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太刀谷擾乱編(1)


 兵吾たちは洲走との遭遇戦で、何の褒美ももらえなかった。小十人組の派遣という豪勢な前払いを受けているのだから誰も気にしなかったが、与謝部との戦端が開かれるまで暫時とはいえ、十橋荘に帰還が許されたのは破格の優遇であったから、それが褒美ともいえる。


 まだ新郎である兵吾を迎えた松は、兵吾が意外に思うほど、最近の戦況を知っていた。すでに鳳吾や謙吾とうまく話して、情報を引き出しているに違いなかった。その松と兵吾が話す機会は、寝所の中くらいしかなかったから、もう家中は松の支配下に思えるほどだった。


「ひかりという人は、今回もお前様のお役に立ったのでしょう。側室になさいませぬのか」

「身共は三男の部屋住みもどきだぞ。側室など持てるわけが」

「小十人組の人数をお考えなされませ。お前様直卒の人数と合わせれば、十橋様の番衆そのものと同じくらいです。それだけの者をすでに、大輪の上様から預かっているのです」

「身共が預かっているわけでは」


 そう言いながら、兵吾は松の言うことにも一理あるかと思い直していた。まったく新妻と共にする寝所での会話ではない。


「兵吾様のお手柄につながるなら、我が身我が家のことと思うてくれる方が、ひかりも働きましょう。なれど、お前様」


 松は兵吾の首に腕を回した。


「それは松がお世継ぎを挙げた、後でございます」


--------


「お疲れのご様子ですな」

「毎夜、物思うことが多くていかぬ。せっかくの帰郷でも眠れやせぬわ」


 佐賀大膳正は新婚の兵吾を冷やかしたのであるが、兵吾の方は洒落(しゃれ)を働かせる余裕がなく、ありのままをげっそりと口にした。祝田の砦で、大膳正は小十人組について報告があると兵吾の執務室を訪ねていた。


「大輪の上様より、お達しがございました。小十人組の半分を砦に残し、残り半分は護提様の馬廻りとして働きます。こちらには、あまり仕事がございませんで」

「ああ、木本龍三郎もそのように申していたな」


 すでに帰着早々、砦を任されていた木本龍三郎から留守中の報告を受けていた。神託の内容はしばらく漏れにくいものだが、神託が降りたことは神職たちが騒ぐので近隣諸侯にもわかる。「なにか神から言いつけられた」十橋家に攻撃すると、神意達成の邪魔をしたことになって、世間体が悪いのである。だから投網川方面に限らず、周囲の豪族たちは、いつもなら冬の農閑期に必ずある嫌がらせを十橋荘に仕掛けずにいた。


「我らを矢除けとも槍先とも思い、存分にお使いくだされ」

「いや、それは」

「我ら、家では次男三男、いずれにせよ槍一筋で身を立てる立場の者ばかりにございます。護提様の下で華々しく戦えること本望にて、願わくは共に世に出ること、(かな)えたいと念じております」

「ううむ」


 兵吾はうなった。松とは力点が異なるものの、佐賀大膳正と小十人組も、兵吾の出世でわが身の栄達も成るのだと思っているらしい。大膳正は少し顔を近づけ、声を潜めた。


「みな、心ひそかに護提様をあるじどのと思うております。御言葉を御改め頂いて、この大膳正も組下として接してくださいませ」

「あ、ああ」


 兵吾は、小十人組の役割変更が大輪兼治の命によるものであることを思い出した。大輪兼治と、顔も知らぬその側近たちは、もう小十人組をそのようなものとみなし、野戦指揮官としての兵吾を大輪家に取り込み、退路を断つ道具立てのひとつ……と考えているのではないか。嫁を取った途端に次々に肩の上に乗っかる者たちが現れて、兵吾はため息をつくばかりであった。


--------


 金神・鋳砧明神をまつる村松神社は、大輪家の人々が日常の願い事をする神社であり、領民にも開放され、常時にぎわっていた。これに対し、環御霊(たまきごりょう)神社はやはり村松近郊にありながら大輪家の私的空間とされ、大輪家から徒士が常駐して、身分なき者を参拝させなかった。


