雑兵元帥編(1)
中村の村長役宅は、十橋家が大宴会を開くのにちょうどよい大広間があったから、新年宴会の場所もここであった。いくらかの譜代は村内と領境の警備で貧乏くじを引いていたが、一族の長はだいたい出席していた。
当主一族とごくわずかの重臣は、龍吾の私邸に膳があった。宴は半日続くので、ときおり一族がぞろぞろと村長役宅にやってきて、あいさつを受けた。そして大広間から何人かを伴って龍吾私邸へと戻っていった。要するにこの日は、集中密談日でもあるのだった。
「常丸、よく気が利くな」
兵吾に声をかけられ、穂沼常丸は笑顔でぺこりと一礼した。笠戸亥三郎が膳部を前に、うつらうつらしていたので、羽織を借りてきて肩にかけていたのである。小十人組の中でも帳面の扱いが得意な常丸は、勘定方に貸し出されたような格好で、祝田開墾関連の事務を引き受けていた。
「護提様、今年は常丸も、初陣いたしとうござります」
「うむ。考えておく」
腕のほどを組頭の佐賀大膳正に確かめておかねば……と兵吾は思った。
「おっ、これは……いかい無礼を」
「そのままでよい。こういうときしか眠れぬのであろう」
亥三郎が目を覚まし、周囲から低い失笑がわいた。勘定方はこのところ大忙しであった。十橋が面倒を嫌って進出しなかった飯綱荘も、大輪家が分捕った太刀谷領に入っていることを、後から知らされたのである。新たに逃げてきた村人もいたから、飯綱荘の大輪家代官とのあいだで事務的なやり取りが爆発的に増え、ようやく峠を越したところであった。
「護提、秋葉屋どのがお見えだ。ついて参れ」
龍吾から声がかかった。新年に秋葉屋が十橋荘を訪れたことは兵吾の記憶になかった。首を傾げつつ、なぜ自分が特に呼ばれるかも見当がつかず、兵吾は従った。先に戸口をくぐる謙吾は、何か聞かされているような表情だった。
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「川湊……でございますか」
「まあ、大げさなものではございませんが、荷積みのほうに場所が要りますでな。雨ざらしにもできませんし」
いまの祝田砦の川岸側に、船着き場を作るというのが秋葉屋の用事であった。むろん、大輪兼治の肝いりである。
投網川の下流も、戸塚系の土豪と太刀谷系の土豪がそれぞれの川岸を占めている。太刀谷家と戸塚家は長年争ってきたから、今回大輪家の世話になったと言っても太刀谷は同盟者とまでは言えないのだが、川を通る大輪家や戸塚家の舟に手を出すことはできなくなってしまった。だから川舟を物流に使おうというのである。なまじ毎年攻め合うものだから、十橋荘と飯綱荘のあいだには実用性十分の街道が通っていて、戸塚領まで続いている。もっとも投網川のその箇所に橋はないし、渡し舟は政情によっては危険で、旅人からは高い船賃を取っている。
「じつはまだ内々のことにございますが、飯綱荘を萌吹大社に御寄進申し上げるにあたり、その荘官を十橋様にというお話でして」
龍吾私邸に居並ぶ一族重臣は決して多くはないが、それでもどよめきが沸いた。兵吾も言葉にならない声が出た。衰微しているとはいえ、宿敵飯綱荘の徴税を請け負い、その相当比率を手にするのである。むしろ川湊の警備・管理責任くらい対価として負え……というくらいに聞いた者が多かろう。飯綱荘の(人口面・経済面の)惨状を知る重役たちは、数年は税など取れないと知っていたが。
「それは大社の異端審問司から、こちらへ出張る皆様がおられるということですか」
鳳吾が口をはさみ、秋葉屋ははっきりと苦笑を見せた。
「つきましてはお察しの通り、大社から村社に合力される方々のため、十橋様には祝田砦をご割愛いただけないものかと存じます」
秋葉屋は「異端審問司」という刺激的な言葉を避けながら、続けた。
「祝田衆の方々には飯綱荘と渡し場を守っていただき、新たな砦を建てる費えについては、飯綱荘の上がりより賄って頂けぬものかと、潟西府君様のご内意」
たしかに祝田砦は飯綱荘側で死霊術師が策動した場合にも便利な起点となるし、十橋領防衛の最前線でもなくなってしまった。壊して、その建材でどこぞに建て直してもいいくらいである。だがそうした大輪家の提案を、なぜ秋葉屋が伝えるのか。それをさっきから兵吾は考えていた。
「つきましては、十橋様の川湊での用船は、手前どもが一手に扱わせていただければと存じます。もちろん当座もろもろの御金子は、いかようにも御用立てさせて頂きます」
どん、と板の間が音を立てた。笠戸亥三郎があお向けに倒れた音だった。
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祝田衆がそっくりそのまま、飯綱荘に移駐するような格好になった。大輪家は今、劣勢の与謝部家から農地と人口を切り取るのに大忙しで、着任したばかりの代官勢はそそくさと引き継ぎを済ませて転出していった。転出するとき、仮陣屋[鷹狩り編に登場]をいくつか残して行ってくれたので、それを兵吾たちの村役場とし、一棟だけ投網川の渡し場に移して詰所とした。飯綱家の屋敷も含め、破損と略奪がひどく、すぐには利用できなかった。
