婚約破棄の危機でも、溺愛してくれるモフモフ美少年の獣人がいるから平気です ~動物を大切にしないバカ野郎を鉄拳制裁~
「レノール・セルノトス!
お前との婚約を破棄させてもらう!」
わたくしの目の前で声高らかに宣言したのは、王太子であるノルド・オーウェン。
貴族たちを集めての建国記念パーティーでのことだった。
「え? 婚約破棄……ですか?」
突然のことに動揺してしまい、思わず気の抜けた返事をしてしまいました。
ノルドさまとは幼いころからずっと一緒に過ごしてきて、彼と結ばれることを信じて疑わずに生きてきました。
今思うと、なんと間抜けだったことか。
恋のライバルなど現れるはずもなく、将来は彼と結ばれるのだと信じて疑いませんでした。
しかし、わたくし達が貴族たちの通う学園に入学してから少しして、彼女が現れたのです。
目の前でノルドさまの腕に抱き着いてこちらを睨みつけているあの女。
エマ・ハルトノーンです。
彼女はことあるごとにノルドさまに近づいては、色目を使って彼を誘惑しました。
婚約者であるわたくしのことなどお構いなしに。
無論、わたくしも黙って見ていたわけではありません。
顔を合わせて口頭で注意しましたし、これ以上不義理な真似を続けるのであれば容赦はしないと警告もしました。
友人たちとエマをどうすべきか話し合い、彼女を排除する計画を立てたのです。
計画の中には人に言えない過激なものも含まれます。
聞いたら恐ろしくなって震えてしまうくらい。
最愛の人を取られそうになったわたくしは冷静さを欠いていて、理性を失いかけていました。
見る人によっては悪女のように目に映るかもしれません。
ですが……その計画は結局のところ、実行に移されることはありませんでした。
文字通り机上の空論に終わってしまったのです。
と、いうのも――
「レノおおおおおおおおおお!」
執事服を着た幼い少年が貴族たちの間をすり抜けるようにして、わたくしの方へ駆け寄ってきます。
おしりに付いている雪のように真っ白なモフモフしたしっぽを左右に勢いよく揺らしながら、頭の上にあるピンと立った犬の耳をピコピコさせて。
「えっ……誰?」
彼の登場にノルドさまは動揺を隠せません。
他の貴族たちも何事かとどよめいています。
わたくしも彼がここへ現れるとは思っていませんでした。
「レノぉ!」
「ちょ! 離れて! くっつかないで!」
少年はわたくしにぎゅー――っと抱き着くと、胸の中に顔を埋めて離れようとしません。
こんな状態を他の人に見られたらどう思われるか……。
案の定、周囲の貴族たちはわたくし達を怪訝そうな顔で眺めています。
ノルドさまもエマも同じように眉をひそめていました。
「シーク? なんでここに来たの⁉
お部屋にいたはずじゃ……」
「なんなんだ……その……モフモフした子供は!」
ノルドは困惑した様子で私に抱き着く少年――シークを指さしました。
きちんと説明しなければなりませんね。
「ええっと……順を追ってお話しますので。
どうか疑わずに聞いていただけますでしょうか?」
「うっ……うむ」
わたくしはシークとの出会いについて、正直に話すことにしました。
――数か月前――
それは、あるよく晴れた日のことでした。
目を覚ましたわたくしが着替えを済ませていると、部屋で飼っていたシークの姿が見当たりません。
シークは犬でした。
人間ではありません。
白くてモフモフした身体に、愛くるしい顔立ち。
わたくしを見つけるとしっぽを振って駆け寄って、顔をこすりつけては甘えようとするのです。
それはもう愛らしい犬でした。
犬でした。
雨の日に木の陰で震えていたのを見つけて保護したのですが、私は彼の姿を一目見て大好きになってしまったのです。
それはシークも同じだったようで、わたくしのことを愛してくれました。
お互いに大切に思い合うわたくしたちは本当の家族のように過ごしていました。
人間と犬として。
ええ……あくまで人間と犬として……でした。
シークが見当たらず、不安に思ったわたくしはメイドのハンナに行方を尋ねました。
すると彼女も知らないというのです。
これは困ったことになった。
わたくしがシークの身を案じていると、クローゼットの中から何やら怪しい息遣いが聞こえてきました。
シークかと思ったのですが……どうも様子がおかしいのです。
