雑兵元帥編(4)
日野念二郎の大輪家での立場は、掌近習頭である。しかし近習たちのほとんどは、「掌近習頭の念二郎さま」として知っていればいいほうで、苗字など誰も知らぬし、顔も名も知らぬ近習すらいる。日野念二郎は大輪家が長年雇い続けている忍びの一族出身で、大輪家における忍びの元締めであった。だから大輪兼治の側に仕えているものの、近習たちの日常業務との関わりはほとんどない。そして日野というのは、この一族を最初に雇い入れたとき便宜上そう呼ぶことにしたもので、本当の苗字は大輪家も知らぬのである。
念二郎が大輪家主宰の評定に出席している理由は、兵吾にはよくわからなかった。大輪家の大身のお歴々は、鷹の前の虻である十橋の三男坊を相手にしなかったが、念二郎だけは物柔らかに挨拶して、自分から名乗った。その理由もまた、よくわからぬまま評定の始まりが告げられた。
評定の主題は、伝魄斎の討滅であった。まずは二郎三郎が説明した。
「術者を雇います。これは私戦ではございませんから、組合も否やは申しません。それと鋳砧明神様の御手先方をもって、伝魄斎をあぶり出す主力といたします」
二郎三郎とは予め話がついていたのであろう。兵吾には初対面の、鋳砧大社から来た異端審問司の主将らしき人物がむっつりと首肯した。
「二郎三郎は当社の審問司のほか、護提様の十橋衆と、すぐ近くで後詰つかまつります。主力の助けに入れるか、あるいは因縁深き我らの方が襲われるかは、伝魄斎の出方次第」
「もうひとつある。武庫正、申せ」
大輪兼治が割って入った。大輪兼治のすぐ下の席に座っていた、身なりの良い武士が一礼して、下座の一同を見渡した。
「村松城代、饗庭武庫正にござる。されば過日、太刀谷殿の領地を無造作に投げ捨てた伝魄斎めの進退、己の欲得で行ったとすれば不可解至極。いっぽう、もし二郎三郎殿、十橋護提殿が伝魄斎めの罠にはまっておれば、当家は萌吹明神様に重きお咎めを被ったところ」
饗庭武庫正は、低く通るなかなかの美声であった。すらすらと打ち合わせ通りの言葉を紡ぎ出しているらしく、頭脳明晰でもあるように兵吾には思えた。兼治不在の折、付近の民政と主城守備を一手に引き受けるのだから、それは利け者でなければ務まらないであろう。
「背後に我らが御家に仇なす何者かがおると見ゆる。あるいは死霊術師など操り、畏れ多くも、いずれかの明神様に背く者やもしれぬ。となれば今回の出役を誘い、村松を手薄となし、すきを見て我が殿に一太刀参らせんと企みおるおそれあり」
一座のざわめきを、兼治が自ら鎮めた。
「一同控えよ。わが身のことは、城外にては武庫正が備え、城中においてはそれなる掌近習頭、念二郎の手の者が差配する。念二郎の名を覚えよ。不測の事態あるとき、念二郎の手の者がそのほうらに連絡をつける。身共の弟だの子だの、果ては老臣どもの名をもって指図がましい使者が参ったときは、謀略と心得よ」
念二郎が相変わらずの微笑をたたえて、はるか下座から軽く頭を下げ、すぐ顔を一堂に見えるよう上げた。そして、自分からは何も言わなかった。あえて言えば、念二郎を名乗る者がいつもの念二郎なのか、巧みに入れ替わった影武者なのか、それは大輪家にもわからぬのである。
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与謝部家退潮を受けた大激震のさなか、今年の農閑期も残り少なかった。農兵主体の小荷駄隊を撤収させないと自領の収穫に響くから、各勢力とも互いの顔色を見ながら、新たに確保した土地から守勢に過剰な兵力を帰還させようと苦心を始めていた。その中で、飯綱荘に集結したのは特殊部隊とはいえ、流れから外れたことで人目を引いた。
「勝手が違うか、弥助」
「はっ」
馬上の兵吾から声をかけられて、弥助は生気のない返事をした。二郎三郎から、無茶振りをされていたのである。亡者は生者ではないため、太刀谷侵攻戦で弥助の波読みは効かなかった。逆にそれならば、通常の生者とも言えないが亡者でもない死霊術師は、見たこともない妙な反応としてとらえられるのではないか。そう二郎三郎は言った。
「試みで良い。戦いは手数。そう教える老臣もいたが、本当のところは身共も知らぬ」
「相努めます」
「進発」
兵吾が気をほぐそうとして、弥助が自信なげな返答をすると、遠くから野太い声がした。鋳砧大社勢が動き出したのである。歩騎あわせて八十、小荷駄がわずかな護衛を含め三十と兵吾は聞かされていた。
「陣列を整えよ。我らも間もなく出る」
兵吾は叫んだ。二郎三郎の後詰は歩騎あわせて五十、小荷駄が五十。なにしろ亡者に普通の武士は分が悪いし、新領の治安に人手もかかるところで、小十人組ですら一部の参加にとどめていた。代わりに近隣への出役ということで、本村と新村から農兵を小荷駄に出してもらっていた。
進発を控え、二郎三郎も馬を寄せてきた。
「さて、火神[=鋳砧明神]大社の方々、お手並み拝見です。物見で不覚を取らないとよろしいのですが」
兵吾はちらっと二郎三郎の表情をうかがい、何も言わなかった。それを見た二郎三郎は無言の笑顔でうなずいた。少し遅れて二人に追随していた向田甚太は、微妙気な渋面で小さく首を振った。
誇り高く功名を立てたがる鋳砧大社勢に罠のはじき役を押し付けた……と受け取った兵吾。若い兵吾がそれに気づいたのを褒める二郎三郎。そうした上役の不出来で死地に放り込まれてきた甚太は、そのやりとり全体がどうにも悪い記憶を呼び起こすので、気に入らないのであった。




