第2話
医者からは大事をとって安静にするよう指示が出されているが、部屋にいてもやることがない。退屈すぎて叫びそうになるのでこっそり部屋を抜け出すことにした。
向かったのは王宮内の書庫。ここには歴史書や政治の本もあるだろう。バーバラの記憶もあるとはいえ、即席王妃のままではいけないと思い、勉強しに来たのだ。
書庫内には背の高い棚がずらりと並んでいて、どの棚も一番上の段まで書物がびっしりと詰まっている。
「よっ……」
子どもの声が聞こえたので気になって見に行くと、脚立に乗って一番上の段から本を取ろうとしているリヒトがいた。慌てて後ろから彼が取ろうとしていた本を取ってあげる。
「あっ、バーバラ様……」
背後からいきなり手が伸びてきて驚いたのか、リヒトは勢いよく振り返った。
「危ないから次からは大人に取ってもらいなさいね」
私は言った後にハッとした。そうだ、リヒトは他者から冷遇された期間が長いから、全部自分で何とかしようとするのだ。大人に頼ろうと思っても出来なくしてしまっている。
「何かあれば私を呼びなさい。助けてあげる。それこそ、本だって取ってあげるわ」
「王妃様にそんなことしていただけません……」
リヒトは顔を赤く染めて答えた。私は彼が手に持っている本を見て聞いてみる。
「本が好きなの?」
すると、好きな事を聞かれたのが嬉しいのか目を輝かせて答える。
「はい。本当は世界を見て回りたいんですけど、王宮の外には出られないから空想の中で冒険しているんです。本は僕を旅に連れて行ってくれるから大好きです」
年相応の笑顔をみせてくれたリヒトが愛おしくて、つい頭を撫でてしまった。
「お、王妃様はお体は大丈夫なんですか?」
熟れた果実のように顔を染めて彼は聞く。
「安静にしろと言われているけど、暇だから部屋を抜け出してきたの」
「……侍女達が大騒ぎすると思いますよ」
「それもそうね。でも、部屋に戻ってもつまらないし……。そうだ、部屋においで。お話しよう」
私が手を差し出すと、彼は上気した頬を緩めて小さな手を重ねてきた。
リヒトと私の部屋に向かう途中、廊下で嫌な奴に出会ってしまった。
「国王陛下」
私とリヒトは廊下の端により、彼の進路をふさがないようにする。
ルシオはリヒトに底冷えするような視線を向けた後、憎々しげに言い放つ。
「何を企んでいるのか分からんが、怪しい行動は取るな」
なんだあいつ――!
「何が怪しいんですか?」
承知いたしました。
あっ、いけない。心の声と言わなきゃいけない声が反対に。
覆水盆に返らず、ルシオは恐ろしいほど鋭い視線を私に向ける。その眼で射抜かれそう。
「リリアナの子とお前は親しくはなかっただろう。接点もなかったはずだ。今更何をしようとしている」
「側妃の子は私の子でもあります。共に過ごすことは何もおかしくありません。それより、父親の責務を果たしていない貴方に文句言われる筋合いはありません」
言ってやった! その悔しそうな顔を絵にして飾ってやりたいくらいだわ。
「……お前とはやはり相容れない!」
ルシオは青筋を浮かべて去って行く。今まで見下していたバーバラが反論したんだもの。さぞ悔しかろう。
私はにんまりと笑った。
◆ ◆ ◆
リヒトは生まれてからずっと独りぼっちであった。王宮にいる家族には会えないし、向こうも会おうとしてくれない。母親は生まれた時からいないし、人の温もりを知らずに生きてきた。彼にとっては普通だった。自分が勉学、剣術をどれだけ頑張ったとしても、父は絶対に褒めないし見向きすらしない。それも慣れた。
だが、この赤毛の妃は違う。
「側妃の子は私の子でもあります。父親の責務を果たしていない貴方に文句言われる筋合いはありません」
真っ直ぐに父を見据えて言い放った言葉が、リヒトにとってどれほど嬉しいものか、救われたか、彼女は知っているだろうか。
私の子、と言ってくれた彼女の手をリヒトは握り締める。
人の温もりとはこれほどまで温かいのだと初めて知った。
◆ ◆ ◆
「バーバラ様、お身体の具合はいかがでしょうか?」
お茶会以来、初めてカトレアと顔を合わせる。栗毛の長い髪はうねっていて、黄色い瞳は眩しいほど煌めいている。
「お茶を飲まれてから倒れられたので、茶葉が合わなかったのかしらと心配でしたの。わたくし、身体が弱いものですから気分が良くなるよう薬草をブレンドさせているのです。健康なお身体のバーバラ様には合わなかったのかもしれませんわね……申し訳ございませんでした」
カトレアはうるうると涙を浮かべて頭を下げた。
小説ではあまり登場シーンも少なかったので、どんな人物かは分からない。私も結末を知る前に転生してしまったので、どうなったのかも分からないのだけど。
「お詫びに実家の領地で有名なパティシエにクッキーを作らせましたの。良かったら召し上がってくださいませ」
カトレアは優雅に一礼をしてから部屋を出ていった。
私は物思いにふけっていた。バーバラには何かあったはず、特殊能力のような。思い出せない。
「バーバラ様、入ってもよろしいでしょうか」
可愛いリヒトの声が聞こえてきた。最近、私に懐いてくれた彼はよく遊びに来てくれるようになった。
部屋で読書をしたり、二人でゲームをしたり、時には家庭教師に褒められたと花丸がつけられた解答用紙を見せてくれることもある。
「どうぞ」
私は扉を開ける。中に入ってきたリヒトは、机の上に置かれているクッキーに気付く。
美味しそうな甘い香りを漂わせるそれは、子どもの舌を刺激するには十分の代物だ。
よだれが出るんじゃないかというくらい、興奮した様子で食べていいか聞くリヒトに私は笑って頷いた。
クッキーでこんなに喜ぶなんて。年相応なところがあるんだなぁ。
うん、待てよ。バーバラはカトレアのお茶に毒が入っていると言って倒れたんだったよね。
確かバーバラって――毒を判別できるんじゃなかったっけ。
「待って、リヒト! 食べちゃだめ!」
考えると同時に手が出ていた。私が伸ばした手はむなしく、クッキーは既にリヒトの胃の中におさまってしまった。
私は青ざめた。バーバラは毒が判別できる。その彼女がカトレアのお茶に入っていると言う以上、限りなく真実だ。そして、カトレアが持ってきたクッキーから嫌な匂いが漂う。
私はクッキーを口に入れると、叫んだ。
「トリカブトの毒が入っているわ! すぐに医者とたくさんの水を持ってきて!!」
傍に控えていた女中に指示を出しながら私はどうするか考えていた。
バーバラの知識では、トリカブトには解毒薬がない。誤って服用してしまった場合は、胃洗浄を行わなければならない。耐性のある私ならともかく、10分もすればリヒトに症状が出てしまう。そうなる前に、水をたくさん飲ませ吐かせることで胃の内容物を出す。
時間がかかればかかるほど、命の危険がある。私は女中に急ぐよう指示をした。