なんて言うか……人間の息遣いのような気がして。
もしかしたら侵入者かもしれない。
一瞬、恐怖を覚えたわたくしでしたが、正体を確かめずにはいられませんでした。
クローゼットを開くと、そこには――
「レノおおおおおおお!」
全裸の少年が飛びついて来ました。
「え? 誰?! 何で⁉」
突然のことにパニックになったわたくしですが、少年のおしりに生えた白いモフモフのしっぽと、ピコピコした耳に気が付きました。
この毛並み……もしかして……。
「もしかして、アナタはシーク?!」
「そうだよ! シークだよ!」
少年は自分がシークだと名乗りました。
普通であれば、飼い犬が人間になったなんて信じられるはずがありません。
ですがわたくしには確信があったのです。
上手く言葉にはできませんが、この子は間違いなくシークであると、第六感的な感覚で感じ取ったのです。
ええ……本当にただのカンでした。
「これは……もしかするとですが。
伝説にある“ひとがえり”かもしれませんね」
「え? ひとがえり?」
ハンナはその伝説について詳しく知っているようなので、話を聞いてみることにしました。
曰く、かつてこの地には動物に姿を変えられる人々がいて、わたくしたちの祖先である人間たちと共に暮らしてそう。
しかし彼らは次第に動物の姿のまま暮らすようになり、人間たちとは別々の世界で生きるようになったと。
動物として生きることを決めたその民は、今はもう人間の姿に戻ることはない。
他の野生動物と同じように暮らしている。
しかし――稀に人間の姿を取り戻す者がいる。
……とか、なんとか。
「つまり、シークはその伝説の民の子孫だと?」
「そうじゃないですかねぇ。知りませんけど」
肩をすくめながら投げやりに言うハンナ。
彼女も確信はしていないらしい。
しかし、実際にシークは人間の姿になってしまいました。
姿かたちが変わる瞬間を見たわけではありませんが、わたくしは彼がシークであることを疑っていません。
目の前にいる少年はわたくしの愛犬に違いないのです。
しかし、困りました。
彼の処遇をどうするか決めなければなりません。
ここは女子寮。
入寮している学生はもちろん、使用人も含め寮内にいるのは全て女性。
犬とはいえ、人間の男の子の姿になったシークの姿を置いておくわけには……。
「仕方ありませんね、私がなんとかします。
しばらくはこの部屋に住まわせましょう。
引受先を見つけたら――」
「ちょっと、待って下さい!
シークを他人に渡すというのですか⁉」
「それがだめならセルノトスさまと連絡をとり、
引き取っていただくのがよろしいかと」
「ううん……」
少年の姿になったシークを父が受け入れてくれるとは思えません。
男女の関係にはとても厳しい人でしたし……わたくしに近づく男性は全て排除していました。
父はわたくしを王太子の妻にするために育てたようなものです。
他の男が近づくのを許すはずがない。
シークがどこかへ遠くへ連れていかれるのではないかと、不安になりました。
「とりあえず、この件に関しては私にお任せ下さい。
決して悪いようには致しませんので」
「ううん……」
自信満々に言うハンナですが、彼女のことはどうも信用できない。
と言うのも、シークを保護したすこし後に彼女はふらっとわたくしの前に現れて、初対面であるにも関わらずメイドとして雇って欲しいと言い出すような、何を考えているのかよく分からない人なのです。
彼の世話を任せるのに丁度いいと思って雇ってしまったのですが、今思うと無謀なことをしたと反省しております。
まぁ、ハンナのことで困ったことはないし、シークの面倒もよく見てくれるので助かってはいるのですが……もしかしたら父がわたくしを監視するために向かわせた配下の者かもしれません。
手放しで信用できないものの、他に頼れる人がいないので、彼女を頼るしかありませんでした。
「分かりました。
シークのことについてはお願いします。
ですが、くれぐれも父上には……」
「ええ、秘密は守りますよ」
そう言ってにっこり微笑むハンナ。
私は彼女の笑顔を見てますます不安になりました。
「ねぇねぇ。大丈夫?」
悩まし気に眉を寄せているわたくしの姿をみて不安を覚えたのか、シークが心配そうに顔を覗き込んできます。
