雑兵元帥編(5)
飯綱荘や太刀谷領に連なる、すっかり植生を失った山がちの地域。税収を期待できる村ももう残っておらず、事情があって人里にいられないわずかな人々がひっそりと暮らすだけの地域。それは相当な面積があって、そのどこかに伝魄斎は隠れていると思われた。鋳砧大社勢はあまり偵察のために隊形を広げず、伝魄斎が挑戦を受けて姿を現すことを半ば期待して、やみくもに突っ込んでいった。
戦巧者とは呼べない采配に、むっつりと従っているのは、若い女を連れた壮年の男であった。とても堅気には見えない険しい目つきの小柄な男は、短めの刀と、細い鉄輪がはまった二米ほどの木棒を持つだけの軽武装だった。それに従うのは、おなじみ雷術師の山吹である。男は全転で教官を務めていた楠見で、山吹にはもと火術師であったとだけ前歴を話していた。
ふたりは鋳砧大社勢の隊列から少し離れて歩いていた。急な襲撃に味方討ちを恐れず対処するため……と楠見は鋳砧大社勢に説明していた。
「神社の力で死霊術師を見つける秘法、すでに破れたと聞いた[太刀谷擾乱編(5)]。なれどあの者ら、以前通りとの油断が見える。巻き添えはかなわぬ」
楠見の低いつぶやきに、山吹はうなずきだけを返した。今回山吹は、自衛のためを除き、楠見の指示するものだけを倒すことになっていた。それは無辜の亡者を滅する罪悪感を分担し、貴重な術者に心を病ませないための工夫だった。
そして楠見が遠く亡者の群れを認めたとき、山吹もすぐそれに気づいた。もっとも、楠見の反応が間接的な警報であったから、一日の長はやはり大きいのであったが。
連携のあまり良くない味方のために、楠見は否応なく敵の位置を知らせてやることにした。
「あの群れを、そぎ撃ちに」
「はいっちゃ。ばじゅら、あすまん、たりしぁあてぃ」
山吹は右腕に左手を添え、集中のための詠唱語を唱えた。右手から発した閃光は断続して亡者たちを襲い、横殴りに胴や腕を折り砕いて、少し遅れて雷鳴が来た。鋳砧大社勢からの混乱した声はすぐに止み、男たちは一斉に、亡者の方向へ走り始めた。位置をさらした二人も、動かねばならない。
「方々の逆方向に移る。亡者はいずこにも伏せておると思え」
「はいっちゃ」
あくまで助勢であるから、楠見はいったん攻撃を控え、鋳砧大社勢の側面と背後を守ることを選んだ。ふたりの応答も戦場の興奮の中で、叫びに変わっていた。
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「名執の使者は、いかがした」
「はっ。されば、殿様への書状とともに、型通りの御太刀、御馬料を音物となし、この度のご戦勝祝いとしてお収め頂きたいと申しておりました」
饗庭武庫正は、大輪兼治に名執鎮西府君の書状を差し出した。それを興味なさげに流し読んだ兼治は、重ねて問うた。
「よき太刀であったか」
「多少古めかしい大ぶりな拵えでしたが、太守様の差し料として、ふさわしきものと見ました」
馬の代わりに贈った金子の額は書状にあった。名執家は、大輪家から見れば与謝部家の向こうにある大勢力である。最近、与謝部領を向こう側からある程度切り取ったはずであったが、良い刀と多額の金銭を特に要求も添えず送ってきた。このまま与謝部家をはさんで闘うと大輪勢との間に不測の衝突が起きるかもしれず、急いで交誼を得ようと下手に出てきたものと思われた。
「面子にこだわらぬあたり、話の早い御仁と見ゆる」
「案外、殿様と似た者同士かもしれませぬぞ」
「言うわ。誰かある。世介を呼べ」
部屋の外に控えていた近習が呼びに行って、近習頭の坂又世介がやってきた。大輪家の宿老を多く出してきた家の継嗣であり、三十を過ぎた壮年である。その職分は何よりも、兼治が出す文書の総元締めであった。名執鎮西府君の書状を渡して一読させると、兼治は言った。
「祐筆に命じて返書をしたためさせよ。まずまず同等の音物を用意いたせ。武庫正は使者殿に、追ってこちらから返書を送ると申し伝えよ」
ふたりが一礼すると、兼治は続けた。
「されば返書だが、西驃のことにつき、気付いたことあらば伝えて欲しいと書き添えよ」
「西驃でございますか」
