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山葵小屋編(4)


 楓が置いて行った金板はほぼ純金だった。貨幣にして売り払う産物の割合はわずかだとはいえ、十橋家の貨幣収入二年分ほどに当たり、亥三郎をはじめ中村の勘定方は兵吾を拝まんばかりであった……と、新村を訪ねてきた鳳吾は言った。


「これは、亥三郎どのも見て見ぬふりよ。滅多にできぬ神社方のおごりだ。食ってくれ」


 自由になる現金収入があって、一番潤うのは、鳳吾率いる神社方……ありていに言えば十橋の研究開発部門であろう。その経費で鳳吾が高価な砂糖菓子を買ってきて、遠慮なく弟に相伴(しょうばん)していた。鳳吾は神職として安東介(あんとうのすけ)の正式な官位を得ていたから、それが通名である。


「身共の実験で危ないゆえ立ち入るなと、村人には言ったらしいな」


 兵吾は笑ってうなずいた。鳳吾は書物を好奇心に任せて買いあさることもあったが、すべて成功するわけではないにせよ、十橋に利のある実験をしていたから、家中の風当たりはそれほど強くなかった。例の山葵小屋も、収入源になるかと試しては見たが、温度条件と地下水の水量不足で断念したものであった。転生者たちは何かと元の世界の調味料を求め、高価でも買うから、あちこちで香辛料の栽培が試みられていた。


 火鉢に手をかざしながら、鳳吾は続けた。


「ふもとに護衛の者など、出さんで良いのか」


「我らの兵がああいう手合いと戦いになったら、怪我をするだけだ。守りにもならんし、うろうろされても先方は気になるであろう」


「三月ばかり丘ひとつ貸して五十両とは、悪くない」


「兄者がみな使うのか」


「まさか。誰がいくら使うにせよ、春のことだ」


 今度は鳳吾が笑った。収穫は終えたが年貢の計算はまだ済んでいない。つなぎ資金ができたので、戸塚家から陣触れが来て戦費がかかっても、春まで高利の借銭をせずに済ませられる。亥三郎たち勘定方がいちばん喜んでいるのはそこで、使うのは年貢の一部を売れる準備ができてからだった。


「針、縫い針はいらんかね」


 障子は閉めてあったが、外から大きな呼び声が聞こえた。声の主が少しずつ移動しているのが分かった。誰も呼び止めようとしないようである。兵吾は注意を室内に戻した。


「聞き覚えのある声だ。最近、行商が多くなった」


「やはり、漏れているか」


「だろうな。役宅で何か起きた……程度のことしか、村人にはわからぬだろうが」


「敵方の術者どもなら、何か手立てがあるやもしれぬ。心を読む者もおると、書物にある」


「だから、護衛の者など出さぬがよいのだ。本当に我らが人を使って守っていたら、そのことは隠しきれぬ。我らは術者ではないからな」


「……欲しかろうな」


 鳳吾は兵吾をじろりと見た。


「何がだ、兄者」


其許(そこもと)だ。ありのままに目を働かせ、他人の目で物事を考え直す。なかなかできる者はおらんぞ。その異世界人……まあ人のようには思えぬが、其許のような手先が欲しかろう」


「これでもいろいろ背負うておるのだ。そういうわけにもゆかぬ」


「すまぬな。身共がいちばん気ままにさせてもろうておる」


 若い笑いが、役宅の部屋に響いた。


--------


「様子を探る役、身共にいただけませぬか」


 甚太の表情には何の悪意もなかった。浮かんでいるのは熱誠と言ってもいいくらいだった。捕虜から矢職人として再出発した甚太は、早く手柄を挙げて村人として認められたいのである。あえて言えば、村の損得より自分の焦りが先に立っていた。矢竹を取りに山に入る立場だから、炭焼き関係の村人と一緒に兵吾と村役たちが話をして、山葵小屋周辺に近づかないよう命じたのだが、誰かから異世界人たちに小屋を貸した話を聞きつけたようで、兵吾も困っていた。


 今日も村長役宅で直訴したのできつく諫めて帰宅を命じたが、乳兄弟で村長代理格の儀次郎は甚太がいなくなると、小さな声で兵吾に言った。誰もいないときは、幼馴染の対等な口調になる。


「見張りを付けるか」


「人手のないところ申し訳ないが、頼めるか」


「まったく村の政事(まつりごと)をしていると、心だけ年増になっていかぬ」


 兵吾が新村を任されて一年近くになる。最初のうちは譜代の隠居たちが教育役として中村からついてきて、あれこれ口をはさんでいたが、半年経たないうちに誰もいなくなった。なにぶんにも乱世のことで、幼君を担いで御家再興……などという羽目になる家も多かったから、若いうちから人をなだめ操る現場に立たされるのは仕方がなかった。