一糸まとわぬ少年の姿を前にして、いかがわしい感情を抱いてしまったわたくしは思わず顔を反らしてしまいました。
あまりに可愛すぎるのです。
白いモフモフとしたしっぽが垂れているのを見ると、なんとも言えない気持ちになります。
ぎゅーっと抱きしめて頭を撫でてあげたくなりました。
というか、実際に抱きしめて頭をなでました。
可愛すぎる。
我慢できるか、こんなの。
「えへへ。レノの身体あったかぁい」
私の胸に顔を埋めて、とろんとした表情を浮かべるシーク。
あまりに愛らしすぎて一線を超えそうでしたが、理性で踏みとどまりました。
ハンナがいなかったら危うかったかもしれません。
「ハンナ、彼が着る服を用意して下さい。
あと、今晩の食事と……」
「トイレはいかがしましょうか?」
「室内用の簡易トイレを。用意できますか?」
「なんとかしましょう」
ハンナは無茶な注文を聞き入れてくれました。
出自の分からない怪しさ満点のメイドですが意外と有能なのです。
それから、わたくしはシークのことでずっと頭を悩ませていました。
授業を受ける時も。
午後のお茶会の時も。
寝る時も、食事をとる時も。
エマを陥れるための謀略を練っている時も。
「レノールさま、いいことを思いつきましたわ!
エマの食事にこの毒を盛るのです。
ひとたび口に含めばたちまち泡を吹いて――」
「ひと気のない山奥に呼び出して、
崖から突き落としてしまいましょう!
誰も見ていなければ事故だと思われますわ!」
「いっそのこと、盗賊に襲わせるというのは……」
友人たちの口から飛び出る恐ろしい企ての数々。
彼女たちはわたくしが集めた上流貴族の娘たち。
エマのことで困っていると相談したら、力を貸してくれると言うので、こうして秘密の会議を何度か開催していました。
冷静になって聞いてみると、毒を盛ったり、崖から突き落としたりと、恐ろしい企ての数々に怖くなってしまいます。
エマに憎しみを募らせていたわたくしは、明らかに正気を失っていました。
手段を択ばずに排除するつもりで、彼女たちのような協力者を集めていたのです。
「あの……レノールさま?」
「え? は?」
「話を聞いておられましたか?」
「ええ、まぁ……」
わたくしの気の抜けた様子に、彼女たちは顔を見合わせて困惑します。
謀略の首謀者たるわたくしがこれでは、協力者である彼女たちも気が抜けてしまうでしょう。
とりあえずこの場は解散して、わたくしは自分の部屋へ戻ることにしました。
早く何か手を打たないと、エマのいいようにされてしまいます。
ノルドさまの気持ちが変わってしまうのも時間の問題でしょう。
それでも……わたくしはシークのことで頭がいっぱいで、他に何も手が付けられませんでした。
「レノおおおおおおお!」
「…………」
部屋へ戻ると、シークが両手を広げて迎え入れてくれます。
相変わらずモフモフのしっぽを左右にぶんぶん。
「ただいま、シーク。
あまり大きな声は出さないでね」
「あっ、うん。ごめんなさい」
しっぽを垂らしてしょんぼりしている彼を見ていると、これ以上は叱る気にはなれない。
頭をなでなでしてギューッと抱きしめてあげました。
「えへへ……大好き」
わたくしの腕の中で嬉しそうに微笑むシーク。
彼を見ていたら、何もかもがどうでもよくなってしまうのです。
――現在へ――
「と、言うことがありましてね」
「お前……エマを殺すつもりだったのか⁉」
何もかも正直に話したせいか、ノルドさまは顔を青ざめさせていました。
「はい、どうしても許せなかったもので」
「貴様のような女が婚約者だったとは!
忌々しい……二度とその姿を見せるな!」
もはやノルドさまはわたくしのことなど気に留めていない様子。
馬鹿正直に全て話したのだから当然かもしれない。
この結果は予想できていました。
シークのことばかり気にかけて、なんの手も打たなかったのだから。
エマを早い段階で排除できていれば結果も変わっていたでしょう。
ですが……毒を盛るとか、崖から突き落とすとか、そんな恐ろしいことをするくらいなら、素直に婚約破棄を受け入れてしまった方がよいのかもしれません。
素直に敗北を認めてしまった方が気は楽です。
ですが……あのエマが、わたくしを許すとは思えない。
彼女の方へ目を向けると、不気味に口端を釣り上げるのが見えました。
「ノルドさま……私はこの女が許せません!