 鳳吾が神職であるように、有力な一族なら武家でも商家でも誰かを神職にして神社と縁をつなぐ。だが大輪家ほどの規模になると、神社の方でも緊密に意向を確かめたいし、大輪家の方でも、中立的な神職を外交官のように使いたいこともある。そうした大使館的な施設が環御霊神社なのであり、大輪家への神託をはじめ様々な機密を扱うゆえに、余人を踏み入れさせないのである。


 大輪兼治はどちらかといえば癇癖(かんぺき)の強い領主だったから、環御霊神社の神職はとくに慎重な接し方のできる者が鋳砧大社で選抜されていた。だが、見るからに不機嫌な兼治を目の前にしては、その執務室に伺候(しこう)した宮司も自分の幸運を祈るほかなかった。


「萌吹明神様は十橋護提を加護すると金神様の神託を頂いたのに、普通に戦闘に巻き込まれておるではないか。襲ってきたのは物見衆には凶状持ちにも等しい男ぞ。どうなっておる」

「されば、萌吹明神様にとっては、十分な加護でおわしたのかと拝察いたします」


 押し黙った兼治が鋭い視線で先を促すので、宮司は続けた。


「萌吹明神様は戦いを御嫌いになります。そして草木の命をつかさどる御方(おんかた)でもあります。ですから十橋どの主従が無事に生き延びるかぎり、勝敗に御心を使われないのです。おそらく十橋どのの命が危ういとなれば、御救いを下されたでしょう」

「とっさの間に合うものかよ」


 宮司は兼治をなだめるように、ゆっくりと話した。


「一木一草、ひとたび木神様の号令をたまわれば、その耳目を務め参らせます。それでも足りねば、草木に由来するものを動かすことも、(あた)いたまうとか。草木由来のものを身辺から除けば、私共は丸裸ですからな」


 兼治はむっつりと自分の衣装を(あらた)めた。転生者はもちろん化学繊維の知識を伝えてはいたが、石油化学工業を立てることはできずにいた。だから布地で植物由来でないのは、毛皮くらいのものである。


「そのようなものか」

「はい」


 宮司はこれで嵐が過ぎ去ることを根拠なく願った。そしてそれは(かな)った。


「相分かった。あやつらの用い方、心することとしよう。大儀であった」

「ははっ」


 止まり木の上で、鷹の霜風がぷいと斜め上を向いた。


--------


「ようご無事で戻られました。まこと御家の盛運尽きざること、重畳の至りでございます」


 兵吾の幼少のころまで記憶をさかのぼっても、勘定方の笠戸亥三郎に両手を握られたのはおそらく初めてであったし、その笑顔は主家への愛想笑いを越えた快哉であった。まだ評議は始まっていなかったが、兵吾にはその理由を察していた。


 今日の評議は臨時のもので、兵吾が帰ってきたので対太刀谷・与謝部戦の最新報告を聞くことが主題であった。しばらく村にいなかった兵吾のために、謙吾が概況を語ったのだが、十橋家の側も領境でいっさい攻撃的な行動をとっていなかった。平和主義でも何でもなく、祝田の開墾に可能な限りの人手を割いているせいである。互いに手を出さないから損害もなく出費もない。それもこれも兵吾がらみで神託を受けたおかげであり、亥三郎が兵吾の手を取ったのはそうした文脈であった。あえて言えば、「戦功などどうでもよい」と言い切れる立場の者は、十橋家でも亥三郎くらいのものであった。


 この戦国に、大規模開墾に手をつけるのは大胆な一手であり、良くも悪くも伝統が浅い十橋家らしい選択だった。そしてそれは果実をつけようとしていた。それを喜ぶ者も、少し視野を広げれば……喜ばない者もいた。


--------


「'はーれむてんかい'なるものも、異世界の生き方と割り切れば、悪くはないものと存じます」


 秋葉屋の本宅客間で茶を喫しながら、山田花は言った。術者としては山吹と名乗っているが、二つ名がつくほどまだ人に知られていない。以後、山田花のことは山吹と呼ぶことにしよう。


