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太刀谷擾乱編(3)


 兵吾組が出征した後、十橋の番衆と戸塚家傘下の諸家から来た軍勢、それに祝田砦で川舟の扱いに慣れた徒士が百名ほど糾合されて、祝田物見衆と仮称された。あわせて十橋は祝田砦の名和龍三郎のもとに農兵をいくらか動員し、川岸警備と周辺の小荷駄(補給輸送)を(つかさど)らせた。大輪兼治と兵吾の最近の深い付き合いから、この戦区を預かる戸塚家は十橋家に遠慮して、気前よく需品を持ち込み、兵站上の無理をあまり言わなかった。


 それでも苅田狼藉(かりたろうぜき)のたぐいをまったくやらないと戸塚家の足軽が集まるどころか逃げ散りかねず、策動への用心も必要なので、投網川を渡って物見衆が出された。ときには敵の物見衆を狙った小規模な騎馬弓兵襲撃も仕掛けたし、太刀谷家も同様の部隊を巡回させた。兵吾たちと戦った洲走も、そうした物見衆同士の襲撃で悪名を立てた者だった。


 いっぽう大輪・与謝部両家の主力は、ふたつの太刀谷家居城を中心として静かに増勢を続け、野戦の機会をうかがっていた。どちらも高火力の術師部隊を抱える規模の勢力だが、術師は短期間に補充もできないし、たとえ敵手を捕縛しても信用できる味方として加わるわけではない。一般部隊を攻撃して位置を知られ、敵の術師に先制を許しては大損である。長期にわたって腹を探り合い、結局術師は姿を見せないまま終わる戦役も珍しくなかった。


 刑部小夫の様子がおかしいことは、与謝部勢にもひそひそと伝わった。だがどうすることもできぬまま、いったん起こされた戦乱の炎は燃え盛った。


--------


 火薬には製造、輸送、劣化とその判別、現場の取り扱いなど様々な困難があり、転生者の思い付きだけでは大量配備への障害が除き切れない。比較的容易なのは、専門化された火薬衆によって、導火線付きの爆薬として取り扱うことである。野戦では弓矢の的となるだけだが、攻城のほか、進撃路や輸送路の破壊にも用いられた。


 刑部小夫の太刀谷城へ急ぐ兵吾隊で、弥助が最初に見つけた一群の敵は、馬車らしきものを囲むように守っていた。


「小荷駄にしては列が短すぎます。火薬衆でございましょうか」

「ふむ」


 十橋衆の中でも、大きな戦に従軍した経験のある年配者は佐賀大膳正の指摘にうなずいていて、兵吾は生返事をするしかなかった。十橋家や戸塚家が主体の戦では、こんな高額兵器は使われないのである。


「できますれば、やり過ごしたく存じます」


 二郎三郎は柔らかい口調で、しかし断固とした視線を添えて言った。警告を受けられない後続部隊が危機に陥るが、当然太刀谷の襲撃隊は、火薬衆を誘いの罠として注視しているだろう。先制と奇襲が術師の戦い方なのである。


「申し上げます」


 兵吾が二郎三郎に即答できずにいるうち、新たな伝令が着いたようであった。周囲に敵の目立った動きがないという報告だったが、それは兵吾たちに属する物見衆からでもなく、報告を求めた覚えもなかった。


 兵吾は、平然と火薬衆をやり過ごそうとした二郎三郎が、不機嫌に何かを言おうとして……控えているのに気づいた。


「どうなされました、二郎三郎様」

「我等は大輪様に、うまく囮に使われております。物見衆が我らの近辺に集まり、使いを走らせておれば、与謝部勢はそれをどう見ますかな」

「ここに大輪様、あるいは当座の軍配者がいる……と」


 二郎三郎は大きく息を吐いた。


「我等は何があろうと、太刀谷城を目指して急ぐほかありません。それを織り込んだ大輪様が、我等をつこうておるのです。明神様の神意をこのように扱うのは、あるいは……」


 二郎三郎は声を潜め、顔を近づけてささやいた。


「金神様と木神様にはおそれながら、思惑違いがあらしゃいます。金神様が神託として大輪様に、このようなことをそそのかされたやも……知れませぬ」


 兵吾が低くうなるのに構わず、二郎三郎は続けた。


「方々に道を急がせて下され。刻々と与謝部の手の者は集まってまいりますぞ」


 兵吾はうなずいた。考え込んでいるときではない……ということは若い兵吾にもわかった。新たな指示が出されると察して、儀次郎が主だった人々を集め始めた。兵吾もだんだん、兵たちを安心させるよう「すべてが見通せているような顔」をすることを覚え始めていた。


--------


 兵吾隊の中で騎馬の者は半分もいない。その中から交代で数名が前哨に出るのだが、向田甚太はその役目から外されていた。兵吾の下知であったが、二郎三郎も何も言わなかった。伝魄斎と最も因縁の深い向田甚太は、まさに囮である。雑兵の的になどさせるべきではない。


