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山葵小屋編(2)


「その術者、ずっと雇われ続けるかどうかはわからんが、しばらく番衆が一か所に固まるのは避けたほうが良いな」


 龍吾は壮年から老年に差し掛かろうという姿で、この世界の人としては背が高かった。変事を知らされ、中村の館を出て、半里(二千米)ほど離れた丘にある砦に移っていた。


 主だった中村の幹部が集められ、共に報告を聞いていた。十橋龍吾の長男で、中村の実質的な村長である十橋主膳謙吾が口をはさんだ。


「武具の破損はあったのか」


「背中に回していた弓が五張り、おそらく使い物にならぬかと。具足などは直せば使えますが、しばらく職人がかかりきりになりましょう」


 渋面の者と、無表情な者が分かれた。勘定方に関わる仕事をしている者と、そうでない者の差であった。番衆たちの火傷は、今後に差し支えるほどのものはないと、すでに報告されていた。


「傭兵どもの集められた地で、知り合いを装って噂を立てましょう。飯綱に雇われた弓衆がひどい目に遭ったのではないかと。今後の人集めに差し支えるように」


 龍吾と厳斎の弟は、通名を藤庵(とうあん)としていたが、十橋家での忍びたちとの連絡役だった。譜代衆筆頭の笠戸亥三郎(かさといさぶろう)が思わず食いついたのは、勘定方の実質的な主という立場のせいだった。


「里忍びを使うのは、金がかかりますぞ」


 この時代、忍びは大きく分けて三種類ある。山忍びは峻険な地形や屋根伝いの移動に長け、襲撃やその防御を主な役目とする。だから十橋家の規模でも、当主と館の警護のために、何人か常時雇っていた。影忍びは潜入と工作(盗んだり、置いて来たり)を行うもので、雇っているかどうかを知るのはごく少数の幹部だけだった。そして里忍びは、噂を集めたりまいたりする人々で、一般人以上の武技があってはいけなかった。露見すれば忍びであることを否定したまま、一般人として精いっぱいの抵抗をして果てることが期待されていた。だから務まる胆力のある者が少なく、実績のある里忍びは高くついた。


「金をかけよ。十橋に手を出す者に、損をさせることが肝要である。安く弱らせることができると思われれば、他の者も加わるであろう」


 亥三郎は龍吾の答えに、頭を少し下げて押し黙った。ここで十橋家が少し損をしてても、「引き合わない」と思わせねばならない。龍吾はそれで思い出したように、付け加えた。


「藤庵。護堤のもとにおる生き残りから話を聞いて始めよ。その者、使うてやらねば損が増える。痛めるでないぞ」


 藤庵が頭を下げ、兵吾をちらりと見た。どう思っているのか、兵吾には読み取れなかった。藤庵の方から聞きに来いということは、甚太を兵吾の新村で暮らさせてもよいということであった。兵吾も頭を下げ、この議題は終わった。


--------


 収穫が終わったばかりだったから、農民には仕事が多くても、馬で運ぶものはあまりなかった。新村の供回り衆が騎馬で兵吾を出迎えてきたのは、そういう時期を利用した乗馬教練のために違いなかった。十橋家で純粋な軍馬として使われているのは番衆の二十騎だけで、それも二十騎そろっていないことが多かった。農閑期ともなればどの勢力も動員が大規模になって、攻めたり攻められたりの日々が続き、それはそれでじっくり乗馬教練もできないのである。


「護堤様、何か決まりましたか」


 留守番を任せていた、乳兄弟の儀次郎がことさら大きな声で問うので、兵吾はぎろりと視線をまず浴びせた。短距離の出迎えとはいえ、村長不在時に村長代理の儀次郎が村を離れてはならない。儀次郎はぺこりと頭を下げて、視線の意味を理解していることを示した。


「藤庵様が甚太へ言問(ことと)いにおいでになる。どうしている」


「さっそく武具の手入れを手伝っております。矢だけでなく弓も作れるようで」


「そうではあろうが、まだ弓は任せるでないぞ。手伝いだけだ」


 儀次郎はうなずいた。まだ信用のない余所者である。製作に時間と技術の要る弓に細工をされても困るし、細工をしたと騒ぐ者が出ても困る。


 馬で出てきたのは儀次郎のほか、とりあえず徒士、ゆくゆくは騎馬の番衆を目指す新村の若者三人である。村で一家の貧しい暮らしから脱しようと思ったら、番衆は数少ない栄達の道だったから人気があった。途中で脱落しても、人柄や能力を高く買われれば、入り婿の機会も増した。まだ馬でまっすぐ歩くのがやっとであったが、みな真剣そのものだった。迎える相手に会ったので反転しないといけないのだが、それに四苦八苦している者もいた。


