静かな庭を臨む部屋 1
「ええと、俺達はこれからどちらに向かうのでしょう……」
飯田さんの家とは聞いていたがこの近くなのかとなんとなく気まずい声と静まり返った時間帯に響くエンジン音と共によく響いた。
しかもよく見知ってる街並みで、あまり縁のない場所へと車が曲がる。
「飯田さんって綾人から紹介は?」
「一度ご飯を食べさせていただきました。
すっごく美味しくってちみっこ達もすっかり尊敬していて、帰られた後はいつも大家さんから差し入れを頂きます」
主にちみっこ達にだが、ご相伴に預かるだけでもありがたい。
「そうか。知ってるなら話は早い。
ここから割と近い所に住んでるから。飯田さんの所に行けって言われたから行く事になったんだが……」
「ええと、こんな時間にお邪魔してご迷惑では……」
すでに日付も変わろうとする時間。
「訪問するにはかなり失礼なのでは?それならホテルにでも泊った方がいいのでは?」
と真は訴えるも
「そうすると今度は綾人が目が覚めた時に飯田さんの家じゃないって不機嫌になる」
「大家さんって面倒ですね」
素直な感想に暁さんも盛大に頷いていた。
「そうなんだ。あいつ面倒なんだ。
どうせ飯田さんの所に行けって言うのも目が覚めた時飯田さんのご飯が食べたいとかちやほやしてほしいとかそんな下らん理由だろう」
「ちやほやですか……」
三十をとっくに過ぎた男のたくらみに真はドン引きだがそこは暁さんも一緒のよう。だがしかし
「どうやったのか知らんがあいつは飯田さん一家を手玉に取りやがったんだ!
よそ様のしかもあの一家をどうやってだ?!」
なんて叫ぶ意味なんて全く分からなかったけど、目的地に到着すれば理解が出来た。
そう。
老舗中の老舗の料亭で、地元でも常識な一見さんお断りで有名なお店だった。
もちろん我が家が敷居を跨げるわけもなく、ただ店の前を通るのがせいぜい。
その店の駐車場に車を止めて
「俺が先に挨拶してくるから戻ったら一緒にこいつを運ぼう」
そんな作戦。
作戦なのか?
こんな時間だからしょうがないけどと思う合間にも暁さんは勇者となって日付が変わろうとする時間にご自宅の出入り口の方のチャイムを鳴らし、何やらインターフォン越しに頭を下げていればすっかりリラックスしたような姿でも隙のない女将さんだろう方がお迎えに出てきてくれた。
「夜分遅く大変申し訳ありません」
「はい、そうですね。
まったく九条のご主人はどういう躾をしているのか少し疑問をおぼえますわ」
隠そうともしない不機嫌な声が車の中まで聞こえてしまってあの爺さん達とは違う緊張に全身が強張ってしまう。
暁さんのお父さんだって逃げ出すわけだと納得しながらも窓から玄関の方をそーっと覗く。
「ええと、今回は綾人、ええと、吉野綾人はご存じですか?
薫さんのご友人の……」
すっかり迫力に飲まれてしまったたじたじの暁さん。インターフォンの段階で先にその説明しておけよと心の中で突っ込めば
「綾人さん?綾人さんがどうしましたの?」
とたんに近所のおばちゃんの様なフランクな声になった。
フランクだけど品の良さは俺が知るおばちゃんとは天と地ほどもある。どんな時でも女将はうちの母さんみたいにはならなかった。
「ちょっと体調崩してしまいまして、ご迷惑でなければ薫さんを頼りたいと言ってまし……」
「薫ー!綾人さんがお見えよー!
体調が悪いみたいだから手を貸してー!」
大家さん、暁さんも逃げ腰の人から信頼を勝ち取りすぎているだろと聞こえないだろうから口に出してぼやいてしまう。
ちなみにちみっこは大家さんが寝たから一緒に寝ると言って鞄の中に潜り込んでしまったのだ。素直に寝る子はよい子でよろしい。
その合間にも外まで聞こえるような足音が近づいてきて
「綾人さん体調を崩したって?!ああ、暁君でしたか」
この温度差がほんと辛いという暁さんの顔が見えて、これが苦手意識を持つというやつかと納得してしまう。
「夜分遅く申し訳ありません」
ここでも力関係がはっきりと浮き彫りになる光景に飯田家どれだけ恐れられているんだよとあの人の好さそうな顔をしていた飯田さんの一面にびくびくしてしまうも
「で、綾人さんは……」
きょろきょろとする飯田さんはお風呂に入っていたのかちゃんと拭かずに服を着てシャツはびしょびしょ、頭からもしずくがしたたり落ちていた。とりあえずというように肩にタオルはかけてあるがあまり役目は果たしてないようだ。
「車の中に」
そう言って車に案内してきたので俺も車から降りて
「こんばんは、ご無沙汰してます」
「ええと、九条真君でしたね?」
「はい。向こう通りの九条です」
意外とご近所でしたねと言う言葉はどうでもいいが、どこか納得したような顔の飯田さんにうすうす気づいてくれていたようだと察してしまう。
「あら?あちらの九条さんだったのね。真君と言うと下の子だったかしら?」
さすが料亭の女将。
全く縁のない間柄なのに謎の情報網には顔が引きつりそうになりながらも
「そうです。初めましてよろしくお願いします」
無難に答えておいた。
「で、綾人さんはどうしてこんな事に……」
「ちょっと過労と言うか精神的にピークを迎えたようで……」
そんな暁さんの大ウソ。だけど
「綾人さん鋼の精神なのに簡単に限界突破するから……
とりあえずうちの中に運びますね」
よいしょと抱え上げて
「ああ、相変わらず軽い。また体重が減っているのでは?ちゃんとご飯食べているのだろうか……」
そんな心配。
いえ、十分重かったですよ?
俺たち二人がかりでしたよ?
そもそも抱え上げて体重の差異ってわかるものなのですか?
なんで知っているのですか?
暁さんと俺の心が一致したものの当然だが飯田さんには聞こえず軽々とお姫様抱っこをしたまま家の中へと入っていくのを見てなんだか情けない気分になった。
「じゃあ、客間を用意してくるわ。二人とも入って」
こんな形でお正月にふるまうぜんざいにしか縁のないあの料亭の中に入る事になったが
「申し訳ありません。僕は急遽家の方で会合に顔を出さなくてはならなくて」
暁さんは申し訳なさそうに言うが
「こんな夜遅くに?」
「家の都合でこんな遅くからになってしまいました」
「まあ、大変ね」
珍しいと色を含む声だがそれ以上は聞かずに気を付けてねとあっさりと見送ってくれた。
初対面で決して歓迎されていない女将の様子だっただけに少しだけ去っていく後姿が羨ましかった……