「そう言われましてもな。護提様の今の身上(しんじょう)では、御部屋様をお抱えになるには……ちと御稼ぎが足りますまい。それ以外に、いかぬという理由もありませんが」


 雇い主としては、秋葉屋の口調は丁寧であったが、それはまだ山吹が客人であって、朋友でも同志でもないからであった。


「それは山吹の甲斐性を足し前にすれば、済むことなれば」

「これはこれは」


 秋葉屋は苦笑したが、そうしろとも、やめておけとも言わなかった。仕事がうまくいっている限り、攻撃力があって心を鬼にできる術者の稼ぎは大きい。人を狙って術を放てる術師も、そうでない術師もいた。兵吾を護衛して霧氷の銀二を狙撃した稼ぎは、依頼主が十橋家だったからあまり多くはなかったが、山吹はすでに何度か、人に向けて術を放っていた。


 だがそれは、領主が名指しした凶悪な罪人に限られていて、政治犯や政敵の暗殺、紛争への参戦といった仕事は避けられていた。いまのところ。


「戦う術者は、どのみち表世界で大手は振れぬ世の中でございます」


 山吹は静かに事実を述べただけだったが、秋葉屋は無言を返した。強力な術者が存在をさらせば、あらゆる襲撃に見舞われる。それを避けて暮らせば、表世界に必須の社交と列席が果たせない。秋葉屋が曲がりなりにも大商人でいられるのは、能力の内容を秘し通すほどの用心深さゆえである。


 昔は、もうひとつ道があった。徒党を組み、国を興すのである。だが難局条約のせいで、術者が興した勢力には神々の加護が薄く、それが知れ渡ると野盗のたぐいはともかく、まともな追随者も見つけにくくなった。転生者には生きにくい時代である。


「誰かに背中を預けねば生きられぬとして、堅苦しいのも嫌でございます」

「転生者の常ですな。手前にもそのような心持ちはございますよ。なるほど、それで、ほどほどに身軽な護提様というわけですか。ですが、それならば」


 にこやかだった秋葉屋の目つきに、違う色の光が混じった。


「よほど仕事は選びなされ。全転とて一枚岩でも、善人組合でもございません。誘惑はいつでも、どこからでも来ますぞ。いったんその道に進めば、夜でも人里を歩けなくなるような、その種の誘いです」


 山吹は黙って頭を下げた。そして言った。


「恐れながらお尋ねしたく存じます。旦那様は、この第二の世に何をお求めなのですか」

「手前ですか。ふむ」


 秋葉屋はしばし考えこんだ。それは答えを考えているようにも見えたし、山吹に本当のことを言うかどうか迷っているようにも見えた。


「手前はそこそこに身を立てる程度の力はありますが、天下をどうこうというほどではありません。陰の実力者には到底及びませぬから、陰の見物人でありたいと思うのです。そのためには、引きこもっていては特等席に座れないでしょう。最近の護提様が、手前のすぐ近くで何かを起こしそうなので、大変わくわくしておりますよ」

「では、私……私たちに今後ともお力添えを頂けるのですか」


 あらかじめ連携を取り合わず、認識外からの割り込みで兵吾たちを救う役割を、秋葉屋は山吹に継続的に頼もうかと考えていた。今日はいわばその面接であった。


「くれぐれも、耳を貸す相手には気を付けて下さいよ。御縁ができたあと悪名を背負えば護提様の瑕疵(かし)にもなります。そのときは、当局は一切関知いたしませぬからな」

「……」


 山吹は言われたことが理解できぬようで、秋葉屋は肩を落とした。転生者同士でも、世代がずれていて「もとねた」がわからないことはあるのだ。


 松を含め、佐賀家の者は大輪兼治を「(大輪の)上様」、佐賀江西大尉を「殿様」と呼びます。徳川家康の家臣が、(まだ存命の)織田信長のことを「上様」と書いた書簡があると聞いたことがあります。

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