西蓮寺恭子の初恋
「無意味だよ、無意味。こんなもの」
担当編集のT氏は、貰った原稿に対してそんな言葉を浴びせた。
「こんなつまらないものいくら書いても無駄。君には才能が無いよ」
「そうですか……」
もう何度目になるかもわからないやり取り。僕は作家になるために上京してきて、この一年間、完成した原稿を出版社に持ち込んでいた。最初の方こそ多少反応があったものの、最近はこんな調子。
それでも読んでくれるだけありがたいとも自分は思う訳だが。自分には本当に才能が無いのか。そして自分が今までやってきたことは本当に無意味なのか。最近よく考えることがある。
もし自分がこのまま作品を世に出せず、物語作家に成ることが出来なかったら、その自分の人生に意味はあるのかと。そんな自分の人生を自分は許せるのかと。物語〈フィクション〉、
幻想を信じる気持ちなら、誰にも負けない、だからこの『夢』は絶対に叶えたい、そう思っていた。でも最近心境に変化が生じたのだ。だからその想いを作品に込めた――。とはいえ心の底では諦めきれない気持ちもあるから、こうして『夢』に手を伸ばしてるわけだが。
「いやー今回の作品も素晴らしいね」
「ありがとうございます。でも私もっと上を目指しますので」
ブースから声が聞こえる。その声の主は最近気鋭の若手女性漫画家、なんと大学生でデビューし、その作品は瞬く間に世間を斡旋し、アニメ化も控えていると言う。
その名は西蓮寺恭子、僕には無い才能を持ちながら、それに驕ることなく上を目指し続ける存在。ジャンルは違えど、物語作家として僕は、彼女を尊敬し嫉妬し、
また歳も近いことから親愛の念も持っていた。言わば複雑な心情というやつである。そしてこれは余談だが、彼女は、その才能に飽き足らず、容姿も淡麗で、その華やかな姿もあって、
機会があればお近づきになりたいななんてことも思っている。無論僕みたいな、才能もなく、容姿も平凡な人間には、それは高望みである。しかしそれは起こった――。
原稿を抱えて、編集部を後にしていると、なんと歩いている彼女と衝突した。
「いてて……」
僕は呻く、ころんだ僕は前を見ると、彼女は散らばった原稿に目を向けていた。
「これは……」
「あっすみません、とても人に見せられたものじゃないのですぐ回収しますから」
「いえ、ちょっと気になるわ、この一節『全てのことには意味がある、無意味なことなんてない』素敵じゃないかしら」
「あははーそうかなー」
「そうよ!ちょっとこの原稿見せて、ここじゃなんだから近くの公園で見せて貰っていい?」
「いいけど、時間の無駄かもですよ?」
「そんなことない!『全てのことに意味はある』んだから!」
彼女は早速僕の作品の一節を引用すると、僕の手を引いて編集部を後にした。
「おい、西蓮寺、そんな奴に構ってると時間の無駄だぞ」
編集部から声が聞こえた。彼女の担当編集である。
「そんあことありません!面白いことや、愉しいことってどこに転がってるかわからないんだから!だから世界は美しいのよ!」
*
公園。僕は憧れの西蓮寺恭子とベンチで一緒に座りながら、なんと僕の原稿を一緒に見ていた。
「ふぅん確かに物語としては平凡ね。でも私が気に入ったのはメッセージ性かな」
「それはさっき言ってた『全てのことに意味がある』ってとこですか?」
「そう!それが素晴らしいわ!なんせ私もそう思うのよね。良いことも悪いことも、起こったこと、生まれたものには全て意味があって、無意味なことなんてないって。私、
昔はこう考えてたのよ。私の人生は物語を創る為にあるんだって、でなきゃ、そうじゃなきゃ、私には生まれてきた価値も、意味も無いんだって。どうしてそう思う様になったのかって?
それは物語に私が救われたからよ。物語が、幻想が、生きる意味であり、文字通り生きがいである時があったの、現実じゃなくってね。それで物語に恩返しがしたいって思うようになったの。
それが私が物語を紡ぐ理由。でもね、話は戻るけど、
そうして『夢』に向かって手を伸ばした先が例え結果として悲惨なことになったとしても、手を伸ばしたこと自体に価値があるんじゃないかって思う様になったの。
私は運良く成功という結果を手にれられた。でもこれは単なる運命、単なる結果、重要なのはそこじゃないって最近思うのよね。もちろん努力はしたわ。でもそれが全てじゃないって思うの。
それにね。そういう生き方してた時の私すっごく辛かったの、自分という人間の意味や価値が、結果がでなければ無意味に帰してしまうという脅迫観念にいつも迫られてたわ。
だからいつも自分を責めてたし、自罰的に生きてた。今思うとその頃の私の『夢』って『呪い』に近かったのかもしれない。『夢』は転じて『呪い』となる、よく言うでしょ。
その頃の私の作品って鬼気迫るものがあったけど、憧れの作品とは程遠かったわ。ううん今でもそれは変わらない。その点あなたの『物語』は私の『憧れ』の物語に精神性が近いのよ。
そこが凄いと思うし、尊敬するし、嫉妬する、きっとあなた、小手先を磨けば大成するわ、私が保証する」
「ありがとうございます……」
僕は恐縮しながらお礼を言った。そう、結果が例えどんなに、救われない終わりでも、そこに至る過程に、少しでも幸福があったなら、そこに意味があると僕は思うのだ。
いや幸福なんてなくったって、苦痛と絶望だけの生だって、そこに在ったことには、きっと意味があるのではないかと――。行為それ自体には、そのこと、そのものの意味と価値がある。
でもそれとそれを為した人間の価値と意味は別なんではないかと。罪は罪、行為としての罪、でもそれを行った人間そのものが『悪』だと誰が断じられよう。『罪』は行為そのものにあるのであって、
それを為した人にあるのではない。罰は罪そのものに対して行われるべきであり、人が人を裁くことなど誰にも出来ないのではないか?人の価値は真に平等で、
能力や働きによって差別されるべきではないのではないか?そんなことを最近思う。それを作品に込めたつもりだったが、それがこうまで伝わるとは、しかもあの西蓮寺恭子に、
まあ小手先がまだまだだとダメ出しもされたが。
「あなたは大成する、自分を信じなさい」
『全てのことに意味がある』――ならきっとこの出会いも偶然じゃない、それはきっと運命なのだろう。