この場で処刑して下さい!」
「え⁉ ここで⁉」
突然のエマの言葉に狼狽されるノルドさま。
さすがのわたくしも、まさか処刑しろとまで言い出すとは思っていませんでした。
彼女もまた手段を択ばないつもりなのでしょう。
人々の注目が集まるこの場で、本当に処刑が行われるとは思いませんが、身柄を拘束されて後日執行――と言うことなら、あり得るかもしれませんね。
「いくらなんでもそれは……」
「でも、この女は私を殺そうとしたんですよ!
許せるはずがありませんよね⁉」
「しかし……あくまでそう言う話をしただけで……。
本当に殺そうとしたわけでは……」
「いいから殺して! 早く!」
顔を真っ赤にしてヒステリックにわめくエマの姿は、それはもう見ていられませんでした。
わたくしもこのような醜態をさらしていたかもしれないと思うと背筋が冷たくなります。
エマのヒステリーを目の当たりにした貴族たちは、困惑を隠せないでいます。
この国の将来を背負って立つ王太子のお相手が“これとこれ”ですから、不安を覚えるのも当然でしょう。
果たして、この事態にどう収拾を付けるのか。
静観していると、またひとり別の登場人物が姿を現したのです。
「おねぇさま、いったい何をそんなに怒ってらっしゃるの?」
「げっ! なんでここに?!」
怒り狂うエマの元へ、一人の少女が駆け寄ってきました。
赤いドレスを着た黒髪の愛らしい少女。
彼女の頭には……これまた可愛らしい黒い猫耳がついていました。
お尻にも猫のしっぽが。
これはまさか……。
「あの子、僕と同じだ……」
わたくしに抱きつきながらシークが言います。
そう、彼女もまた“ひとがえり”を果たした者なのでしょう。
おそらくはもともとエマの飼い猫だったのかもしれません。
なんと言う偶然でしょうか。
わたくしは驚きながらも、少しだけ見直したというか。
エマに好感を抱いてしまいました。
動物好きに悪い人はいませんから。
彼女もきっと心の清らかな人なのでしょう。
かつてのわたくしのように、嫉妬に狂って正気を失っているだけなのかもしれません。
そう思っていたのですが――
「ちょっと! なんでここへ来たの!
部屋で大人しくしてろって言ったでしょ⁉」
「私だけお留守番なんて退屈よ!
あそんで、あそんで~! ねぇ~!」
彼女がエマに甘える姿はとても可愛らしく、わたくしはすっかり見とれてしまいました。
やっぱり動物は良いものです。
犬もかわいいけど、猫もかわいい。
どちらも同じように尊いのです。
「だから離れてって――」
「ううっ! かゆい! かゆいかゆい!」
突然のことでした。
ノルドさまが目元をこすり、かゆみを訴え始めたのです。
そしてくしゃみを繰り返し、鼻水と涙が止まらなくなります。
「え? まっ、まさか……」
「俺は猫がいるとダメなんだよ!
そいつをさっさとどこかへやってくれ!」
なんと……ノルドさまは猫が近づくと身体に不調をきたすようでした。
愛猫家であるエマがノルドさまと結ばれるには、飼い猫である彼女の問題を解決しなければなりません。
いったいどうするつもりなのかと眺めていたら――
「……きゃっ!」
なんと、エマは猫の少女を突き飛ばしたではありませんか。
「え? どうして?!