「失礼いたします。海風(かいふう)と申す男が、護堤様にお目通りを願っております」


 庭先から当番徒士の声がしたので、儀次郎は玄関に出た。海風は飯綱家の悪評を立てるため雇われた里忍びであり、出発前に兵吾たちも話をしていた。


「向田甚太のことについて、お役目方々調べてまいりましたので、お耳に」


 海風の語ったことは、おおむね甚太の供述が嘘ではなかったことの確認だった。幼い息子と妻が残され、宿場町で働きながら苦しい暮らしをしていた。


「よろしければこの海風、しばらく甚太どのを見張っておきます。何があってもお止めはできず、ただ起きたことをご報告するのでよろしければ」


 里忍びは武技に優れて「いない」ことが前提なので、それは仕方がない。しかし……と儀次郎の視線が兵吾に向かった。明らかに、海風は庭あたりに潜んで、甚太の嘆願やそのあとの会話を盗み聞きしていた。それは里忍びの当然の技能だから、ありそうなことである。


 忍びの里はこの大陸にいくつもあり、十橋家と海風を呼んだ特定の里の間では取引が長く続いていた。忍びの里や雇い主が個人の裏切者をしつこく追いかけることは現実的ではないが、里を介した取引でなければまともな忍び仕事は受けられないから、裏切りの代償はそれなりに高い。


 ふたりが申し出を受けそうだと察したか、海風の口元が緩んだ。そのときは、そこに邪気など感じられなかったのだと後で兵吾は思い返した。


--------


「そうでしたか。護堤どのが、な」


 亜里沙の父、秋葉屋仁左衛門(あきばやにざえもん)は酒が回って赤ら顔だった。五十を越して、この世界では老人扱いされる年齢であり、外見には特別なところはないが、転生者である。その術者としての力は誰も知らないが、金儲けには役立っても武技の類ではないらしく、別室に腕利きの護衛が控えていた。今日は商談旅の道すがら、娘婿の謙吾を中村に訪ねていた。


 秋葉屋と越後屋は転生者の商人が好んで使う屋号で、異世界の地名であるらしい。今では転生者を装う者もこの屋号を使う。仁左衛門という名前も、この世界にない官職名がもとになっていて、転生者風の名前であった。


「何かお聞き及びのことがございましたら、お聞かせ願わしゅう」


「転生者と申しましても、そう気ままに立場を選べるものではございませんでな。召喚主の意向には、否も応もないのです。手を組むにしても、たまたま手近の相手に限られます」


 仁左衛門は商人らしく、領主の跡取りである謙吾に対して腰が低い。


「私の召喚主も、教派どうしの争いで滅びましてな。おかげで、どちら様の願掛けで召喚されたのか、はっきりしない始末でございます」


 謙吾は、口を挟まなかった。仁左衛門は覚えていないのかもしれないし、隠したいのかもしれない。極端に言えば、いまだに特定の神からの密命を帯びているかもしれない。


 この世界の神々は千六百万(せんむおよろず)と総称される。転生者が様々な信仰を伝え、この世界には存在しない神ではあるが、それらをまつる神社もあった。もともと存在した様々な信仰を合わせて千六百万である。転生者が持ち込んだ青龍朱雀白虎玄武の四神はこちらの信仰と相性が良かったから、神獣の類としてすっかり定着している。そのうち本当に顕現するかもしれないという者もいた。


 こちらの世界で神託を下ろしたり神威を示したりする神々の代表は、木火土金水の元素神たちであり、その神社は領主たちに保護を受けることが多い。十橋家が主な崇敬対象とし、鳳吾が神職のひとりとなっているのは、木の神である萌吹明神(ほうすいみょうじん)であった。平坦な農業地帯では木神と水神に人気があった。


 元素神の教団どうしは互いに争うこともあり、それぞれに排外性の強い分派もあった。おそらくそうした宗教戦争のために、神々の助けで異世界人の召喚が始まったのであろうと言われていた。その方法がやがて漏れ、私利私欲のため、また神の気まぐれによる召喚が入り混じっているのが当世の実情であった。


