叫ぶだけで相手が吹っ飛んだという話は、明らかな創作なので注意されたし。
その、文字通り後世にまで轟く声を張り上げ、ジウラーンは弟の名を呼びながら王宮を駆け回っていた。
「サルスール! サルスールはいるか!」
風通し良く造られた砂漠の宮殿には、ジウラーンの大声がよく響く。聞こえていないはずはないが、尋ね人が出てくる気配はない。であれば、とジウラーンは頭を巡らせ、弟の居場所を突き止める。
「やはりここにいたか!」
どかっと座り込む。嬉々として語り掛ける、その声もでかい。
「出陣前の挨拶に参った! 必ずや民を守り、巡礼軍を蹴散らしてくれようぞ!」
ジウラーン・アルライルは戦にめっぽう強かった。少数精鋭で大部隊を撃退する、そんな奇跡としか呼べない勝利を何度も起こして見せた。仮にも王位第一継承者が前線に出るなど何事かという意見も当然あったが、本人がやりたいと言っているし、できてしまっているから、止めることができないのだ。そんな破天荒な王子の生き様は国内外からの人気も高い。いつの時代も、人気とは正常な判断を狂わせる、厄介なものである。
「……兄上、その話なんですが」
「おう! 何だ!?」
「私が厠から出るまで待てませんでしたか」
ジウラーンはずっと、厠の閉ざされた扉に大声で話しかけていた。
「おう、すまなんだ! でかい方か!?」
「でかい方でしたよ。引っ込みましたけど……」
恨めしそうに、厠の扉の隙間から顔を覗かせる、第二王子サルスール・アルライル。
「それはいかんな! 出すものは出せるときに出すべきだ!」
「あんたのせいで引っ込んだんだよ」
鋭く短い悪態をつく。ジウラーンのものと比べれば、歴史はおろか、厠に埋もれるのもやむなしのひどく小さな声であった。その、今にも消え入りそうな調子で、サルスールは懇々と語る。
「兄上は勘違いされています。いいですか、」
「勘違いなどしていないぞ弟よ!」
「聞いてから言えよ!」
腹から声が出た。やっと戦記モノの登場人物っぽくなってきたサルスールである。
「……今回の、事の発端を覚えていますか」
「おう! 巡礼軍の積み荷を、我が国民が盗んだのだったな!」
「わかっているならなにより」
「因縁をつけてきた巡礼軍は叩きのめさねばならんな!」
「全然わかってねえだろうが!」
ハシャラ王朝の末期、遠く離れた異国の地で、一つの宗教のもとに興った帝国が勢力を伸ばしていたことはよく知られている。帝国は聖典に記された「神の地」を探すために、世界各地を行脚する「巡礼軍」を派遣していた。他の国々と同じく、ハシャラの地もそのルート上にあった。しかし――
「ウチの民もバカなことしたもんですよ。チンピラに自分から絡んでいくなんて」
巡礼軍が、緊急に召集され、かつ、旅先から帰って来なくても別に知ったことではない「ならず者」の集まりであったことは、帝国の記録でも認められている。故に、旅先での現地住民とのトラブルが絶えなかった。
「今回の件は明確に民が悪い。そいつを差し出して穏便に済ませるところですよここは」
「だが王族とは国を守るものであり、国とは民だ」
「いつもの父上の受け売りですね」
「なら民は守らんといかんだろう?」
「今回は話が違います。良くない民は、むしろ国の癌になる」
「患部か! ではいっそう、守らねばならんな!」
「すんません例え話が良くなかった! 守らなくていいんですよ! 罪人なんだから!」
ジウラーンはひどく傷ついた顔をした。
「それはないだろう弟よ。罪人であれば見捨てても良いのか?」
「んー、んんー! 言いたいことはわかるんだけどなー! そういうイチゼロの問題じゃないんだよなあ、政治が絡んだ罪と罰ってさあ!」
サルスールは嘆くが、悲しいかな、民衆にウケが良いのはそのイチゼロ論である。ジウラーンの漢らしさにマッチングしているのもあるのだろう。ジウラーンの伝記には、こうしたサルスールとの問答の場面が数多くあるが、いずれも、サルスールはジウラーンの成すことに異を唱える邪魔者として描かれている。そんなサルスールを、ジウラーンが極論でやり込めるといった流れが定石だ。そしてサルスールが押し黙った後、ジウラーンは決まって天まで届くような高笑いを上げて去って行くのだ。
「いざ行って参る! 吉報を待つがよい!!」
「……ってだから言い負かした気になって行くんじゃねえってんだよ、オイ! こっちは下履いてないから出られな……オイ待て! 待てってば……ウッ!!」
タイミング悪く再び下半身に「波」がきて、厠に閉じこもるサルスール。だが、先行きが不安すぎて結局出ることはなかった。頭の中も体の中も残った課題でいっぱいになりながら、翌日、サルスールは報せを受けることになる。
「で、伝令! 伝令ーッ!!」
転がるように飛び込んで来た伝令役に、胸騒ぎがする。嫌な予感というやつだ。伝令役は頭を地にこすりつけ、声を震わせながら叫んだ。
「ジウラーン・アルライル様、お討ち死にですッ!」
なぜ、戦上手とうたわれたジウラーンがあっさり死んだのか。その謎は、こう言い換えることができる。
なぜ、ジウラーンは、これまで多勢に無勢の無茶な状況を生き抜いてこられたのか。
それはこれまでのジウラーンの戦績にヒントがある。
腕利きの少数精鋭を率いるジウラーンのスタイルでは、仕掛けるのはゲリラ戦に限られる。敵軍はジウラーン隊に対し、本気で相手をしようとは思わなかった。チンピラにからまれたサラリーマンが、とりあえず財布を出して事を済まそうとするのと同じである。「俺たちに明日はないッス」などと嘯くチンピラと違って、サラリーマンは明日も仕事があるのだ。
かくしてジウラーンは、相手方の戦略的撤退を自らの勝利と捉えた。そして相手方が本来の標的としていた拠点はしっかり落とされたのであったが、ジウラーンの伝記ではそれは拠点の防衛担当者が無能であったという「些事」として処理されている。そんな無茶苦茶が通るのは、やはり人気の成せる業であろう。
なお、これまでと同じ戦いをしたのにどうして今回に限って討ち取られることになったのか。その解釈は伝記の著者によって分かれるところだが、研究者の間では「俺たちに明日はないッス」なチンピラ同士がかち合った結果、後先考えない殲滅戦になってしまったからだと分析されている。
かくして、第一王子の死によって、ハシャラ王朝の滅亡が幕を開ける。