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洲走編(3)


 通常の物見(偵察)であれば、見通しの良いところに出なければならない。だが弥助の波読みを頼りにするのであれば、灌木や草むらから出なくてよい。進むのは難儀するが、危険はずっと小さかった。


 十橋荘もそうであるが、この世界は人口も工業力も我々の世界とは異なっていて、未利用の原野、岩場、森林が国土の大半を占めている。だからこうして街道を外れて進めば、村人に遭うこともなかった。祝田周辺の事情とは逆に、様々な勢力の物見衆が頻繁に往来し、しばしば交戦するので、農民は遠方の枯草まで利用しようとしないのであった。そして弥助は、軍勢らしきものをいっこうに見つけることができなかった。


 そうなると、先遣隊を安全に通すため、もうひとつ言いつけられていた任務を果たせそうだった。敵を見つけたら色のついた狼煙で知らせる手はずだったが、敵がいないときは敵の物見を警戒させるため、色のない狼煙を上げてくることになっていた。


「これは重宝な術でございますなあ。先に見つけられての初矢(はつや)は、避けようがございませぬゆえ、わずかな距離でも稼ぎたい」


 ひかりが狼煙に火をつける様子を、大輪家からつけられた強行偵察の熟練者、雑賀治三郎(さいがじさぶろう)がにこにこと評した。腕よりも足腰を鍛えてきた体つきであり、四十には届かぬが若くはなさそうである。


 自分たちが切り開いた進路ならまっすぐ視界が通る。ひかりはそれを使ってふわふわと焚きつけを飛ばし、遠くから狼煙に火をつけたのである。狼煙を目掛けて太刀谷なり与謝部なりの見張りが駆けつけても、数十米だが先に逃げておける。


「思惑を外せるかどうかが、術者相手の命の分かれ目になり申す。骨身に染み申した」

「ご勇名、伺っております」


 治三郎は愛想良く言った。初対面の村人から情報を聞き出すことも職務のうちであれば、こうした柔らかな人当たりになるのであろうと、十橋勢は一種の尊敬をもってその愛想を見ていた。


「では、引き揚げるか」


 切り開いた道があるから、帰りは楽ができる。追跡者もそれを見つけて使えるから、ぐずぐずしてはいられないが、一行には明るい気分が広がっていた。


--------


「護提様。人らしきもの、人にあらざる速度で追いすがってきます」

「なんだと」


 兵吾は弥助の報告に、とっさに指示が出せなかった。治三郎が弥助の言葉に大声で応じた。


「与謝部の洲走(すばしり)だ。護提様、逃げましょう。奴には勝てません」


 大輪家の戦訓から、思い当たる相手がいるのだ……程度のことしか、兵吾には伝わらなかった。だが若い兵吾は、守るほどの面子を持っていなかった。それは指揮官としての兵吾が持つ軽さだが、美質でもあった。


「よし。逃げる。みな走れ」


 だが経験の浅い兵吾は、各自が単に走れば、足の遅い者が残されることまで考え及ばなかった。この小勢では、それはひかりであった。


 枯草の切り払われたまっすぐな進路で、兵吾たちに遅れ始めたひかりは、きっと目じりを上げて立ち止まり、ふところから何かを取り出した。兵吾たちとの距離はますます開き、それを見て取った洲走もまた、足を止めた。手裏剣を構えた男の姿が、ようやくはっきりした。


 単に弓矢を持つ少数の物見衆であれば、一瞬だけ止まって投げる手裏剣に射手を倒され、接近もできないうちに次々と死傷者が出てしまうところであった。少数の物見衆に対して距離を取ったときのみ無敵の術者……ということであった。だが非武装の女子であれば、組み敷いてけしからぬ振る舞いができる……と思ったのであろう。口の端が緩んで、そのあさましい考えが漏れ出ていた。


 ひかりの右手が大きくぐるんと回ったのと、洲走が悲鳴を上げ、そして背を向けて走り去ったのは同時であった。そのあとには鼻血らしき赤い点々が鮮やかに残されていた。


--------


「そふとぼうろ……と申すのか」


 報告を受ける大輪兼治は、不思議そうにその名を口にした。報告する佐賀江西大尉もまた、その言葉に全くなじみがないようだった。


「藤間ひかりなる者、異界にて'そふとぼうろ'の練達の投げ手であったと聞き及びます。その技でこぶしほどの石を洲走の鼻柱に投げつけたとか」

「その洲走、仕留めそこなったのは惜しきことよな」

「逃げ足はさすがに鈍ったものの、常人が追い付けるものではなかったと申しております。ですが護提に従った雑賀治三郎も、物見衆の物頭も、ようやく怨み骨髄の洲走に報いたとたいそう喜んでおります。今回を参考に、防ぐ手立てを考えるそうで」

「一度そのような目に遭えば、怯えも生まれような。直ちに大勢に変わりないとはいえ、愉快なる知らせよ」


 転生者たちはもちろん、野球などの球技についてこの世界に伝えていたが、その道具を均質に生産できる工業技術がないため、普及していなかった。だから大輪兼治たちも球技は「聞いたことはあるが、見たことはない」存在だったのである。


 農閑期の冬はようやく始まるところであった。大輪家の増援を受け入れた太刀谷蔵管を、太刀谷刑部小夫は独力で覆滅できなくなった。その新しい事態を受けて、与謝部と大輪の陣取りが静かに進んでいた。どれだけの戦力が投入され、どこで大戦役が発火するのか、まだだれにもわからなかった。


洲走編 了


 江戸幕府の小十人組(扈従人組)は、石高の低い御家人(の当主たち)の集団ですが、徒士でありながら組頭からの話し方が丁寧であるなど、旗本身分には及ばないもののやや高い地位として扱われていました。責任が重く機転が要る要人警護や先乗りを務める役目が多く、大身者の次男三男以下を集めた戦国期徳川家の警護部隊が基になったのではないかという説もあります。今回登場した小部隊はまさに有力者の次男三男以下を集めたものなので、名前を借りることにしました。

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