おねーさん⁉ どうしてなの⁉」
「アナタと私はもう関係ありません。
どこへでも行って。
さようなら」
「え……えっ⁉」
突然のことに、少女は戸惑っています。
愛していた存在に裏切られた彼女の心の内を思ったら、胸が張り裂けそうになりました。
あまりにも……酷い。
「痛くない? 平気? 立ち上がれますか?」
「え? ありがとう……」
私が手を差し伸べると、少女は不安そうにしながらも手を取って立ち上がりました。
幸い、どこにも怪我をしていない様子。
良かったと胸を撫でおろすと、背後からエマの声が聞こえます。
「ちょうどよかったじゃない。
今日からその人に飼ってもらいなさい。
私とはもう一緒にいられないから」
ノルドの腕に抱き着きながら、エマはにんまりと笑ってそう言うのです。
わたくしは頭の中で何かがプツンと切れた音を聞きました。
「エマぁぁぁぁ……あなたと言う人はぁぁ……!」
「え? なに? なんでこっちに――ひでぶっ!」
わたくしが覚えているのは、エマの戸惑った表情と彼女の顔面に右ストレートをお見舞いしたこと。
そして――
「いのちだいじに!」
声高らかにわたくしがそう叫んだことでした。
◇
気づくと、わたくしは自分の部屋にいて、ベッドの上で横になっていました。
「ええっと……何が……いたっ!」
自分の右手を見てみると、パンパンに腫れていて、包帯でグルグル巻きになっていました。
「まったく、酷い有様でしたよ。
私が止めなかったらきっと、
エマさんを殺していたでしょう」
ハンナがあきれ顔でわたくしを見下ろしています。
「何があったのでしょうか?」
「レノールさまがエマさんをボコボコにしたんです。
『いのちだいじに!』とか叫びながら。
正気を失っていて止めるのが大変でしたよ」
そう言って肩をもむ仕草をするハンナ。
彼女の言っていることは本当なのだろうか?
素直には信じられない。
しかし……右手の痛みは本物。
わたくしは今まで人に暴力を振るったことはありませんので、このような怪我をするのは初めてです。
「レノぉ……おてて痛くない?」
ベッドの脇で心配そうに瞳を潤ませるシーク。
彼を見ていると痛みなど吹き飛んでしまう。
「大丈夫、ちょっと怪我をしただけよ」
「おねぇさん。ごめんなさいね。
きっと私のせいなのよね……」
しょんぼりと眉を垂らしているのは、エマが飼っていた猫の少女。
「気にしないで。
わたくしが自分の意思でしたことですもの。
よろしかったら名前を教えてもらえるかしら?」
「ミーニャよ」
「そう……ミーニャ。これからよろしくね」
「……え?」
わたくしはミーニャの頭をそっと撫でて伝えました。
「アナタも今日から私の家族よ。
あの女みたいに捨てたりしないから安心してね。
これからずっと一緒に暮らしましょう」
「ううっ……おねぇさぁん」
目を潤ませるミーニャ。
猫の愛くるしさと幼い女の子のかわいらしさが合わさり最強に見える。
「それはそうと、これからどうしますか?」
ハンナが尋ねてきた。
「どうしますって……どうしましょう?」
わたくしには全く見当がつきませんでした。
多くの人が見ている前で、王太子の恋人であるエマをフルボッコにした事実は取り消せません。
何らかの形で処罰されるでしょう。
実家の助けも期待できませんし、あまり良い結果が待っているとは思えません。
ですが、これもわたくしが選んだ道。
どのような運命が待ち受けていたとしても、決して後悔はしない。
そう覚悟を決めたのですけど、事態は思わぬほうに動きました。
飼い猫をぞんざいに扱ったエマは猫好きの有力貴族たちからひんしゅくを買い、評判が悪くなってしまいました。
彼女の悪評は瞬く間に広がり、エマが王太子のお相手としてふさわしくないと国王陛下に訴え出る方までいたとか。
身内からも非難の声が上がり、諸侯からの支持を失ったノルドさまは針の筵。
今はしょんぼりと自室に引きこもっておられるそうで。
エマは学園から追放されることになりました。
そう言えば、学園長は無類の猫好きなことで有名でしたね。
逆にエマを制裁したわたくしの評価は上がってしまい、国王陛下は婚約破棄を取り消すようノルドさまに迫ったそうです。
後日、正式に婚約破棄撤回のお知らせが文書で届きました。
「こんなものを貰っても、もう遅いってね」
頂いた手紙をテーブルに放り投げ、向かいに座って紅茶をすするハンナに言いました。
「では、婚約を破棄されると?」
「当然です。わたくしにも選ぶ権利はありますので」
「では、これからどうするおつもりですか?」
「さぁ……どうしようかしら?」
その後どうするのか全く決めていませんでした。
実家に帰るつもりはありません。
父はわたくしを許さないと思います。
悠々自適に田舎で暮らそうかとぼんやり考えていましたけど、そう簡単にはいかないでしょう。
シークとミーニャが安心して暮らしていける環境も整えないといけませんし、前途は多難です。
でも……何とかなりそうな気はしているのです。
わたくしが本気を出せば……。
「じゃぁ、僕の国においでよ!」
いきなりシークがそんなことを言い出しました。
「僕の国? 何を言っているの?」
「ひとがえりの国だよ!