 だが、ついに懸念されていた時が来た。


「どくろ武者、その数およそ二十。街道をふさぎ、こちらへ向かう模様」


 空元気をつけるように、前哨の兵は無用の大声で報告した。恐怖と戦っているのが伝わってきた。二郎三郎の冷静な、しかし厳しい声が響いた。


「それも一種の囮でありましょう。土中に伏せ放題の敵手です。おそらく小勢で退いて、死に間に誘ってきましょうぞ。掘り跡の新しい土があれば、ご用心ください」


 弓を持つ者たちに、二郎三郎の持ち込んだ矢が配られた。配りながら二郎三郎は言った。


「刺さった矢は、なるだけ回収してくだされ。おそらく飯綱崩れからこちら、近辺の(むくろ)の数、矢の数を相当に上回るはず」


 すでに飯綱家の敗亡は知れ渡り、その事件は「飯綱崩れ」と呼ばれ始めていた。兵吾が続けた。


「われら、太刀谷城へ押し通るためにのみ斬り合い申す。関わっていてはますます集まって来よう。足を止めるでないぞ」

「応」


 兵たちの叫びも、前哨の兵のように不安を紛らわす甲高いものとなった。そして向田甚太は、平然と兵たちの先頭に立った。


「向田どの、弓衆は控えて陣取られては」

「護提様、おかげさまで見たきものが見られましてござる。この上は、御奉公にてお返しを」


 甚太の笑顔はいつになく無邪気で、兵吾を不安にさせた。早瀬与一郎として嫡子の元服を見届けた甚太が、生への執着を弱めていることは若い兵吾にも響いてきた。


「向田どのの(いさおし)、我が十橋に有難き拾い物におわす。父もそのように漏らしておった。まだまだ教わらねばならぬ」


 父にそんなことは聞いていないが、そう言わずにおれなかった。実際、十橋の譜代たちの甚太への評価が高いことは折に触れて感じていた。二郎三郎がいらだたしげに口をはさんだ。


「護提様。これは競争にござる。身共も式を惜しみませぬゆえ、よしなに」


 二郎三郎が従者に右手を差し出すと、若い従者は機転良く、ふところから油紙に包んだ上等そうな紙束を差し出した。二郎三郎は息を吹きかけるように小声でささやき、紙束から三枚を次々に引き抜き、飛ばした。紙片は各々、くしゃくしゃと固まって鳥の形になり、やがて眼とくちばしを備えて二郎三郎の周囲を回ると、飛び去った。兵吾は深呼吸して、自分も弥助を呼んだ。どちらが相手を見つけるかが、勝負になるようだった。


--------


 太刀谷城が、兵吾たちの視界に入ってきた。小高い丘がほぼ土と板塀に覆われ、(やぐら)がその向こうに並んでいる。ふもとには街があって、遠目にも人と馬と車がせわしなく往来していた。町人は逃げ支度をしているし、兵馬は走り回っている。戦意のほどは、まだわからない。ここもまだ投網川の扇状地で起伏は少ないが、あちこちで竹藪と小森林が視界をさえぎっている。


 どくろ武者は散発的に襲撃してきたが、清め矢で術が解けるものがあり、兵たちと切り結んでいるうちに二郎三郎が解呪して骸骨に戻されたものがあり、今までのところ退けられ、こちらに死人は出さずに来ていた。がちがち歯を鳴らす兵がおり、うめき声を自分で止められない兵がおり、心の削られ方はひどいものであったが。


「来なくなりましたな」

「何がです」

「物見衆ですよ。先ほどから、何の知らせも届いておりません」


 二郎三郎に言われて、兵吾も気づいた。勝手に届けられていた報告が、さっきから途絶えている。


「理由は、あれでございましょうな」


 二郎三郎が示した方向には、何も見えなかった。儀次郎も兵吾も、十橋の者たちは互いに顔を見合わせたが、誰も二郎三郎の真意を言い当てられなかった。最初に気づいたのは、どうやら弥助であるらしかった。


「人と馬が数多(あまた)動いております。矢が飛ぶほど近くではございませんが、一千は下りますまい」

「与謝部の本隊ですか」


 その手掛かりで、全体の絵図を察したのは佐賀大膳正であった。二郎三郎は相変わらず、今朝の天候を口にするように淡々と告げた。


「大輪様は英傑におわしますが、与謝部様は、まあ、さほどではおわしませぬ。普通の大名家は、死霊術師の討伐を邪魔だてなどは致さぬもの。そこを大輪様は読み違われた」

「すると」

「与謝部様の物見衆を抑えるはずの大輪物見衆が、こちらの周囲に散っております。様子がわかりますから、まっすぐ与謝部様は大輪様の本陣へ押しておいでになり、総勢のぶつかり合いになりましょう。肝心の太刀谷が死霊術師に毒され、力になり申さぬので、時がたつほど与謝部様の劣勢は(あらわ)になりましょうしなあ。大膳正様は、どうご覧になります」

「恐れながら、それも上様の御読み筋のひとつかと。上様は英傑におわすゆえ、与謝部になきもの、ひとつ御持ちでございます」

「ほう」


 大膳正の笑いは、どこか……いたましげでもあった。


「死を賭して身をさらす、黒杖衆の術者方にございます」


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