「戸塚様のご領内でのこと、道中を襲われたのではないかと存じます。ですから少なくとも襲われた側は、この土地の勢力ではないでしょう」


 このあたりを縄張りとする転生者集団でないなら、自分の知る連中ではあるまい……と仁左衛門は言外に伝えた。


「少々探りを入れますかな。亜里沙の村に脅威があるなら、知っておきませんと」


 謙吾は黙って頭を下げた。


--------


 仮にどの王侯とも距離を置く、その意味で中立的だが有力な組織があったとして、その組織自体は主導権争い、分裂の策動といったものから無縁でいられるだろうか。そんなことはない。転生者たちは、団結して一つの組織を作ることを何度か試みたが、話し合いの枠組みを作ることがせいぜいであった。それに参加しているのも相当な戦闘力を持った転生者がほとんどで、弥助のように転生者同士の関わりを断って生きている転生者の方が多いと言われていた。能力がある者が所在を知られれば、狙われるのである。


 向背(こうはい)が怪しい土豪も数に入れれば、戸塚家が号令できる人口は二万ほどであった。戸塚家もまた、同盟者を含まず人口十八万を号する大輪(おおわ)家の同盟者だったが、大輪家の村松城下に秋葉屋の本店があった。


 秋葉屋は護衛を雇う側である。武闘派転生者から見れば、現地人との面倒な取引を代行して現金をくれるありがたい存在であり、一種の共生関係にある。秋葉屋が護衛などの仕事を回しているのは「全転生者組合」、略して全転を名乗る集団である。その村松支店を仁左衛門は訪ねた。


「丸岡の騒動、聞いてはおります。襲った方は新転の奴らでごぜえやす。襲われた方が、どうもこいつがわからねえ」


 支店長の為吉(ためきち)は戦場から引退してだいぶ経つが、おそらくわざと、往年の傷跡を額の切り傷に残していた。新転とは全転の商売敵、「新転生者仲間」である。


「狙って仕掛けたのは確かですが、何を狙っていたのか……こいつが漏れてこねえんで」


「ふむ……」


 新村近くに隠れている未知の転生者たちが、その狙われた側なのだろう。鋼札に封じられた要人の魂が、争奪の焦点なのかもしれない。だが秋葉屋にとって、詳細を漏らしてやるほど、全転と一蓮托生というわけではなかった。それはもちろん、お互い様なのだが。


--------


 こんもりとした林ではあるが、それほど高い丘ではない。木々が山葵小屋の姿を隠してはいるが、さして時間はかからないはずであった。だが、甚太にはいっこうに小屋が見えてこなかった。


「術中ということか」


 甚太は独り言を口にした。小屋を隠しているなら頂上には着くはず。歩いているつもりが歩いていないか、道をつぎ足し、引き伸ばす術があるのか。術者でなくても、理解できない現象を目にしたとき、それが自分の知らない「術」かもしれないと思い当たるほどには、転生者も術者もあちこちにいて、どちらでもない人々であっても、それを知っていた。


 術で山葵小屋が守られているのだとしたら、それ自体はどうすることもできない。甚太は様子を探りに来たのだ。近づいてくる者を見張り、見つけることも含まれる。だから甚太は耳を澄ませ、匂いを嗅ぎ、気配を探した。


 見通しの良くない場所で「鳥のようなもの」「獣らしきもの」を感じ取ることは、狩りなら普通にある。それはあちこちにいた。そして突然、それは起きた。


 まるで閉じた目を開いたように、いきなり感覚が鋭くなった。そしてあまり遠くないところに、小屋の前に立つ女童の姿が見えた。およそ山歩きには適さない、萌黄色が鮮やかな衣服だった。


 甚太は矢をつがえている自分に気づいて戸惑った。様子を見に来るのに弓矢は要らないし、村からの信用もまだないので、兵吾から弓を射ることは禁じられていた。だが持っていて、いつの間にか女童を狙っていた。当たって死傷させれば十橋家と術者たちの争いになる。やめようとしたが、やめられなかった。操られていた。喉が鳴った。


 ぶん!


 矢が手を離れた。心臓が痛んだ。だがその瞬間、周囲への感覚がまた変わった。鋭い感覚は失ったが、感覚を狂わせる周囲の術も解けたようであった。人の胸に突き立つ矢が目に入って叫び出しそうになったが、あまり出来の良くない人形であることにすぐ気づいた。衣服も粗末……というより粗雑な布切れで、田に立てても鳥が逃げるか怪しいほどであった。


「操られておられましたな」


 背後からの声に甚太が振り向くと、見知らぬ男がにこやかに笑っていた。小ぎれいな旅装の男は海風であったが、甚太は会ったことがなかった。


「お行きなさい。あなた様がここにいては、まずいのでしょう」


 甚太は、そうするしかないことに気づいた。おそらくこの男は、小屋にいた側の人間であろうと思えた。村長が邪魔をしないと約束した、接触してはいけない相手であった。


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