僕たちみたいに人間の姿になった人が暮らす、
幸せでモフモフがいっぱいの国だよ!」
「シーク……あなたはいったい……」
「ごめんね、ずっと黙ってて。
僕はひとがえりの国の王子なんだ」
シークは申し訳なさそうに眉を寄せながら、両手を合わせながら言いました。
ひとがえりの国の王子?
突然の言葉に困惑してしまいます。
「え? どうして王子様が?」
「大人になる前に一度、動物の姿になって、
人間の世界を旅する決まりなんだよね。
それで結婚相手を見つけて一緒に国へ帰るの。
レノ、僕と一緒に来てくれるよね?」
「え? あっ……はい」
勢いに負けて返事をしてしまいました。
すると次の瞬間、窓が勢いよく開かれ、わたくしの身体は吸い込まれるように外へ投げ出されたのです。
「えええええええええ⁉」
突然のことに目を白黒させていると、重力がなくなりました。
空を飛んでいるのだと気づいたのは少ししてからでした。
「ちょ! なに?! なにがどうなってるの?!」
地表から遠く離れて地面を見下ろしていることに気づくと、わたくしは途端にパニックになりました。
なんと、巨大な鳥の背中の上に乗って空を飛んでいるではありませんか。
「落ち着いて。
ハンナは魔法も使えるんだ。
僕たちを連れて空を飛ぶなんて朝飯前だよ」
「え⁉ ハンナ⁉ これハンナなの⁉」
「今まで黙っていて申し訳ありません。
私はシーク様に仕える僕だったのでございます」
ハンナの声が聞こえます。
このバカでかい鳥が本当に彼女だと言うのでしょうか?
「でも怖い! 落ちちゃう! 助けて!」
「おねぇさんは意外と怖がりなのねぇ」
ハンナの身体につかまるシークとミーニャ。
二人は空を飛ぶことを全く恐れていないようです。
「さぁ、ひとがえりの国へ行きましょうか。
到着したらさっそく王子との婚約記念パーティーですよ」
「え? わたくしシークと結婚しますの?!」
「うん、そうだよ?」
当然のようにシークが言うので、わたくしは何も言えなくなってしまいました。
彼のことは好きですけど、それはあくまで家族としてというか――
「でっ……でもっ……!」
「僕のこと、嫌い?
僕はレノのこと好きだよ?」
わたくしの手を取って不安そうに眉を寄せる彼を見ていたら、もう何も言う気になれませんでした。
このまま流れに身を任せてしまってもいいかもしれません。
「わっ……わたくしも好きです」
「ホント⁉ わーい! やったー!」
遮二無二抱き着くシークはしっぽを勢いよく左右に振っています。
こんな愛くるしい姿をした彼に迫られたらノーとはいえるはずがありません。
「あらあら、ラブラブになっちゃって。
うらやましいわぁ」
ニヤニヤしながらミーニャが言います。
彼女も一緒について来るつもりなのでしょう。
まぁ……にぎやかになるので構いませんけど。
家族は多い方がいいですし、何より一緒にいて欲しいと願ったのはわたくしですので。
「さぁ、振り落とされないようにしっかりと捕まって下さいね!」
ハンナはそう言って翼を羽ばたかせました。
ひとがえりの国がどんなところか分かりませんけど、わたくしは期待に胸を躍らせています。
シークと一緒ならどこへ行っても平気。
「えへへ、これからは僕がレノを守るからね」
そう言って手を重ねてくるシーク。
この小さい手がどれほど大きくなるのか、今から楽しみです。
お読みいただきありがとうございました!
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