人手が急に足りなくなったのは十橋家も同様だった。伝魄斎を取り逃がしている関係上、兵吾たちはいつ二郎三郎の手伝いに駆り出されるか分かったものではないのだが、不在の間の飯綱荘留守居はわずかな祝田衆の居残り組と、兵吾の村長代理として多少民政がわかる儀次郎がつとめるしかなさそうだった。村を預かる荘官は譜代の老臣から出すと聞いていた。
なにしろ新領たる飯綱荘は、壮年人口も生産力もわずかなのだ。所領として細切れに分配すらできず、秋葉屋からの借銭で徒士を雇えても、こんなときに増やす余所者の兵たちが信用できるわけがなかった。警備任務なのだから農兵で十分……といっても、村同士の反目は十年や二十年ではない。みんな親族の一人や二人は戦死しているから、兵の蛮行が騒擾につながらないよう、主だった士分の者が目を光らせ、言い聞かせねばならなかった。
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「要領が良うなって参ったな」
「おほめのお言葉、恐悦に存じます」
楓はゆっくりと頭を下げた。筋肉の動きとすればそれはどこか不自然で、関節部の機構が単純な人形のようなぎこちなさがあった。伝魄斎がほめたのは、湯を沸かして茶を淹れる手際のことだった。
「茶葉はたんと頂戴して参りましたが、甘味はいくらもございませなんだ」
「やはり高いのであろうよ。体面はあっても、帳面はついて来ぬ」
伝魄斎はもう人であることを辞めているから、飲食は生きるために必須のものではない。ごっこ遊びのようなものである。そうした嗜好品のたぐいを城主の蔵から入手したのは、太刀谷城を城主ごと乗っ取った余禄のひとつだった。
怨み? そう、矢を食らった十橋一族に怨みが……あるということになっていた。実のところ、生死をゆがめ、操るのが業の死霊術師は、傷つきはしてもそう簡単に死ぬものではない。射られて血を流しても「痛ぇじゃねえかこの野郎」以上のものではない。
だが伝魄斎は、ある望みを託されて、十橋家との因縁を強調する言動をし続け、それを人の噂にのぼらせた。十橋家の者たちを死者として使役してみたいと思っているのは本当で、太刀谷城爆破の折にその機会を逃したのは残念に思っているのだが、それほど急いているわけでもなかった。それに比べれば、各明神大社の異端審問司たちは以前からいちいち邪魔をしてくる羽虫のような仇敵だが、根絶しきれるものでもないので、すぐに攻撃する計画もなかった。
いま伝魄斎たちは、すっかり植生を伐採された禿山のひとつに、目立たぬよう居を構えていた。戦乱が続いてこうした利用価値のない山地は増え、しかも放置されていたから、人気を嫌う死霊術師には都合がよかった。もちろん周囲には、飯綱荘などからごっそり掘り出したどくろ武者たちを見張りにつけている。
伝魄斎は茶をすすった。太刀谷城から移してきた小さな陣屋の粗末な壁を覆うように、分厚く美麗な屏風が配置してあったが、その向こうから「ごとり」と重い物を動かす音がした。陣屋の外であるようだった。
「見て参ります」
「頼む」
楓が立ち上がった。もっとも亡者たちの警備も、伝魄斎の人を超えた感覚も潜り抜けてきたのであれば、その訪問者に伝魄斎は心当たりがひとつしかなかった。
間もなく戻ってきた楓は、ごつごつして重そうな金属塊をありあわせの板に乗せて、伝魄斎に差し出した。伝魄斎はそれを持ち上げ、軽く振って比重の重さを確かめた。
「天然の鉱石に見せかけた、純金だな。人にはできぬ細工だが、約定の半分ほどか。是非に及ばず」
もし兵吾たちが太刀谷城で爆殺されていれば、木神・萌吹明神の怒りは大輪家に向き、金神・鋳砧明神を巻き込んだ紛争になるかもしれなかった。まさにそうしたいざこざを引き起こすよう、伝魄斎は依頼されていたのである。それでも半分が支払われたことが、依頼主の現状評価を示していた。
与謝部家の大敗で、周辺諸侯は我先に与謝部家から領土をちぎり取った。もちろん大輪家は太刀谷家からの割譲分を含め、獅子の分け前を得たが、急拡大した領地の掌握は後手に回り、兵の損失も少なくなかった。周辺諸侯からは台頭を警戒され、出た釘が抜かれる瀬戸際であるとも言えた。それは大輪家を後援する金神の危機でもあった。
実のところ、伝魄斎は依頼主の名を知らなかった。いつもこういう調子で、書状や物が送り付けられるのである。
「この現状をそれなりに良しとされるか。ならば金主殿は二の矢を放たれるな。大輪殿の腕が伸び切ったことを、利とされよう」
「主様が、またお働きになるのでございますか」
「おそらくな」
伝魄斎は手の中の金塊をもう一度見た。五大神を含め、生死の理を乱す死霊術師を見つけ滅ぼすことは諸神の盟約するところであり、背けばただでは済まない。だが、神と神の争いにおいては、こっそりと死霊術師を利用する神もいたのである。