その言葉に反応したのは武庫正であった。敦馬国は細長い塩水湖に面し、流れ込む川のおかげで農業生産力が高かった。その西側には水の乏しい草原地帯があり、まばらに住む民が主に牧畜を営んでいるが、何年も良い天候が続くと強勢な一族が興ることがあった。大輪も名執も版図が広がり、そろそろ敦馬国の西側国境が視野に入っていた。
「絵図面を描いておるとは思えぬが、引き込まれることはあろうよ」
「では殿様、此度の騒動の仕掛けは」
兼治は指を唇に当てて、武庫正を制した。
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「二、三人ばかり、尾根伝いに潜みおります。矢ならば届かぬ距離ではなし」
「人か」
「はい。間違いなく」
弥助が人の存在をかぎ取ったのは、鋳砧大社勢をまっすぐ狙える位置にある尾根だった。連なる丘を天然の盾として、半身を乗り出して弓を射ることは、考えられなくはない。だが……
「術師ではありませんか」
「矢ではまっすぐ撃てる距離とは思えませぬ」
二郎三郎の問いに、弥助は冷静に答えた。兵吾には呑み込めないことだった。
「我らは異端審問の軍勢だぞ、術師を以って撃ちかけるなど」
「はぐれ術師を装って我らを襲うこと、はなはだ物入りではありますが、過去の例がないわけではありません」
死霊術師を撃つ異端審問司に敵対すれば、公敵である。どの勢力もいくらでも欲しい術師を、この世界に合わせて訓練したうえ、二度と表舞台に出られない身にしてしまう。それは異常なことであった。兵吾はその敵を視認しようと、尾根の縁に目を凝らした。
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「えか、あぐに、あすまん、たらやあてぃ。ぶっ飛べってばよ」
山吹は、楠見の仕掛ける火術を見て呆然とした。もう使えないはず……いや、体中に痛みが走っているのは感じ取れた。放たれた火術は、尾根から撃ってきた火術と相殺し、火球と黒煙、少し遅れて衝撃音と細かい火の粉が来た。
「逃げるぞ、山吹。煙がわずかな時を稼ぐ」
「逃げるのですか」
「我らに仕掛けるなど正気の沙汰ではないが、どこぞの軍勢と撃ち合ってしまえば、それでお主はそういう敵持ちになる。そうさせるなと秋葉屋様から重々言われておる。ささ」
会話は聞こえぬまでも、ふたりの離脱は兵吾たちの視界の隅に入ったし、その判断はこうした場合、十分にありうることだった。
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「ここで鋳砧大社の皆様にのみ損害が出れば、大輪様の不面目のみならず、鋳砧大社と二郎三郎様方との間が大いに難しくなるということですか」
「そうなりましょうな。我らが楽をしようとした布陣なのは確かですし」
「相分かりました。騎馬の者は聞けい。これより我ら、死に盾をつかまつる」
「なんと」
二郎三郎は兵吾の言葉に目を見張った。群がって術者を襲えば、何人かは火だるまにされる。だが全員は倒しきれまい。そういうことであった。
「すでに十橋荘は大輪様御領内に包み込まれたも同然。太守様の御運は十橋の運です。我らあの術者に先駆け、死に盾となりますので、つかさの皆様で仕留めてくだされ」
「喜んでお供いたしまする」
佐賀大膳正が愉快でたまらぬという顔で叫んだ。どうも佐賀家は大輪家中でも武弁……を越えて脳筋の気風があり、兵吾の下知はその琴線に触れたようだった。その横で向田甚太が柔らかくうなずいた。
死は身近にあり、判断は速くなければならない。これまでもそうだったが、今もそうだった。
二郎三郎は何も言わず、手にした呪具を部下に渡して、破魔弓を手にした。
「二十五番……いや八十番を出せ」
死霊専用の矢については兵吾もよく知らなかったが、素人目にも異様に極太の矢頭を持った矢が次々に厳封を切られ、取り出されていた。二郎三郎はその一本を手に取って、兵吾をにらみ返した。
兵吾は騎馬の者たちを見回し、声を限りに叫んだ。
「駆けよ」
徒士の身で突撃に加われない早瀬与一郎は、何の言葉もかわすことができなかった。弥助の手が、その肩に乗った。