 村人の出迎えはないが、村に入ると道行く者はあいさつした。新村には死亡率の高い乳幼児を除いて二百人ほどおり、四十戸の多くが小さくとも納屋を建てていたから、屋根の数は結構多かった。兵吾と儀次郎、中村から派遣された番衆経験者の徒士三名が村役場の常勤職員といったところで、月交代で古老たちが推薦する五人の村役が行政と周辺警備を補佐していた。先日動員された若衆などは、定期訓練を受ける夜学生のようなものだった。


 兵吾は独身の身軽さで、村長の役宅に住み込んでいた。三男の警備にまで忍びを雇う余裕はなかったが、譜代の一族で中村の当主館に長く勤めた登紀が、兵吾の世話役兼毒味役となっていた。三十を少し過ぎた女で、夫や子供とともに新村で暮らしていた。


 役宅に近づくうちに、珍しい香りが漂ってきた。兵吾は大領主の城下町にも行ったことがあったから、この香りを知っていたが、儀次郎に従う若者たちは怪訝そうな顔だった。役宅の門には登紀がいた。


「お帰りなさいませ。亜里沙様が、護堤様へと咖哩(かれー)をお(つか)いになりまして」


「ほう」


 亜里沙は主膳謙吾の妻で、兵吾からみて兄嫁である。亜里沙の父は転生者で、こちらの世界の人を集めて商業で成功し、こちらの世界の流儀で資産に見合った護衛を雇い、大領主に取り入って保護を受けた。そして亜里沙は、その大領主の養女となって十橋家に輿(こし)入れしてきた。悪気はないのだが、無造作に実家の富をひけらかすことがある。暖かい地方から取り寄せる香辛料は高いから、咖哩も高いのだ。もちろんそんな亜里沙だから、転生者の血筋であることを誇ってもいるのであった。亜里沙にもまた、人に明かさぬ真名があるはずだが、いつか必要があれば語るとしよう。


 兵吾がむかし食べた咖哩はうまかった。そのとき、転生者には懐かしい味なのだと聞かされたことを思い出した。兵吾は声を上げた。


「誰か、弥助を呼びに行ってくれないか。相伴(しょうばん)させよう」


 先日の襲撃撃退で、弥助の貢献は地味だが大切だった。村として儲かるところの何もなかった戦いだったが、ねぎらいはあっていいように思えたし、一度じっくり話してみたくもあった。


--------


 口数も少なく、表情の変化も小さい弥助であった。それがゆっくりと木匙(きさじ)を動かしているのは、なるべく長く味わうつもりなのだろう。


「懐かしいのか」


「咖哩にはいろいろございます。流儀と申しますか、土地土地での好みやら事情やら。信心の都合で入れてはいけないものなどもございまして。ですから、知っているままではないのが咖哩では普通なのです。それも含めて、懐かしゅうございます」


 案外面倒な奴だったのだな……と兵吾は思った。相伴の儀次郎が声を立てずに笑っているのは、やはりこのように多弁な弥助を見たことがないのであろう。人は見かけ通りでないものと思え……と幼少時に祖父らから何度も念を押されたことを兵吾は思い出した。良い悪いではない。人の奥底は自分ですらわからぬものだ。そして当主の息子がそれを読み違えれば、多くの者が余波をかぶる。


「これっ」


 家の外から登紀の大きな声がして、村の子供が三人ばかり、庭を走り抜けるのが見えた。兵吾に気付いて、一番背の高い子が会釈(えしゃく)を残した。勝手から家に入った登紀が(ふすま)を開けて顔を見せた。


「相済みませぬ。匂いに誘われて、覗こうとしていたようで」


「……あの、ひとさじだけでも、味見をさせることはできませんか。大きくなったら、料理の道に進んでくれるかも」


 多くの視線で串刺しになって、弥助はちぢこまった。このようなとき、考える前に言葉を出すな……と兵吾は厳しくしつけられていた。兵吾は少し考えて、言った。


「異世界の平和な世であれば、それもよいのだろう。だが、(ぶん)に甘んじることができない者が下克上を起こすのだ。志を伸べられぬ者もおろうが、皆が多くを望めば世は乱れる」


 大勢力が盛衰すれば、小勢力も巻き込まれた。すべての権益は不安定であり、人の技であれ天の手配りであれ、少しの油断、少しの不運で富も権勢も手を離れた。それは本来の世のありようではない……という漠然とした不満を人々が共有しているのが、この世の中であった。


 弥助はうなずくだけで、言葉を継がなかった。儀次郎はそれを村長への非礼と見たようだったが、少し鋭い視線を送っただけで口には出さなかった。いっぽう、この世はまさに下克上でいっぱいだと兵吾も思っていたから、意地悪を言ったかと少し後悔していた。


「……私がいた世界も、それほど下克上が起きるわけではございません。成り上がりの夢を口にすることが、広く許されておるだけでして」


 そう言う弥助は少し縮こまって見えた。


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